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2010年10月26日 (火)

藪美家古江戸前梯子(そばとにぎりえどまえはしご)

 三ツ日とあけずに養生所[1]に昼寝にいくンだが、そこの待合でヘイお床のご用意ができやしたッて声がかゝるまでの間お顔馴染さんと世間話しておりやして鮨のことになりやしたのサ。さい(左様)ですなァこの夏のあンまりの暑さについ出無精になッちまいやしてすつかりごぶさたッてんで、ご一緒ゐたしやしようかトこんなわけで、つい先比(ごろ)のこと浅草の雷門めえで落ち合つて弁天山の美家古へくりこんだしでえサ。はやる見世はどこでもさふだが時分どき[2]に往くッてえと落ち着かなくッていけねえ。そいで九ツ半[3]をまわつてひと段落ついた比に格子戸明けたら、案の上狙いたがわず客はあつしらふたりッきり。大将のまんめえの付台[4]の席。鮨ァまとめて握られてしずしずと運ばれ遠くで喰つちやァ旨くァねへ。一ツぐひづくり[5]で握つてもらつてヘイお待ちト目の前の下駄[6]におかれたンを間髪いれずに口ィ放り込むのがいつち[7]うめえッてもんヨ。だからなんだヨ。先客に付台めえをとられてッとまたくらァッてことになッちまうわけヨ。

 まずは女将からお飲物はとくるがあつしァ鮨ンときは酒は食べやせん[8]。お茶でよござんすよト愛想のねへ返事で相済まねへが茶をもらいやしたネ。鮨ッてのはなんですゼ。大将と客との真剣勝負ヨ。ほかの喰いもンとはわけがちがわァ。だされる一ツ\/魚もしたごしらえも違う。酒ェ食べたら舌がにぶつて味の見わけがつかなくなりやすのヨ。そのうえ鮨職人は何十年の修業してその日の魚えらんで下ごしらえして一人一人の客に供しておりやす。酒ェ呑みながら連(つれ)としやべくる肴に鮨ィしちまっちァ魚にも職人さんにも無礼ッてもんでござりやしよう。

 平目の昆布〆をご用意させていたゞきましたトこッからけふの握りがはじまりやすナ。こいつを人差指と中指ではさみ上から親指でおさえ手をけえして一口に入れる。あつさりな平目に昆布の旨味と煮切[9]の香りと旨さが加わつて厚みがでる。いつもあゝ美家古にきてよかつたと思ふねえ。裏切りやせんヨ、こゝの仕事は。二ツ目は鯛。三ツ目は才巻海老だつたかなァ。順番まちがつたらごめんなさいだが。淡白な海老ァ下にそぼろを仕込んで旨味をだしておりやすヨ。つぎは戻りかつを(鰹)。春のさわやかさに対していまッ比ァこくですナ。みつしりとした旨味がたまりやせんゼ。そして赤貝。噛みしめるときのあのしゃき\/ッとした歯ざわりがなんともこたえられやせん。いかは煮いかでつめ[10]を塗つてだされやすが、煮て旨味をましたいかとつめの甘みがまざりあつて味の奥が深くなりやすナ。穴子のさわ煮。これもつめ。ふんわりと煮たあなごを口に入れやすいようにしの字にひねつて握りッてある気づかいがうれしいネ。穴子の一匹握りなんてでかけりやァいゝだらふなんてこけおどかしで客を小馬鹿にしてる見世もありやすし、それを喜ぶ手合いもゐるやふだが、そんなンは喰いもんをもちや[11]にする罰あたりぢやァありやせんかねえ。それからこはだ。酢の〆加減がいいから味わいの最後にほんのりとしたそれがきいてゝよござんしたねえ。赤身のづけ[12]。こつァいつつまんでも旨いなァ。脂ッ気を上手に落としてまぐろの赤身の旨味をだしておいでだ。軽い渋みと重みのあるこく。これがまぐろだねえ。さいごの〆は玉(ぎよく)。たまご焼き。なんだたまご焼きかァなんて馬鹿にするやつァお江戸ぢや田舎もんあつかいされるゼ。たまごも砂糖もお江戸のむかしは贅沢品ヨ。だから玉の握りがとり[13]をとつてる。洋食ぢやァねへンだ、食後のお菓子ぢやァありやせんゼ。

これで十貫。お名残り惜しさに赤貝をもいつぺん握つてもらい歯ざわりの心地よさァに酔いしれて見世をでやして、腹ごなしに観音さまから弁天さまとまわりふじ屋で新柄のてぬぐい一本買つて、並木の藪へへえつたのは八ツ時分。いつもの伝で炭火仕込みの小箱の焼海苔あてに正宗の樽酒ぬる燗一本。仕舞にざる一枚たぐつてけふの〆といたしやした次第サ。

【附(つけたり)】

[1]養生所=クリニックを洒落た。

[2]時分どき=丁度よいとき。主に飯どき、をさす。江戸・東京語。歌舞伎・五大力恋縅「ハテ、後は後の事、時分(ジブン)どきに物を食はぬと、体の毒でござる」

[3] 九ツ半=午後約一時。

[4]付台=俗にカウンターと呼ぶ。

[5]ぐひづくり=ぐひ、は急ぎの意。ぐい呑みなど。江戸・通人用語。通人三国師「二三ばひぐひとやり」

[6]下駄=鮨職人言葉。客一人に一枚ずつ、前に置いて握った鮨を置く木製の小台。下に二本の歯を埋め込んで足としたその形が下駄と似ているところから。

[7]いつち=読み「いっち」。一の促音化した呼び方。一番。江戸語。柳多留「かんにんのいつちしまいに肌をいれ」

[7]酒は食べやせん=江戸期、酒を食べると言った。

[8]煮切=煮切醤油の略。生醤油よりまろやかになる。これを握った鮨種の上は刷毛で塗る。

[9]つめ=煮詰め醤油の略。いかや穴子を煮た煮汁を調味して煮詰めたもの。煮いかや煮穴子に刷毛で塗る。

[10] もちや=読み「もちゃ」。おもちゃ。玩具。

[11]づけ=調味した醤油に漬けたもの。

[12]とり=仕舞をとる。落語の寄席などでその日の最後を受け持つ役。大立役。

巻の九 都々逸手前美素(どどいつてまえみそ)

 やたらに暑いだけで曲(きよく)のねへ夏が秋にでへぶ食いこんで終わつたかと思つたら、もふ冬の気配ヨ。ことしァ陽気がのんびりしてるかと思やァ急に駆け出しやがる。お天道さまァわかりやせんなァ。

月入る山の端もなきながら、月の出待乳(まつち)江戸の秋

雲の御簾かけ姿を見せず、つれなざんすゑ宵の月

箸もつ身にはなつてはみたが、跡(後)がつづかぬ小身上
  ※花魁を三度揚げると馴染となつて名入り箸袋をつくつてくれたとか。高直(こうじき。高値)な箸についたやふですゼ。

黒衣装に白粉ぬつて、柳原土手夜かせぎ
  ※ドラマなんかで夜鷹というと長襦袢みたいな赤い着物ででてくるがありやァ嘘。

夜鷹殺すにャ刃物はいらぬ、雨の三日もふればよい

運がわるいよけころの姐さん、ふいの警動二度勤め
  ※江戸の比(ころ)上野山下(上野駅前広場辺)はけころの名所、素人嚊ァが前掛姿で袖引いてたそうで。

小雨しよぼふる肌寒宵は、肩をよせての小鍋立て

鳥渡(ちよいと)秋風ひと肌恋し、人肌ぬる燗ひとり酒

夜泣き来ぬかと町角立てば、裾をまきあげ空ッ風

ためと思つて別れてみたが、秋風ふけば思ひだす

土手の桜は枯れてゐるが、春のつぼみをふくらます

想ひ残して出る大門に、明ケの烏がアホと鳴く

二階で待てば梯子とんとん、猫が爪弾く柳ばし
   ※猫=者(しゃ=芸者)  ※二階=船宿の二階

曲げた袷工面でださにャ、風が身にしむ秋の宵
   ※曲げる=質屋にいれた、の意。しち=七=曲がる。
 
からすがカァで客は朝となり、女郎は夜で深寝入り

2010年10月24日 (日)

正朝宵仲蔵(しょうちょうよいばなし)

 五臓六腑のつかれがでたかどふも調子が悪くつていけねへト言つたら、今宵1023日は天保暦[1]の九月十六日で満月だつてえぢやねえかい。西洋にやァ満月の夜にや狼になつちまふ男がゐるッてえからおそれる\/[1-2]。そいだけ満月ハからだにわりひッてことだ。そんでも宵にやァ神楽坂でお楽しみがあるンでおでましいたしやしたのヨ。花魁ぢやァねへが仕掛は、藍大島の袷羽折に消炭色の平組羽折紐、袷小袖は黒地に黒の縞織に裏は勝色[2]の絹、長襦袢は丁子茶[3]の絽の単衣に鼠色麻絽半襟、根岸色[4]の平帯浪人結びに〆(しめ)黄楊(つげ)のくりぬき喜世留(煙管)筒に蟹づくしの漆絵革多葉粉入れぶらさげ二本差しの要領で扇子差し腰にやァ白皮に黒漆で釘貫文様の印傳小箱を印籠代わりにぶらさげ、おろしたての十文五分(25センチ)桐形紺足袋。自慢ぢやァねへがあつしの足は細身つくりヨ。馬鹿の大足まぬけの小足丁度(ちようど)いゝのがおれの足ッてネ。並形の下の細形よりさらに細い桐形。こいつゥ仕立てゝくれるンはあんまりありやせんでしよう。四谷武蔵屋さんのあつらえヨ。烏の雪駄[5]に蓑虫の鼻緒[6]。懐にやァふじ屋[7]のこの秋の新柄いちょう落葉白抜きちらしの黄染。江戸のむかしならさしづめうこん染ッてとこでやしよう。

 千代田のお城の濠ィわたる飯田橋のもぐら駅からすつぽん仕掛[8]で橋のたもとへとびだし、わたつて一丁も往けばきしめんの尾張屋。ハイごめんよト蛤きしめんぐいづくりでたのんますよト若衆(わかいし)へ。きしめんがかくれるやふに大蛤四ツに三ツ葉ちらした丼のお姿ァ先の冬いらいの出会い。やつぱり蛤ァ江戸の味。さつぱりしていて風味がありやすなァ。江戸のむかしァ江戸の鼻ッつァきの浜でいくらでもとれたンで特別のもンぢやァなかつたンだが、いまァなつかしい味になつちまいやしたのがさびしいが、冬場この見世にくりやァ出会えるのがうれしいぢやァござんせんか。

 遅めながら腹ァつくつといていざ神楽坂へ。遊子方言[9]ぢやァねへが息子株[10]にでも出会えばいゝ処につれてつてやろうトたぶらかして引ッ張つてやらふト思へどもそんな間抜きやァけふの神楽坂ァ歩いておりやせんナ。その代わりなんだヨ。着物姿の地女(ぢをんな[11])が三々五々。なんか集まりでもあつたのかねえ。辻を入り、鳥渡(ちよいと)往つてぴんころ石を青海波に敷き詰めた路地ィたどりやァ今宵の席、八百萬(やおよろず)。冠木門くゞつて小池をめぐる石畳。根じめはお約束の竜の鬚。二階が真打春風亭正朝師の今宵の席。ずいとあがりやァもふ席ァあらかた埋まりの大盛況ト言つても四十四人(しじゆうよつたり)だけの贅沢席。運よくめえから二列目のど真ン中に腰を落ち着かせやしたゼ。

 真打お披露目のときに贔屓筋がこしらえてくだすつたッて歌舞伎の定式幕[12]もじりを背に、そのめえに緋もうせんで高々としつらえた高座。さて出囃子もにぎやかに、はなの一席は勇み[13]の町ッ子が酔って浅葱[14]の武左(ぶざ。[15])(ぶざまの語源か)とさわぎをおこすッてえ落語。仲入りをおいて、先に薄鼠の対の姿から黒紋付に衣装をかえて師匠の登場。本日のお目当て中村仲蔵の噺ヨ。あつしァこの噺ァでえ好きでねえ。志ん生育ちだもンでCDなんて録音盤五十枚組百話の余も持つて、そんなかでもこの噺はなんべん聞いたか。聞くたんびに喉元が鳥渡あつくなる噺でさァ。今宵は正朝師の独演会だから、時間はたつぷりヨ。筋の運びのあいまに江戸三座の咄、お役者の位の咄だのいつち下ッ端がひとかたまりで出を待つ大部屋にはお稲荷さまが祀られてト師匠の咄で、合点(がてん)がいきやした。町人町の町名はちようと呼ぶのが江戸のしきたりなのに、なンで歌舞伎小屋のは稲荷町(いなりまち)か謎だつたンだが[16]、師匠の口ぶりで待つと町(まち。待ち)をかけてたのかァとネ。稲荷はご存じご商売のご利益ですもんナ。

 サテ噺の筋ィたどるやふな野暮はあつしァいたしやせんから、それが知りてへお方は師匠の高座へおみ足を運んでいたゞくとして、噺の一ッ目の山場、蕎麦屋の場ヨ。こゝで、通り雨にずぶぬれになつた浪人まがいの落ちぶれ旗本がとびこんできたその姿のよさに息を呑んだ仲蔵が、我を忘れて裸足のあしもとから床場[17]の銭がなくて無精のばしにのび水がしたゝる月代まで遠慮も忘れ無言で見詰めまわす、その間(ま)のとりやふにやァあつしァ思はず天窓(あたま[18])のてつぺんから二ノ腕までざわざわト鳥肌がたちやしたゼ。高座背景の定式幕もあつしのめえの席の客の天窓も、師匠の黒紋付も消えちまいやして、見えてるもんは仲蔵になり代わつてる正朝師の顏だけヨ。

 そんな鳥肌の一瞬が二度三度あつて最後の場、座頭團十郎におめえはやりそこなつたンぢやァねえおめえのやつた斧定九郎はこれからの歌舞伎の形に残るぜト仲蔵がほめられる段、こゝぢやァ鳥肌どころか泪がにじんぢまいやしたゼ。名人上手ッて詞がありやすがこふいうことを言ふンかもしれやせんナ。

【附(つけたり)】

[1]天保暦=唐から伝えられ千年以上にわたって日本で使われている暦。最後の修正が天保年間に行われたのでこの呼名がある。

[1-2]おそれる\/=江戸の流行言葉。閉口する、まいった、の意。浮世風呂「呑(どん)助さんのへぼ拳と、飲(いん)六さんの悪ふざけにはおそれるねへ」

[2]勝色=褐色(かちいろ)、搗色(かちんいろ)とも。濃い藍色。語韻が勝色にも通じ、武家が縁起をかつぎ武具や祝賀に用いた。歌舞伎・八重霞曽我組糸「宇佐美彌太夫…かちんの上下(かみしも)にて、大小高股立ち」

[3] 丁子茶=茶色がかった丁子色。くすんだ黄赤。浮世風呂「丁子茶から見ては、今の鼠や路考茶は近頃の物だっさ」

[4] 根岸色=根岸土で上塗した根岸壁のような色。緑みの灰色。根岸土は砂質の上等な上塗用壁土。

[5]烏の雪駄=薄墨色に染めた雪駄。普段履用。地味さが渋好みに好かれている。

[6]蓑虫の鼻緒=昆虫の蓑虫の巣を広げてつなぎ合わせて鼻緒に仕立てたもの。

[7]ふじ屋=てぬぐい専門店。浅草、浅草寺境内弁天山近く。

[8]すつぽん仕掛=歌舞伎花道にあるせり上がり。エレベーターを表すのに洒落で用いた。

[9]遊子方言=ゆうしほうげん。江戸期明和七年または八年正月に発行された洒落本。写実と滑稽で遊里を描く短編小説である洒落本の形をつくり上げた記念的作品。著者・田舎老人多田爺(いなかろうじんただのじじい)

[10]息子株=息子ぐらいの若者。裕福な商家など町家の息子でまだ遊びなれていない若者を指す。江戸語。

[11]地女(ぢをんな)=素人女。素人を白人とも書いた。江戸語。対語は玄人。

[12]定式幕=歌舞伎の三色の引幕。

[13]勇み=いさみ。勇み肌とも。地回りや鳶など。江戸語。

[14]浅葱=あさぎ。田舎武士、の意。地方から参勤交代などで江戸へくる武士の多くが袷の裏地に浅葱色の木綿を用いていたところから。江戸語。

[15]武左(ぶざ)=武左衛門の略語。田舎武士、の意。江戸語。ぶざまの語源か。

[16] 町人町の町名はちようと呼ぶのが江戸のしきたりなのに…歌舞伎小屋のは稲荷町(いなりまち)か謎…=上野と浅草の間に稲荷町と書いていなりちょうと称する町名がある。江戸切絵図などには、丁または甼の表記もあり、町区画が一丁(約100m)を一単位としておこなわれ、それで仕切られた区域を丁または甼(ちょう)、町(ちょう)と呼んだものと思われる。

[17]床場=とこば。髪結床の、意。正朝が本日の噺の中で用いた。江戸語。現代は方言として八王子、秩父、群馬、山梨南巨摩、長野上伊那、岐阜加茂、静岡、滋賀蒲生などで採取された。滑稽本・人遠茶懸物「武士が飛色ぞろひ 床場でいはぬ本田髷」

[18]天窓(あたま)=頭、の意。江戸表記。男は武士も町人も月代を剃って頭の上が空いていたからか。新吾左出放題盲牛「天窓(あたま)に血の多ひにまかせ、ちつと人が足でも踏むとモウけんくわにして」

2010年10月10日 (日)

戀満月宵地唄舞(あきこいるよいのぢうたまい)

 小雨の雷門で運よく空の流しの篭をひろい、鳥渡(ちよいと)しらしげ(白鬚)までやつてくんなト大川を吾妻の大橋、渡つて左へ墨堤通り。きのふまで真夏の暑さが居残り佐平治。なんぼなんでも洒落がきついッてものよ。仲秋の満月も腹はすえかねたか雲ォ呼んで雨ェ降らしそいでも長ッちり(尻)あげねへかと雷さんまで総動員して夏にひきとつてもらてやつとおでましひと肌恋し秋の宵。薄闇があしもとからはいあがつて来る中ァ足駄の赤樫の差歯御影の敷石にかん\/ト向島総鎮守しらしげの雨にけむる黒森にいせいよく響かせて贋南鐐一めえちゃりんと浄財箱になげこんで、二礼二拍一礼のご挨拶。こちらさんの御名は押上の隣請地村に都落ちしてゐたじぶんにやァ土地ッ子からァよく聞かされた名のある神様。素通りはなるもんぢやねえンで五十年ぶりに果たした義理、なんか長年の胸のつかえがおりやしたヨ。石の鳥居くゞりぬけ小道を半丁も往かねえうちに今宵の仕舞屋(しもたや)四畳半の座敷が舞台。百目蝋燭一本燭台に燈し、部屋の向うふた角にやァ蝋燭しこんだ小行燈二ツ。天井の野暮な西洋電灯消えるくれへに絞り込み、そこで流れる小簾の戸の地唄。「浮草は、思案のほかの、誘ふ水、恋が浮世か、浮世が恋か、ちょっと聞きたい、松の風。 この調べにのせて涼しげな白砂青松絽の友禅か金扇ひらいてしずしずと舞う今宵の花の師匠。和蝋燭の光受け、受けた以上にきらめく金扇の輝き。日本の金は木蝋の光で命をあたえられ、金扇は師の舞で命をあたえられ、「問へど答へず、山ほととぎす、月やはものの、やるせなき、癪(しゃく)にうれしき、男の力、じっと手に手を、なんにも言はず、二人して、吊る、蚊帳の紐。やるせねへ唄の文句と座敷のほのかな蝋燭の光。いやがおうにも深まる宵ヨ。降り続く雨はやらずの雨か。
 ふた曲目は、鐘は上野か浅草かゴォォンと鳴つってはじまる、またも悩まし閨の扇。「閨の扇はなあ、みんな絵空事。「逢うて別るる事こそつらや。「秋の扇と捨てられて。はかなき女ごころをしつとりと。江戸の中比(ころ)地唄舞が上方ではじまつた当時そのまゝ燭台にともした蝋燭のほのけき灯りのなかで金扇ひとつで想ひのたけを内に秘め、ひつそりと舞ふ。ときおり畳をする足袋の音、軒打つ雨のしずくの音。葉月(八月)十六宵(いざよい)、西洋歴9月23日、いまは遠い江戸の宵、お大尽の向島の寮の宴席で眼福に授かつたこころも

Cal9yspl

ちヨ。

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