春色御紋天蕎麦(しゆんしよくあおいのてんもり)
読者ッてえのはありがてえもンでしてねえ。あつしが日比(ごろ)の罰があたつたか歩けねえ車椅子の大名身分になッちまつたンを知つて力を貸してくだすつてけふはうめえ蕎麦を手繰らせていたゞきやしたヨ。もふ半年ぢやァきかねえナ。去年の麻の長着のじぶんだから下手すりやァ十月(とつき)も先(せん)のことになりやすかねえ。いつもは往かねえ四ツ辻の先にぽつんと灯がともつてるぢやァねえか。見世はねえ辺(へん)ヨ。おやッてんで雪駄ひきずッて一丁くれえ足ィのばすとなんと蕎麦屋が暖簾(のうれん)掲げてるぢやァねえかい。ありがた山だぜ。あつしのねぐらァ江戸ッ子の面(つら)汚しだからあんまり言ひたかァねえがむかしァ沢庵にするでえこ(大根)でちつたァ知られた練馬ヨ。江戸でもなンでもねえとこヨ。そこに蕎麦屋の暖簾がかかつてンだ。練馬と言つても蕎麦屋ァねえわけぢやァねえ。塩屋(しおや[自慢])言ふぢやァねへがあっしァ見世構え見たゞけでうめえか不味ひかぐれえはぴんときやす。号ハ蕎庵あおい。それからときおり夕まぐれに面ァだすやふになりやしたが段々込むやふになりやして鳥渡(ちよいと)したつまみと燗酒一本〆にもりを一めえ手繰るだけの独り客のこちとらァ肩身が狭くなりやしてねえ。そのうち益々繁盛して席もとれねえことなつて足が遠のひたッてえわけなンだが、それがこんどお骨折くだすつて天もりを手繰らせていたでえたしでえヨ。この天もりァたゞの天もりぢやァありやせんゼ。号づけて葵天もり。屋号を冠してゐるッてことは亭主の意気込みがちがひやすナ。どうだ喰つてみねえッて気があふれてるッてことヨ。勝負ッてわけだ。ヘイお待ちで目のめえに置かれたお敷きの上みりやァその意気ごみが知れるわなァ。
漆塗りの横長の蒸籠(せいろう)にやァめえになんども手繰り馴染んだ蕎麦。その右手に天麩羅と精進揚げの盛合せ。手前にやァ天つゆの鉢と蕎麦つゆの徳利に蕎麦猪口。その間にわさびと根深葱ィ輪切りにした薬味。天麩羅用の抹茶塩。右手の鉢にやァいまの時期ならでハのわらびのお浸し。なつかしいねえ。八ツのお山で隠遁してた比(ころ)思いだしやすゼ。まず熱ひうちにッてンで海老天に箸ィのばしてひよいと気づきやァ海老の頭(かしら)を薄衣で揚げてそえてあるぢやァござんせんかい。こつァ占めこのうさぎ。ありがた山のほとゝぎすッてんですかさず口に放り込みやァその芳ばしさ甘さ。こりやァなんぢやァねえかい。活き海老ッてやつでなけりやァできねえ芸当でやしよう。皿の上の天麩羅は才巻海老が二尾。でかさでごまかす車海老ぢやァござんせん。旨い海老は小柄とむかしッから相場がきまつておりやすナ。無礼承知であえて他所さんの名ァださせてもらやァ弁天山美家古も並木の藪も柳橋大黒屋も申しあわせたやふに才巻海老ヨ。あおいのご亭さんも安心できるお人ヨ。その隣ァ小ぶりの掻き揚げかと思つたらなんと牡蠣の天麩羅、こりやァ洒落になつておりやすナ。精進揚げはアスパラの一本揚げをすッぱりと斜めに切つて食べやすい長さにする心遣ひもさることながらその切口の鋭さ。武蔵もはだしだゼ。唐茄子の薄切り一片。揚げたンでいつそう甘みがましておりやす。そして嬉しいのが空豆の掻き揚げ。季節だねえ。あつしァ時期に空豆喰わねえといらンねえ性分でやして。今年の初もンでやすヨ。また七十五(しッちゆうご)ンち長生きできらァ。そしてわらびのお浸し。これも初物。また七十五ンち。合わせて百五十日も寿命がのびやしたゼ。蕎麦の上にわさびを鳥渡(ちよいと)のせ蕎麦を手繰りやかつを(鰹節)ォきかせた汁の香りがふわッと口から鼻へ抜けこいつァたまらねえッてやつヨ。蕎麦の旨さァいまさら言ふもなンだがやつぱり通つたわけに納得したッてことサ。あゝてめえの足で通えなくなつたわが身が憎ひゼ。
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