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2010年10月24日 (日)

正朝宵仲蔵(しょうちょうよいばなし)

 五臓六腑のつかれがでたかどふも調子が悪くつていけねへト言つたら、今宵1023日は天保暦[1]の九月十六日で満月だつてえぢやねえかい。西洋にやァ満月の夜にや狼になつちまふ男がゐるッてえからおそれる\/[1-2]。そいだけ満月ハからだにわりひッてことだ。そんでも宵にやァ神楽坂でお楽しみがあるンでおでましいたしやしたのヨ。花魁ぢやァねへが仕掛は、藍大島の袷羽折に消炭色の平組羽折紐、袷小袖は黒地に黒の縞織に裏は勝色[2]の絹、長襦袢は丁子茶[3]の絽の単衣に鼠色麻絽半襟、根岸色[4]の平帯浪人結びに〆(しめ)黄楊(つげ)のくりぬき喜世留(煙管)筒に蟹づくしの漆絵革多葉粉入れぶらさげ二本差しの要領で扇子差し腰にやァ白皮に黒漆で釘貫文様の印傳小箱を印籠代わりにぶらさげ、おろしたての十文五分(25センチ)桐形紺足袋。自慢ぢやァねへがあつしの足は細身つくりヨ。馬鹿の大足まぬけの小足丁度(ちようど)いゝのがおれの足ッてネ。並形の下の細形よりさらに細い桐形。こいつゥ仕立てゝくれるンはあんまりありやせんでしよう。四谷武蔵屋さんのあつらえヨ。烏の雪駄[5]に蓑虫の鼻緒[6]。懐にやァふじ屋[7]のこの秋の新柄いちょう落葉白抜きちらしの黄染。江戸のむかしならさしづめうこん染ッてとこでやしよう。

 千代田のお城の濠ィわたる飯田橋のもぐら駅からすつぽん仕掛[8]で橋のたもとへとびだし、わたつて一丁も往けばきしめんの尾張屋。ハイごめんよト蛤きしめんぐいづくりでたのんますよト若衆(わかいし)へ。きしめんがかくれるやふに大蛤四ツに三ツ葉ちらした丼のお姿ァ先の冬いらいの出会い。やつぱり蛤ァ江戸の味。さつぱりしていて風味がありやすなァ。江戸のむかしァ江戸の鼻ッつァきの浜でいくらでもとれたンで特別のもンぢやァなかつたンだが、いまァなつかしい味になつちまいやしたのがさびしいが、冬場この見世にくりやァ出会えるのがうれしいぢやァござんせんか。

 遅めながら腹ァつくつといていざ神楽坂へ。遊子方言[9]ぢやァねへが息子株[10]にでも出会えばいゝ処につれてつてやろうトたぶらかして引ッ張つてやらふト思へどもそんな間抜きやァけふの神楽坂ァ歩いておりやせんナ。その代わりなんだヨ。着物姿の地女(ぢをんな[11])が三々五々。なんか集まりでもあつたのかねえ。辻を入り、鳥渡(ちよいと)往つてぴんころ石を青海波に敷き詰めた路地ィたどりやァ今宵の席、八百萬(やおよろず)。冠木門くゞつて小池をめぐる石畳。根じめはお約束の竜の鬚。二階が真打春風亭正朝師の今宵の席。ずいとあがりやァもふ席ァあらかた埋まりの大盛況ト言つても四十四人(しじゆうよつたり)だけの贅沢席。運よくめえから二列目のど真ン中に腰を落ち着かせやしたゼ。

 真打お披露目のときに贔屓筋がこしらえてくだすつたッて歌舞伎の定式幕[12]もじりを背に、そのめえに緋もうせんで高々としつらえた高座。さて出囃子もにぎやかに、はなの一席は勇み[13]の町ッ子が酔って浅葱[14]の武左(ぶざ。[15])(ぶざまの語源か)とさわぎをおこすッてえ落語。仲入りをおいて、先に薄鼠の対の姿から黒紋付に衣装をかえて師匠の登場。本日のお目当て中村仲蔵の噺ヨ。あつしァこの噺ァでえ好きでねえ。志ん生育ちだもンでCDなんて録音盤五十枚組百話の余も持つて、そんなかでもこの噺はなんべん聞いたか。聞くたんびに喉元が鳥渡あつくなる噺でさァ。今宵は正朝師の独演会だから、時間はたつぷりヨ。筋の運びのあいまに江戸三座の咄、お役者の位の咄だのいつち下ッ端がひとかたまりで出を待つ大部屋にはお稲荷さまが祀られてト師匠の咄で、合点(がてん)がいきやした。町人町の町名はちようと呼ぶのが江戸のしきたりなのに、なンで歌舞伎小屋のは稲荷町(いなりまち)か謎だつたンだが[16]、師匠の口ぶりで待つと町(まち。待ち)をかけてたのかァとネ。稲荷はご存じご商売のご利益ですもんナ。

 サテ噺の筋ィたどるやふな野暮はあつしァいたしやせんから、それが知りてへお方は師匠の高座へおみ足を運んでいたゞくとして、噺の一ッ目の山場、蕎麦屋の場ヨ。こゝで、通り雨にずぶぬれになつた浪人まがいの落ちぶれ旗本がとびこんできたその姿のよさに息を呑んだ仲蔵が、我を忘れて裸足のあしもとから床場[17]の銭がなくて無精のばしにのび水がしたゝる月代まで遠慮も忘れ無言で見詰めまわす、その間(ま)のとりやふにやァあつしァ思はず天窓(あたま[18])のてつぺんから二ノ腕までざわざわト鳥肌がたちやしたゼ。高座背景の定式幕もあつしのめえの席の客の天窓も、師匠の黒紋付も消えちまいやして、見えてるもんは仲蔵になり代わつてる正朝師の顏だけヨ。

 そんな鳥肌の一瞬が二度三度あつて最後の場、座頭團十郎におめえはやりそこなつたンぢやァねえおめえのやつた斧定九郎はこれからの歌舞伎の形に残るぜト仲蔵がほめられる段、こゝぢやァ鳥肌どころか泪がにじんぢまいやしたゼ。名人上手ッて詞がありやすがこふいうことを言ふンかもしれやせんナ。

【附(つけたり)】

[1]天保暦=唐から伝えられ千年以上にわたって日本で使われている暦。最後の修正が天保年間に行われたのでこの呼名がある。

[1-2]おそれる\/=江戸の流行言葉。閉口する、まいった、の意。浮世風呂「呑(どん)助さんのへぼ拳と、飲(いん)六さんの悪ふざけにはおそれるねへ」

[2]勝色=褐色(かちいろ)、搗色(かちんいろ)とも。濃い藍色。語韻が勝色にも通じ、武家が縁起をかつぎ武具や祝賀に用いた。歌舞伎・八重霞曽我組糸「宇佐美彌太夫…かちんの上下(かみしも)にて、大小高股立ち」

[3] 丁子茶=茶色がかった丁子色。くすんだ黄赤。浮世風呂「丁子茶から見ては、今の鼠や路考茶は近頃の物だっさ」

[4] 根岸色=根岸土で上塗した根岸壁のような色。緑みの灰色。根岸土は砂質の上等な上塗用壁土。

[5]烏の雪駄=薄墨色に染めた雪駄。普段履用。地味さが渋好みに好かれている。

[6]蓑虫の鼻緒=昆虫の蓑虫の巣を広げてつなぎ合わせて鼻緒に仕立てたもの。

[7]ふじ屋=てぬぐい専門店。浅草、浅草寺境内弁天山近く。

[8]すつぽん仕掛=歌舞伎花道にあるせり上がり。エレベーターを表すのに洒落で用いた。

[9]遊子方言=ゆうしほうげん。江戸期明和七年または八年正月に発行された洒落本。写実と滑稽で遊里を描く短編小説である洒落本の形をつくり上げた記念的作品。著者・田舎老人多田爺(いなかろうじんただのじじい)

[10]息子株=息子ぐらいの若者。裕福な商家など町家の息子でまだ遊びなれていない若者を指す。江戸語。

[11]地女(ぢをんな)=素人女。素人を白人とも書いた。江戸語。対語は玄人。

[12]定式幕=歌舞伎の三色の引幕。

[13]勇み=いさみ。勇み肌とも。地回りや鳶など。江戸語。

[14]浅葱=あさぎ。田舎武士、の意。地方から参勤交代などで江戸へくる武士の多くが袷の裏地に浅葱色の木綿を用いていたところから。江戸語。

[15]武左(ぶざ)=武左衛門の略語。田舎武士、の意。江戸語。ぶざまの語源か。

[16] 町人町の町名はちようと呼ぶのが江戸のしきたりなのに…歌舞伎小屋のは稲荷町(いなりまち)か謎…=上野と浅草の間に稲荷町と書いていなりちょうと称する町名がある。江戸切絵図などには、丁または甼の表記もあり、町区画が一丁(約100m)を一単位としておこなわれ、それで仕切られた区域を丁または甼(ちょう)、町(ちょう)と呼んだものと思われる。

[17]床場=とこば。髪結床の、意。正朝が本日の噺の中で用いた。江戸語。現代は方言として八王子、秩父、群馬、山梨南巨摩、長野上伊那、岐阜加茂、静岡、滋賀蒲生などで採取された。滑稽本・人遠茶懸物「武士が飛色ぞろひ 床場でいはぬ本田髷」

[18]天窓(あたま)=頭、の意。江戸表記。男は武士も町人も月代を剃って頭の上が空いていたからか。新吾左出放題盲牛「天窓(あたま)に血の多ひにまかせ、ちつと人が足でも踏むとモウけんくわにして」

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