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2009年10月31日 (土)

華六病息災(はなのおゑどのやまひだれ)

A  京の着倒れ大坂の食倒れ江戸の履倒れなんて言ひやすが、けふの咄ァ病だれだよ。
 あっしやァ物持ちがいゝンで、懐電話もゝふなんねんになるか。鳥渡(ちょいと)思い出せねへくらいながく使っておりやす。電池もいっぺん取ッかえてンだが、ちか比(頃)ハ使わないで切っていてもまいにぢ(毎日)充電しなけりやへたッちまう始末ヨ。そいぢやァ持たなけりやァいゝだらふッてご異見もありやしょうが、そこはそれ、歳でやすからネ。いつどこで行き倒れるかもしれねへ。そんなとき、鳥渡牡丹(ボタン)押すッてェと、たちどころにあっしの倒れどこが火消所に知れて、救急車が素ッ飛んできてくれるッて仕掛けがあるんで、どうしてもこいつァ持って歩かなきやァなんねえのヨ。
 そいでもって、ついこないだ雷門辺(へん)の電話屋ィ行って手比(頃)なやつと取ッかえて来たと思ひねへ。こンころの懐電話はやたらとすべッこくできてるネ。つるりト滑って落ッことして壊し、また買替えなんてことたくらんで作ってたンのかねェ。なんせこちとらぢゞいで手指に脂ッ気がねえから、物がつるりとよく滑りやがるのヨ。で、落とさねえ算段に、けちな根付のひとつも付けておいたがよかろふと、仲見世で見つくろったのヨ。そいが瓢箪の根付サ。お代は紛いの中南鐐(ちゅうなんりょう)三ヶで釣りがこようッてェ代物だからてえそうなもんぢやァねへ。珊瑚色したちッこいもんなんだが、いざ銭払おうとしたら見世の上さんが、これはこふなってンのよト瓢箪の胴中(どふなか)をひねって開けてみせてくれた。なんとその耳の穴よりちッせえ胴の中から、赤黄白黒緑の芥子粒みてへなのが転がり出やがった。ホラ中に瓢箪が五ツ、外のとあわせて六ツ、これで無病息災よト洒落やがった。老眼こらしてよく見りやァ五色の芥子粒メ、みんな瓢箪の恰好してやがる。こまッしゃくれた芸当するぢやァねえか。やりァがるなァ。泣かせるよダ。
 よく世間ぢやァ無病息災もいゝが一つぐれえ病(やまい)を持ってる方が要心するからかえって長生きだなんて言ふヨ。一病息災ッやつだ。デダ、あっしやァ指ィ折って数えてみたのヨ。いくつ病持ってるかってネ。なんせ病は長生きの元だってんだから、数え落としちやァいけねへ。そしたらあったねえ。立派なもんヨ。鳥渡聞いてくんな。初ッぱなが三十路半ばの中心性網膜炎。こつは左目が一手に引き受けて厄年までにはっきりしたんで三べん。やわなの入れりやァ七八遍患ったヨ。つぎが胸腹部乖離性(かいりせい)大動脈瘤でいっぺんめの危篤。それから腎不全で危篤一歩てまえで透析に。またも左目、白内障でレンズを入れる。そのつぎは大腸穿孔で二度目の危篤。腹ァ二遍ぶち割ッたゼ。つづいて腸閉塞を二遍。これでどふだい、六病になろふが。おッとお忘れ\/。五十年めえに盲腸をいっぺん。こりやァどなたさまもいっぺんこッきりか。それからてめえぢやァ覚えていねへが、おまえハ銀杏にあたって二歳ンときに死にそこなったンだよトおっかさんに聞かされてッから、都合八病か。どうでえ。一病息災ッて、たった一病で息災だってんだ。こちとら八病ヨ。八倍元気ッてことヨ。ざまァ見やがれ。おいらァ死ぬ気がしねへヤ。

2009年10月29日 (木)

時そば

 けふの昼下がりヨ。田原町まぢかの尾張屋の本店であっしが松茸そばァ啜ってると、えれへ威勢のいゝ兄哥(あにィ)が飛び込んできやがった。これがやけに大人しいおむす(娘)連れてやがんだ。そのおむすに壁ェ背負った椅子ゥすゝめやがって、てめへは通路側ヨ。この野郎、口説こうッて魂胆だナ。天せいろにするか、あッかしわせいろもいゝなァ。それとも天麩羅そばにしょうか。おれ、尾張屋さんに来たら天麩羅なんだ。こゝの天麩羅は旨いよゥ。相手のおむすは目の前にゐるッてのに、見世ぢゆゥに響くやふなでっけえ声ヨ。そいつがあっしの隣の卓だから、うるさくってしょうがねへ。早くきめろッてんだ、このべらぼうメ。壁にぶら下がッた品書の短冊見てか、あっしがすゝってる丼見てか、あッ松茸そばもいゝなァト来たかと思ったら、胡麻切りも旨そうだしなァとばかでけへ声で迷いやがる。そいじやァ天麩羅そばとかしわせいろ、ネ、あったかいのと冷たいの、はんぶッこして食べよふト来やがった。どうとも勝手にしやがれ。お運びの姐さんに、特別に早くしてネだと。お客さん、順番にお作りしてますから。ウンそれは分かってんだけどサそこをネ、なんて常連風吹かしやがって。おれはこの見世顔だよトおむすに見せてえ腹づもりだらふ。誂えがすんでやっと静かになったと思ったら、あッソウダ土瓶蒸しも頼もうよネ。オネエさん、土瓶蒸しネ。
 人は物ォ喰ってるときァは口がふさがってるから静かだと言ふが、こいつは喰いはじめても騒がしい。旨いねェ\/、ネ、おいしいでしょうト何遍もおむすに無理やり旨いと言わせたがりやがる。旨い旨いを連発してたかと思ったら、近くに立ってたお運びに、おれ入谷の生れでさァ。アラすぐそこネ。ウンいま白金に住んでンだけどゥやっぱり下町がいゝなァ引っ越して来たくなッちやった。姐さんもしょうがねへから、そうしなさいよトお愛想の相槌ヨ。それにしても旨いだおいしいだト滅多やたらとほめちぎる。コウ分かったゾ。てめへだなァ時そばで一文ちょろまかした野郎ハ。

2009年10月27日 (火)

幕末気楽左平次(ばくまつふらんきーさへいじ)

 (青)二才の時ぶんに、幕末太陽傳観てフランキー堺の左平次振りにいちころになりやしたナ。日活の再開三周年記念とかなんとかで撮った活動でさァ。もふ五十年くれへめえにでかしたもんだ。棟梁は川島雄三。落語の居残左平次を柱に、そこへ品川心中だの三枚起請だのお見立てだのを織りまぜ、そこにまた倒幕の志士の書生ッぽい空ッさわぎを挟み込ませてゐるンだが、見所ハなんてッたってフランキー堺の左平次だねェ。あのすっとぼけた芝居がいゝやネ。あっしが見惚れたのハその芸当ヨ。浴衣ァ着がえるンだが、着てた浴衣ァすッと肩から落としやしょう。その刹那、足元においてあった新しい浴衣ァ右足の指でつまんで持ち上げてサ。それを手にとるッてえと、ぱッと頭越しに後へ放る。浴衣が広がっる。すかさず両手を万歳するッてえと、両の袖にするりと両手が通ってはらりと裾が下へ落ちて、もふ浴衣を着てるッて寸法サ。ちか比(頃)のわけェ役者にこんな芸当はできねヨ。フランキーはこれを羽織でも二度ほどやって見せておくれサ。なんとも気味がいゝぢやァありやせんかい。いかにものお調子もんで、鼻唄まじりでずっと生きてきた野郎ッて感じサ。
 場は品川。土蔵相模。板頭を張り合ってる二人の女郎が脇を固めてンだが、一人がこないだあっち側へいちまった南田洋子。も一人は左幸子、すぱッと切味のいゝ美人だねェ。この二人も芸当を見せるヨ。ありゃ何枚重ねッてのかね。厚さ三寸はあろふッて上草履で広階段をばたばたと手すりにもつかまらずに駆け下りたり駆け上がったりヨ。足元なんか見ねえンだ。なんでもねえようにやッちやァゐるが、思やァおッそろしいゼ。役者だねェ。吉原でいやァ花魁株のこの女郎とこゝの女将はちやんと鉄漿(かね)で歯を染めてんのヨ。それがまッとうヨ。遣手がまたいゝンだ。いかにも意地が悪そふで。菅井きんさんがやッてんだ。土蔵相模だのゝお女郎屋は海岸ぺりに建ってゐて、海から見りゃ三階建てだが、玄関のある街道からは二階建て。それがちゃんと活動の中で描かれてる。左平次が外から戻り玄関入るト階段下りるンだ。居残のあいつの部屋は行燈(あんどう)部屋だか布団部屋みてえなとこだから、下にあるンだ。この活動撮った比の品川の海ッペりァまだ実正(ほんと)に遠浅だったンだなァと懐かしような気分も味わえるッてのもみッけもんヨ。
 外題がなんで太陽かッてェば、石原裕次郎が出てるからなんだが、これが大脇役。三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたいッて都々逸つくった高杉晋作役やってンだが、髷が売出中の慎太郎刈ヨ。妙だよ、あの浪人髷ワ。あの人ほどヅラの似合わない役者はいないネ。
 あっしゃこの活動が忘れらんなくてねェ。ずっと天窓(あたま。頭)のすみっこにこびりついておりやしてゝサ。よく行く損料屋に訊いたがビデオはもふねへッと言ふのヨ。で、なんとかと探したら、なんと便利な世の中になりやしたヨ。録画円盤(DVD)になってンのさ。そいで損料払って観たッたわけさ。三遍も繰り返して観たゼ。いまァあの盤、買おうかト思ってるほどの惚れ込みよふサ。

2009年10月22日 (木)

磯淡雪松茸梯子(いそのあわゆきまつだけはしご)

 藪ト言やァあっしにとッちやァ裏の藪ぢやァねへ。並木ヨ。ところがどッこい木(もく)ンちは休みときてらァ。ついこないだ、江戸の暮らしの様を人形でこせえてる姐さんから、池之端の藪へお行きよ、淡雪蕎麦ッてのがあったよッておせえてくだすッたンで、久々に忍々ばず池之端トでかけたッてわけサ。あすこらァ江戸のむかしッから夜の町だから、お天道さまこうこうの真ッぴる間行くと、なんだゼ。夜ッぴて狂った蒸れたやふな気が抜けてねへで、あっしのやふなぢゞでも鳥渡(ちょいと)照れくせへようヨ。でも、数寄屋づくりの藪の見世構(みせがまえ)見ッと、そんな邪念も消えるネ。引戸さらりト明け、仲居の姐さんに指ィ一本立てゝ見せりやァ、さすが盆暗ぢやァねへヨ。ハイお座敷がト小上がりに待ってましたの小机席一ツ。運がいゝねえ。どっかと尻ィ据え、さてト品書開いて見りやァございやしたよ、磯雪蕎麦。磯に淡雪の降りけるさまなりッてネ。玉子の白身ィ泡立てゝそいつを蕎麦の上にかけてあるッて仕掛。そいつをざる蕎麦喰ふごとく汁で食べるッて趣向だそふだ。あっしゃ初見だよ。この見世には何遍か来ちやァゐるが、こゝまで目にへえンなかった。巣ごもり蕎麦がぱり\/して好物だったもんだから、そこらで目がとまッちまってた。いけねへネ。ものはしっかり見なくちやァ。見世ン中ァ時ぶん時だから込んでたが、あきさしやァしねへ。お待ちどふさまト磯雪のお出まし。まず丼が見どころ。上物ですゼ。李朝かもト思ふやふな白磁の小振り薄造り。中ァみりやァ泡立てた白身が蕎麦を巌に見立て雪の風情でかゝってるッてェ寸法だ。サテと、箸袋から引き出してまた感心。うれしいねえ。赤杉の柾(まさ)だヨ。吉野かねェ、これで形(なり)が利休なら懐石ですヨ。徳利から例によって猪口に汁を少なめに注ぐ。箸先に山葵をちょい付け、蕎麦ァひきだすッてえトこれがなげえンだ。藪だねえ。ふらふら揺れて逃げる蕎麦の尻尾ォ猪口で受け止め、ちょっこと汁に付けてズゞゞッと手繰り込む。後味にほんのり甘味が来るンだねえ、これが。藪の汁のあの辛味こくにまろやかな甘味ヨ。誰でえ、こいつゥ考えだしたンは。やりますねえ。あらためて丼ン中ァのぞいてみりやァ雪がほんのりくちなし色。なあァる(ほど)、こいつァ黄身を少しばかし溶き込んでますナ。二八だな。黄身二分に白身八分、そんな見当か。マそれにしても旨い。あっしゃねえ、じつゥ言ふと按じておりやしたのサ。玉子は好物だが、それは黄身の咄。白身のねへ玉子はねへもんかと思ふくれえの口でやすからネ。ところがこの雪ァ上々大吉ですゼ。ホイ旨かった、お代は七百と五十。ごッつォさん。
 つぎハ浅草。けふハはなッから蕎麦の梯子の腹づもり。空気が肌寒くなったンで、そろ\/霰(あられ)の出番ぢやァありやせんかと、尾張屋が狙いヨ。まず観音さんに弁天さんお参りし、それにしてもはえへから、男の着物のちどり屋、袋物の蔦屋、四分一の象嵌ずらりと並べたヨシダを素見、文七ィ上がって銀延べで一服二服。やっぱり延べは旨い。烟に甘味があらァ。羅宇は管がしぼられてるから、どうしても辛くならる。そうこうしてるうちに、日は西へ。雷門通りをほとんど田原町。尾張屋本店の格子をからりと開けて、あられは始まったかいトね。まだなんですヨのかなしい挨拶。そいつァ残念、デいつから。十二月からなんです。なんとまァ早とちりで来ちまったゼ。トなりやァ矛先変えて、松茸蕎麦にいたしやしょう。鰻山をのぼり山芋になり、雀海に入ってはまぐりとなる。小柱山に降って松茸とならむ。ヘイお待ちデ丼に木蓋をかぶせて登場。松茸は香りが身上だもんナ。蓋ァとるとふわッとお懐かしい香り。めえにかいだはいつの日か。それにしても豪気だぜ。こゝんちのハ。茶庭に敷松葉ッてのがあるが、こいつァ敷松茸。丼いっぱいに松茸が敷きつめてありやがる。豪勢なことォするぢやねえか。ありがた山のごッつォさんッてやつだ。歯触りがいゝねえ。シャキ\/ッてしてね。喰っても\/減らねへくらい載ってゐる。合間に、松茸右左(みぎひだり)にどけて蕎麦ァ手繰りだす。また細造りの蕎麦が松茸に合うねえ。舌代、野口の旦那お一人さまと贋大南鐐(なんりょう)一ヶ。大盤振舞だねェ、尾張屋のご亭さん。あゝけふハ乙粋な梯子ォさせてもらいやした。

2009年10月21日 (水)

三徳塾後日芝居小屋(さんとくじゅくのちのしばやごや)

 こないだの長月(九月)朔(一日)、衣更の日ヨ。両国の江戸東京博物館までのしてめえりやした。お馴染西洋暦でいやァ10月18日のことだ。大川(隅田川)の東岸(ひがしぎし)。あの辺(へん)ァ江戸のむかしで言やァ上総の国。いまぢやァめでたく東京の仲間入り。そいでもちやんと氏素性はかたっておりやすネ。江戸の東だッてんで江東区。わかりやすいヤ。徳川御三家がございやしよう。徳川さまのおほもとは松平さま。その御苗字をお名乗りのお方が棟梁で開いてらッしやるのが、この三徳塾。不肖喜三二お目見え以下の木ッ端ながら、末席をけがさせていたゞきにあがったッてえ次第サ。あっしゃ今度が初名乗り。ご講師は向島の若旦那。遠目に黒寄らば紺が匂う渋い長着に羽折。羽織紐は房なしの粋好み。角帯は数種の色糸を細かく織込んだ数寄好み。食い込むやふな紺足袋に雪駄のちょん掛姿。若いながらおさえる粋をご存じ。すみに置けやせんゼ。これからどいだけ泣かすやら。
 サテ当日のご演目ハごいッしん(維新)後、江戸が東京となって明治大正、歌舞伎小屋がどのようになっていったか。そいつをそんころの写真でご披露くださるッてご趣向ヨ。まずでっけえ変りやふハ元で言やァ御府内での興行がゆるされたッてことだね。それまぢやァ浅草猿楽丁(ちょう)。浅草は江戸の外でやしたからネ。ゆるされたト言ってもド真ン中の千代田のお城がドでかいからねえ。周りにそんなに空き地があるでなし。で、いまある明治座のとこだとか木挽町だとかなんだとか、明治ッ比(頃)の東京下町のへりの辺(へん)に移ってきたッてことなんでやしょうネ。講演を聴かせてもらいながら、あっしが感心したのは、歌舞伎人気の根強さだネ。なんせ、ご維新から明治への転換なンてえもんハ並大抵のもんぢやァなかったと思ひやすヨ。自民から民主への変りやふなんか風ン中の屁みてへもんでやしょう。天変地異晦日(みそか)の満月東(あづま)の日の入り。なにもかもがひっくりけえった。そんな大騒動の中で、しばや(芝居)にァ血道をあげてた。だから、歌舞伎小屋も大枚をはたいて移転して大普請ができた。武士は歌舞伎小屋への立ち入りを禁じられてゐたとか、なんかで読みやしたが、それがそうなら元々支えてたのは町人だし、まして幕府が倒れ侍一族郎党路頭に迷ったンだから、しばやどこぢやァねへ。となると、大晦日(おほつごもり)や盆暮でのあきんどへの払いも踏み倒しになったンぢやァねへンだらふか。そいでもやっぱり歌舞伎だよト金をつぎ込んだ商家の内儀おむす(娘)は、豪気なもんだったンだなァとあっしは感心いたしやしたヨ。なにがあってもまずお楽しみ。これだね、景気の回復ハ。

2009年10月17日 (土)

【番外】道八来遠方(どうはちえんぽうよりきたる)

Photo  あっしのぢいさんは、思へば破格の人でやして。茶でもやろうとなると、まず茶室を先に建てちまふンだ。デ始めりやァご存じの通り茶は道具があれこれゐる世界。夏なら風炉、冬なら茶室に切った炉、釜もそれぞれ別ッこヨ。茶碗も黒楽、伊羅保(いらぼ)、井戸。この井戸が卅年のせえげつ(歳月)と二人の手をへめぐってあっしン処(とこ)に来た話は、めえにいたしやしたが、けふハその茶をやってたはずのぢいさんの煎茶の道具がまた\/同じ手同じ時をへてあっしン処にやって来たのヨ。咄しやァながくなるが、ぢいさんッて人はまァひらたく言やァ人から指図がましことを言はれるがでえッきれな質(たち)サ。さっきも言った通り茶ッてのハ道具建てが忙しあすび(遊び)だ。で、出入りの道具屋、旦那つぎはこのお道具、その次はあの道具ッて指図がましいことゥぬかすのが業腹、うるせへこのやらふッてんで抹茶はもふやめだ、こんどハ煎茶だとあっさり宗旨がえヨ。それでは旦那さんまず急須茶碗がなければ始まりませんッと、道具屋がさっそく担いで来たのが、たぶんこの煎茶器だらふ。ひっくりけえして高台の中ァ見りやァ道八とある。仁阿弥道八だ。何代目はわかんねへ。いまァあっしの手に渡ってきたこの道八を見るとおかしことがある。茶渋の薄染一つどこにも残っていねへ。てえことハぢいさんこれをいっぺんも使っていねへッてことよ。道具屋が持ち込んだこの道八が飽き足ンなかッたんだネ。その証(あかし)に、涼炉から急須、湯冷、茶碗、茶壺、布巾入にいたるまで一切合切揃いの煎茶道具があっしの手元に残ってゐる。三浦竹泉に焼かせ、松林桂月に染め付けで漢詩と絵付けをさしたもンだ。これも妙なとこがある。やっぱり茶渋の影せえねへ真ッさらもんヨ。そのうえ奇怪なのが、それだけの揃い道具なのに、肝腎の茶碗が一ツ足りずの四組ときてる。訳を知りてえがばあさんもおっかさんもとっくに川向ふへお引ッ越し。でも先比(頃)その謎がとけやしたのサ。この大揃いが出来上がって来たときァぢいさんもふ床について伏したまゝ。そいで一度も使わずに三途の川を渡っちまったッてことヨ。で、連合(つれあい)のばあさんが、茶碗の一ヶを棺桶に入れて持たせてやったトあっしやァ按じたッてわけだ。さっそく道八の茶碗で、毎朝決まりの茶を呑ませてもらいやした。不肖愚孫、及ばずながらの使手となって供養とせん。南無阿弥陀仏。

2009年10月 8日 (木)

浜真砂鼻高恥郎(うきよにつきぬこうまんをとこ)

 蒟蒻(こんにゃく)本とも呼ばれる江戸の洒落本にはまり込んでおりやして。こいつゥ手にして寝床へ転がり込み、ぼんやり天窓(あたま)の霞が雲になるまで読みふけるのを無上のよろこびとしてる昨今でして。暇だねト言はれゝば一言もねへ隠居暮らし。世の為になるやふな甲斐性もござんせんものでして。マそこんとこ鳥渡(ちょいと)目ェつぶってゝいたゞいて、婦美車紫鹿子(ふみくるまむらさきかのこ)の一節を書き抜きやしたんで、ちょっくら読んでやんなせへ。鹿子の文ン字は偏に鹿、造りに子の字だが、こんなの電脳函にやァねへんで、並の鹿子で勘弁しちくんな。戯作者はたぶん浮世偏歴斎道郎苦先生サ。元本は安永三年ッてッからいまなじみの西暦で言やァ1774年、そんときに出た本ヨ。あっしの手にあるのハ中央公論社から出た大成本。そこからの抜き書きだ。
 品川宿の茶屋へ中年の生臭坊主が若い僧を連れて来てゐて、これからどこぞへ揚がろふッてとこなんだ。その生臭、若いの相手に吹くハ吹くハ。マこんな風ヨ。鳥渡(ちょいと)読みやすいよふに[ ]で細工いたしやしたゼ。
【年マ僧】おれがなじみの所は宿中(しゅくちう)がみんななしみた[馴染みだ]どの女郎(ぢよらう)や[屋]でもあがりだん[上がり段]おれが顔(かほ)がみへる[見える]と歌橋(かきやう)さんが来(き)なんしたと家内(かない)がさうにたつけれども今夜(こんや)はちと[一寸]ふう[風]をかへて[変えて]顔かくし[隠し]のずい行き[ずいと入る]おれがいつた[行った]ことをしる[知る]とこは色[役者の物真似]の長路(てうち)や八百彦(やをひこ)だ事の吾妻(あづま)だの三蝶(てう)だのとたのみもせぬにおはい\/をぬかすとやかましくて肝心(かんじん)のしつほり[しっぽり]遊びがだいなした[台無しだ]もう\/げいしや[芸者]や役者に近付(ちかづき)がおゝいと銭銀(ぜにかね)がいつてならねへ。
 この自慢咄を連れられてきた若い僧が真に受けて、【若僧】モシ其[その]三蝶とやらは浮世がいゝじやござりませぬか。生臭ます\/得意ヨ。鳥渡(ちょいと)なげへから、はしょる(端を折る)よ。【年マ僧】長歌(ながうた)なら露友(ろゆう)でも音蔵(おとぞう)でも市十郎て[で]も三味線(さみせん)なら金蔵六三喜三郎作十豊後(ぶんご)ならもぐさやでもいつきでも文字でも又若太夫でも儀太夫も人形(にんぎやう)つかひ[使い]もみんなしつてゐる[知っている]こわいろならこまでも八百(やを)でも十町魚楽(きよらく)三芝居(しばい)の太夫元を始(はじめ)のこらずくるから正(せう)じんの身ぶりをさせてみたがいゝ。
 トとゞまるとこをしらぬ自慢咄。茶屋の女将もあきれて皮肉サ。【女ぼう】モシあのおまへのとこへ八百蔵がまいりやすかへ。脇で聞いてた茶屋の若衆(わかいし)も、女将さんにそっと言ふ。【新介】モシおかみさんあのきやくは合点(がてん)のいかぬものでござりますト、そいでさらにあゝいう手合はいざ払いの段になると勤めがないなどと言ひ出すものだト注意する始末サ。勤めとは女郎の支払いヨ。
 とかく人ッてのハ生半可にかじったときがいけやせんねェ。知ったかぶりになって、お天下さまになりやすい。まして目下だの初(うぶ)だのを相手にすると、自分ほどの通はいねえト逆上(のぼ)せて、はたが笑ってンのもわかんなくなっちまう。そんな笑いもんの半可通を何百年もめえの洒落本でなんども書かれてゐるンだが、人間元来莫迦だから、いまだもってこの手合は跡(後)を絶えねへ。

  高慢屋浜の真砂ハつきるとも世に半可通の種は尽きまじ

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