無料ブログはココログ

« 恋口醤油実生浮世絵(ゑどのほまれいきうきよゑ) | トップページ | 大通花傳書(つうのごくゐ) »

2009年11月15日 (日)

九尺二間極楽住(うらだなごくらくずまひ)

 廿数余年のお店もん卒業して、一本立になったのは四十字(よそじ)の半ばすぎ。世に身ィたてる気ならば遅過ぎるッてもんだが、そんな気もなくたゞそれまでの世界でてめえのやることおわったンで出てきたゞけの覚悟なしがあっしの覚悟。そいでも頼まれ仕事はついてまわり、どっか腰をすえるとこがなけりやァはじまんねえト赤坂場末の西洋旅籠(ホテル)の一間を賃借(ちんがり)。西洋旅籠のひと部屋を仕事場にと言やァ聞こやァいゝが、なんのこたァねへお独り部屋(シングル)の間借人。本棚机に椅子、客と向ひ合ふ机と椅子二脚入れりやァ身動きもとれねへ裏店(うらだな)ヨ。そんな手狭の小部屋でも、借りた初日ハ塵箱ひとつねへ伽藍堂。床に寝ころがって天井見上げたときやァ思わず二度となにがあっても勤めハしねへと警動(けいどう[※1])くらった蹴転(けころ[※2])じやァねへが腹の底から思ひがわいて知らず\/に手足を思いっきり伸ばしておりやしたナ。上に人なし下に人なし。天上天下唯我独立。われ独り立つッてわけだ。それがこんなに気分のいゝもんだとはその日まで思ってもおりやせんでしたヨ。
 それからなんだ神田で八つのお山の庵にひっこんで隠遁暮らし。これが十と五年、足掛け廿年。また花のお江戸へ舞い戻ってくることに成田山。こんどハどこをねぐらの鴉かなデ参考に池之端の資料館に裏長屋ァ見せてもらいに行って目から鱗。移築されてンのハ大正の御代震災まえのもんだというが、江戸の町ィうめつくしてた九尺二間の裏店とほとんどおンなじ。それが明治を越えて大正まで続いて来たッてんだ。間口が九尺、一間半ッて勘定、奥行き二間。ぜんぶで六畳の広さッてェ十露盤(そろばん)だが、世の中そうハいかねへ。腰板障子を開けて入りやァ土間が三尺、そこに煮炊きの場があり、上がれば畳分が四畳半。人間起きて半畳寝て一畳。これで暮らせンだねえ。みょうと(夫婦)二人ひッついて寝りやァこれで充分てことだ。欲と物ォもたねへ暮らしがどいだけ気軽か。子ができりやァ川の字で寝て六ツ七ツで手習指南所に通わせ読み書き仕込み、八ツ九ツ十で丁稚奉公。先さまで商(あきない)のいろはから十露盤、職方でもおなじこと。仕事から世間のことまで寝る喰ふ着る付きで仕込んでくださる。つぎに観に行ったが深川の資料館の九尺二間。押入なんぞありやァしねへ。鴉カアで起きたら布団は隅に畳んでつみあげ、枕屏風で囲って隠す。風情があるゼ。寝てるときハ文字通りその枕屏風を枕元に立て、目隠しとすきま風ふせぎの一石二鳥ッてへ重宝物。床は板張りッたっていまみてえの貼ッ付合板ぢやァねへ。ほんもんのむく板だ。杉や檜だから温かみがあらァ。咄に聞きやァ入口の腰板障子と畳は店子持ちだそうだ。畳買う銭がなけりや筵(むしろ)を敷いて暮らす。働いて銭がたまったら畳を一枚買う。またたまったらまた一枚買う。そいでいゝのヨ。障子だってゝめえの才覚で買って入れるンだ。だから障子に大工八五郎だの仕立銀次なんて堂々と書いて招牌にしてゐるわけだ。この文字を書くのゥ商売にして町を流して歩いてるのもゐたッてんだから江戸の町ァなにィやってもその気のあるやつァ喰っていけたありがてえ町ヨ。こねえだ向ふ両国の江戸東京博物館をのぞきやしたら、指物師の九尺二間が再現されておりやして、こいつも目から鱗ヨ。指物仕事は言ふまでもねへが、木屑おが屑鉋ッ屑のでる仕事。どうしても板間でなけりやァならねえ仕事ヨ。見りやァ部屋の隅に畳が三枚積み上げてあらァ。そうしておいて板間で仕事。終わりやァ畳を敷いて寝床つくる。一間で寝る起きる飯喰ふ仕事するなんでもござれだ。欲もなけりや財もねへ。素寒貧だが仕事の腕は身についたもん。こわいものなぞなんもねえ。ざまァみやがれッてェ小気味いゝ生き方だねえ。あゝ、あっしもこふ生きてえト得心したわけヨ。

【附(つけたり)】
[※1]警動(けいどう)。私娼窟の町奉行所の手入れ。捕えられた私娼は吉原の最下級の局などで懲らしめとして二三年賃金なしで働かされた。これを勤めと言う。二度のお勤めの言は吉原へ二度送られる意。余談だが、女郎の揚代金を勤めとも呼ぶ。勤めの言は女郎勤めの意を指していた。
[※2]蹴転(けころ)。蹴転(けころばし)の下略。私娼。下谷浅草などにいた。綿服に前掛姿で白人(素人)なども多かった。

« 恋口醤油実生浮世絵(ゑどのほまれいきうきよゑ) | トップページ | 大通花傳書(つうのごくゐ) »

コメント

西洋旅籠住まいってのを、一度してみてえと思ってるんで。身の回りには必要最小限のモノを厳選して、ま、欲を言やあクラッシックでレトロな老舗西洋旅籠の朝飯のうめえとこで。

先立つもんがねえから無理に決まっちゃいるんだが、松笠元帥なんぞは横浜にゅうぐらんどに住んでたって言うのが、ちょいと羨ましくってね。

moon3ねこじゃねえやいのお玉姐さん江

 朝飯はついてなかったのが玉にきずでやしたが、喰いもん屋にやァ不自由しやせんでしたゼ。
 唐黍洋喜世留の大将にやァかなわねえ。いゝ気分でやしたでしよふなァ。なんせお天下さまだったんだからねえ。

 喜の字

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/127972/32228291

この記事へのトラックバック一覧です: 九尺二間極楽住(うらだなごくらくずまひ):

« 恋口醤油実生浮世絵(ゑどのほまれいきうきよゑ) | トップページ | 大通花傳書(つうのごくゐ) »

最近のトラックバック

2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31