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2009年10月21日 (水)

三徳塾後日芝居小屋(さんとくじゅくのちのしばやごや)

 こないだの長月(九月)朔(一日)、衣更の日ヨ。両国の江戸東京博物館までのしてめえりやした。お馴染西洋暦でいやァ10月18日のことだ。大川(隅田川)の東岸(ひがしぎし)。あの辺(へん)ァ江戸のむかしで言やァ上総の国。いまぢやァめでたく東京の仲間入り。そいでもちやんと氏素性はかたっておりやすネ。江戸の東だッてんで江東区。わかりやすいヤ。徳川御三家がございやしよう。徳川さまのおほもとは松平さま。その御苗字をお名乗りのお方が棟梁で開いてらッしやるのが、この三徳塾。不肖喜三二お目見え以下の木ッ端ながら、末席をけがさせていたゞきにあがったッてえ次第サ。あっしゃ今度が初名乗り。ご講師は向島の若旦那。遠目に黒寄らば紺が匂う渋い長着に羽折。羽織紐は房なしの粋好み。角帯は数種の色糸を細かく織込んだ数寄好み。食い込むやふな紺足袋に雪駄のちょん掛姿。若いながらおさえる粋をご存じ。すみに置けやせんゼ。これからどいだけ泣かすやら。
 サテ当日のご演目ハごいッしん(維新)後、江戸が東京となって明治大正、歌舞伎小屋がどのようになっていったか。そいつをそんころの写真でご披露くださるッてご趣向ヨ。まずでっけえ変りやふハ元で言やァ御府内での興行がゆるされたッてことだね。それまぢやァ浅草猿楽丁(ちょう)。浅草は江戸の外でやしたからネ。ゆるされたト言ってもド真ン中の千代田のお城がドでかいからねえ。周りにそんなに空き地があるでなし。で、いまある明治座のとこだとか木挽町だとかなんだとか、明治ッ比(頃)の東京下町のへりの辺(へん)に移ってきたッてことなんでやしょうネ。講演を聴かせてもらいながら、あっしが感心したのは、歌舞伎人気の根強さだネ。なんせ、ご維新から明治への転換なンてえもんハ並大抵のもんぢやァなかったと思ひやすヨ。自民から民主への変りやふなんか風ン中の屁みてへもんでやしょう。天変地異晦日(みそか)の満月東(あづま)の日の入り。なにもかもがひっくりけえった。そんな大騒動の中で、しばや(芝居)にァ血道をあげてた。だから、歌舞伎小屋も大枚をはたいて移転して大普請ができた。武士は歌舞伎小屋への立ち入りを禁じられてゐたとか、なんかで読みやしたが、それがそうなら元々支えてたのは町人だし、まして幕府が倒れ侍一族郎党路頭に迷ったンだから、しばやどこぢやァねへ。となると、大晦日(おほつごもり)や盆暮でのあきんどへの払いも踏み倒しになったンぢやァねへンだらふか。そいでもやっぱり歌舞伎だよト金をつぎ込んだ商家の内儀おむす(娘)は、豪気なもんだったンだなァとあっしは感心いたしやしたヨ。なにがあってもまずお楽しみ。これだね、景気の回復ハ。

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コメント

あああ,お江戸に行きてえよう〜!

moon3ねこじゃねえやいのお玉姐さん江

 やっぱりお江戸は、よござんすヨ。

 喜の字

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