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2010年3月27日 (土)

味競美家古握鮨(あじきそいしにせのにぎり)

 辰巳より仇な風ふき墨堤の桜咲いたか往く春に鳥啼いて魚旨し[※1]。魚へんに旨しとくりやァ誰がなんてッたつて鮨ッてことにならァな。鮨と言つてもいさゝかいろ\/ござんす。熟鮨(なれずし)押鮨笹鮨柿ノ葉鮨に稲荷鮨トありやすが、江戸ッ子が鮨と言やァ彌助(やすけ[※2])に決まり。ひらたくい言やァ江戸前の握(にぎり)ヨ。で、往きやしたよ。浅草寺境内辰巳の外れ弁天山美家古(みやこ)鮨。こゝんとこなにかッてへと春は貝だねなんてしと(人)ォあおるやふな咄が耳にへえッてきやがる。貝は餓鬼時ぶんから好物ヨ。味噌汁の実ならしゞみ、浅蜊ンときァ椀に山盛にして貝の間に味噌汁がもうしわけにちやぷついてりやァ文句ハござんせんッて口ヨ。蛤ァ炭火で焼いて口ィあいたら醤油鳥渡(ちょいと)たらしてふつふつの熱いとこ喰ふのが大の字つきの好物。さゞえは悋気で角ばかりト。こいつァ炙って身ィひきだし、賽の目に刻んで三ツ葉を散らし貝を小鍋に見立てゝぐつぐつッと湯気ェ吹いてンのォふうふういゝながらつまむ味ッたらねへネ。鮑の片想ひハ甲州煮貝。ひんやり冷やして薄く切り冷や酒のあてヨ。サテ美家古に乗り込み付け台のめえに席ィしめ、浅茅(あさじ)ィ握つておくんなト握十貫[※3]を誂える。江戸の町ィできるずつとめえ浅草ハ浅茅ヶ原ッてへ草茫々の地だつたそうで、それに因んだ名前ぢやァねえかとあつしァ踏んでおりやすのヨ。飲物は茶。酒も麦酒も鮨ぢやァ呑みやせん。鮨屋は鮨ィ味わう処(とこ)。酒のかたわら鮨ィつまんぢやァ舌がにぶりやすッてへものヨ。蕎麦は最初の一口から最後のひとすゝりまでぜんぶ蕎麦だし蕎麦つゆァ濃いめの汁だが、彌助ァ一ツ\/ねたが変わつて香りも味も違う。そこォ味わうが彌助の旨さ。トくりやァ酒ェ呑んぢやァいけねへとあつしァ思つてンのヨ。一ツ目が出されるめえにガリ[※4]ィ鳥渡かじつて茶ァちよいすゝりで口中清涼にして待つネ。美家古の大将は静かだからねえ、握もすッと出しますヨ。ヘイお待ちィなんて駕籠舁(かごかき)が寝てる客ゥおこすやふな大声ださねへ。ひらめの昆布締でございますトしとやかだヨ。続いて真鯛でございますッてネ。どつちも煮きりィ塗つてある。手のひら上にしシャリの両脇を人差指と中指ではさみィ親指で軽くねた[※5]ァ上からおさえ、そのまゝ手首ィ返して口ン中。ねたァ皿にして口ィはこぶンで、ふんわりのかるい握もくずれねへし、ねたの味わいが真ッつァき[※6]に舌にくる。サテ三番目ハこいつがおいらのしくじりヨ。ずつとご無沙汰の彌助だつたもんで二才[※7]の若造ぢやァあるめへものを気がせいてろくすッぽ味を楽しまねへうちに喰ッちまつて、その流れで三ツ目もヨ。白身の魚に煮きり。鯛より脂があるまでは憶えてゐたが名ァ鳥渡ぼけやした。四ツ目は赤貝。こいつが喰いたくてねえ。肉が厚くッて歯ごたえがよござんしたねえ。赤貝の旨味ァ噛みしめるときのこのざく\/とした歯ごたえヨ。じつにいゝねえ。これも煮きりを軽く塗つてある。五ツ目は才巻海老[※8]。これも煮きりィさッと一はけ。海老ァこのくれへの大きさまでだねえ。身がシャリからはみでていねへ。でけえの喜ぶのは権兵衛[※9]ヨ。六ツ目は煮いか。するめイカを煮てつめェ鳥渡塗つておくれサ。つめの甘味と柔らかく煮た肉厚のいかの身。たまらねへネ。七ツ目ハこはだ。甘酢と煮きりとが一体になつてこいつも深い旨味ヨ。八ツ穴子のほんのりあつたか白焼きにつめをさらりと一垂らし。箸休めみてえに舌先の味わいが変わつて大将の番付の工夫が見事だねえ。大とりの一ツめえ、九ツ目は味の強いまぐろの漬け。たわめた醤油ッ気がまぐろの脂ッぽさおさえて軽い渋みとないまぜになつていゝ味わいヨ。〆は玉(ぎょく)。玉ゥ喰やァそこの見世の腕ェわかるッてえくれへのもんとむかしから言ひやすナ。鶏卵(たまご)焼ァきれえだなんて子どもの喰いもんだと勘ちげへしてる向きィおりやすが、そいつァ江戸知らず。いまの投げ売りの卵と違つて江戸どころか東京の四五十年むかしまぢやァ病にでもなンなきやァお目にかゝれねへッてえくれえのお寳だ。こいつの握ァ食べやすく半分に包丁いれてだしておくれヨ。サテこいでお別れおなごり惜しい。別れ手切れに赤貝もふ一つ。さく\/と歯ごたえ楽しんで、ハイごちそふさんト馬道へ。

【附(つけたり)】
[※1]往く春に鳥啼いて魚旨し。本歌「行く春や鳥啼き魚の目は泪」芭蕉・奥の細道。
[※2]彌助(やすけ)。歌舞伎「義経千本桜」が大当たりをとり、その三段目の鮓屋(すしや)の場、彌助鮓から江戸では握鮨の別称となった。
[※3]十貫。握鮨の数え方。弁天山美家古では一つを一貫と数えるので十個である。異説に、江戸で生れた握鮨は当初おにぎりのように大きかったので包丁で半分に貫き二つにしたとするものがあり、それで鮨屋では同じ種の握を二つずつ出しそれを一貫と称する習慣が永く続いていたとも言う。
[※4]ガリ。鮨職人間の隠語。生姜の薄切りの甘酢漬け。美家古のものは生姜色で他店で多く見られる桃色の色付けはされていない。
[※5]ねた。鮨種の種の倒語。元々は香具師仲間の隠語。商売道具、商品、の意。弘化三年・魂胆夢輔譚「そりやァ肝心のねたァ痛めちやァ、此天蓋の張つて居るにあをられるゼ」 倒語、前部や後部の省略は江戸の通人がよく用いた語法でもある。
[※6]真ッつァき。真っ先。
[※7]二才。歳若き男、未熟者、の意。それを強めた語が青二才。寛政二年京伝予誌「こいつはまだいつこふなにさいゆへ、すこしはにかみ」
[※8]才巻海老。一説に、鞘巻(さやまき)の訛とも。車海老の異称とされるが、車海老の中でも小振りのものを呼ぶことが多いように見受けられる。寛政初年。玉の蝶「なま貝をよしてトさいまき(車海老)を長蓋(ながぶた)のつみあわせにしよう」
[※9]権兵衛。田舎者の異称。文化六年浮世風呂(大意)「権兵衛(ごんべゑ)が褄褸(さしこ)から八兵衛が羽二重に移り」

2010年3月18日 (木)

【小道楽】布鞘付女持銀延喜世留(ぬのさやつきめもちぎんのべきせる)

Photo

 多葉子[※1]といゝ仲になつたァ十七の春。きつかけは鳥渡(ちょいと)背伸びしたできごころ、一度火がつきやァ野火の広がる勢いで、気がつきやァじきに深間にはまつて切れぬ縁。思ひ返しやァそのもとは、洟たらしの餓鬼時ぶん、葉巻洋喜世留[※2]くゆらす親父の膝にまとわりつき、そのけぶ(煙)の薫り酔いしれてはやく大人になつてこの多葉粉、吸いたいもンと願つたがはまる元。その縁も初めがありやァ終りがあるがものゝ道理。丁度三十路半ばの三十五、十八年の腐れ縁あばよとすッぱり切つてゐたものが、なんの因果か信州松本お城下ふらりとたちよつた骨董屋の見世の中、きらりと光る南鐐(なんりょう[※3])一筋。つい手にとつたが運のつき。見世の女将ァ水性[※4]か、旦那がそこにゐるから値切つてごらんなトけしかけやがる。えェィしゃらくせへ、そう言はれてヘイさい(左様)ざんすかト値切れるお兄哥(あにィ)さんとお兄哥さんがちがうんだ。こちとら江戸ッ子よ、ものを値切つて買うよふなけちな真似ァしねへンだ。五十のものなら百、百のもンなら二百と気前をみせる男伊達ヨ。見損なうねえ。コウとッつァんこの銀延べァなんぼでえ。ヘイお客さん引きもしなけりやァ掛値もありやせん一万ぽッきりでございやすヨ。なんでえ一万両かいこいつァ下直(げぢき[※5])だ。釣やァいらねへよト縞の財布からたつた一人居残りしてた福沢の諭吉ッつあん引き出して別れ盃かわす間もなく親爺の手。泣きの涙ァかくして忍び泣き。これでとうぶん諭吉ッつあんの面ァおがめねへ。トふところにして戻つたがこの銀延べの喜世留。女持男持はどこでわかる。吸口に脂止(やにどめ)がなくすつきりとした造りが女持とか。口をあまりあけずに吸える工夫、多葉粉でも吸おうかッてえ粋な女を不細工にしねへ粋な細工ヨ。この銀延べが焼け棒杭(ぼッくい)に火。切れてた縁が多葉子とつながり、三原山ぢやァねへけれどときどきけむ(煙)はく始末。サテこの女持、対になつてた布鞘は帯地仕立。もと呉服問屋の倅ッてお人がこの織り方ァいまはもうありやせんとなつかしそうになでさすつた幻の帯地。同色の糸で宗丹の刺繍。もとの持主ァ粋な姐さんだね、長さ七寸の女持ィいれて帯の左ィ縦差しにしてゐなすッたんだろふねえ。わけえときァさぞお奇麗な男殺し。そんな姿ァしのばせるすつきり仕立の喜世留でござんす。

【附(つけたり)】
[※1]多葉子。たばこ。江戸時代の江戸では多葉粉の当字が洒落として行われていた。それを女名にさらに洒落た。
[※2]洋喜世留。パイプを洒落て当字に。
[※3]南鐐(なんりょう)。純銀の意。
[※5]下直(げぢき)。安値の意。高値は高直(こうぢき)。共に江戸語。

2010年3月16日 (火)

偲日向子箱入焼海苔(しのぶすぎうらはこいりやきのり)

 ひと月ほどめえのことヨ。ともどち(友だち)のちの字の兄哥(あにィ)がこれからァ着流しで洒落るッて言ふンで浅草の男もんの支度あきなつてる見世ェ素見(ひやかし)てあゆンだ(歩んだ)けえり、並木ィくりこんでいつぺえやつて蕎麦ァたぐつてしめえ(仕舞い)にするかと二人で藪ののうれん(暖簾)くぐつたのヨ。とりあえずぬる燗一本、それに板わさに焼海苔ッていつもの伝でたのんで、ハイお待ちト卓ゥとどいた焼海苔みてあつしァ涕(なみだ)ァこぼれそふになりやしたゼ。まだ真ッさらな白木の小箱ン中に焼海苔が仕込んであンのヨ。下にやァお決まりの炭火。これだぜェ。欲しかつたのはヨ。あつしァ藪、それも並木の贔屓ヨ。でもヨ。その並木にひとつたりねへもんがあつた。それがこれヨ。いまゝぢやァ焼海苔ッて誂えると、皿の上にあぶつて短冊に手切りした焼海苔がのつてゞゝくる。それはそれで悪くァねへが、ゆつくり呑んで海苔ィかじつてるうちに、しけつてくるやふな気ァするし、なんか風情がものたんねえぢやァねえか。だろう。めえに赤坂の洋旅籠(ホテル)の一部屋ァ仕事場にしてたンだが、目と鼻の先に砂場の出見世があつて、昼にたぐりにいくと暇な野郎なんかが、めえに置いた小箱の引出しあけやがッて海苔ィいちめえでえじそふに引出してちま\/しみつたれてかじつてやがんのサ。こちとらその時ぶんァまだ世間さまから頼まれ仕事のある身だつたからお天道さまがおでましになつてる昼のさなかに酒ァ呑めねへ。蕎麦ァ大急ぎでたぐつて腹ァつくりながらそんな洒落たまねする野郎横目でにらみ、待つてやがれそのうちこつちも娑婆からほされて晴れて百隠居[※]の身になつたらその炭火仕込みの小箱の焼海苔かじつてやらァと思つたもンヨ。それがひよつこりこの並木の藪におでましサ。砂場は小引出しだが、こつちは蓋ァあけると中ァ底に美濃紙貼った小箱になつてゐて短冊の海苔が入つてるッて趣向サ。炭火はいつち底にあつてそのほのかな熱で海苔はいつもぱり\/に乾いてるッて仕掛。炭火の熱気逃がしに箱の横ッ面にやァ霞の三筋の透かし彫り。粋なもんぢやァねえか。やつぱり並木ァやるこたァちがうネ。あつしがおいらの本性は江戸の血ィ引いてると気づきそのお江戸へ還りてへと心底思はせてくれたァお人は杉浦の日向子師匠ヨ。あのお方ァさつさとお江戸へお引上げになつちまつて、いまァ比(比)は川向こうの向島の寮なんかで喜世留(煙管)のけぶ(煙)ゥぽわッてなんて吐いてけふ(今日)もひまだねへなんて小僧の定(さだ)なんかにあくびの指南でもしなすつてるンぢやァねへかねえ。お戯作にお書きでやしたもんねえ。浅草にくると自分の日曜みたいなもんだとネ。そいでもつてこの並木の藪で焼海苔ィ小鳥のよふにちび\/ついばみながら盃傾けるのがいつち仕合ッてネ。そんときにこの焼海苔小箱があつたらなァ。せめて日向子師匠に此処でこの小箱で焼海苔ついばまさせてやりたかつたなァ。あつしの奢りでサ。

【附(つけたり)】
[※]百隠居。百文ぐらいしか使わないけち、貧乏な隠居。安隠居。百旦那の語もある。布施を百文しかしない貧乏檀家。

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