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2012年10月23日 (火)

菊異聞東都裏話(きくいぶんゑどうらばなし)

 菊の時季ですなァ。近ごろァはやりやせんが菊人形は幕末から昭和も終戦後ちよいまで息ィつないで人気がございやして戦地から遅れてけえつてきた親父がオッ菊人形だ見に往こうッて連れてッてくれたンがたぶん九段坂。よしず掛けの小屋ン中に白黄ゑんじ色の菊の花で人形(ひとがた)つくりその上に造りもンの白塗りの顔がのかッてるッてえ代物で時花(はやり)の歌舞伎の役ゥ模してたンでやしようが、なんせこちとら鼻垂らし時分。薄気味がわるふございやしたヨ。菊と歌舞伎とくりやァ白波五人男の弁天小僧菊之助。生娘に化けて呉服のお店(たな)ァゆするッてェ悪(わる)なんだが誰も男とみやぶれねえ美しさ。弁天はその美形からついた二ツ名。小僧ッてのは掏模(すり)あがりの悪党でして。ご存じねずみ小僧とか葵小僧なンて小僧と名のつく悪ァみんなそうなんだト聞きやす。咄ァ鳥渡(ちよいと)横町ばいりいたしやすが掏模ッてェ呼名ァ体ァすりつけて懐のもンを盗むンでついたンだそふですナ。デそれがなんで小僧なのか大人ァゐねへのかッてえと捕まつた一度目は叩き刑でゆるされるが三度目は首を打たれる。だもんで二度捕まると掏模ァやめる。つゞけたやつァ三度目でこの世から消えちまふンで残るのは蛾鬼だけとなる。二度目でやめたときそのまゝ足ィ洗やァいゝんだが根がよくねえから盗人やかたりに商売がえする。その一人が弁天小僧菊之助。そいで菊の名かでやすが推量すりやァ芝居(しばや)の子役あがりですナ。歌舞伎ァ明治から芸術になりやしたンでもふそんなこたァありやせんが江戸ッ比(ころ)ァ若衆歌舞伎の子役のなかで舞台に出てるのを色子、まだ出てねえのを陰間と呼ンで男客をとらしてた。名代の役者や囃子方の親方なンぞはずいぶんと男の兒をかゝえてたト江戸の本に書いてありやす。そうした場でいつち有名なのが日本橋芳町。いまァこの町名はござンせん。探しに往つても無駄でございやす。わからねえやふにいくつかの町名に分けて変えちまいやしたンで。あとは湯島下ですナ。デなんで陰間や色子が菊なんだと申しやすとそれは形からきとりやして。後ろの門が菊の花ァ真上から見たとこに似てるッてンでそれを菊座と呼びやす。客は坊さん。お寺には山号がございやす。お名前はさしさわりがあるンでお山と呼んだンですナ。歌舞伎の女形をおやまと言ふのはそッかららしいがいまァそンなこたァねへンで女形とお呼びにならにやァいけやせん。
(初出:カランドリエ平成24年重陽の節供号)

2012年10月18日 (木)

秋風情繁湯豆腐(あきのふぜいたぼうのゆどうふ)

 仕掛人藤枝梅安の相棒彦次郎ぢやァねえがあつしの大のつく豆腐好きヨ。ちか比(ごろ)のやふに鳥渡(ちよいと)肌寒くなつてくると、湯豆腐がちらついてきやすナ。こんな便利な喰ひもんはありやせんゼ。鳥渡湯ゥわかして奴豆腐ァいれゆらゆらッときたらすくいだして土佐醤油で喰ふ。それだけのことなんだが、これがなんともいゝ。酒はぬる燗ですナ。こんなンやつてる画(ゑ)をはたから見りやァいかにものんびりした図になりやしようがところがどつこいそふは問屋(といや)がおろさねえのが湯豆腐のちよこざいなとこヨ。湯豆腐でいつち豆腐がうめえのはいつだッてえとこれがむずかしい。湯豆腐ァ煮ちやァいけねえンだ。そいつァ煮奴ッて別の烹(りようり)でさァ。まァ湯の中に昆布をおごつて敷きやすナ。その湯がたぎつてきたら奴に切つた豆腐を一ツそつといれやすのサ。そいでその豆腐が湯ン中でゆらゆらゆらと三遍くれえしたときにすかさずゝくいあげてかねて用意の土佐醤油にいれ醤油がしみねえへうちに口にはこぶッて段取ヨ。そふすッと外は熱いンだが芯はいま熱がとおりやしたッて按配で冷たさと温もりとのあわいにあるッて寸法ヨ。これがうめえ。腕のいゝ天麩羅職人が活き海老揚げたやふヨ。外の衣は熱々だが芯はまだ半分生ッて具合だ。湯豆腐もこふこなくちやァいけねえ。だから見世で喰ふもんぢやァありやせんナ。往つたことねへからこんなこと言ふとあらぬとッからお叱りうけるかもしれやせんが、あの有名な南禅寺のは豆腐をはなから湯ンなかに入れてだしておりやすもんねえ。気がしれねえ。一ツ喰つてるうちに残りのァ煮えちまいやしよう。トこう読んでくるとおわかりでやしよう。湯豆腐ッてもんはゝたで見るような呑気なもンぢやァありやせんのヨ。酒なんかに手ェだしてる暇なんかありやァしねえのサ。

2012年10月16日 (火)

忍池藪之淡雪(いけのはたやぶのあわゆき)

Photo

 いまァ上野の山ッてェ呼び方が相場になつておりやすが、ありやァほんとハ忍ヶ岡ッて言ふそうですナ。森木立にかこまれて見えねえからでやしよう。下の蓮池ァ打つてかわつて青天井で忍ぶこたァできやせんのでか不忍池(しのばずのいけ)と申しやすが江戸の比(ころ)ァその池ンなかの弁天島のまわりを出会茶屋がとりまいておりやして大店(おほだな)の後家や代参の奥女中なんかが歌舞伎役者なんかと忍びあつてゐたッてえから洒落がきいておりやして、蓮掘りが見るよと障子とじるなりッてな川柳がたしかありやしたナ。いまァ弁天さんの島ァきれいさつぱりしとおりやすが出会茶屋の面影は池之端界隈に名残をとゞめておりやしてその甼(ちよう)にあるのが藪御三家の一ツ池之端の藪蕎麦。湯島のお医者でほかぢやァ療治してくんねえ上咽頭ッて、目から鼻へぬけるぢやァねへが鼻から喉へぬけるとこが炎症をおこすとなんだかんだの病の元だッてンでそこへの往きがけの駄賃でよつたのが藪ッてわけでして。浅草の並木の藪ほどなじんぢやァおりやせんが、この池之端の藪も鳥渡(ちよいと)した数寄屋風の造りで蕎麦がでてくるまでの間を飽きさせやせんナ。けふはあとがお医者でつけえておりやすンでお神酒はなし。のつけから蕎麦をたのみやしてあつらえたンはいそのあわゆき(磯の淡雪)。御三家は蕎麦ですかうどんですかなンてきかねえからいゝネ。並木の藪にはねえしたぶん神田の藪にもねえと思うふのが、このいそのあわゆきですナ。どんぶりァ薄手で小ぶり。こふでなきやァいけやせん。でッけえどんぶり出されるとあつしァ面(つら)ァ洗いにきたンぢやねへ洗面の桶ェだすねへッて啖呵きりたくなるッてもんヨ。その小ぶりのどんぶりに玉子の白身泡立てやしてそンなかにもり蕎麦ァい込み上ヘ青海苔をちらしてあるンは磯のこゝろ意気。箸もこゝンちのはいゝヨ。柾目の杉ヨ。吉野かねえ。ほんのり紅さして華があるぢやァござんせんかい。先は角で太目。こういふ箸でなけりやァ蕎麦ァたぐれやせんゼ。おろしわさびを鳥渡蕎麦の上ヘのせてたぐり蕎麦つゆに半分ほどくゞらせてずゞッとすゝる。盛りやせいろの蕎麦ンときァ尻尾のほうしかつけやせんが、この蕎麦ンときァ玉子の淡雪の甘みとつゆの辛味と蕎麦の旨さが混ざりあふのが味わいどこだとあつしァ思つておりやすンでネ。あゝ旨かつたで喰ひおわりどんぶりに残つた淡雪ン中に蕎麦つゆゥいれそこに蕎麦湯を注いで呑む。これがもふたまりやせんナ。なんだかうきうきいたしやすヨ。このあとお医者にいてえ目にあうなんてすつかり忘れておりやしたヨ。

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