江戸色町一寸話(ゑどいろまちいつすんばなし) 其のー 喜三二
寒くなりやしたなァ。そうなると人肌が恋しくなるッてェのが人のつねでして。色町ッてえばいまの世にも伝えてられてンが吉原でやすが江戸の町ッてェのは粋なとこでして。だいだい町ッて呼ばれるンは町人が住んでるとこでやすがそこにやァ色ッぽいとこがやたらとございやしたな。岡場所でして。そこでのお女郎とお客とのやりとりを綴つたンが洒落本でやす。余計ではございやすが江戸ッころにやァ他にやァ弥次喜多が旅ィする東海道中膝栗毛だの浮世風呂浮世床なんかの滑稽本、辰巳芸者と二枚目の恋の春色梅児誉美(しゆんしよくうめごよみ)なんて人情本てのがありやして。まァこのたびは色ッぽいとこで洒落本の真似ごとをほんのさわりだけ綴つて鳥渡(ちよいと)ご披露させてもらおうかと算段いたしやして。
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夜四ツ(洋刻10時ころ)深川八幡ニの鳥居くゞつて横丁土橋の岡場所銘酒屋あけぼのゝ軒行灯の小さな灯たよりに柿渋染の暖簾(のうれん)くゞつて二階へあがつた番頭二年目の与助「コウ来たぜ 」女郎しの「アレッいらッしやい本気だつたンだァ 」与「あたぼうヨ啌(うそ)ヮつかねえゼ 」し「うれしいねえ裏ァかえしてくれたンだァ」与「そうヨ熱いの一本つけてくんねえナ」し「あいよ内所(なつしよ)にたのんでくるよ」ト梯子を弾ませて降りてく与助腰の多葉粉(たばこ)入を抜き羅宇(らう)喜世留(きせる)をくゆらせる し「お客さん帯ィといて楽にしねえナ」与「お客さんはねえだらふ裏だぜ」し「だつてごめんヨ初会は大勢でさァ大騒ぎだつたらふデ名前きいてらんなかつたンだもの」与「耳元で言つたゼ与助ッてンだおぼえといてくんねえ」し「忘れないように三度目もきておくれよう」与「なんでェまだァ帯もとかねえうちに馴染の催促ケ」し「アラごめんヨうれしくなつちまつてねえ」与「かわいゝこと言ふゼ」梯子の下から女将の声「おしのさん燗がついたヨ」し「アイ」すぐに盆を持つてとつてかえし「与のさん盃どうぞ」与「オッ煮奴がついてンぢやあねえかあつしァ台のもん(料理)なんか誂えてねえゼ」し「あたいのおごりだヨ」与「ありがた山」し「馴染になつてくんなヨ」与「なんでえまたかまだ床めえだゼしけてんのかおめえハ」し「あたしァこゝのお職(一番)だよ」与「ケッ吉原の花魁(おいらん)ぢやァあるめえし」し「与のさんが男前だからだヨ」与「このやらふ殺ろしィ言ふゼ」
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赤坂田町五丁目裏の岡場所麦飯こゝォこふ呼ぶンは公許の吉原が米ならこゝァ麦飯くれえのもんだッてンでしてそこのはりまやの伏せ玉(だま)女良(じょろふ)きち「多ざさんずいぶんごぶさたゞつたねえ」植木職多三郎印半纏脱ぎながら「まァな」き「どッかにいゝのできたンだらふ」多「うるせえなおめえハ嬶(かゝァ)みてえなこと言ふンぢやねえ」き「オヤいつおかみさんもらつたンだい独り身だつて言つてたらふ」多「だからうるせえッてンだ」き「だつてそうぢやァないかひもふ馴染になつてくれて一年半だよ」ト指を折る 多「ばかやろふてめえそんなこと数えてンか」き「もふあたいァ多ざさんの半分おかみさんの思ひなんだヨ」多「気びわりいこと言いねえナお店(たな)のご隠居さまが向島の寮(別荘)に茶室お建てになつたンで庭づくりにつめてたのヨ」き「アレそりやァ大仕事だねえ松とか桜も植えたンだらふ」多「松ァなァ袖摺のとか言つて茶室へのとおり路に植えンのヨ」き「アレそりやァぢやまだねえ」多「ばかゝァおめえはちやんとよけらァ」き「桜ァどこィ植えンの」多「茶庭にやァ桜なんか花の咲くンは植えねえンだ」き「アレッご隠居さまァッてえお人は渋ちんだねえ吉原ぢやァ時季にやァ花の咲いた桜ァ仲ノ町にずらりッて植えるッてきいたヨ」多「コウ与太いつてねえで床にしねえナ」き「アイ」遠くで夜回りの拍子木の音風にのつてくる鐘の音は石町(こくちよう)か。
(初出・カランドリエ平成26年冬至号)
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