三ツ日とあけずに養生所[※1]に昼寝にいくンだが、そこの待合でヘイお床のご用意ができやしたッて声がかゝるまでの間お顔馴染さんと世間話しておりやして鮨のことになりやしたのサ。さい(左様)ですなァこの夏のあンまりの暑さについ出無精になッちまいやしてすつかりごぶさたッてんで、ご一緒ゐたしやしようかトこんなわけで、つい先比(ごろ)のこと浅草の雷門めえで落ち合つて弁天山の美家古へくりこんだしでえサ。はやる見世はどこでもさふだが時分どき[※2]に往くッてえと落ち着かなくッていけねえ。そいで九ツ半[※3]をまわつてひと段落ついた比に格子戸明けたら、案の上狙いたがわず客はあつしらふたりッきり。大将のまんめえの付台[※4]の席。鮨ァまとめて握られてしずしずと運ばれ遠くで喰つちやァ旨くァねへ。一ツぐひづくり[※5]で握つてもらつてヘイお待ちト目の前の下駄[※6]におかれたンを間髪いれずに口ィ放り込むのがいつち[※7]うめえッてもんヨ。だからなんだヨ。先客に付台めえをとられてッとまたくらァッてことになッちまうわけヨ。
まずは女将からお飲物はとくるがあつしァ鮨ンときは酒は食べやせん[※8]。お茶でよござんすよト愛想のねへ返事で相済まねへが茶をもらいやしたネ。鮨ッてのはなんですゼ。大将と客との真剣勝負ヨ。ほかの喰いもンとはわけがちがわァ。だされる一ツ\/魚もしたごしらえも違う。酒ェ食べたら舌がにぶつて味の見わけがつかなくなりやすのヨ。そのうえ鮨職人は何十年の修業してその日の魚えらんで下ごしらえして一人一人の客に供しておりやす。酒ェ呑みながら連(つれ)としやべくる肴に鮨ィしちまっちァ魚にも職人さんにも無礼ッてもんでござりやしよう。
平目の昆布〆をご用意させていたゞきましたトこッからけふの握りがはじまりやすナ。こいつを人差指と中指ではさみ上から親指でおさえ手をけえして一口に入れる。あつさりな平目に昆布の旨味と煮切[※9]の香りと旨さが加わつて厚みがでる。いつもあゝ美家古にきてよかつたと思ふねえ。裏切りやせんヨ、こゝの仕事は。二ツ目は鯛。三ツ目は才巻海老だつたかなァ。順番まちがつたらごめんなさいだが。淡白な海老ァ下にそぼろを仕込んで旨味をだしておりやすヨ。つぎは戻りかつを(鰹)。春のさわやかさに対していまッ比ァこくですナ。みつしりとした旨味がたまりやせんゼ。そして赤貝。噛みしめるときのあのしゃき\/ッとした歯ざわりがなんともこたえられやせん。いかは煮いかでつめ[※10]を塗つてだされやすが、煮て旨味をましたいかとつめの甘みがまざりあつて味の奥が深くなりやすナ。穴子のさわ煮。これもつめ。ふんわりと煮たあなごを口に入れやすいようにしの字にひねつて握りッてある気づかいがうれしいネ。穴子の一匹握りなんてでかけりやァいゝだらふなんてこけおどかしで客を小馬鹿にしてる見世もありやすし、それを喜ぶ手合いもゐるやふだが、そんなンは喰いもんをもちや[※11]にする罰あたりぢやァありやせんかねえ。それからこはだ。酢の〆加減がいいから味わいの最後にほんのりとしたそれがきいてゝよござんしたねえ。赤身のづけ[※12]。こつァいつつまんでも旨いなァ。脂ッ気を上手に落としてまぐろの赤身の旨味をだしておいでだ。軽い渋みと重みのあるこく。これがまぐろだねえ。さいごの〆は玉(ぎよく)。たまご焼き。なんだたまご焼きかァなんて馬鹿にするやつァお江戸ぢや田舎もんあつかいされるゼ。たまごも砂糖もお江戸のむかしは贅沢品ヨ。だから玉の握りがとり[※13]をとつてる。洋食ぢやァねへンだ、食後のお菓子ぢやァありやせんゼ。
これで十貫。お名残り惜しさに赤貝をもいつぺん握つてもらい歯ざわりの心地よさァに酔いしれて見世をでやして、腹ごなしに観音さまから弁天さまとまわりふじ屋で新柄のてぬぐい一本買つて、並木の藪へへえつたのは八ツ時分。いつもの伝で炭火仕込みの小箱の焼海苔あてに正宗の樽酒ぬる燗一本。仕舞にざる一枚たぐつてけふの〆といたしやした次第サ。
【附(つけたり)】
[※1]養生所=クリニックを洒落た。
[※2]時分どき=丁度よいとき。主に飯どき、をさす。江戸・東京語。歌舞伎・五大力恋縅「ハテ、後は後の事、時分(ジブン)どきに物を食はぬと、体の毒でござる」
[※3] 九ツ半=午後約一時。
[※4]付台=俗にカウンターと呼ぶ。
[※5]ぐひづくり=ぐひ、は急ぎの意。ぐい呑みなど。江戸・通人用語。通人三国師「二三ばひぐひとやり」
[※6]下駄=鮨職人言葉。客一人に一枚ずつ、前に置いて握った鮨を置く木製の小台。下に二本の歯を埋め込んで足としたその形が下駄と似ているところから。
[※7]いつち=読み「いっち」。一の促音化した呼び方。一番。江戸語。柳多留「かんにんのいつちしまいに肌をいれ」
[※7]酒は食べやせん=江戸期、酒を食べると言った。
[※8]煮切=煮切醤油の略。生醤油よりまろやかになる。これを握った鮨種の上は刷毛で塗る。
[※9]つめ=煮詰め醤油の略。いかや穴子を煮た煮汁を調味して煮詰めたもの。煮いかや煮穴子に刷毛で塗る。
[※10] もちや=読み「もちゃ」。おもちゃ。玩具。
[※11]づけ=調味した醤油に漬けたもの。
[※12]とり=仕舞をとる。落語の寄席などでその日の最後を受け持つ役。大立役。
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