巻の二 徒遊三囲向島百花園(かちあそびめぐるむかふじまひヤくくワえん)
暑い\/と口々に、汗拭き入る言問団子。さいわい見世はひンやりと、冷房効いたありがた加減。さゝどうぞトだされた熱い茶の旨いこと。砂が水吸うよふに、五臓六腑にしみわたる。さてご注文。一同三色の団子盛合せの揃い踏み。こいつがけふのお目当てヨ。都鳥墨釉でさらりと書いた楽焼の、皿に白茶黄の三種団子。なんど見てもいゝ景色だねェ。白は白あんで、茶は小豆の漉あんで、白玉を芯に外側をくるみ、黄は中外逆。白あんをくちなしで染めたしん子でつつんだ、曲(きょく)の品。三個みんなおんなじぢやァ芸がありやせんもんねェ。此処で一休みふた休み、汗を乾かし、目指すは鳩の町。大通りから、ひょいと小路ィへえりゃァそこがもう鳩の町の跡。こゝがですかいト先達ッつァんに問やァヘイ此処で。見上げる町名表示にやァ、まッごうことなく、括弧付きで小さく(鳩の町)。かれこれ五十年ばかしのめえ、小路の真ン中下水が流れ、客は見世沿いに歩く仕掛け。両脇の見世はそれとわかる桃色緑の陶板(タイル)張り。戸にやァ妖し紫の、板ビードロ嵌めて一目瞭然の造作はいまや何処のごみと消え、立ち並ぶはありふれた町の風景。面影は道の細さのみ。夢さめ、狐につまゝれたるが如し。
色もあせ たゞの人住む 町になり
商屋(あきないや)らしき家ひとつもなき中に、運よく水茶屋こぐまあり。一休みと一同でなだれこむト折よく、ひよこ豆の天竺飯(カレー)の用意あり。こいつァ渡りに舟ト腹ァつくってるとこに、肝煎姐さんのご登場。一同やんやの拍手でお出迎え。やっぱり肝煎がいねぢやァ盛り上がりがもひとつかけていけねえや。姐さんのけふの仕掛けハ扇柄水色絽小紋、帯は絽の桃色地に白銀(しろがね)の蝶型、半衿は桔梗。たっぷりの黒髪髱(たぼ)ゆたかに結いまとめ挿す夏かんざしは柄の韻ヲふんで桔梗に蝶。足袋にも帯と合わせて淡薄桃色の柄をとばし、草履はあかるく白銀色。全身いちもくすりゃァ涼しげな極淡い水色の仕上げ。姐さん、やっぱり着物の着こなしァ玄人だねェ、惚れ\/いたしやすゼ。
さて、腹もできた。鳥渡(ちょいと)風流しに、百花園まで往きやしょうか。何処までついていけるものか、てめえでも皆目検討のつかなかったあっしだが、なんとか往けそうト杖の柄しっかと握りなおし、お供しやしょう百花園。西日背に受け、風流旅烏。どこをどふ歩いたか。いまぢやァ二度と歩けぬ、小路づたい。やがてあらわる木立の一角。檜皮葺(ひわだぶき)の中門くゞりゃァ、江戸文人つどいの場。あっしゃァ七八年も向島の隣に住んでいながら、餓鬼のため、いっぺんも来たことがねへ。ぜひと永年願った処。いまやっとたどりつきやした。肝煎姐さん、先達ッつァん、足弱のあっしに合わせてあゆんでおくんなすったご一同にお礼申しやす。ありがたふおざりィやす。むかしァ梅屋敷とも呼ばれてゐたとか。中門のさきにやァ抱えてあまる梅の老木。梅のみあげる大木なンぞ見たことねェ。実がなっても手が届かねへ。こいで知れるぜ、梅の実ほしさで植えたぢやねェッて根性がネ。そこが文人ヨ。そうこなくちゃ洒落になんねへもんナ。実ィ採って梅干あきないしてたよふぢやァ賤しくっていけねェ。
野点でおなじみの日除け大傘の下、緋毛氈の床几が一つ。さァ、きーさん真ン中にト肝煎京姐さんにうながされ、腰を下ろすと右にりえ姐さん、左ァ京姐さん、そも隣ァloco姐さん。両手に花どころぢやァねェ。両手に三ツ花。こいつァでけえ罰があたんなきやァいゝだが、ぢゞいのあっしにやァ空恐ろしいやふな仕合せヨ。百年の運がいっぺんに咲いちまったようたゼ。
浮かれて歩みやァこもれびの中、どこからきたか水色揚羽二匹。離れては寄り、寄っては離れ、雌雄が空(くう)に綾なす恋の舞。肝煎姐さんの帯柄簪柄が呼んだか、えにしの蝶々。夏の仕舞いの恋の一幕。
園内を一巡して、もふひと歩き。つぎに目指すは玉ノ井の旧跡。色町と知られてゐるが、この地名、きっと名水の涌く地だったものと偲ばれる。西日を背に小路たどれば鉄道の駅。もと玉ノ井駅。駅前の米式肉挟みパン屋の二階で冷たいもので喉をうるおして一休み。扨(さて)ト一同つらなり、先達ッつァんにこゝが戦前の、あっちの道筋が戦後の玉ノ井色街と説明受け、その思いで見ればたしかに小さき西洋酒場などが、無理に挟んだよふにあったりし、形(かた)は変はれどその面影ありやなしやの風情なり。
玉ノ井ハ 抜けられますト 客を呼び
近くの禅寺に残る大正街道ト彫った見上げる立派な石碑を見、さらにたどって空襲で焼けのこった玉ノ井楼主の旧居を眺め、けふの徒あすびを終える。
江戸を発ち 昭和をたずね いまに来る 喜老
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