唄(うた)比丘尼(びくに)の巻
其の五
唄(うた)比丘尼(びくに)の巻
日本橋薬種屋の小僧末吉(まつきち)「番頭さん唄比丘尼がきましたヨ。見世先の暖簾(のうれん)の間から小唄が聞こえて来る。〽誰を待つやら待乳山(まつちやま)誰哉(たそや)行灯ぼんやりと。番頭久蔵「末(まつ)、おまえはさつき届いた荷物を倉へ運びなト云ひつけ、四文銭を二、三枚紙にねじつて下駄を引つかけ、暖簾をあげると比丘尼道中姿の蓮尼(れんに)が供の禿(かむろ)二人を左右にしたがえ立つてゐる。あさぎ木綿の小袖に黒の帯を前で大きく蝶結びに〆(しめ)黒木綿の折れ頭巾に簪(かんざし)ぶッちがいに挿し黒漆の足駄。供の禿も子どもながらもおンなじ形(なり)なり。久「蓮尼(れんに)さん、中宿(なかやど)はいつものとこだね。蓮「お旦那さま、あい。久「おいおい、お店(たな)でお旦那と云ふてくれるナ。声をひそめわたしは番頭、見世の者や旦那さまのお耳に聞こえたら一大事ぢやねえかト先のおひねりを袖でかくして渡し 久「夜五ツ(いまの10時頃)に往くよトさゝやく。蓮尼ニッとほゝえみ小声で「お待ちしとりやすぞえト、禿をしたがえくるりと向きを変え〽人に見せたや知られちやならぬト小唄のつゞきを唄ひながら辻の曲がりしなに見返り流し目久蔵へなげ姿を消す。五ツ戌(いぬ)の刻前掛をはずした番頭久蔵京橋畳町の中宿かずさやの暖簾をくぐる。昼間の形の一夜妻のしるしの前結びの帯をとき衣装も木綿からうつてかわつて紗綾形(さやがた)紋様織の目もまばゆく体にそつて真ッ白くかゞやくぬめ絹の襦袢、目もくらむ女郎(じよろふ)姿。頭巾をぬぎ尼僧の断髪は櫛ですき香油の麝香(じやこう)が匂いたち久蔵馴染なのに気おくれし「蓮尼さんお待たせいたしやして」蓮「お待ち申しておりやしたぞえ、これおてふ(蝶)お帖場へ一本つけてくれるやふに頼んでおいでト禿に命じ、蓮「これ、お旦那さま他人行儀なお口をおきゝなさりやすな。さゝ、帯をといて楽になさいやし。これお里お旦那のお寝間着をだしやンせ、おざぶをおすゝめしやしやんせ ト脇のもう一人の禿に云ふ。蓮「先の月(先月)はお待ちもうしておりやしたぞえトちくりとすねる。久「すまねえ、お得意さまをご案内して函根(はこね)遊山、お店の旦那さまの名代(みようだい)でね。おォこれがそンときのおまえさまへの土産でやすよト懐からのしのきいた手拭で包んだ小箱をだし、蓮尼にわたす。 蓮「これはこれは名高ひ函根の寄木細工ぢやござんせんかひ、尼にご報謝ありがたふござんすえ。久「あはゝなにを云ひなさる。そふ云ひやァこれを先にわたしておこふト内懐から細ひ藁でひと緡(さし)にした銭百文、今宵の遊び賃をぞろりとひきだし蓮尼との間におく。それを合図のやふに禿の蝶がお盆に徳利をのせて入つてくる
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