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2015年4月25日 (土)

縁桃節供汐干狩(えにしのさんがつみつか) 喜三二

 けふ4月21日は和暦の参月参日。桃の節供でやすナ。明治のはじめッころに西暦に切りかわつてからッてものしだいに日本の節句の行事を日にちだけ合わせて西暦でやるやふになちつちまつて七夕を7月7日になンてのもそれでやすナ。ほんとは和暦の七月七日。それまで月の輝きで織星と彦星のあいだをへだてゝた天ノ川が消えやして出会えるッてしかけなンで梅雨のさなかの西暦の7月7日に祝つてもなんにもなんねえ。どだい梅雨空で星ァ見えやせんしねえ。そいで桃の節供のことでやすが西暦の3月3日ころにやァ自然ぢやァ桃の花ァ咲きやせんでしよう。桃の節供は雛祭とも呼びやすがもともとは古代中国にはじまつたそふで三月のはなの巳()の日を上巳(じようし)の節句として人形(ひとがた)の紙で体をなぜ川へ流してけがれを払つたンだと聞いておりやす。お雛さまのおほもとはそふしたもンなんですナ。それが女児の祭になつたのは男児の端午の節供と対にしたンだそふでその雛祭がさかんになつたンは江戸時代だそふでだんだん贅をこらして内裏雛になりやして一尺五六寸もの大雛がつくられ一両三分くれえものたいそうな高直(こふじき)になつたンで享保六年西暦の1721年にやァ八寸以上の雛人形はまかりならぬと禁止令がでてやすナ。そいでもとまンねえンで五十年くれえ後の寛政にも大雛ご法度の令がまた出てやす。そふなると大きさを遠慮するかわりに三人官女などまわりをとりまく方へ凝つていつたやふでやす。お雛さまをいつまでも飾つとくと嫁ぐンがおくれるとよく聞きやすがむかしァ三才から十三才ぐれえまでゞ月のもんをみるやふになつたら飾らねえもンだつたそふでそこからいき遅れの咄になつたンでやしよう。

 サテ三月三日にやァもふ一ツございやすナ。汐干狩(しほしがり)ですな。これは大汐で海の水が大きくひいてゞきた干潟で蛤や浅利をほる遊山でやすが大汐は年に二回あるがもふ一回は秋だが夜中なんで汐干狩にやァむかねえ。じきがいゝのは朝から汐がひき海の水もぬるむこの三月三日から六日までの四日間。江戸の汐干狩の浜ァ芝浦沖、佃島辺、中川沖、高輪沖、それと深川沖、品川沖が名高かッたと言ひやすナ。汐がひきはじめンのは卯()の刻いまの時間で午前の6時から7時ッころで昼の午(うま)の刻にやァ遠浅の海の底が干上がるッて寸法で。大人も子どもも着物の裾をまくつて貝ひろいに興じたンですナ。この大汐の日と、もともとは巳の日に人形(ひとがた)を川にながしてた行事が女児が初潮むかえるまでおこなふ雛祭にかわつたのはなんか汐つながりの縁があるやふに思えるンですな。

(初出・カランドリエ平成27年弥生桃の節供号

2015年1月24日 (土)

月遅初春待 つきおくれがんたんまち

けふ1月20日は大寒ですナ。この冬はいつもの年よりずつと寒ふございやしたからそのうえ寒さの大棟梁の大寒だつてンだから畏れ入谷ヨ。いまこの冬ッて書きやしたが普段づかいの西洋暦ぢやァ初春の元旦からもふ20日もたつてる勘定になりやすが、日本の季節は日本の暦で勘定してえもんでして。大寒のけふは和暦の太陰太陽暦の十二月(しはす)一日(さくじつ)。まだ師走で冬なんでやすよ。なんでおくれてンでェッてえとからくりがございやして。じつァ秋に閏九月がへえつたンでことしァ十三ヶ月ありやす。そいだけ春がとおいッてわけなんですナ。そいぢやァ春はいつ來るンだいッてえとなんと西暦の2月19日でやすヨ。その日が和暦の元旦で春の初日。それまでずつと冬。そりやァなかにァちッたァあつたけえ日もありやしようが日本の暦のくぎりではずつと冬なんですナ。この決まりは明治に西洋暦をいれてからァだんだん分かンなくなつちまつたやふでテレビで天気予報をやつてる哥(あにィ)が秋に、いつからが冬ッてえ決まりはありませんなンて言つておりやしたがそりやァ間違ひなンでやすヨ。春は和暦の元旦から三月の晦日まで、夏は四月一日から六月晦日まで、咄ァ横丁ばいりいたしやすが梅雨は五月で夏なンですナ。ですから五月晴れッてのは梅雨のさなかにでる晴れ間ァよぶンで西暦の5月の青空ぢやァねえッてことになりやす。デ秋はいつからかッてえと七月一日から九月晦日まで。そいで十月一日から師走十二月のおゝつごもりまでが冬ッて決まりになつておりやすンで。こうした暦の決まりは政府が仕切ることになつてやして江戸幕府ができるまぢやァ朝廷が司どつておりやした。
咄ァもどりやすが和暦のこんどの元旦は西暦の2月19日なんでやすがこれがどいだけ先ィずれてるかッてえと和暦のことしの元旦は西暦の1月31日でやしたから19日おそくなるわけでそいだけ春がとおく冬が長い。まだまだ寒さを辛抱しなきやァならねえと思ひやすゼ。こんなやふなわけで太陰太陽暦ぢやァ十二ヶ月の年もありやァ十三ヶ月の年もある。だから歳を満でかぞえらンねえ。なん月生まれだろうと元旦をむかえると一ツ歳をとつた勘定にしとりやしたナ。この数え歳の習慣は明治生まれのばあさまやおッかさんには戦後までのこつてやして。ひと月の日数も年によつて変わりやす。西暦が巾をきかせてる当世は西向く士(さむらい)で2月4月6月9月11月は小の月で31日はねえと決まつてやすが和暦にやァ廿九日の小の月と三十日の大の月があつてそれが年ごとに月の日数が変わるンで誕生日なんて定まンねえンでやすナ。終戦後歳ァ満でかずえることになりやした。聖林(ハリウッド)の映画なんぞで亜米利加(アメリカ)にやァ誕生日のお祝ッて風習があつてゞッけえ洋菓子の上に年の数だけろうそく立てたりするのを見たときァ豊かさがまぶしいくれえでやしたな。なんせこちとら食糧難でいッつもすきッ腹かゝえておりやしたから。和暦の来年は佳き年になつてもれえてェもんでやすヨ。
(初出・カランドリエ大寒号 平成27年1月)

2014年8月26日 (火)

風流寿多喜虫聴(ふうりゆうすだきのむしきゝ)   喜三二

ことしの夏ァ暑ふございやしたなァ。年ごとに暑くなンだかこつちが歳とるから暑さがこたえンだか。マその両方なんでやしようがけふ8月23日は太陰太陽暦の文月七月廿八日で処暑。廿四節気の一ツだそうでして。よござんしたなァ暑さもこれでおさまりやしよう。文月なンてえと西洋こよみになれたいまァ七月は夏のよふに思ひやすが日本のこよみぢやァ秋なンでございやして。ことしァなんでやすヨ。秋が四月(よつき)ありやす。これもうれしいですナ。今月の文月に葉月八月、長月九月、そして閏(うるう)長月。九月がまるまるひと月足算されるッて十露盤(そろばん)になつておりやすンでことしの一年は十三ヶ月。てえことはお天道様のまわりィことしァ鳥渡(ちよいと)ゆつくりまわるンかいときかれるとこまるンだが旧暦ッてよばれてる日本のこよみの太陰太陽暦の一年は三百五十五日ほどで勘定しとりやすんで季節とこよみにずれがでやす。デときおり帳尻合わせに閏月をひと月いれるンですナ。そんなわけで秋がよぶんに楽しめるッてことで。昼下りに湯ゥ屋でひとッ風呂あびてきて枝豆で冷や酒をたのしみ「コウおめえ鳥渡(ちよいと)膝ァかしナなんて膝枕で耳ィほじつてもらいうつらうつらするなんてのもよござんすがこりやァ趣味ぢやァござんせん。色でやすナ。秋はやつぱり風流がにあいでやしよう。江戸の秋の風流な趣味と言やァ虫聴きでやすナ。日がかげりだした野辺へでて草むらに集(すだ)く虫の音を聴く。風流でございやしよう。これがいゝンでございやすな。鈴虫松虫くつわ虫こうろぎ。鈴虫のりィィんりィィんと澄んだ音色は心があらわれやすナ。くつわ虫のがちやがちやはがさつでいけやせんがネ。あつしはわけえじぶん浅草川(隅田川)の川向に住んでおりやしたが手押車に虫かごをつんで虫売りがきたもんでございやす。江戸ッころァ下ッ端の武士が虫を飼ひくらしのたしにしてたそうでやすからこれもかなり枯れてやすナ。ふだん吉原で仕懸(しかけ)ッて呼ぶ派手な打掛の花魁になゝじんでるお大尽もこがねの世界もあきないのたくらみもわすれひと時を虫の音に耳をかたむけながら静かに瓢の酒を朱杯にうけて楽しむなんてのはなかなかのもんぢやありやせんかい。江戸の虫聴きの名所と言やァ道灌山ですナ。室町の仕舞いの方の武将で最初の江戸城を築いたお方でその人にちなんだ名がついた山ッてえか丘ッてえかとこでいまの地名ぢやァ西日暮里で発明(利口)なお坊ちやんが集まるンでしられた開成中高校になつちまひやしたから残念ですナ。ぢやァいまァどこが虫聴きにいゝかと考えたら向島の百花園かもしれやせんナ。江戸の文人墨客がすだきさまざまな草木を植え風流をたのしんだ場でその風情がいまにのこつておりやす。あつしもゆるゆると虫聴きにでかけやふかなトね。
(初出・カランドリエ平成26年8月23日処暑号)

2014年7月17日 (木)

納涼江戸咄(なつすゞみゑどばなし)  喜三二

 梅雨でございやすなァ。江戸の夏ァ辰巳(南東)の江戸湾から風が吹きやすがその鼻ッつァきァ熱ひ黒潮がふさいで流れてやすから蒸すは暑ひはですナ。西暦の6月21日は日本暦の太陰太陽暦の皐月(五月)廿四日。夏至で夏のてつぺんですな。日がいつちなげえ。遊び人にやァ夕暮がまちどおしい働きもんにはそれだけ身を粉にして働けるッてェありがたい日でやす。サテ空調なんてべんりなもンは江戸ッころはもちろんあつしのわけえ時分までござんせんでしたが、代わりに風情のあるもんがいろいろ。それで暑さをしのいでゐたッてえか楽しンでた感がございやしたな。吊りしのぶなんかよござんしたなァ。ざぶッと水につけ滴ぼたぼたゝらしたまンま軒につるす。渡つてくる風がもふ涼しくなつたやふな気ィいたしやしたもんでございやすヨ。杉板の塀にかこわれた小体な庭に打水をし軒に風鈴も吊り輪つなぎ文様の木版刷りの江戸団扇なぞ置いたらもう後は冷酒がありやァ文句ァござんせん。肴ァ冷奴。茗荷ァ刻んでそえてネ。マおひとつなんて「そうかいおめえもいつぺえやりねえ「そいぢやァあたしもゝらおうかしらアラそんなに注ぢや酔つちやふ「いゝぢやァねえか誰が来るとゆうでもねえやなト夏は楽しゆうございやすナ。盥に水はつて日向水で行水なんて納涼もございやしたなァ。こりやァ男前でも男は画(ゑ)になりやせんな。是が非でも仇ッぽいとこでおねげえしたいとこで。肴ッてえば初物好きの江戸ッ子は初がつを(鰹)抜きにやァ語れやせん。北斎の富嶽百景ンなかの浪裏の富士、しらぬ人のゐねえッて図でやすが案外しられてねえのがあそこに描かれてる舟。あつしァ江戸がわかつてねえころァ江戸の舟旅ァ命がけだねえなんて思つておりやしたがそりやァ大間違ひ。ありやァ初がつをなんですナ。相模湾から江戸へ運ぶ高速舟なんで。片舷に四丁両舷合わせて八丁八人。デ八丁艪の押送舟(おしおくりぶね)ッてえそうで。これで一気に日本橋の魚河岸まで浪を切つて飛ぶ。途中でかつをが欲しい者(もん)は小舟で待ちかまえ八丁艪にすばやく漕ぎ寄せ小判を一枚(いちめえ)放り込む。押送舟は走りながらぽォんとかつをゝ一本こちらに投げてよこす。こうして初がつをゝ喰ふのもいなせで粋ぢやァありやせんかい。安くものを買おうとしねえのも江戸の気ッ風でやすナ。夏の舟で忘れちやァいけねえのが大川の舟遊山。いまァ屋形船ッて気軽に呼んでやすがそいつァ江戸のはじめ大名が破風造の屋根をかけ中に幾間も設けた豪勢なもん。町人が芸者をのせて三味(しやみ)で遊ぼふッてのは屋根舟で日差しと人目をさけて簾なんかゝけやして。ぜんぶ覆ふンはご法度で冬なぞ障子がいちめえ足んねえンで川風は寒ひしゝんねこにやァなれねえ。船頭(せんど)へ酒手はずむとアイヨと舟底から障子だして閉(た)てゝくれたッてェ仕掛だそふでやすゼ。
(初出:カランドリエ平成二十六年夏至号)

2014年5月 1日 (木)

其十六 百五十字洒落本『江戸柄花之明暮(えどもようはなのあけくれ)』mixiつぶやき覚書

ご存知前書
江戸の戯作にやァ洒落本人情本滑稽本などがありやすがその内花魁女郎とのふれあいを描いた洒落本の真似事を目覚めのあくび寝入りの舟こぎの間の速書の一興お目にかなえばの仕合せでございやす


深川三十三間堂四六見世たつみ屋女良とめ「源さんおめえいッつも空約束だねえ 漁師源蔵「なんでえ藪から棒に と「だつてそふぢやァねへかい持つてくる持つてくるッて言つて一辺もう奈ぎ持つてきてくんねへぢやねえかい 源「う奈ぎかすまねえ深川は江戸めえの本場だからヨ注文においつかねえンだすまねえ
4月16日夜


内藤新宿旅籠甲州屋飯盛たか「お客さんゆンべはありがとネ旅にしちやァ身軽だねえどこまで往くンけ 江戸四谷太物屋息子株与之介「どこまでッておめえンとこヨ た「どおりで 与「あはゝゝこれからお祖ッさまでもいつておめえのゆンべの毒ッ気でも落としてけえるか た「そいで清い体になつたらまたおいで
4月17日朝


深川築出(つきだし)新地揚屋五明楼呼出時挟み三朱(七百文)の位の女良(じよらふ)よし「お客さんはじめてよネよろしくネ 日本橋本町通り裏住人表具師佐助「酒と台のもんでも頼まァ よ「いま硯蓋と銚子がきやすヨ 佐「そふかい初会ッてのはなんだナ よ「なァに 佐「なんかよゥ気詰まりでいけねへヤ
4月17日夜


東本願寺浅草浅留町堂前女良かゑ「ご浪人さんどちらにお住まひで 浅草寺蛇骨長屋浪人谷屋羽左衛門「わしァ蛇骨だ か「お近ひンだ贔屓にしとくれナ 羽「任せとけッて言ひてえがそちンとこの一夜の二朱で拙者の店賃の二ツ月分にもなるンでなァ か「こゝに来たときぐらい忘れなきやお金がいきやせんヨ
4月18日夜


深川大徳院境内娼家二朱の私娼ゆう「お客さん朝だよ 羅宇(らふ)屋清三「なんかだかくれえなァ ゆ「雨かもしんねへ 清「なんでえついてねえゼ傘ァかせや ゆ「そんな洒落たもんねへヨ 清「しけてやがらァ ゆ「おまいさんは意気がいゝンだから飛んでッちやいなヨ 清「ぢやァなあばよ
4月19日朝


深川永代寺前土橋茶屋しのゝめ離座敷羽織芸者吉次「若旦那あたしャもふ嫌さ 日本橋榑正町炭問屋武州屋倅徳一「おめえも辛抱がねえゼ 吉「なに言ひなさるわッちがどんな辛ひ思ひで座敷を勤めてゐるかおめえさんにやァわかりやァしねへのサ 徳「何を言ふおれだつておめえをどんだけ迎えてえ分からねへのかい
4月19日夜


深川佃新地京町長屋あひる女郎つた「烏がねへたヨけえつてくんナ 深川高橋船大工町船大工吉蔵「そふ邪険にすンねへ湯のいつぺえも飲ませろヤ多葉粉盆はとこだ つ「いろいろ注文が多ひねへたえげえにしナ 吉「マあひるだこんなもんか つ「おや馬鹿におしでないヨ価はがあがあの四百文でも体ァ人間様サ
4月20日朝


湯島妻恋町四六見世いく「もふ明六ツだヨ番茶の煮えばな飲んでいきねえ 神田相生町左衛門店(だな)貸本屋与吉「おッありがた山あつくッてうめえヤ朝ァ面倒でナ飯もろくすッぽ炊かねえヤ い「そりやァいけないヨあたい夏に年が明くンだ 与「デ い「でッて年が明けンだヨ 与「あッさうかァ
4月22日朝


【番外】客、女良(じよらふ)かいに行。こゝハ何といふ所じや。アイいろは茶屋と申ます。客つとめを四十八文やる。「モシ是でハたりませぬ。「ハテいろはではなひか。 出典《安永年間・口拍子・伊呂波茶屋勝(花咲一男編「雑俳川柳江戸岡場所圖繪」)》
4月22日夜


浅草北馬道(むまみち)桔梗屋女良(じよらふ)さと「お医者さま明五ツでございますヨいま弁天山の鐘が打ち出しやした 東本願寺の僧空弁「そうかい急いで勤行に帰ンなきヤおさと冷たい水を一杯所望口を雪(すゝ)がせておくれナあゝ観音さま極楽だつたヨなんまんだぶだぶだぶ さ「やだヨあたしァまだ生きてるヨ
4月23日朝


品川宿土蔵相模で八治「コウ若ひ衆(し)おめえンとこのお女郎はみんな下女けえ 伎夫(ぎふ)「お町人さんなにィ云ひなさるうちの子はみんな北州の花魁にひけェとりやせん 連れ喜太「八からかふねえどやされッゼ 伎「おからかいハいけやせん相模下女がお望みなら江戸へひッかえしなせえやし 八「あはゝゝ
4月24日夜


錺(かざり)職弥吉「あァよく寝たゼいまァ啼いたンは明烏か 根津門前町四六見世れんげ屋女良(じよらふ)たね「よく云ふよこのしと(人)は三番明烏サ 弥「うそだらふ た「ほんとさネ早く起きていッとくれあたしァこれから一寝入りなんだかんネ 弥「まァそふ邪険にすんナ枕交わした仲だ多葉粉一服ナ
4月25日朝


日本橋蠣殻町漆喰造り職三吉「コウ起きッぜ こんにやく島たつみ屋女良うさ「オヤけふは寝起きがばかに能(い)いぢやァねへかい明烏よりさきに起きるたァ 三「余計なことばかし言つてねえで湯をもらつて来いヨそれから煙草盆の火がねえゾ う「人遣ひがあらいねえ年明けで往くンのやめにするヨあたし
4月27日朝


谷中いろは女良(じよらふ)きた「与五さん起きてたのもふ明六ツかネ 大工与五郎「あゝさつき向ひの屋根でカァ公が鳴いてたゼ き「あたいにもその多葉粉一口吸わせてくんなヨ 与「あゝ き「おいしいねえ朝の一服ハ与五さんけふの帳場(仕事場)ァ遠いンだらふ 与「根岸だ き「じやあ山越えてすぐだ
4月29日朝


深川入船町吉右衛門店(だな)大工卯乃吉「コウすげえ雨ぢやァねえか 岡場所三十三間堂ひやたん女良よし「雨かひ卯乃さん う「オウ景気よく降つてッゼけふはぶん流しだ よ「アラうれしいいゝンかい 卯「まかしときなッておとついの建前のお祝儀がまだ残つてらァな よ「女軽子に湯豆腐運ばせるヨ
5月1日朝

2014年4月16日 (水)

其十五 百五十字洒落本『江戸柄花之明暮(えどもようはなのあけくれ)』mixi覚書


ご存知前書
江戸の戯作にやァ洒落本人情本滑稽本などがありやすがその内花魁女郎とのふれあいを描いた洒落本の真似事を目覚めのあくび寝入りの舟こぎの間の速書の一興お目にかなえばの仕合せでございやす

谷中いろは女郎とめ「お客さんもう一本つけやふか 大工作蔵「おりやァもういゝや と「そんなこと言わねへでもう一本おとりヨ 作「いゝよ と「呑みなヨ 作「いゝッたらいゝンだ と「吝な客 作「なんだとおめえンとこは呑み屋かァ酔い潰しておんだそうッて魂胆だらうやらずぶッたくりメ
4月7日夜


深川仲町きのえね女良さと「吉ッさん起きなせえナ明烏が啼ひてんヨ 日本橋多左衛門店(だな)指物師吉三「朝かァトのびをする さ「よく寝てたねえ 吉「きのふ茶箪笥納めてナ棍つめ仕事がつゞいたンで疲れてサ さ「ご苦労さん湯漬けでも食べてきなヨ帰つても独りなんだからサ 吉「ありがてえなァ
4月8日朝


深川裾継亀屋女郎みの「けふァまだ弥生だつてばかしなのにやに暑かつたよねえ 日本橋本町通り漆器加賀屋番頭亥介「昼にァ目白台のお屋敷までお届けもんで汗ヨそいで帰つてまた汗暮六ツにやァ涼しくなつたがおめえを先客に盗れちやなんねえから永代橋ィ走つてわたつてまた汗ヨ み「うれしィヨおまいさん
4月8日夜


音羽まつばや女郎たか「看板さん起きねえナ明烏ァあきれて飛んでッちまッたよ 中間辰三「おォよく寝たゼ た「なんだねへこの人ァ女良屋で寝入ッてりやァ世話ァねへヤ 辰「勘弁しねえナきのふは殿様のお供でいちンちお城の前でお帰り待ちヨ結構疲れンだ た「またおいではなッから寝かしつけてやッからネ
4月10日朝

赤坂伝馬町岡場所はなぶさ女郎さき「弦さんけふも人肌でよかつたよネ 中間弦治「オォ頼むゼ肴ァなんかねへかい さ「残りもんだけンど煮奴があるヨよけりやァあつためてくッから鳥渡(ちょいと)待つておくんな 弦「手料理かァお屋敷勤めしてッと生涯(しようげえ)嬶ァもてねへもンナありがてえゼ
4月10日夜


深川表櫓女良さと「烏も朝寝かねえ啼かないねえ 情夫(まぶ)伊左蔵「烏も春ヨ さ「そうなンだ 伊「まう一辺寝ようか さ「それどこぢやないンだらふおッかさんの薬代持つていかなきやァいけないンぢやァないの所帯持つたらあんたのおッかさんはあたいのおッかさんだもん心配サ五両でいゝンだネ
4月10日朝


赤坂伝馬町ひようたん女良とみ「縞の兄さん先月来てくれたよねえ 小間物担ひあきない佐平「なんでえやだねえ忘れられてんのかァ裏ァけえしにきたンだゼ と「ごめんヨすまないねえ 佐「マいゝさまだ二見の客だからナ と「そいぢやァさァ来月も来て馴染みになつてくんなヨ 佐「そいつァ今夜しでえサ
4月11日夜


貸本屋平吉「コゥいまァ明烏がねえたなァ起こせよおめえ 浅草六軒町ひさご女良(じよらふ)ゆみ「鳴かしときはヨ烏は勝手に鳴いてンの貸本屋が朝一から得意まわりしねへだらふあたいは起きたッて往くとこねえンだ寝かしといておくれヨ 平「横着な女(あま)だゼ湯ゥいつぺえくれ ゆ「そこに鉄瓶があるヨ
4月12日朝


赤坂溜池麦飯四六見世喜八や女良いね「やつぱり来ておくれだねえおまえさんは裏ァかえしてくれる人だと思つてたンだよゥ 麻布材木町武州屋番頭左之助「えッあたしの鼻の下ァそんなにのびてたかい い「そりやもふうれしそうにしていなすつてたぢやァありやせんかいお客さんがよろこんでくれンのが女良冥利サ
4月13日夜


谷中根津前甼(ちよう)あかねや女良(じよらふ)たみ「オヤおいでなさい 根津多衛門店(だな)大工吉次「オヤはねへだらふホレみやげだ た「アレありがたふなんだい 吉「羽二重団子サ た「あらァうれしい 吉「いまァ帳場ァ根岸でナ日本橋の旦那が隠居するッてんで寮に手ェ入れてンだサァ喰ほふゼ
4月14日夜


吉原中ノ町稲本若ひ衆(し)「峰秋さまおはやふございやす茶屋のお迎えがまいつておりやす 振新橘「主さまご隠居さまお起きなさいまし 峰「もふ朝かおまえとすごす夜はみじかいのふ名残はつきぬ後朝のだ 橘「またおいでなすッてくんなまし待つておりやすえ 峰「サテサテ振新買ひは年寄の冷水帰るとすべえ
4月15日朝


深川門前仲町一の鳥居岡場所裾継(すそつぎ)津の国屋伏玉(ふせだま)ゆみ「おいでなさい弥吉ッつあんけふァ早仕舞いかひ 日本橋春衛門店(だな)仕立職弥吉「まァな急におめえの顔拝みたくなつてナ ゆ「またそんな女郎殺し言つてサ時挟みのこの時刻ならわつちの値は半値の二朱(五百文)。魂胆見えてるヨ。
4月16日昼

2014年4月 1日 (火)

其十三 百五十字洒落本『江戸柄花之明暮(えどもようはなのあけくれ)』


ご存知前書
江戸の戯作にやァ洒落本人情本滑稽本などがありやすがその内花魁女郎とのふれあいを描いた洒落本の真似事を目覚めのあくび寝入りの舟こぎの間の速書の一興お目にかなえばの仕合せでございやす


深川佃町四六見世あひる女良(じよらふ)けい「アラうれし待つてたンだヨ 神田連雀町担い喜世留(きせる)売り与三吉「けふ銀流しが一本売れてヨそいで弁天さまに会いたくてこうしてホレ銭ガアガア(四百文)だほんとは昼間来たかッたンだが昼は六百文だらふ銀延でも売れなきやァだがあつしにお武家のお得意ゐねへしナ
3月28日夜


神田連雀町担い煙管売り与三吉「けさァ明烏がよく啼くぢやァねへかい 深川佃町四六見世あひる女良けい「そうさ与三さんが連尺担いで早くあきないできるやふにサこんだァいつ来ておくれかいあたいは泊りがうれしいよゥ 与「また一本高直なン売つてナだがヨ銭がへえッても煙管の煙みてえにおめえに吸いとられてんなァ
03月28日朝

神田連雀町喜世留(煙管)担い売り与三吉「けさァ明烏がよく啼くぢやァねへかい 本郷大根ぱた女良(じよらふ)けい「桜ァ咲いたから花見に行カァッてンぢやァねえかい 与「おめえ洒落たこと言ふねえうれしいゼまた来たくなつちまふゼ け「兄さん来ておくれ裏ァかえしておくんなさいナ待つてるわヨ。
3月29日朝

音羽ひさごや女郎たけ「お客さん惚れてるなんて初会で言わなえでくンな 客の軽子坂の弦七「姐さん虫の居所でも悪ひンけえ た「あゝこんな稼業だよ機嫌がいゝわけねへにきまつてるだらう 弦「ごもつともあいすいやせんなァ今夜ァけえろう た「またおいで 弦「来るわけねえだら
03月30日夜


禿小梅「花魁雨がふつて 夕霧花魁「この子はなんざます若旦さまに朝のごあいさつが先ざますえ 小「若旦さまおはやふこざいやす 日本橋本町通り伊勢屋息子株豊次郎あくびをかみ殺しながら「アヽ小梅かおはやふ 夕「若旦さんが濡れてはなりんせんエ篭をよばしやんせ若旦さんあさつて待つておりんすえ
3月30日朝


赤城下岡場所きねや女良(じよらふ)ふね「お客さんどこのお屋敷だい 中間吉蔵「見てのとおりの黒鴨だがなァ旦那さまのお名は語れねえヤ三河いらいの由緒あるお家ァけがしちまふからナ ふ「オヤこんなとこ来るわりにやァ律儀だねえ 吉「あたぼうヨこう見えたッておれァ奉公第一なんだ ふ「ふゝゝゝ
3月31日夜


谷中根津前町岡場所ほうらい屋女良(じよらふ)さと「源さん起きとくれ 左官源蔵「コウ烏ァまだ啼かねへだらふ さ「なに言つてンのサとつくさネお天道さまァあがつてらァ 源「ぢやァなんで起こさねえ さ「主と朝寝がしてみたいサ 源「ケッ乙粋言やァがるゼ一服点けさせねえナ。
4月1日朝

2014年3月23日 (日)

其十二 百五十字洒落本『江戸柄花之明暮(えどもようはなのあけくれ)』mixiつぶやき覚書

ご存知前書
江戸の戯作にやァ洒落本人情本滑稽本などがありやすがその内花魁女郎とのふれあいを描いた洒落本の真似事を目覚めのあくび寝入りの舟こぎの間の速書の一興お目にかなえばの仕合せでございやす

中間の看板羽織つた富造担ぎの夜楚者(そば)売りでかけをすゝりながら「コウ夜鷹の姐さんいつぺえおごろふかい親仁熱いぶッかけ姐さんに一杯ぐいづくりでこせえてやつてくんねい 夜鷹ちよ「ご馳になつていゝんかい今夜ァ時化てだめサありがとヨ 富「いゝッてことヨおれの残りもんだけどよけりァ酒もあるゼ
3月14日夜


深川櫓下岡場所なつめや女郎つぎ「ハイ起きたり起きたりせんど(船頭)さんがお待ちかねサ 日本橋駿河町呉服屋手代伊之吉「コウ邪険に起すねえ連れの亥佐たちやァ起きてッかなァ つ「さつき鳥渡(ちょいと)のぞいたヨ早くおしよまたお店(たな)しくじるヨ 伊「うるせえ帯よこせ つ「寝起きが悪ひヨ
3月15日朝


牛込弁天町いちやふや女郎たか「鳥渡(ちょいと)あんたどうしたンだいけふは滅法界様子がいゝヨ献上博多ぢやないかあッ分つた護国寺の突富あたッたンだネそうだらふネェ鼈甲の櫛を買つておくれよゥ 桶屋利三「早とちり すんねえ突富なんか当るけえやつと貯めて買つたのヨおめえの分はねえヨ た「情なしつめるヨ
3月15日夜


入谷山下けころあき前掛〆ながら「外で会つたら他人だヨ 日本橋富沢町古着甲州屋手代竹三「よく云ふゼついゝまゝた来てねッて云つたはかりぢやねへか傾城に真なしたァおめえのことだナ あ「なにが傾城だよふ小屋も持つてないくせに 竹「あたぼうヨ家なんて火事ンときしよつて逃げれねえもん持つもんか
3月16日夜

2014年2月15日 (土)

其八 百五十字洒落本『江戸柄花之明暮(えどもようはなのあけくれ)』mixiつぶやき覚書

ご存知前書
江戸の戯作にやァ洒落本人情本滑稽本などがありやすがその内花魁女郎とのふれあいを描いた洒落本の真似事を目覚めのあくび寝入りの舟こぎの間の速書の一興お目にかなえばの仕合せでございやす


神田川柳原土手夜鷹えん「ねえ鳥渡(ちょいと)そこ往く看板(武家屋敷の法被)のお兄さん 松浦(まつら)家中間弥蔵「なんでい夜鷹か え「そうだよゥ 弥「洒落になんねえヤこの寒空の下あやまるあやまるこちとら丸出しの尻に粉吹いてンだ え「そんならねえ熱いぶつかけおごつておくれよゥ
2月10日夜


根津権現地内岡場所きゝよふや女郎やえ「源さんけふは雪休みぢやァねえんだらふ 大工源左「ホイそふだ往かにやァ や「湯ゥいつぺえ吞んでキなよ帳場(仕事場)遠ひンだらふ日本橋の河岸に屋台が出てるッてなんか食べてキなヨ 源「おめえも世話女房だなァ や「フンなにィいゝやがるゥ早くおいき
2月11日朝


居酒屋の床几横座りの大工卯吉「一辺でいゝンだ昼三ッての買つてみてえ 兄貴分勝吉「おめえ向ふ見ずな野郎だゼ三分は花魁だけの値段ヨ見世中に花(祝儀)ァまかにやァなんねえ舌(小判)ァ何枚だしたつておッつかねえそれにあつしら法被は揚げてくんねえとこヨ傾城ッてな城持ち大名の遊び道具サいつもの地獄が似合ひヨ
2月11日夜


上野山下ひさごやけころいの「起きとくれ烏が啼くヨ 今戸瓦焼職春吉「寒くつてやだなァ ト言ひながら腹這ひなつて煙草盆をひきよせ「火が消えてらァ「もふお仕舞ひッてことだよ 春「邪険にすんねえ火種ぐれえもらつてきてくれヨ い「仕様がねへなァ 春「ついでに熱い茶いつぺえたのむゼ
2月12日朝


「コウみやげだゼ 黒門町弥兵衛治店(だな)里次谷中根津女良(じよらふ)さか「うれしいおだんごぢやないけえおぼえてゝくれたンだオヤ四ツだよだんごッて五ツだよネ 里「四文銭(しもんせん)がでたらふそしたら客が一串五文のとこ四文銭いちめえしかおいてかねえンで仕方なく四ツにしたンだとマァ喰ひねえ
2月12日夜


深川岡場所きねや客舟大工由三「おめえ三月年明けだよナこゝでゝどこいく 相仇くめ「それが困りサ余計もんだから里にやけえれねえし身請けがいねえからその日のねぐらにもネどつか住込るといゝンだけどサ 由「舟大工の嬶ァになるケ く「誰の 由「あつしヨ く「本気かひ 由「かついでどうする
2月13日朝


深川不動尊地内岡場所万万屋(よろずいちりきや)馴染み客小間物担売り時之介女郎もめゑ「あつしの名ァは二本差しみてえたがおめえのもかわつてンな も「あたひのほんとの名はきぬッてのサそしたら庄屋さんが小作の娘が絹かッてンでおとッつァん怒つて木綿なら文句なえべえでもめになつたのサわらふナ
2月13日夜


四ツ谷弁天岡場所遊客中間吉左「こゝァ無精もんの場だナ 相敵そめ「なんでヨ 吉「甲駅まで億劫ッて奴の手近の間に合わしだナ そ「悪かつたネかえつておくれ明烏が間に合わせに啼いたわサ 吉「このあまァ四ツ谷新宿馬糞の中に鬼あざみダざまあみやがれ二度とくるけえあばよ そ「とッとおいき塩まくヨ
2月14日朝


「旅ァ日延べだなァ 京橋小間物商京屋藤兵衛降る雪にため息で障子をしめる 品川宿場女良よしの「お客さん上方までいきなさるのかい 藤「あゝあきないの用でね よ「いゝねえあたいは相模から年季できてもふ五年だ跡(後)五年こッから出られねえヨ 藤「ねえさん熱ひのをもふ一本一緒に飲もうかネ
2月14日夜


湯島坂下岡場所ひさご女良(じよらふ)いく「起きてごらんナ雪があんなに竹ァよく折れないねえ 馴染み下谷治右衛門店(だな)指物師栄三「春の雪ァ重ひが竹ァじきにはねけえすゼ湿り雪ァすぐ落ちる笹の雪の湯豆腐喰ひたくなつたコウけさァぶん流し(居つづけ)だ内所(ないしよ)に湯豆腐たのまァ雪見と洒落やふゼ
2月15日朝

2014年2月 2日 (日)

其五 百五十字洒落本『江戸柄花之明暮(えどもようはなのあけくれ)mixiつぶやき覚書

ご存知前書
江戸の戯作にやァ洒落本人情本滑稽本などがありやすがその内花魁女郎とのふれあいを描いた洒落本の真似事を目覚めのあくび寝入りの舟こぎの間の速書の一興お目にかなえばの仕合せでございやす


コウ今夜ァ春めいてンなァ 白山下岡場所女良(じよらふ)いち「勝つァんがらにもなく風流なこと云ふねえ 定斎屋勝三「べらぼうメ小ばかにしやがつて い「おこッちやァやだよ勝つァんのおこッた顔は苦みばしつて女泣かせだねえ 勝「このやらふどこまで洒落やがるはッたおすゾ い「またいゝ男だ
1月28日夜


騒がしくッて目がさめらァこれだから宿(しゆく)はいやさネ 品川遊廓女良(じよらふ)こう「仕方ァないわさ旅ィお発ちなさるお客さんンばかりだもン伊佐さんは寝起きが悪ふありんすなァ 芝次郎兵衞長屋指物師 伊佐次「よしやァがれ北州の真似ァ歯が浮かァ ご「アレ言つたネつめるヨ 伊「よしァがれ
1月29日朝


谷中岡場所女良(じよらふ)さと「あしたァおほつごもり(大晦日)だえこんな晩によく来ておくれだよやつぱり忘れないでゐてくれてたンだ姿見せなひンでどつかにいゝのができたんぢやァなひかとやきもきしてたンだヨねえもつとこっち向いて顔ォよく見せておくれッたらねえ与三さァん 桶職人与三「掛取ァこゝまぢやこねえ
1月29日夜


日本橋次衛門店(だな)葦簀職人定八「源公起きたか迎えの舟きてるとヨ 深川女良(じよらふ)よし「お迎えだよ起きねえナ 指物師源三「もふ朝かいさっき寝たばかしヨ よ「そふだよゆンべあんなに呑んでさわいでたもン早くけえッておくれこれからあたいが寝る番なんだからネ
1月30日朝


浅草諏訪町甚兵衛店(だな)下駄職人卯之吉「おめえと元旦の屠蘇を一緒に酌みたくッてヨそいでおほつごもり(大晦日)の登楼と洒落たッてわけサすくねえがこれ年玉だ 鳥越岡場所女郎かつ「ありがとうれしいヨ卯之さんこふしておまいさんと除夜の鐘きくと年が明けて所帯持つたみたいで泪でちまつて 卯「泣くねえ
1月31日(太陰太陽暦正月元旦)朝


京橋白魚屋敷裏舟大工治助「おッ東雲(しのゝめ)が明けてきたゼめでゝえ元旦てのは鶴が啼くンかねえ真ッくろひ明烏ァいたゞけねえヨ 洲崎女郎うめ「元旦だもんネ飛んでくれたらありがた山だねえ 治「公方様の禁鳥でお狩場が上総にあンだらふ飛んできておかしかァねえナ う「サ祝膳だよお屠蘇をのもふよう
1月31日朝(太陰太陽暦正月元旦)


両国薬研堀喜左エ門店(だな)左官末吉「こねえだ深川いつたと思ひねえ 深川女良(じよらふ)はな「こゝ深川だよ 末「咄の腰おんねえおめえハ行つたか は「どこゑ 末「わかンねえ連れてかれたから は「そいぢやァわかンないよ 末「握り鮓ッてナ目のめえでつくッてすぐ喰えンだ華屋与兵衛ッて奴ヨ
1月31日夜

本郷大根ッぱた岡場所女良(じよらふ)ゆう「お客さん烏が啼いたヨ起きておくれおかみさんがうちで待つてるヨ 根津作左衛門店(だな)大工五郎八「けッそんな結構なもんがゐりやァこんなとこくッかよふ生涯九尺二間の侘び住まひッてネまたくるゼ馴染みになッからナあばよ ゆ「せわしないねえ一服ぐらひしていきなヨ
2月1日朝


田町稲荷新道岡場所たま屋女郎よし「松つァん今夜ァお酒がすゝまないねえどうしたンだい 金杉八兵衛店(だな)錺(かざり)職松蔵「おりやァもふ四十だがよう独り身ヨ よ「知つてッヨ馴染みだもん 松「おめえこないだこの三月で年が明けるッてたナ よ「そうなんだヨゥ 松「おれンとこ来ひ嬶ァになれ
2月1日夜

市ヶ谷軽子坂岡場所花のや女良(じよらふ)さと「おやッ明烏が 神楽河岸人足卯乃吉「ちッもふ朝かァけさァ荷があがンねえからいゝがよふ さ「よかつたねえお湯だけど呑んで往きなよト手あぶりの火をかきたてちッと熱くなつたンを湯呑みに注ぎ塩をひとつまみぱらぱらと落とし卯乃吉へ 卯「あゝうめえなァ
2月2日朝

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