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2013年12月25日 (水)

江戸湯気質(ゑどのゆうかたぎ)

新暦の12月22日は旧暦の霜月(十一月)廿日で冬至。一年のうちでいつち日が短けえ。そンだけ寒ひ夜がなげえッてわけであッたけえ湯にッてンで柚子湯にへえるならわしがございやすナ。日がみぢかくなつたンでお天道様に元気になつてけえつてきてほしいッて思ひでお日様色のゆづを湯に浮かべたッて気持もあつたンでしようナ。いまァ柚子を丸ごと湯に浮かべたりしておりやすが江戸ッ比(ころ)の湯屋ァ輪切にしてゐたそふなんで香りァ一層よござんしよう。まして湯舟は洗場のおくにべつの部屋になつておりやして入口はざくろ口ッてェ仕掛けで湯気が外に逃げねえやふに板壁で閉じてあつて下が空いてゐてくゞつてへえる仕組。中ァ湯気でもふもふも、香りもこもりやしよう。高ひとこにちッさな明かりとりの窓が一ツあるだけだからほとンど真ッ暗ですな。ざくろ口の壁は牡丹の画などが極彩色(ごくざいしき)で描かれてたそふで。このざくろ口の仕掛は京坂でもありやすがあちらァ破風、江戸はすつきり梁の仕上げでこゝら辺にそれぞれの町ッ子気質がでますナ。いまァ銭湯の呼名がとおり相場でやすが江戸ぢやァ湯屋(ゆうや)とも呼ばれておりやしたそふで。湯銭は、天保の前だと男女ともに十文で子どもは八文の決まりでやしたが江戸は四当(しとう)銭が流通して一文銭はつかわれなくなつたンで高坐(番台)に銭を二枚しかおかねえ。小子童形は四当銭いちめえしか払わねえ。べらぼうッてえばべらぼうだが湯屋の方もとがめだてしねえ。しかたがねえンで後に幕命で大人八文童形六文小子四文と定められたが湯屋が民に負けた形ですナ。それでも持ちつ持たれつで客はゆづ湯と五月四日五日の菖蒲湯、桃の葉を入れた六月のもも湯のときなぞは湯銭とは別に十二文のおひねりをお祝儀でだす。湯屋の方ぢやァ高坐に春慶塗の大きな三方に山とつんだそふでやす。そのほかほとんどの月の内三四日は日をきめて茶をだす。この日は客は十二文のおひねりをだすのがならわしだつたそふでして。文久三年に薪代の高直(こうじき)で湯銭が十二文に上がるにつれおひねりも十六文になりやした。かけ楚者※(そば[蕎麦])いつぺえが十六文だから湯銭の価が判りやすナ。もらひ湯ッてしきたりがありやして正月十六日と七月十六日は客の湯銭を主がとらずぜんぶ番頭下男のものになり翌ンちは休みで懐をあッたかくして盛場へくりだしたそふですナ。ほかに毎月いちンち休みがありやしてこれは湯屋ごとに日を変え湯客に迷惑をかけねえ算段をしとりやす。江戸は急ごしらえで造つた町なんで普請の男衆(をとこし)ばかり。湯屋はわざわざ男湯とことわつちやァゐなくとも男ばッかし数少ない女衆(をんなし)はそん中に入れ込みの混浴。町造りも落ちついてくるとさすがになんだといふことで男湯女湯の別になりやしたがなんせ町人地は狭ひンで男湯は表通りだが跡(後)から造りたした女湯の入口は脇の路地なんて湯屋もあつたそふですナ。江戸の湯屋には二階がありやしてこゝァ男だけの場なんだが十二文くれえで茶や菓子の用意があり将棋や碁も打てたッてえから町内の溜まり場ですナ。女湯にやァ不思議なことに刀掛けがある。女の侍ッてのはおりやせんから妙な咄なんだが町奉行所の定町廻り同心が朝風呂に来るンですナ。女衆は家事が忙しいから朝湯ァ来ねえが男衆は朝湯浴びて帳場(仕事場)へ出る。同心は女湯にのんびりつかッて壁隣の男湯から聞こえてくる町の噂に耳かたむけるッて寸法ですナ。湯銭の咄ではいまの定期みてえに晦日に月払いする留湯(とめゆ)ッてのがありやして男女ともに月百四十八文見当でなんど入つても勝手、お店(たな)など人数のゐる家も一戸で留湯にしておりやしたよふでこざいやすヨ。江戸ッ子ッてえば熱湯好きでとおつておりやすがこれは湯屋の都合がもとのやふですナ。松薪(さいまき)の薪代がばかになんねへんではなに熱々に沸かしたそふで。当て推量でやすが髪ァいまみてえな簡単な天窓(あたま)ぢやァありやせんみんなちよん髷。ありやァ髪結でやつてもらわにやァなりやせん。湯にへえつたゝンびに髪結いつてちやァ懐がおッつかねえ。だから汗ェかゝねえうちにさッと上がンなきやァなりやせん。で、熱湯好きト。

※楚者=そば。蕎麦の意。草書体にて書かれる江戸仮名文字。現在の東京では蕎麦屋の看板に遣われている。

(初出ーカランドリエ平成25年冬至号 ただし草稿)

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