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2010年1月19日 (火)

風流山寒天小唄(ふうりうゝへのさむぞらこうた)

 先の師走の三日、ちか比(頃)馴染みの西洋暦で言やァ正月17ンち。上野桜木町の丘にィ登つたとおぼし召せ。この辺(へん)ァ江戸の比ァ百姓地と武家屋敷に寺の混ざり合い。道筋ァてえしてかわつちァゐねへ。千駄木の地べたの下の駅から、ひよつこり出ればその名をきくも醤油の香り芳ばしい團子坂下。四ツ辻の角にやァ千駄木梅屋敷があつたは江戸の咄。いまァその面影はねへ。脇の蕎麦屋のゝうれん(暖簾)はねのけて、ずいとくゞつて閉じィぐい造りで出してくんなト内儀に一声。あつ\/のとじ蕎麦ずゞつと啜つてとびだしやァなんと間のいゝめぐりん乗合[※1]のお出迎へ。まがいの百銀[※2]ちやりンとほうり、運ちやん桜木の吉田の酒屋までひとッ走りやッツくンな。だんなァおからかいはすかねへヨこれは乗合黙つて乗つてりやァいやでも元吉田屋酒店の停留所に着きやさァそしたら脇の牡丹(ぼたん[※3])を押してくれりやァちやんと停めてあげやしようよトは一言も言はねへが心得顔の運ちやんに行先ゆだね、車上の人となりにけりヨ。別嬪母娘(はゝこ)菊見煎餅邪険にもとつこして[※4]、此処らは美形の産地か笠森お仙の碑のある大圓寺やり過ごし、三崎の急坂二ツ三ツと停留所、やがてその名も婀娜(あだ)な下町風俗資料館、酒肆(さかや)吉田屋前。ありがとよト飛び下りりやァそれらしき粋な黒髪結い上げてやわらかもンに身を包む仇な大年増が前庭でお出迎へ。けふは谷中小唄めぐりの第十七回。粋な喉を花代木戸銭なしでおきかせくださるッてえ太ッ腹。ありがた山(やま[※5])ヨ。こゝんとこ滅多やたらの大寒(おほさむ)小寒(こさむ)。地はねず([※6])と洒落て鉄紺と錆色の細縞お召し真綿仕込の丹前仕立。帯はおなじく鉄紺と櫨色(はぜいろ)の昼夜帯。櫨を表に片ばさみ。焦茶紬の角袖はおり足元ハ桐形[※7]紺足袋蓑虫鼻緒[※8]の烏の雪駄[※9]。黒からねずに匂う[※10]襟巻にすつぽり素ッ首うずめて寒にまけぬ仕掛でございトくらァ。吉田屋は大正に建つたもんとか。ガラスがはまつてンで江戸ぢやァねへが、そいでも匂いは江戸の町家。三間通しの分あつい梁、削節みてへな薄ッぺらな板ァのり付けで厚みだしたベニヤなんか微塵もつかつちやァいねへ。そこがうれしいぢやァござんせんかい。家ッてのハ実正(ほんと)の木でつくるもンよ。その吉田屋の板間にならんだ年増美人お二人さん。糸は春日とよ美輪、唄は春日とよ小宏の両姐さん。聞手も客は土間から見世先まで、椅子だの床几だのを並べてほぼ満席。あつしはふだんの心がけがちがうから、めえから三列目一応軒下の屋根がある床几に陣取ッて拝聴におよびやしたが、心がけのわりい(悪い)奴ァ見世先の青空席。信州信濃の諏訪湖の寒天干しか、看板の黒法被[※11]にふんどし一つで尻に粉(こ)ォふく旗本奴の寒晒[※12]か、寒天の下できく小唄ッてえもんも乙粋ッてもんヨ。めえからハちんとんしやんと江戸で生まれて磨かれた三味の音(ね)小唄の文句、背には平成自動車ぶうぶう。仲をとりもつ真ッつァオ寒空。曲目は春を祝つて門松、竹になりたや、嵐山、降る雪に。〆は粋な名文句、吉三節分。その出だしを鳥渡(ちょいと)抜き書きいたしやしよう。~月も朧に白魚の かゞりもかすむ春の夜に 冷たい風もほろ酔いの 心持ちよくうかうかと うかれ烏のたゞ一羽 塒へ帰る川端で 棹の雫か濡手で粟。ヘイまたこんどのお楽しみ。

【附(つけた)り】
[※1]めぐりん乗合。台東区循環バス。大人100円。北、東西、南の三路線がある。http://www.city.taito.tokyo.jp/
[※2]まがいの百銀。100円硬貨を洒落て言った。
[※3]牡丹(ぼたん)。江戸後期、ボタンが西洋から入っており、牡丹の字があてられていた。      [※4]とつこして。通り越して、の意。
[※5]ありがた山(やま)。江戸後期、通人などの間での流行言葉。「ありがとさん」の「さん」を「山」の字をあて、それを洒落で「やま」と訓読みしたものか。
[※6]地はねず。この上野桜木町から西に下ると根津へでる。鼠色と根津の掛け言葉。
[※7]桐形。四谷むさし屋の既製足袋で足幅がもっとも細いもの。並、細、桐がある。
[※8]蓑虫鼻緒。昆虫の蓑虫の袋を広げそれを接ぎ合わせて作った鼻緒。
[※9]烏の雪駄。薄墨色に染めた雪駄。
[※10]黒からねずに匂う。かつての日本ではグラデーションを匂うと表現した。黒色から鼠色までグラデーションに染めてある生地。
[※11]看板の黒法被。大名旗本などの奴は主家の家紋を白抜にした黒法被を着ていたので、それを看板を背負うと言った。
[※12]ふんどし一つで尻に粉(こ)ォふく旗本奴の寒晒。※11のように旗本奴は寒中でも上は黒法被一枚、下は褌一つで通し威勢のよさを誇っていたが、その尻に白く粉を吹くさまから世間では奴の寒晒と呼んだ。

2010年1月 7日 (木)

総見立侘茶(そうみたてわびのちや)

Photo  身がやつれ水指ひとつ持つて立ち上がれもしねへ体たらくになつてかれこれ四年、きつぱりあきらめた茶ごころがぢいさまの井戸や伊羅保の茶碗がめぐりめぐっての嫁入を縁に天窓(あたま)ァもたげてきやがった。茶は釜ひとつあればできるものトおつしやつたと聞きやしたが、いまやその釜さえねへ苦しい身。山隠の庵を畳んで江戸の里へ下るとき、炉は茅屋ごとしと(人)にゆずり、釜は使い古しを探してたお方がゐなさるッてんでもつけのさいわいやつれた朝鮮風炉を付物に片づけ、身軽になつての山くだり。
  いざさらばはぐれ椋鳥江戸のぼり
 この霜月(十一月)の上旬、西暦で言やァ師走になりやすが、京橋水谷町(現銀座一丁目の一部)の骨董店(たな)で目にとめた小振りな水屋箪笥。そいつがけふの昼の午ノ刻(12時)めえにとゞき、据えてみりやァ目にやさしい総体桐づくり、部屋がしつくり落ち着きやした。立ち居まゝならぬぢゞい茶に洞庫の仕掛けがあるッて聞いてるんでその代りに見立てやふッて魂胆ヨ。なんでも茶ノ湯のはじまりッ比(頃)にやァこもりッてェ洞庫のやふなもんをしつらえてゐたッてんで、これを見立てたつてまんざら悪くもなかろふッて腹サ。炉の代りにやァ長火鉢、釜の代りは鉄瓶。なんでもかんでも総体見立仕立ての茶ト澄ましこもふッてェこゝろづもり。サテどんな茶が点つものやら。手前順序はうまく運ぶやら。先ァ破れかぶれの点てたとこ勝負の茶あすび(遊び)。根岸の隠居よりァちッたァましな茶が点つンぢやァありやせんかい。

2010年1月 5日 (火)

虚白波天軸(うそしらなみてんのにじく)

Photo  時代おくれの天保暦(太陰太陽暦)ですごす江戸者だがァ新暦との付き合いも娑婆の義理。正月の寿(ことほぎ)の真似事にぢいさんゆずりの鶴の軸ゥ薄ッ床にかけるヲ仕来りにしてきやしたが、よる年波か大儀となりこの二年ばかし手抜きですごす西洋暦の新正月。思へば軸の函への防虫香もいつ入れたものやら思ひだしもできねへ。代々伝えてきたものをあつしの代で蟲の飯にしちやァ面目が立たねえト銀座の鳩居堂で買い求め、いざ軸函に投げ入れんと思へば、こりやァなんと。その函が煙のごとく消えてねえ。池辺に立つ雄鶴雌鶴の丹頂鶴。はてなト小首かしげて思案すりやァさらなる一軸寒汀の木(ぼく)に一羽とまりし鶺鴒図も消えてねえ。ハテ面妖な。
 思ひおこせば二年とひと月めえ。永の山隠暮らしの庵ひきはらい、残りの命ハ江戸ッ子修業と腹ァくゝって市隠になるべくお江戸へ舞もどってはきたものゝ、聞けば引越稼業の手を煩はせれば、火事場泥ならぬ引越泥を決め込まれることもなきにしにもあらずトの咄。その白波の早業かゝげもかたちもありやァしねへ。鶴の図描きしお絵師と鶺鴒のお絵師は野口幽谷の兄弟々子。ぢいさまハその鶴のお絵師の旦那衆の一人。そんな誼(よしみ)の二つの軸。盗まれたとあッちやァ分別盛りの倍の六十路半ばすぎとハお笑いの恥ィッつァらし。穴があったら入りてへ思ひ。狭いあばら家納戸の隅から隅まで引ッかきまわしそいでも軸函の半ぺらもでてこねへ。天窓(あたま。頭)ァひねッてゐる内に他にも消えたがある。有田深川製陶青磁染付掛分角皿二枚。こいつも引越泥の手にかゝったか。煙となったか霞と消えたかゝげもかたちもありやァしねへ。半日騒いでどふにもならず。仕方がねへト観念し町奉行にお畏れながらト訴えでるかと腹ァくゝり、腹ァしたゝめに支那蕎麦屋。嬶(かゝァ)いまァけえッたと破戸明けりやァおまいさんあったンだよト。なにあったト。そりやァ皿かト問へば軸だよ見てごらんそれらしいもんが天袋に。脚立々てるもゝどかしく、ふるえる足元背伸でのぞく天袋。オゝまごうことなき軸二本。むかしのしと(人)ハいゝこと言ふねえ。七度探して人を疑えッてネ。すまねへ引越屋のお兄哥お姐さん。あつしの早とちりに呆けヨ堪忍してくんねへ。よかった\/と安堵の胸ェさすったが、納戸探しの大家捜しでもついに姿隠したまゝの掛分角皿二枚。どっかでお見かけになられたら、達者でゐたぜとおせえておくんなさいナ。

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