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2014年5月 8日 (木)

大江戸戯作気質(おほえどものかきかたぎ)

 ことしァ春が明けてからがきびしゆうございやしたナ。寒さはきつい大雪は降る。洒落になりやせでし桜も咲き春も仕舞い月の弥生。ごろりと寝ころんで屈託のねえ本でも読むが値千金ッてやつでやしよう。夏目漱石は本名金之助、森鷗外は林太郎はてえげえが知ッとりやすがなんで筆名をなのるかッてえとじつァ江戸ぢやァ世をしのばなきやァならねえわけがあつてのことでしてそのならいが明治の世にも尾を引ひて夏目先生も森先生も別名で戯作を書ひたンでございやすヨ。あつしが洟たらしの小学生だか色気づいた中学じぶんだかに言文一致の始まりは二葉亭四迷だとおせえられやしたが江戸の戯作をちつたァ知つてみッと鳥渡(ちよいと)ちがふようでして。洒落本に「遊子方言(ゆうしほうげん)」ッてのがありやして書いたンは田舎老人多田爺(ゐなかろうじんたゞのじゞい)ッてお人でほんに爺かどうかはわかりやせんが明和七年のことでございやすがそンころの江戸のもんがしやべるべらんめえの会話体をなんとか文字に書き起こそうとしたはなの小説体の戯作と言はれておるそうですな。おンなじ年にやはり洒落本の「辰巳(たつみ)の園」が夢中散人寝言先生に書かれやして。この戯作者の本名は定かぢやァありやせんが吉原大上総屋亡八(※)次右衛門だッてェ説がありやす。書き物は知識人の洒落がはじまりでやすンで小説も芝居(しばや)の台本も戯作と呼ぶンは戯れに書いたッて心なンですな。とりわけ武士は扶持を主君から頂戴いたしておりやすから書肆(ほんや)から賃料をもらふなぞ主君にもうしわけの立たねえ卑しい所業となつちまふ。デ板元は料亭の八百善や吉原の大見世辺(へん)で一席もうけて礼としたそうでして。ふだんのしやべりを書き写したこれらの作品をお手本にしたのがよく知られる式亭三馬の滑稽本「浮世風呂」と「浮世床」だそうでやす。二葉亭四迷は西洋小説の翻訳をすッときに明治は権威の御代だからか文語体にしなせえッてまわりのすゝめがあつたンにさからつて浮世風呂や浮世床をみならつて普通語の言文一致をものにしたそふで。あつしの喜三二は気散じでもすべえと名乗つたンだが少し分かつてきたら江戸の黄表紙作家で朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)ッてェお方がおられやしたンを知りやして。どじな話よ。先様ァれつきとしたお武家さま。秋田久保田藩の江戸留守居役平沢常富さまで手柄岡持(てがらのおかもち)の名で狂歌も詠んでおりやす。お仲間の酒上不埒(さけのうえのふらち)は駿河小島藩の武士の倉橋格で、洒落本は小石川春日の藩邸にちなみ恋川春町(こいかわはるまち)の名で「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」などを書きやしたし、幕府御家人で支配勘定役の大田直次郎は南畝(なんぽ)と号し四方赤良(よものあから)や蜀山人(しよくさんじん)とも名乗つておりやした。こんなあんべえで筆名が使われるやふになりやがてペンネームなんて西洋かぶれの呼び方になりやしたが近ごろァ本名で書く人もふえてるやふな気がいたしやすな。あつしの喜三二もいつまで気散じになりやすことやら。
※亡八=遊女屋の主。人がそなえなければならない八つの人間性をすべて持ち合わせない者。
(初出「カランドリエ」平成26年弥生号)

2014年5月 1日 (木)

其十六 百五十字洒落本『江戸柄花之明暮(えどもようはなのあけくれ)』mixiつぶやき覚書

ご存知前書
江戸の戯作にやァ洒落本人情本滑稽本などがありやすがその内花魁女郎とのふれあいを描いた洒落本の真似事を目覚めのあくび寝入りの舟こぎの間の速書の一興お目にかなえばの仕合せでございやす


深川三十三間堂四六見世たつみ屋女良とめ「源さんおめえいッつも空約束だねえ 漁師源蔵「なんでえ藪から棒に と「だつてそふぢやァねへかい持つてくる持つてくるッて言つて一辺もう奈ぎ持つてきてくんねへぢやねえかい 源「う奈ぎかすまねえ深川は江戸めえの本場だからヨ注文においつかねえンだすまねえ
4月16日夜


内藤新宿旅籠甲州屋飯盛たか「お客さんゆンべはありがとネ旅にしちやァ身軽だねえどこまで往くンけ 江戸四谷太物屋息子株与之介「どこまでッておめえンとこヨ た「どおりで 与「あはゝゝこれからお祖ッさまでもいつておめえのゆンべの毒ッ気でも落としてけえるか た「そいで清い体になつたらまたおいで
4月17日朝


深川築出(つきだし)新地揚屋五明楼呼出時挟み三朱(七百文)の位の女良(じよらふ)よし「お客さんはじめてよネよろしくネ 日本橋本町通り裏住人表具師佐助「酒と台のもんでも頼まァ よ「いま硯蓋と銚子がきやすヨ 佐「そふかい初会ッてのはなんだナ よ「なァに 佐「なんかよゥ気詰まりでいけねへヤ
4月17日夜


東本願寺浅草浅留町堂前女良かゑ「ご浪人さんどちらにお住まひで 浅草寺蛇骨長屋浪人谷屋羽左衛門「わしァ蛇骨だ か「お近ひンだ贔屓にしとくれナ 羽「任せとけッて言ひてえがそちンとこの一夜の二朱で拙者の店賃の二ツ月分にもなるンでなァ か「こゝに来たときぐらい忘れなきやお金がいきやせんヨ
4月18日夜


深川大徳院境内娼家二朱の私娼ゆう「お客さん朝だよ 羅宇(らふ)屋清三「なんかだかくれえなァ ゆ「雨かもしんねへ 清「なんでえついてねえゼ傘ァかせや ゆ「そんな洒落たもんねへヨ 清「しけてやがらァ ゆ「おまいさんは意気がいゝンだから飛んでッちやいなヨ 清「ぢやァなあばよ
4月19日朝


深川永代寺前土橋茶屋しのゝめ離座敷羽織芸者吉次「若旦那あたしャもふ嫌さ 日本橋榑正町炭問屋武州屋倅徳一「おめえも辛抱がねえゼ 吉「なに言ひなさるわッちがどんな辛ひ思ひで座敷を勤めてゐるかおめえさんにやァわかりやァしねへのサ 徳「何を言ふおれだつておめえをどんだけ迎えてえ分からねへのかい
4月19日夜


深川佃新地京町長屋あひる女郎つた「烏がねへたヨけえつてくんナ 深川高橋船大工町船大工吉蔵「そふ邪険にすンねへ湯のいつぺえも飲ませろヤ多葉粉盆はとこだ つ「いろいろ注文が多ひねへたえげえにしナ 吉「マあひるだこんなもんか つ「おや馬鹿におしでないヨ価はがあがあの四百文でも体ァ人間様サ
4月20日朝


湯島妻恋町四六見世いく「もふ明六ツだヨ番茶の煮えばな飲んでいきねえ 神田相生町左衛門店(だな)貸本屋与吉「おッありがた山あつくッてうめえヤ朝ァ面倒でナ飯もろくすッぽ炊かねえヤ い「そりやァいけないヨあたい夏に年が明くンだ 与「デ い「でッて年が明けンだヨ 与「あッさうかァ
4月22日朝


【番外】客、女良(じよらふ)かいに行。こゝハ何といふ所じや。アイいろは茶屋と申ます。客つとめを四十八文やる。「モシ是でハたりませぬ。「ハテいろはではなひか。 出典《安永年間・口拍子・伊呂波茶屋勝(花咲一男編「雑俳川柳江戸岡場所圖繪」)》
4月22日夜


浅草北馬道(むまみち)桔梗屋女良(じよらふ)さと「お医者さま明五ツでございますヨいま弁天山の鐘が打ち出しやした 東本願寺の僧空弁「そうかい急いで勤行に帰ンなきヤおさと冷たい水を一杯所望口を雪(すゝ)がせておくれナあゝ観音さま極楽だつたヨなんまんだぶだぶだぶ さ「やだヨあたしァまだ生きてるヨ
4月23日朝


品川宿土蔵相模で八治「コウ若ひ衆(し)おめえンとこのお女郎はみんな下女けえ 伎夫(ぎふ)「お町人さんなにィ云ひなさるうちの子はみんな北州の花魁にひけェとりやせん 連れ喜太「八からかふねえどやされッゼ 伎「おからかいハいけやせん相模下女がお望みなら江戸へひッかえしなせえやし 八「あはゝゝ
4月24日夜


錺(かざり)職弥吉「あァよく寝たゼいまァ啼いたンは明烏か 根津門前町四六見世れんげ屋女良(じよらふ)たね「よく云ふよこのしと(人)は三番明烏サ 弥「うそだらふ た「ほんとさネ早く起きていッとくれあたしァこれから一寝入りなんだかんネ 弥「まァそふ邪険にすんナ枕交わした仲だ多葉粉一服ナ
4月25日朝


日本橋蠣殻町漆喰造り職三吉「コウ起きッぜ こんにやく島たつみ屋女良うさ「オヤけふは寝起きがばかに能(い)いぢやァねへかい明烏よりさきに起きるたァ 三「余計なことばかし言つてねえで湯をもらつて来いヨそれから煙草盆の火がねえゾ う「人遣ひがあらいねえ年明けで往くンのやめにするヨあたし
4月27日朝


谷中いろは女良(じよらふ)きた「与五さん起きてたのもふ明六ツかネ 大工与五郎「あゝさつき向ひの屋根でカァ公が鳴いてたゼ き「あたいにもその多葉粉一口吸わせてくんなヨ 与「あゝ き「おいしいねえ朝の一服ハ与五さんけふの帳場(仕事場)ァ遠いンだらふ 与「根岸だ き「じやあ山越えてすぐだ
4月29日朝


深川入船町吉右衛門店(だな)大工卯乃吉「コウすげえ雨ぢやァねえか 岡場所三十三間堂ひやたん女良よし「雨かひ卯乃さん う「オウ景気よく降つてッゼけふはぶん流しだ よ「アラうれしいいゝンかい 卯「まかしときなッておとついの建前のお祝儀がまだ残つてらァな よ「女軽子に湯豆腐運ばせるヨ
5月1日朝

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