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2011年12月25日 (日)

魂胆年越鰻(こんたんとしこしかばやき)

 かう不景気があたりめへになッちまうと能(いゝ)咄ァありやァしやせんが、大晦(おほつごもり)が近づいてくるッてえと思ひだすことが毎年ありやしてねえ。仕様(しよう)もねへことなんだが、もうかれこれ四十年もめえ、あつしが三十路のとばッくちに立つた比(ころ)のことでして。江戸ぢやァ四百四病(しひやくしびよう)より貧の苦しみッて言ひやすが、その比のあつしァ物ごころついたときに家が破産したンでずつと貧の病(やまひ)つゞき。そンでもよくしたもんで稼ぐに追いつく貧乏なしッてンですかね。なんとか年ァ越せるやふになりやして。そんなときでございやすヨ。江戸のむかしァご府外でその所名(ところな)すら知られちやァおりやせんでした池袋村が東京の場末になりやして越後屋しのごうッて勢ひで百貨店がならびその一ツの大店(おほだな)にうなぎ屋が見世ェ張りやしたのサ。秋本ッて屋号でしてネ。本店(ほんだな)は麹町の善國寺坂。出見世といつても数寄を凝らした造作。京壁に下地窓、柱は杉の磨き丸太ッてェ結構。諸国のことなのか江戸だけのことかは分かりやせんが大晦は楚者(そば)で細く長くと願ふしきたりがございやすが、そこは貧乏人のやせ我慢やつと越えれる歳末祝ひ。どふせ喰ふなら細く長くなンぞは吝(けち)くせェこゝ一番強敵(がうてき)に松の天ッ辺と奢つて大蒲焼で太く長く浮世にのさばろふッて魂胆で嚊(かか)ァに一粒種の倅とお袋との一族四人(よつたり)で秋本にトいつても御本店は若造にやァ敷居がお高く畏れ多いトぶくろの出見世へお成りと決めこみやしたッてェ次第ヨ。
 誂えたもンはまず野菜の煮もの。これがほんのりした味でよござんしたねえ。いまでも忘れらンねえンで本店へ往きやすと頼ンぢまいやすのサ。それからうざく。きゅうりと蒲焼の酢の物ですナ。仕上げはうな重の天ッ辺の松ヨ。こゝンちのは蒲焼と飯が別盛なンで口がさつぱりいたしやすナ。けえりにやァ板長が見送つてくれやしたゼ。そんなこんなの図太ひ年越しも永年縁の切れてた兄ィがある年ふい現れおッかさん引き取つていき生き別れで仕舞ひヨ。そのごたごたが仇となり姉(あね)さんたちとも縁切りの生き別れであつしァ八ツのお山へ隠遁。十と二年ほど暮らしやしたがあつしも嚊ァも不治の病もち。仕様がねへンでお江戸へ舞い戻り年越楚者(そば)ァ二度ほどふたりで日本橋の利久庵へたぐりに往きやしたが嚊ァのやつァ旧暦去年の大晦もむかえねえで下弦の月の日あの世ィ往ッちまいやした。今年の大晦ァどふいたしやしようかねえ。
(※楚者[そば]の江戸の崩し仮名文字はいまでも東京の蕎麦屋の多くの看板に使われている)
(初出「カランドリエ」平成23年冬至号)

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