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2010年12月14日 (火)

江戸華夜咲婀娜(ゑどのはなよるのあだざき)

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 しかしなんですなァ。だれがつけたンだかしらねえが、浮世たァよく言つたもんでございやすなァ。その日くらしのたつき(生計)のよすがゞつらいと思へば重くもなろうが浮いた浮いたの浮世とやりすごしやァあすもけふとかわらぬ風が吹く。生きるも死ぬも思ひやふ。気散じでさらりといきやしよう。なんて講釈たれゝる身分ぢやァねへが、この世はたのしいものと号(なづけ)てンのがいまさらながらの浮世絵ヨ。もとは錦絵と呼んだそうだが、その咄は鳥渡(ちよいと)脇ィおいとくとして、お目にかけてえいちめえがありやすのヨ。
 浮世絵ッてッたッてひと色ぢやァござんせんようで。役者の似面(にづら。似顔)絵もありやァ花魁の大首絵もある。笠森おせんなんかの評判招聘(かんばん。看板)娘の姿絵もありやァ色気のまつたくねへ富士のお山の絵だの東海道五十三次なんて道案内みてへな図もある。そこでだ。いつち(一番)手がこんでンのが、枕絵ヨ。會本とも笑本ともいろ\/呼びやすが、ようは手習指南所(学校)ぢやァお目にかけてくんねえ秘画ですナ。なんでそんなあやしげなもんがいつち手がこんでンだと言やァ、彫師が一世一代の執念で髪の毛より緻密に彫った版木を十板だの十五板だのつかい色をさまざまにつかうのヨ。耕書堂(蔦屋重三郎の見世)なんかの書肆(ほんや)でならべて売つてゐる写楽の役者似面絵とは大違い。裏で売る。なんまいかをひと組にして桐箱におさめ、十両だのなんだのゝ高直(こうじき。高値)であきなわれてゐたそうヨ。そして幕府の役人への贈答だの、良家の娘の腰入にご指南役代わりに持たせたりしたッてからなまはんかの出来ぢやァとおらねへ。こうした教育係の役目はわかりやすい絵解図でなきやァなんねへが、遊びなれた大通(だいつう)辺(へん)のおめがねにかなうもんとなると、洒落のその上をいくようでなきやァ咄にならねへ。ひとひねりふたひねり。あからさまは野暮だよッてネ。見せはしないが、見たより深い。そんな洒脱に上品な色気。構図の工夫に彫師の冴え。鬢やうなじの毛筋、着物のひだや柄、薄物をとおして透ける肌の線。絶品の逸品が、あつしァかの哥麿(うたまる)の歌満くらの中のこのいちめえだと思ひやすゼ。をとこ(男)が手にする扇子の狂歌は宿屋飯盛(やどやのめしもり)。こいつァ石川雅望(まさもち)の狂名ヨ。西行の鴫たつ沢の秋の夕暮れの本歌取り。蛤にはし(嘴)をしつかとはさまれて鴫たちかぬる秋の夕くれ。あゝこの本刷にひとめ会ひてえ。

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