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2009年9月26日 (土)

【番外】教えておくんねえ

 「せひじんの後はおや玉になられませふ今からたのし手六十でござる随分気をつけて御勤なされませい」

 洒落本『濁里水(にごりみず)』にこの文があるンだが、この中の「手六十」がわからねへ。なさけねへことに意味どころか、読めもしねへ。どなたかご存じのお方ァおいでぢやァありやせんかねえ。助けると思っておせえていたゞけるとありがてえンで。おねげえいたしやす。

2009年9月22日 (火)

【番外】鼻高屋の巻<十九>川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)

 気散じと 思へど塩屋の からみ餅

 きのふテレビでいゝもん見せてもらいやしたよ。人形町のある菓子屋を放送局のお人が訪ねンのよ。そいでご亭主にマイク向けて「こちらでは何にこだわってつくっていますかッてんだ。するッてえと親爺の歯切れがわりい(悪い)のヨ。口ン中でもぐもぐ言ってる。まァ詰めて言やァ、こだわるッてのは能(いゝ)ことじやァねへから、うちぢやァそんなことハしねえへッてのさ。そふヨ。固執するッてことだからネ、こだわるッてのハ。この詞のつかいどこハ「いつまでもぐじぐじこだわってンぢやァ莫迦やろふッてな按配だからネ。局の姐さん取りつく島ァなくなっちまって、慌てゝこふ訊いたネ。「こちらのお見世のご自慢はなんですか。そしたら親爺また言ひ淀んでたが、思い切ってこふ言ッちまった。「自慢ンゥ、そんなもんハねへ。ぶッきら棒なんで女将さんが跡(後)を引き取って、「うちの人は江戸ッ子なんで自慢するのは恥だと思ってゐるンですよトね。これよ。この気ッ風が江戸ッ子よ。手前味噌で鼻高々になるやつほどみっともねへ恥ッさらしはねへわけヨ。この江戸ッ子の性分が意気だの粋だの通なんぞを生んで、損得で動くやつハ屑よッてことになったんだろふよ。
 そんな気ッ風が好きであっしァ江戸ッ子の修業の道にへえったンだが、その世界にも履き違えの箆棒(べらぼう)がおりやすなァ。なさけねえ。おれがてめへより物知りだの、これェ知ってるか、こんなことも知らねへか、揚句の果てに江戸語知るには本などいらぬ、当世歌舞伎役者や町火消にひッついてりやいゝときた。江戸が終わってとっくに百年の余もたってンだ、いまァしゃべってンなァ東京弁ぢやァありやせんかい。そんなもんでハイこれが江戸語でございますなんてお手軽なこたァ言へるもンけへ。お生憎さまダッてんだ。たいこ(幇間)ぢやァあるめへし、こっちちらァ取り巻きやるほど落ちぶれちやァいねへヤ。ざまみやがれッ。江戸ッ子名乗るなら、ねちねちと当てこすりだの厭味だの女々しいご託ならべてからまねへで、すぱッと啖呵ァ切りやがれッてのヨ。啖呵ァ江戸の芸ヨ。頼みもしねへのに大先達ぶりやがる鼻高屋があっちからもこっちからも出てきやがッて、俺が前にゐる跡(後)ゥついて来なみてへな口きくねへ。こッちァ蔭間買いぢやァねへヤ。誰がてめへなんぞの尻ィ追う。自惚れもいゝかげんにしやがれ。鼻持ちならねへのが幅ァきかしァやがって、すッこんでろィッてんだ。
 憂き世を浮世に気散じト、しゃらくせへかまうこたァねへト判じもん、鎌○奴(かまわぬ)手拭肩にかけ、ぢゞい一匹余生々きてやらふと、江戸還りの道ィたどってみたハいゝものゝ、飛んで火に入る夏の虫と勘違いしやがって礼儀しらずに茶々の入れられ放題。うんざり運の尽き。鳥渡(ちょいと)しょっぱい一句となりやした。ご存じ塩屋は江戸ッ子が大の字付きで恥ト嫌う手前味噌。天窓(あたま。頭)に来るのひとつ上で、鶏冠(とさか)に来るなんて駄洒落がいっとき流行ったが、その手の江戸版。洒落本くりやァちょくちょく出てくる当時の時花(はやり)詞でござんす。こゝろハ、塩がなけりやァ味噌はできねえッてんで、手前味噌の上ェいく自慢しやがるッてこと。自慢屋ハ高慢野郎と毛嫌いされたんだ、覚えておきやァがれ。

 かんばん(招牌)を 外して男の 値が出来る

 二本差しは誰が見たって侍と知れる。だからわざ\/えばる(威張る)やつァ浅葱ッて呼んでさげすんだのヨ。浅葱たァ田舎侍が袷の裏にこの安物色の木綿をつけてゐたからだそうだが、洒落の通じねへ連中で、なにかと言やァせっしゃハ武士トえばる。野暮なんだよねへ。吉原なんか行ってみなッて。武士も町人もおんなじ扱い。差はつけねへのヨ。武士だから花魁にもてるなんてこたァありやァしねへ。侍鼻にかけるやつなんぞ下の下。武家に奉公する中間は侍ぢやァねえへがお仕着せの法被にやァ主家のご紋がへえってる。で、その法被ィ招牌(看板)ッてンだが、そいつゥかさにきて威張ッて伝法なことォすることがあるんで嫌われたわナ。いまの世にも似たよふなやつァけっこふおりやすゼ。人さまァおめえの後の招牌に天窓下げてンのがわかンねへで、偉さまになった気ィなってふんぞりかえへッちまってるご仁がネ。寅の威を借りるよもぎ団子ヨ。招牌から永のお勤めごくらふさんト暇(いとま)ァ出されてみな。ほんとの値ェ世間さまがおせへてくれッゼ。値が出来るッてのも江戸詞。値が決まるッてことサ。

2009年9月19日 (土)

【番外】運が良けりゃぁ

 ずいぶんとめえの活動なんだが山田洋次大棟梁のにィ「運が良けりゃぁッてのがありやして。ずっと莫迦ァ描いてきてる棟梁さんなんだが、こいつハそのかなりはえへ比(頃)のもんだト思ふヨ。なんてたって、立役が寅さんの渥美清ぢやァねへ。そのめえにしばらくやってたハナ肇ヨ。これをめえにいっぺんテレビで観やしてネ。くだらなくおもしれへンでもいっぺん観てへとずっと思ってゐてサ。だもんで、こんどその録画盤(DVD)を損料屋から借り出したと思ひねえ。
 この咄ァ落語がネタでさ、突落しだの小言幸兵衛だの、黄金餅をつないでつくってるンだが、観てゝそこがまた面白味ヨ。オウこの場面ァあの咄だなとか、こつァあれだゼなんてァ楽しみがあるッて仕掛けだ。
 でダ、はなの場面がいゝやネ。江戸ッ子気ッ風てのはこうだぜィッて描いてンだ。山周だの山一に観せてへね。
 しょぼくれた長屋が舞台ヨ。ぼろォまとったさえねへ男がめそ\/井戸ンとこやって来て、娘ェ吉原に売ってつらいッて独りでぼやいて懐に石ィ抱くのヨ。そこィハナ肇の八の大将が子分格の長屋の仲間とけえって来る。いまァ井戸ィ身投げするッてェそいつゥ見つけンだ。こつァてへんだッてんで、助けッかッて思ふだろう。助けねえへンだネェこれが。二人して、腕組みして見てンのよ。そいで言ふのヨ。「コウ死ぬのか、見てゝやッから飛び込みねへなトネね。そふ言はれると人は死ねゝへヨ。石ィ懐に抱いたまゝぐず\/しちまうンだ。「なんでへ飛び込めねへのか、手伝ってやらァ。ト二人して、そいつゥ後から抱き抱えて井戸ン中落とそふとすッと、こんどは逆サ。死にたがってゐた野郎が「助けてくれッて悲鳴上げる始末サ。「死なねへのか。娘ェ売ったくれへのことで死んでたら、命いくつあっても足りねへヤ。井戸ォ飛び込むなんてしみったれた死に方すンねへ。そん中で腐られたら、みんが困るンだ。ッね。これよ。これが江戸の人情だぜ。お可哀相さぞおつらいでしようなんて、べた\/しねへンだ。そのくれへのことでどふすンだいッてネ。死ぬのはてねえの勝手だが、世間様に迷惑かけるンぢやァねへッてことヨ。江戸ッてとこハこういふとこヨ。てめえのことハてめえの覚悟で生きてきなッてことだ。いゝねえ。さっぱりしてるねェ。これが江戸ヨ。山田の棟梁、分かっていなさるねェ。活動のとッかゝりにこの場面つくったなンぞさすがだゼィ。

2009年9月10日 (木)

【番外】吉原ハ日暮レテ道遠シ

 吉原いかねへやつァ咄になんねへッて相手にしてもらえなかったそふですナ、江戸ッ比(頃)ァ。言ってみりやァ並の学校で教えてくんねへことをおせえてくれる修身の学校みてへな処(とこ)だったようで。色の道だッてえから、図画かいッてェと、馬鹿カおめえハてんで、粋の成り方ァおせえてくれんのよッてことだト。
 蒟蒻本(こんにゃくぼん)に古今吉原大全ッてのがあって、酔郷散人が序を書き、画は鈴木春信。明和五年に世に出ておりやすンだが、だかが蒟蒻洒落本たぐいト莫迦にやァできねえよ。吉原ハほんに勉学の場だね。ただ遊んでちやァいけねへ。振られるのも勉強なら、野暮とみられねへやふに気遣いするのも大勉強。そこんとこ、巻末に芯が書いてあるんで、抜き書きさしていたゞきやしよふ。(洒落本大成 中央公論社)
  女郎買は。金をつかひ習ふより。意気地(ゐきじ)を覚ゆるが。肝要なり。金はわきもの。ありさえへすれば。つかふに。苦のなきものにて。意気は。にはかに覚へがたし。世間にても。金を活してつかふ。殺して遣ふ。といふ事あり。されどまづ。むだ金を。沢山つかひたる。うへでなければ。佳境には。入りがたし。第一。男ぶりよく。心にしやれありて。金銀も自由になり。此三ツを。そなへたるものこそ。まことの買手といふべし。しかし又。女郎かいには。貧富の論なく。名ほど貴(たつと)きはなし。名のとをりたる。意気人には。いづかたにても。女郎はほれるものとしるべし。又女郎をだましてすかすなど。さもしきわざにて。真の通人には。なき事なり。されば。意気地といふは。心さっぱりと。いやみなく。伊達寛濶(くわんくわつ)にて。瀟落(しやれ)を表(おもて)とし。人品向上にして。実(じつ)を裏とし。風流をもつてあそぶを。真の通人といふ。
 ま、こんなわけだ。合点ハいったが、あっしゃァ遠く及ばず。意気地に足りず、瀟落に足りず、伊達に及ばず。今世、吉原ナキト雖(いえども)モ、齢(よわひ)ノ日、暮レテ、未ダ道ミエズ。なんまんだぶ、なんまんだぶ、だぶだぶ。

2009年9月 3日 (木)

【番外】親の因果

 電車に乗り込んだら、色気盛りの姐ちゃんがあぐらかいてやがる。あっしゃァあきれて息ィ呑ンじまったぜ。それも三ツならんだ優先席のド真ン中、三席独り占めヨ。脇の席にやァ南蛮肩掛け袋(ショルダーバッグ)投げ出して、手習指南所の帳面見てンのヨ。浅野の世継ぢやァねへが、大学だな。形(なり)といやァ藍染め綿布半股引、その下に足首まである小豆色のぴったり仕立ての股引。いま時花(はやり)の黒の女股引。その色変りッてやつだ。そんな恰好(かっこ)で大股開きの大あぐらだゼ。ここをどこだと思っていやがる。思わず叱咤しちまッたゼ。「なんて恰好してンだ、あぐらなんぞかくンぢやァねへ。姐ちゃん首ィすくめて、足ィ下ろした。まだ殊勝なとこがあらァ。おッかさんヨウ、頼むぜ、躾けのできてねへ野良娘、お江戸へやッけへ払いしねへでくんナ、世間さまが迷惑すらァ。
 けふはその跡(後)がまたいけねへヤ。腹ァつくろうと、百貨店(しゃッかてん)の中の天麩羅屋にへえったのヨ。こゝは銀座に暖簾(のうれん)張る大店(おほだな)の出店(でだな)ダ。便がいゝンでちょいちょい立ち寄ちよる。案内された席の隣にやァ年格好からみて孫娘とばあさんッてとこかね。孫娘たッて洟垂らしぢやァねへ。十七八から二十歳(はたち)ッくれへか。髪ィ毛唐に染めちァゐるが、これがいゝ娘でねェ。ばあさんに、これ食べるだのこっちはどうなんて世話ァやいてんのサ。やさしいおむす(娘)よ。この姐さん、丁字形の洋肌襦袢(シャツ)の袖から出た両の二ノ腕ともに立派な倶利伽羅紋々(くりからもんもん)が覗いていなさる。急度(きっと)背中(せな)一面の彫りもんでござんしょう。あっしゃァ本所の向ふにゐた餓鬼時ぶん、鳶の頭だのその隠居なんだのゝ男伊達の見事な彫りもんいくつも見てきたから、いまさらおどろくもんぢやァねが、彫りもんなんぞというもんは人さまに見えるようにするもんぢやァねへ。真夏でも長袖でつゝんでかくしておくものヨ。ありゃァ心ン中に彫るやふなもんで、覚悟を決めた己への証、魂。言ってみりゃァ侍の刀みてなもんでやしょうヨ。抜身にして、人さまの目にちらちらさせちやァいけねへ。
 このやさしい姐さんがばあさんに言ふのよ。「こゝの見世は売物にしてる天麩羅は不味いネだと。思わず吹きそふになったが、そいつァ見世の中で言ふことぢやァねへから横から言ってやたのヨ。「姐さん、これから喰ふ者がゐるんだ、そりやァねへよトね。そしたらこの倶利伽羅姐さんがとんだ瞬間湯沸器。カッ沸き上がっちまって「人の咄を聞かないでヨオ、こっちの勝手、個人の自由でしょト突如大声でわめいたネ。隣の席の耳に入るようなでけえ声でしゃべっちやァいけねへのヨ。こっちァ聞きたくもなえンだが、耳にはいっちまうサ。それによう、どの稼業の見世でも、その見世ン中でそこの悪口言ったり余所の見世の咄ィするのは礼儀に反すらァ。これを男と女の間においてみりやァすぐ判る道理。いやなら二度とこなきやァいゝのヨ。個人の自由はまいったね。戦後日本の学校教育の大成果だ。自由と勝手は月と鼈。どら焼と十円玉。似てッけど大違いの履きちがえ。帰りがけ、ばあさんはあっしに向かって黙って二三度会釈をしなすった。すべて分かっていなさる。あっしも笑みで返しやしたンだが、倶利伽羅おむすはそいつがまた面白くねへ。ばあさんに「あやまることなんかないンだヨ。お金払うンだ、文句なんかいわれてたまるかァ。そいでも収まンないで、支払いの帳場に大声で喰ってかゝったヨ。「お金払って、なんで文句なんか言われなきゃなんないンだ。困るねえ、金ェ払やァとか客なんだからァとか言っちやァいけねへヨ。そいつを言ちやァお仕舞だよ。それほどの野暮はねへ。見世に遠慮し、他の客に気ィ遣い、邪魔ァしねへようにおとなしくして客にならしていたゞくのが、客の道ヨ。わずかな銭払って、見世ェ一人で買い取ったト勘違いしちやァいけねへ。見世も天下の大道もおんなじ。遠慮して気遣いするもんヨ。あっしゃァそふ思ふヨ。

2009年9月 1日 (火)

【番外】直弼の茶

 べらんめえのぢゞいに似ぬ所業なれど、幕末の大老井伊直弼が政務の合間を縫って綴った「茶の湯一会集(ちゃのえいちえしゅう)」を読んでなるほどと合点したとこがあるのヨ。ほかでもねへ。正客が濃茶を飲み、その茶碗を次客に渡すとこだ。直弼は石州流なんだそうだ。濃茶点前中の条にこう書いていなさる。
「千家にては、茶碗を手より手へわたせども、当流にては大いに嫌い候。大切のお茶、大切之茶碗と申し、中(ちゅう)にて受け取り渡しする事、甚だ麁相のあつかいなり。
 こいつァ一理あるねえ。あっしが末席を穢してる千家もよかれと思ひ、大切なものだけに手から手へ直に渡してきたのだろうし、石州ではおなじ思ひから畳にいったん下ろして次客がそれを取り上げるわけだ。どっちがいゝのか。こいつァよく考えなきやぁなんねえとこだ。
 陶器屋だの道具屋で焼物を見せてもらうにやァ礼儀がありやすな。机や棚から取りあげるなッてね。気軽にひょいと茶碗だのを持ち上げる客にやァ見世のもんハはらはらいたしやすヨ。物ゥしらねへ奴(やっこ)と見抜かれらァ。棚や台から上にやァ持ち上げねへのが礼儀。割ったら買やァいゝなんてのハはなから咄になんねへがさつもんヨ。棚や台の上でたなごころで受けて拝見するがよかろふッてもんだ。
 茶は、一座建立だそふで。亭主と客。亭主は客を気づかい、客は亭主を気づかう。亭主の力量、客の力量が五分と五分でなきゃあ、茶の座は成り立たねへッてことなんでやしょう。
 あっしゃァこのミクシイのコミュもおなじと思ひやしたねえ。
 或るわけえのから、一服飲ましてくねえッて気楽に頼まれたことがありやす。かれこれ十年もねえのことだ。その咄をしやうかと思ったが長くなるンで、又にしやしょう。歳ィとるといけねへネ。どふも長話をしちまって。今夜はこれ切り。

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