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2010年4月18日 (日)

【大番外】木が紋(こがもん)

 夕部(ゆんべ)亥の刻半ごろ(深夜11時)時だちやん(時代劇ちゃんねる)で木が紋(こがもん。木枯らし紋次郎)をやつておりやした。これがどんでん返しだらけで観てるこちちをぐいぐいひぱつていきやがる。股旅の紋次郎が街道歩いてると、首に廿五両の大金のかゝつた凶状持ちの渡世人が四五人の地回りと立ち回りをしてる。その横をれいによつて紋次郎がしらんぷりでとおりすぎる。お定まりの竹の長楊枝がお笑いヨ。切りあいを恐る恐る遠巻きにした人の輪の中に猿回しがゐる。渡世人は地回りを切り伏せて紋次郎に追いつく。猿回しもくつついてくる。紋次郎は連れをつくらねへと言ふ。三人が連れであるようなないような間合いをとりながら脇街道を往く。渡場で子分をお供にした小仏の親分の女と同船になる。男好きのしそうなその女は凶状持ちと顔見知りで、そちらのお方ァ紋次郎さんでト声をかけてくる。やがて山道。女は子分になにごとか含ませ何処かへ走らせる。峠へかゝる途中でばらばらと土地のやくざ者が飛び出し凶状持ちを襲う。首狙いだ。女と猿回しは物影へ逃げる。切り合いの脇で紋次郎は切れた草鞋をゆうゆうと履き替えると跡(後)も見ずに先に往く。凶状持ちはまたもや敵を切り伏せ紋次郎に追いつく。

 野宿の夜中も凶状持ちを狙つて敵が忍びよる。それを凶状持ちは一撃で斃す。幾夜かの野宿の場で凶状持ちは紋次郎にからむ。あの峠道で幾足りものやくざに囲まれたときなんで助太刀しなかつたト。紋次郎いわく、あつしにはかゝわりのなへこッてごぜへやす。なにィ助るのが仁義ぢやァねへのか。あつしァおめへさんにやァ義理はござんせん。一触即発。そこを猿回しが割つて入り場をおさめる。堅気のお人の関わることぢやァねへが此処はあつしが引きやすがこの決着はかならずつけさせてもらうぜト凶状持ちはしぶしぶ抜きかけた長脇差(ながどす)を引く。この凶状持ちは府中に女房と子を残してゐる。女の亭主の小仏の親分は心の臓で床に就いてゐる。

 お咄書いた戯作者がしたゝかもんだねへ。よく推理物なんかに大詰目でどんでんがえしなんてのがありやすが、このお咄ァ咄の道筋々々ぜんぶどんでんげえしヨ。見事なもんヨ。見せたかつたねえ。咄ァちくいち裏ァあきやがる。思つてもゐねへ方へと転がつて往きやがる。そいで〆ァなんてッたッてこの戯作者のお名ヨ。新田郡ッてんだからしと(人)ォ喰つてるゼ。コウそいつァ木枯らし紋次郎の生まれ在所ぢやァありやせんかい。上州にったごおりッてネ。

2009年10月27日 (火)

幕末気楽左平次(ばくまつふらんきーさへいじ)

 (青)二才の時ぶんに、幕末太陽傳観てフランキー堺の左平次振りにいちころになりやしたナ。日活の再開三周年記念とかなんとかで撮った活動でさァ。もふ五十年くれへめえにでかしたもんだ。棟梁は川島雄三。落語の居残左平次を柱に、そこへ品川心中だの三枚起請だのお見立てだのを織りまぜ、そこにまた倒幕の志士の書生ッぽい空ッさわぎを挟み込ませてゐるンだが、見所ハなんてッたってフランキー堺の左平次だねェ。あのすっとぼけた芝居がいゝやネ。あっしが見惚れたのハその芸当ヨ。浴衣ァ着がえるンだが、着てた浴衣ァすッと肩から落としやしょう。その刹那、足元においてあった新しい浴衣ァ右足の指でつまんで持ち上げてサ。それを手にとるッてえと、ぱッと頭越しに後へ放る。浴衣が広がっる。すかさず両手を万歳するッてえと、両の袖にするりと両手が通ってはらりと裾が下へ落ちて、もふ浴衣を着てるッて寸法サ。ちか比(頃)のわけェ役者にこんな芸当はできねヨ。フランキーはこれを羽織でも二度ほどやって見せておくれサ。なんとも気味がいゝぢやァありやせんかい。いかにものお調子もんで、鼻唄まじりでずっと生きてきた野郎ッて感じサ。
 場は品川。土蔵相模。板頭を張り合ってる二人の女郎が脇を固めてンだが、一人がこないだあっち側へいちまった南田洋子。も一人は左幸子、すぱッと切味のいゝ美人だねェ。この二人も芸当を見せるヨ。ありゃ何枚重ねッてのかね。厚さ三寸はあろふッて上草履で広階段をばたばたと手すりにもつかまらずに駆け下りたり駆け上がったりヨ。足元なんか見ねえンだ。なんでもねえようにやッちやァゐるが、思やァおッそろしいゼ。役者だねェ。吉原でいやァ花魁株のこの女郎とこゝの女将はちやんと鉄漿(かね)で歯を染めてんのヨ。それがまッとうヨ。遣手がまたいゝンだ。いかにも意地が悪そふで。菅井きんさんがやッてんだ。土蔵相模だのゝお女郎屋は海岸ぺりに建ってゐて、海から見りゃ三階建てだが、玄関のある街道からは二階建て。それがちゃんと活動の中で描かれてる。左平次が外から戻り玄関入るト階段下りるンだ。居残のあいつの部屋は行燈(あんどう)部屋だか布団部屋みてえなとこだから、下にあるンだ。この活動撮った比の品川の海ッペりァまだ実正(ほんと)に遠浅だったンだなァと懐かしような気分も味わえるッてのもみッけもんヨ。
 外題がなんで太陽かッてェば、石原裕次郎が出てるからなんだが、これが大脇役。三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたいッて都々逸つくった高杉晋作役やってンだが、髷が売出中の慎太郎刈ヨ。妙だよ、あの浪人髷ワ。あの人ほどヅラの似合わない役者はいないネ。
 あっしゃこの活動が忘れらんなくてねェ。ずっと天窓(あたま。頭)のすみっこにこびりついておりやしてゝサ。よく行く損料屋に訊いたがビデオはもふねへッと言ふのヨ。で、なんとかと探したら、なんと便利な世の中になりやしたヨ。録画円盤(DVD)になってンのさ。そいで損料払って観たッたわけさ。三遍も繰り返して観たゼ。いまァあの盤、買おうかト思ってるほどの惚れ込みよふサ。

2009年8月27日 (木)

見参蝙蝠安(おまちかねきられよさ)

 格子戸をする\/と明けて、すッと腰ィかゞめてへえると、三和土(たゝき)に身ィかゞめ、上框(あがりかまち)に手ェ突いて、「ヘイ、女将さん。おねげえがありやして。ト奥の襖の陰で帯ィ結んでたお富が半身反らして顔ォのぞかせ「誰だい。あゝ、こないだの。けふハなんの用だい。「ヘイ、弟分がなん\/で、鳥渡(ちょいと)草鞋銭をいたゞきてへと思ひやして。ト面(つら)ァあげると、ほッぺたに入墨黒々蝙蝠安。多々良純が演じてンだが、これがいゝのヨ。地回りの小悪党ぶりが滅法界いゝンだ。うめえのなんのッたらねえゼ。なんど観ても惚れ\/ヨ。それから、お富の淡路恵子。仇(あだ)ッぽいねェ。ちか比(頃)ゐねへヨ。かふいふ役者。テレビのじでえになッちまったもんだから。お茶の間ぶてえ(舞台)だから、仇ッぽいだの色ッぽいのだのはご法度みてへになっちまってサ。みんなお子さま向けヨ。そいでいて、ピーなんてッてたのが伝馬町に入れられちまうんだから、わかんねへじでへヨ。咄ァ横丁ばいりしやしたが、あっしが馴染みで通ってる養生所の三軒向ふに、活動の損料屋があンのヨ。そこで一廻り(七日間)に三遍ツ。いちンちとして、借りねへ日ァねへヨ。市川雷蔵立役の切られ與三郎と辨天小僧。大映ッて活動屋の鼻息があれえ時ぶんにつくった映画だ。だから、隅々まで力ァへってる。画面の端から端まで見応えあるゼ。棟梁は伊藤大輔。撮影、大道具部、小道具部、照明部、みんな年季へえった玄人さん揃いの仕事ヨ。丁場(現場)で手ェぬいてるやつァゐねへヨ。ずいぶんめえに、この二本借り出して、養生所の南蛮布団に寝ころんで観たのヨ。一目惚れサ。で、鳥渡(ちょいと)間ァ空けてまた損料払いにいったわサ。そいでもけへすとき後髪しかれる思ひ。なんとかなんねへか。どふ見たって古い活動だから、いずれ捨直(すてね)でうッちゃるンだらふ。で、「売るときゃァあっしに身請さしておくんなさいなッて頼んでおいたと思ひねえ。それがついこねえだ面ァだしたら、「とっといたヨのご挨拶。うれしぢやァござんせんかい。「兄さんのことだから、五百玉の紛南鐐(まがいなんりょう)一ツでいゝよゥってのよ。二本だから、英世先生いちめへ置いてきなッてのサ。ありがた山(やま)の占め子の兎、たゞどり山のほとゝぎす。見世の姐さんの気ィかわんねへうちにッてんで、あばよッてお持ちかえりッてわけサ。やっと手にゐる雷蔵二本。こいつァ秋から縁起がいゝわい。ちか比(頃)能(いゝ)ことずくめ。わりいことハなかったことにしてるからね、あっしゃァ。

2007年8月 2日 (木)

NHK陽炎の辻 贔屓

NHKの木曜時代劇『陽炎の辻』を観て、贔屓になりやしたゼ。時代考証がいゝねェ。そいつがまた脚本に活きておりやすヨ。

デあっしとしちァ珍しく、投稿いたしやしたヨ。下の文がそいつヨ。ご納得だったら、あんたさんも贔屓にしてやってくんな。けっこう見どころが多ござんすヨ。

NHKさんへの投げ文

 八月二日の放送を見せてもらいやしたゼ。
 時代劇にあんまり取り上げられことのねへ湯屋の場面でそこの湯船が出たり、湯屋の二階の場があったり、珍しく見どころになりやした。
また、蕎麦屋の場面ぢァ、どこの時代劇でも飲み食い物屋ッてへと、机に酒樽ッて江戸の比(頃)にァありもしねへ道具立てが普通にまかり通っておりやすが、それをせずに板場の見世(店)だったのハよござんしたねェ。
矢場もよかったねェ。緋毛氈敷く造作もよかったが、客が矢場女の尻ィ狙って矢ァ放つなんぞハ川柳に詠んでるまんまで嬉しくなりやしたヨ。
 長屋の場面ぢァ井戸枠が樽で、上に屋根なんかつけてねへのがよかったねェ。主役が住む部屋ハ畳が上げてあって、そいつゥスッと床に敷いて見せるとこ、二階へ上がるのが階段ぢァなくて梯子になってるのも実正(ほんと)らしくていゝぢァありやせんかい。
 見どころいっぺえで、場面が変わるたんびに目ェ離せねへゼ。
 いゝ時代咳、造っておいでだねェ。これからも、木曜楽しみにしておりやすヨ。
 たのんますヨ。

江戸狂ひ 喜三二

2007年7月 6日 (金)

贋七夕必殺優男(にせたなばたひっさつわかしゅう)

 ときはいまあまがしたなる暦とは、言えへば誰でもお手にする、海を渡ってはるばると、丸い地球の真はんてへ(反対)、春夏秋冬区別も怪しき伊太利ハ、羅馬(ローマ)法王業列互利(グレゴリオス)がお決めになった紅毛暦。あっしら日出ずる国の町人風情たァ縁も所縁もござんせんが、なんの祟りか世界ハ一つとご統一。西洋\/で夜も日も明けぬ鹿鳴館、その楽隊が日毎夜毎に囃し立て、舞いや踊れやの狂い咲き。すっかり開化に載せられて、気がつきャ季節は大ずれの勘違い、なんの役にも立ちそもなし、そんな間抜け暦に取り込まれ、いまぢァそいつが大手振っての通り相場。七夕祭は七ト七と員数合せで丸飲み丸暗記、その指すところの意味もなし。とんだお笑い大まじめ。手習指南所跡形もなく今ぢャお上のお墨付き。小学校とやらが教える七夕も、検討ちげへの新暦7月7日。
 なんでこの日に天ノ川、消えて織り星彦星が出会えるもんなら、やってみな。滔々と空を横切る天ノ川。空が晴れても川消えぬ。粋な竹屋の渡しが天にあるならバ、川の流れがあったとしても愛し女郎と若旦(わかだん)の中を取り持つ計らいも、あろうものだがあいにくと、相手は竿ォ三本つないでも届かぬ天の上。西洋毛唐にお待ちを願い、天保暦を引き出して、埃はたいて調べたならば、秋の文月(七月)七日(土)が本物の七夕の宵。今の暦で言ふならば、西洋暦の8月18日(土)がその日。その日迎えりャ昇る月影皓々と、天ノ川の星の光消し、誰遠慮することもなく彦星織り星手に手をとって、年に一度の逢瀬の夜。
 そのめでゝえ夜をとッ違えは承知の上か、西洋暦の7月7日(土)ハ夜五ツ半(夏至時点今時間9時)、テレビ朝日の放送で、待ってましたの『必殺仕事人』。藤田まことが久しい姿見せてくれるが、安堵もの。東山の若衆や他にも若衆しばや(芝居)とまがうばかの若香盤。どんな梅庵が御目文字か。こいつァひとつ腰据えて、一刻しばやを、とくと拝見つかまつりやしょうかねェ。

先にフジテレビで一刻仕立てで流した仕掛人、あいつァ房楊枝づくり職人の彦さんを、演じたお役者が月代剃ッての熱演と画面の整理切り取り、切り返し、色使いに惚れ々々いたしやしたが、こんどの見所はどこにある。筋か役者か、江戸弁台詞の役作り、時代考証、道具立てに衣装、髪形結い分け方、小物履物、障子の桟、蛇の目か笠か、手拭か、見所満載、上手下手を乗り越えて隅々まで楽しめる、そんな仕上げが待ち遠しい今度の7日の夜でございやす。

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