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2009年12月25日 (金)

美々卯牡蠣蕎麦(なにはのかきそば)

 当世は銀座一丁目、その中でも銀座の中央通りと昭和通りの丁度中辺(なかへん)、高速道路の高架の股ぐらくゞって行ったと思ひねへ。江戸のむかしならこゝァ掘割。千代田のお城の堀と大川(隅田川)をつないでおりやして、手前銀座側の一角ァ白魚(しらうを)屋敷。お城のお台所にお納めする白魚だの小魚をとる漁師たちの住いヨ。堀割わたる橋が中ノ橋。そいつがいまじやァ埋立られてたゞの地べたサ。高速道路下の手前にァ湯屋の銀座湯がいまァできておりやして、銀座でお店もんの手代風情だった比(頃)ァかきもしねへ汗ェ流しに抜けだして行きやしたネ。海草ヨードの珈琲色。江戸ッ子の烏の行水で浴びてきても体ァ芯からあったまるッてェありがたもんヨ。咄ァもどって高架くゞりやァいまの丁目で京橋三丁目、中央通りの方へ鍵の手に曲がって鳥渡(ちょいと)ぶらぶら。これが蕎麦屋かってェ豪勢なたてもん(建物)が左手にあらァ。そこがけふの目当て、美々卯(みゝう)。此処で中食(ちゅうじき)ィやらかそふッてのが狙いヨ。こゝの親爺もへそ曲がりだねえ。浪速の見世なのに、蕎麦ァやってやがる。大坂ッてへばうどんが通り相場。そいつがおもしろくねへ。人とおんなじもんぢやァ男が立たねへト言ったかどうかは知らねへが、いっそ蕎麦で名ァとってやるッてンで、お江戸へ出張(でば)って来たンだらふ。そいでも転んでもたゞァ起きねへ浪速の商人(あきんど)。江戸幕府お開きンときに家康さまが上方なんかゝら商人を呼んで見世ェひらかせてからッてへもの、ずっと上方伊勢近江の者の町になってる日本橋銀座の間京橋にかまえるなんてのハちやんと十露盤はじきのお手玉。けつね蕎麦、焼き穴子蕎麦、なかなか隅におけねへ蕎麦ァ喰わすンで、ずっとめえから時折鼻ッつァき(先)つッこんできたんだが、けふハあの跡(後)引つゆの味ィ思ひだし、久々にのうれん(暖簾)をくゞったッてェわけサ。美々卯はいつきても造作のよさに目がゆくねえ。床、柱、卓。サテ穴子蕎麦ト思って鳥渡脇ィ見たら目にへえったのが牡蠣蕎麦の四文字(よもじ)。冬は牡蠣ィ喰はねへとネ。姐さんそいつヲぐい造りで持ってきてくんな。茶が出て、おしぼりが出て、つぎに貝杓子を突っ込んだ朱塗の小さい木鉢。こゝらがうれしいねえ。プラなんて紛いもん使はねへヨ。それにおろし生姜と刻み青葱の薬味皿。ちょッとすりやァあつ\/がハイお待ちとやってくる。一面の若布の海に牡蠣が見え隠れ。蕎麦の姿はござんせん。いちど山ン中の白人(しろふと)擬(もどき)の手打蕎麦屋でもりそばの横ッちよに若布の山ァそえてあンのに出ッくわしたが、ありやァあつしァあやまッたネ。蕎麦ァ山のもん、そいだもんで敵娼(あいかた)に海のもンあわせるッてのは八寸の思ひいれでわからねへでもねえが、茹でた若布ェ蕎麦つゆつけてたぐっても旨くもなんともねへ。サテ美々卯の牡蠣蕎麦ァいかゞッてネ。おろし生姜ァちょんちょんト撒いて、青葱の繊切りを処々に散らし、柾(まさ)の太割箸を構えてあつしァどっから喰ふか。まずつゆをすゝったね。えへへヨ。さうしといて若布をたぐる。山の若布たァおほちがひ。うめえのヨ。ぷっくりとふくらんだふくら雀みてなあつあつの牡蠣ィふうふう吹いて頬張る。やっぱり美々卯さんだねへ。臭みがねへ。場末の蕎麦屋なんぞで喰ふと鉄くせへ匂いッてッか味がすることがありやすが、そんなもんは兎毛(うのけ)で突いたほどもねへ。若布ェかきわけ蕎麦ァたぐりだす。案の定ヨ。蕎麦ッて言やァ腰だが、そいつがねへのヨ。ふにやりとやわらけへ。あつしら年寄にやァ楽でいゝヤ。おろし生姜が合うねへ。お江戸ぢやァこの工夫はねへネ。あつあつの蕎麦のうえに生姜だ。あったまッて汗がでてきやがる。根性なしの蕎麦ァたぐって、若布すゝって、牡蠣ほおばって、貝の蓮華でつゆ一口。これをくりかえしてゐたら、腰砕けの蕎麦の引算しても、釣がごっそりくるくれえ旨かった。仕舞いにやァ気づきやァ丼かたむけつゆを呑んでおりやしたゼ。上方ァこわいねえ。

2009年12月15日 (火)

縁泥鰌日夜宴会(えにしのどぢやうひごとのさかもり)

Photo  その名もめでたき大江戸(おほゑど)地下鉄線深川ハ清澄白河駅ィ階段とん\/と上りャいまァ夜船の洒落か白河一丁目と世を忍ンでおりやすが江戸の比(頃)ァ海辺大工丁(町)。のぼる坂道鳥渡(ちょいと)すべる雪駄ァだましつゝわたる高橋ハその名のとおり平成の御代(いま)も高い橋。こいつァたかばしと濁るが知ってッかと江戸通ぶった半可通が知ったかぶりの鼻高々。橋柱の表札にもにごって書いてある。江戸は安政五年改正の本所深川絵図を見りやァ高ハシとにごっちやァいねへ。だからこっちが正しいと思ったらこれまた早とちり。江戸ッ比ァ濁点はふったりふらなかったり。実正(ほんと)ンとこはその比の土地ッ子に聞かなきやァしれんへものサ。高みの高橋欄干越しに眼下でよどむ小名木川。待ちねへ早まるなト襟首つかんで引き戻し、えェいしゃらくせへ持ってけ泥棒ッて切餅ふたッツ(五十両)ぶッけてくれるおちょこちょいもゐねへから、橋ィ渡りまたとぼ\/と雪駄ァ引きずって坂ァ下れば高橋の町名いまァ名乗っておりやすがむかしァ太田摂津守さまの下屋敷。その跡のいっかく黒板塀に千本格子伊せ喜のゝうれん(暖簾)くゞりゃぷんと鼻つく割り下の香り。伊せ喜の喜の字は七の字三ツつんだが屋号だが、文字しらずの電脳函にやァそいつがねへ。喜の字で間に合わせておくンなせへ。比ハ天保暦神無月(十月)廿一ンち、西洋かぶれのご維新政府が真似ッこしたローマ法王グレゴリオ暦で言やァ12月8日、暮六ツすぎに伊せ喜ィあつまってどぢやうでいッぺえやんねへえかいのお誘ひ。勧進元は江戸町方の暮らしのさまを人形に写しとる岩雪姐さん。集まるお方ァ姐さんのほかァあっしァどなたも様もおよろしくの初見参。一人二人とあつまって総勢五人。思ひ\/の鍋あつらえ、まず麦酒で喉ならしはいつもの伝。お跡(後)ハこれまた好き\/にぬる燗あつ燗烏龍茶。宴もたけなわ咄がはずみ、飛びだしたのがなんとあっしが十五年もくすぶッてた銀座のお店(たな)の名。向ひの席ィしめる旦那がそこにゐたッてえのヨ。びのツくりヨ。世の中ァ狭ひたァきいちァゐたがこんなにせめえたァ油断がならねへわい。ご本名はト聞かれて名乗る野夫(やぼ)の始末。思ひだしやしたの内ァいゝが、賀状もらったことがありやすトなって、そのうち一緒に酒呑んだことあるトまで言はれ、そいでもこっちは思いだせねへ大ぼけの体たらく。参りやした。喰ったのハ柳川にきゃべつの浅漬け鯰鍋、鰻白焼丼で〆。ごッつォさんト夜の町。宵のほろ酔い川風まかせわたる高ハシ小名木川、瓢箪から駒とハ今宵のことサ。
 中ァ三日おいて廿六ンち(12月12日)、こんどはどぢやうハどぢやうでもどぜうの駒形で昼の酒盛りやるべえト卅年ぶりにこの夏に会った姉二人と年忘れ。江戸ッ比(こ)ッからいまのいまゝで駒形の町名一筋の駒形一丁目駒形どぜうの暖簾真ッぴるまにくゞって下足番。草履二足に雪駄一足あづけて上がる。一階檜の大長板お敷代わりどっかと腰据へ助六まがい濃色(こきいろ)風呂敷から用意の九谷芙蓉染付、四角の隅切り八角盃。祖父の遺愛幕末流行のちょい深形。欠けて金蒔繕い三度飛脚の笠ぢやァあるめへが三度のくりかえしに切られ與三の金の筋目が染め付けの青と映えての風流景色。持ち込み盃になみなみと注げば、酒の面にやァ全盛荻窪辨天荘の建物庭石樹木離れ鯉が泳ぎめぐりる湧き水の池の中あやめ咲くとはしおらしやその水面のきらめきを小窓障子に映す池畔の二畳台目囲い。姉が失った五十年六十年の荻窪の寮(別荘)の思ひ出。縁側で独り酒汲むいまは亡き祖父の後ろ姿は反魂香か盃か、ゐるがこゝちに瞼に浮かぶ。辨天荘もいまぢやァ杉並区の保存公園博物館。地形(じがた)は残り、学芸員がついてうちの寮跡と保存してくれるッてへありがてえ咄。長生きするもんヨ。形あるものは壊れ、形なき思ひはすぐに消える明けの朝露。どぜう鍋をあつらえて輪切りの葱を山と盛。ふつふつと煮立って葱がしんなりすれば食べごろト山椒を振りかけあつあつを頬張る。とろとろに煮えたどぜう、しんなり葱の香り、山椒のひりゝとくる清々し薫香。癖のねへどぜうと香気の山椒、葱の旨味と割り下の上手。四身一体。伊達に名代はゝれねへものよ。建物の風情、下足の間髪いれぬ勘のよさ、客間の雰囲気、打てば響くお運びのおむす(娘)たち。どこォとっても江戸の匂ひ。来年もいゝ年がきそふだゼ。本日はこれ切り。

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