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2009年8月29日 (土)

【番外】墨堤の巻<十八>川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)

 長命寺 桜ゐぬとも 繁昌し

 ついこねへだあッついさなかに、浅草川の土手を下から上ィ歩いたンで、それに因んでひねりやした。
  長命寺とくりやァ桜餅ヨ。でだ、だれでも鳥渡(ちょいと)気になるのが、花の時期ィはずすと売ってねへンぢやァねかッてへしんぺえだ。わざ\/遠くから歩いてきて、見世ェ閉まってたらかなわねへ。そんときも、お連れン中の誰かさんがそれを按じたら、やっぱり連れのどなたかゞが「葉っぱァ塩漬けでやすから一年中売っておりやすよトおせえてゐなすッた。あっしもめえにおんなじこと按じたもんヨ。なんせ病み上がりの病みッぱなしの身だもんで、遠足(とおあし)ハ苦手でやして。
 さて、桜ゐぬとも、だ。こりゃァなんだヨ。花が咲いてなくてもッてことゝ、露店あきないなんかにゃむかしはつきものだった仲間が客の振りをする桜とをかけてゐるのサ。今日びのしと(人)は、そんなの知りやせんやね。あすこの桜餅は名代だから、そんなンが化けなくても年がら年中大繁昌ッてわけサ。

  言問へば うちの団子は 三ツだよ

 団子ッてば四ツゥ串刺しにしてあるン相場だが、言問団子は串なしの、それも三ツだ。数が気になるお人にやァ鳥渡むかねへかもしれねへが、舌の肥えたお方にやァおすゝめだね。都々逸の文句ぢやァねえけれど喰って見世でて、ものゝ半丁も行かないうちにッてやつだ。また食べたくなるお味ッてネ。詳しくは、ついこねへだ「巻の二 徒遊三囲向島百花園(かちあそびめぐるむかふじまひヤくくワえん)」ッて稿に書いて載せてあるから、お手数ながらそッちィ手繰って読んでくんな。

2009年8月27日 (木)

見参蝙蝠安(おまちかねきられよさ)

 格子戸をする\/と明けて、すッと腰ィかゞめてへえると、三和土(たゝき)に身ィかゞめ、上框(あがりかまち)に手ェ突いて、「ヘイ、女将さん。おねげえがありやして。ト奥の襖の陰で帯ィ結んでたお富が半身反らして顔ォのぞかせ「誰だい。あゝ、こないだの。けふハなんの用だい。「ヘイ、弟分がなん\/で、鳥渡(ちょいと)草鞋銭をいたゞきてへと思ひやして。ト面(つら)ァあげると、ほッぺたに入墨黒々蝙蝠安。多々良純が演じてンだが、これがいゝのヨ。地回りの小悪党ぶりが滅法界いゝンだ。うめえのなんのッたらねえゼ。なんど観ても惚れ\/ヨ。それから、お富の淡路恵子。仇(あだ)ッぽいねェ。ちか比(頃)ゐねへヨ。かふいふ役者。テレビのじでえになッちまったもんだから。お茶の間ぶてえ(舞台)だから、仇ッぽいだの色ッぽいのだのはご法度みてへになっちまってサ。みんなお子さま向けヨ。そいでいて、ピーなんてッてたのが伝馬町に入れられちまうんだから、わかんねへじでへヨ。咄ァ横丁ばいりしやしたが、あっしが馴染みで通ってる養生所の三軒向ふに、活動の損料屋があンのヨ。そこで一廻り(七日間)に三遍ツ。いちンちとして、借りねへ日ァねへヨ。市川雷蔵立役の切られ與三郎と辨天小僧。大映ッて活動屋の鼻息があれえ時ぶんにつくった映画だ。だから、隅々まで力ァへってる。画面の端から端まで見応えあるゼ。棟梁は伊藤大輔。撮影、大道具部、小道具部、照明部、みんな年季へえった玄人さん揃いの仕事ヨ。丁場(現場)で手ェぬいてるやつァゐねへヨ。ずいぶんめえに、この二本借り出して、養生所の南蛮布団に寝ころんで観たのヨ。一目惚れサ。で、鳥渡(ちょいと)間ァ空けてまた損料払いにいったわサ。そいでもけへすとき後髪しかれる思ひ。なんとかなんねへか。どふ見たって古い活動だから、いずれ捨直(すてね)でうッちゃるンだらふ。で、「売るときゃァあっしに身請さしておくんなさいなッて頼んでおいたと思ひねえ。それがついこねえだ面ァだしたら、「とっといたヨのご挨拶。うれしぢやァござんせんかい。「兄さんのことだから、五百玉の紛南鐐(まがいなんりょう)一ツでいゝよゥってのよ。二本だから、英世先生いちめへ置いてきなッてのサ。ありがた山(やま)の占め子の兎、たゞどり山のほとゝぎす。見世の姐さんの気ィかわんねへうちにッてんで、あばよッてお持ちかえりッてわけサ。やっと手にゐる雷蔵二本。こいつァ秋から縁起がいゝわい。ちか比(頃)能(いゝ)ことずくめ。わりいことハなかったことにしてるからね、あっしゃァ。

2009年8月23日 (日)

巻の二 徒遊三囲向島百花園(かちあそびめぐるむかふじまひヤくくワえん)

 暑い\/と口々に、汗拭き入る言問団子。さいわい見世はひンやりと、冷房効いたありがた加減。さゝどうぞトだされた熱い茶の旨いこと。砂が水吸うよふに、五臓六腑にしみわたる。さてご注文。一同三色の団子盛合せの揃い踏み。こいつがけふのお目当てヨ。都鳥墨釉でさらりと書いた楽焼の、皿に白茶黄の三種団子。なんど見てもいゝ景色だねェ。白は白あんで、茶は小豆の漉あんで、白玉を芯に外側をくるみ、黄は中外逆。白あんをくちなしで染めたしん子でつつんだ、曲(きょく)の品。三個みんなおんなじぢやァ芸がありやせんもんねェ。此処で一休みふた休み、汗を乾かし、目指すは鳩の町。大通りから、ひょいと小路ィへえりゃァそこがもう鳩の町の跡。こゝがですかいト先達ッつァんに問やァヘイ此処で。見上げる町名表示にやァ、まッごうことなく、括弧付きで小さく(鳩の町)。かれこれ五十年ばかしのめえ、小路の真ン中下水が流れ、客は見世沿いに歩く仕掛け。両脇の見世はそれとわかる桃色緑の陶板(タイル)張り。戸にやァ妖し紫の、板ビードロ嵌めて一目瞭然の造作はいまや何処のごみと消え、立ち並ぶはありふれた町の風景。面影は道の細さのみ。夢さめ、狐につまゝれたるが如し。

   色もあせ たゞの人住む 町になり

 商屋(あきないや)らしき家ひとつもなき中に、運よく水茶屋こぐまあり。一休みと一同でなだれこむト折よく、ひよこ豆の天竺飯(カレー)の用意あり。こいつァ渡りに舟ト腹ァつくってるとこに、肝煎姐さんのご登場。一同やんやの拍手でお出迎え。やっぱり肝煎がいねぢやァ盛り上がりがもひとつかけていけねえや。姐さんのけふの仕掛けハ扇柄水色絽小紋、帯は絽の桃色地に白銀(しろがね)の蝶型、半衿は桔梗。たっぷりの黒髪髱(たぼ)ゆたかに結いまとめ挿す夏かんざしは柄の韻ヲふんで桔梗に蝶。足袋にも帯と合わせて淡薄桃色の柄をとばし、草履はあかるく白銀色。全身いちもくすりゃァ涼しげな極淡い水色の仕上げ。姐さん、やっぱり着物の着こなしァ玄人だねェ、惚れ\/いたしやすゼ。
 さて、腹もできた。鳥渡(ちょいと)風流しに、百花園まで往きやしょうか。何処までついていけるものか、てめえでも皆目検討のつかなかったあっしだが、なんとか往けそうト杖の柄しっかと握りなおし、お供しやしょう百花園。西日背に受け、風流旅烏。どこをどふ歩いたか。いまぢやァ二度と歩けぬ、小路づたい。やがてあらわる木立の一角。檜皮葺(ひわだぶき)の中門くゞりゃァ、江戸文人つどいの場。あっしゃァ七八年も向島の隣に住んでいながら、餓鬼のため、いっぺんも来たことがねへ。ぜひと永年願った処。いまやっとたどりつきやした。肝煎姐さん、先達ッつァん、足弱のあっしに合わせてあゆんでおくんなすったご一同にお礼申しやす。ありがたふおざりィやす。むかしァ梅屋敷とも呼ばれてゐたとか。中門のさきにやァ抱えてあまる梅の老木。梅のみあげる大木なンぞ見たことねェ。実がなっても手が届かねへ。こいで知れるぜ、梅の実ほしさで植えたぢやねェッて根性がネ。そこが文人ヨ。そうこなくちゃ洒落になんねへもんナ。実ィ採って梅干あきないしてたよふぢやァ賤しくっていけねェ。
 野点でおなじみの日除け大傘の下、緋毛氈の床几が一つ。さァ、きーさん真ン中にト肝煎京姐さんにうながされ、腰を下ろすと右にりえ姐さん、左ァ京姐さん、そも隣ァloco姐さん。両手に花どころぢやァねェ。両手に三ツ花。こいつァでけえ罰があたんなきやァいゝだが、ぢゞいのあっしにやァ空恐ろしいやふな仕合せヨ。百年の運がいっぺんに咲いちまったようたゼ。
 浮かれて歩みやァこもれびの中、どこからきたか水色揚羽二匹。離れては寄り、寄っては離れ、雌雄が空(くう)に綾なす恋の舞。肝煎姐さんの帯柄簪柄が呼んだか、えにしの蝶々。夏の仕舞いの恋の一幕。
 園内を一巡して、もふひと歩き。つぎに目指すは玉ノ井の旧跡。色町と知られてゐるが、この地名、きっと名水の涌く地だったものと偲ばれる。西日を背に小路たどれば鉄道の駅。もと玉ノ井駅。駅前の米式肉挟みパン屋の二階で冷たいもので喉をうるおして一休み。扨(さて)ト一同つらなり、先達ッつァんにこゝが戦前の、あっちの道筋が戦後の玉ノ井色街と説明受け、その思いで見ればたしかに小さき西洋酒場などが、無理に挟んだよふにあったりし、形(かた)は変はれどその面影ありやなしやの風情なり。

  玉ノ井ハ 抜けられますト 客を呼び

 近くの禅寺に残る大正街道ト彫った見上げる立派な石碑を見、さらにたどって空襲で焼けのこった玉ノ井楼主の旧居を眺め、けふの徒あすびを終える。

 江戸を発ち 昭和をたずね いまに来る      喜老

2009年8月20日 (木)

昨日去夏今日来秋(なつさりてけふあききたりぬ)

 けふ、明治からこっち、すっかりお馴染みの西洋暦の8月20日。千年ぐれえも日本で使ってる太陰太陽暦、天保暦とも旧暦とも言ふ日本向きのそれによりゃ、夏ハきのふで終り、けふから秋だッてんだが、それにしても暑いねエ。その暑さン中、だれに頼まれたわけでもねえのに、お江戸を往ったり来たりさんざッぱら歩きまわッちまったゼ。
  振出が、柳ばし。大黒屋で昼の天丼。あいかわらずのひっそりした佇まいト気遣い、味の確かさ。あっしゃァ好きだねェ。ごちトでりゃァまえの小松屋で、けふハ手むきあさりトしらすと山椒の佃煮。とって返して西日暮里の駅ン中で、羽二重団子。千駄木へまっわて団子坂下から、三崎(さんさき)坂ァ雪駄引きずり汗流しえッちらおッちら上って行って、或るぎやらりィ。こんちワと訪ねりゃァ、けふはお休み。オッとこいつァしくじった。電話かけりゃァよかったカ。じつァそこなお茶室を見せていたゞかうとの魂胆でおたずねいたしやした次第でしてト。見世の中にゃァ躪口付の壁ごと脇ィ動いて、二畳の囲いがひらける趣向。家の居間の中にこの機関(からくり)で小間をつくったらみごとな面白さ。こいつァ平賀源内鶴屋南北もかんがえつくめェ。お休みンとこ、鳥渡(ちょいと)拝見させていたゞき、その数寄屋の細工に感心。ありがたふおざりィやしたト天窓(あたま)ァ下げ、三崎坂日陰拾いでとぼとぼ戻りゃ半ばの寺で、円朝所縁の幽霊画展。暑さしのぎにもってこいかと思ったが、幽霊は向ふから来るくるものこっちからのこのこ往くもんじゃァあるめえト跡にし、菊見煎餅買い込み、団子坂下四ツ辻の水茶屋で一息ついたけふのお粗末。

2009年8月19日 (水)

巻の一 徒遊三囲向島百花園(かちあそびめぐるむかふじまひヤくくワえん)

 みんなで行こうよゥッてェ肝煎姐さんのひと声で。ついこねえだの鳥渡(ちょいと)秋まがいの乾いた日。七十六間(しッちゅうろっけん)吾妻橋、渡って松平越前守さま御下屋敷、いまぢやァ隅田の奉行所に衣更。そこに集まりし、老若男女。きれいどころがお三方、真ッ先にお見えの姐さんハ暑さ見越しての肩だし洋装、焦茶の色仕立てが渋い色。浴衣の姐さんお一人ハ白地の絽木綿。目にも涼しく、鯉の滝のぼりの藍染。白の帯にハ秋風に舞う紅葉の葉数枚、残る暑さに一陣の、涼風呼びこむお仕立て。草履の赤が効かせどこ。もうお一方のきれいどこ、お浴衣ハ目にも爽やか真ッ白地。てんてんトあしらった鬼灯(ほおずき)柄ハ縁台庭先の夕涼み、そんな景を思はせる涼しの柄。みなさんご趣味がいゝねェ。男ざかりがお三人。若旦那のお浴衣ハ黒染乱れ細縞白抜きの渋好み。〆る帯ハ鼠の献上博多、貝の口。足元ァ焼桐下駄、素足で決めた鯔背(いなせ)の形(なり)。洋装の男衆(をとこしゅ)は、お一人ハ時花(はやり)の黒仕掛け。もう一方(ひとかた)は唐渡りばせを果実つなぎ紋柄アロハで夏真ッツァかりのご趣向ヨ。加えていたゞくあっしハ暑さ除けにと越後上布の枇杷色染、帯ハ紫地にところ処銀糸緑の縞模様、絹絽の夏帯、伊達の片挟み浪人気分。その腰に、ぶち込んだハ女持(めもち)の喜世留(きせる)筒。ぶら下がりは藍染め仕立ての多葉粉(たばこ)入れ。銅(あか)の真ン丸留め金具。雨に煙る蔵前大川の筏流しの図。筏師のかぶる蓑は銀象嵌、笠は真鍮、錺(かざり)職人の腕の見せどこの極小細工。手にハかれこれ廿年、使い込んだ勝色(かちいろ)合財袋。柄ハ勝虫ト武家や勇(いさみ)の兄哥(あにィ)がお喜びのとんぼ散らした印傳仕上げ。秋の先取りでちッたァ涼しさ感じていたゞけやしょう。けふも右手にァ古相棒の黒檀杖。南鐐(なんりょう)の握りしっかと掴み、こいつが頼りの外歩き。
  奴のあっしなれど、杖突き老体なれば、露払にも箱持の役にもたゝねへやくたいなれど、どん尻ヲあい勤めやしょうト空(から)元気。どこまで皆さまがたについて往けるか。こゝハ出たとこ勝負の徒遊。行き倒れたそのときハ辻駕篭ひろって、勝手ながらのご無礼山(さん)。そこまでお供ヲさせておくんなせェ。これで面子(めんつ)がお揃いト音頭とるのハけふの先達(せんだッつ)ァん。地の生れ。若いながらも気遣いおさおさおこたりなく、明治の比(頃)のこの地の絵図。隠しに忍ばせての道案内。肝煎姐さんハ先で出会うお約束、そいじゃァぶらぶら往きやしょう。
 さて振出ハすぐに渡る源兵ヱ橋。架かる掘割のその先は、矩(かね)に曲がって味江戸一番とその名も高き蜆で、かつてしれた業平橋。いまァどうなってゐることやら。
 源兵ヱを渡れば水戸さま御下屋敷。そこがいまでは、知らねえ人もまさかハゐねへ隅田公園。そろそろ散りかけ桜の葉陰ひろいつゝ、墨堤をふらふらとさかのぼりゃァ、右手にあらわる牛嶋神社。のんびりとお昼寝姿の牛さんヲなぜりゃァ効験ありと、言はれて総身なぜるも恥ずかしや。そっとお腰に手をおいて、なまんだぶとハとんだお門ちがいのお念仏。これぢやァご利益あるはずァねへわな。
 信心ついでトいちゃァ罰ィあたるが、先にならぶやふに建つ三囲(みめぐり)神社。江戸ッ側からながめりゃァ浅草川越しに土手の上、ちょこんと覗く鳥居の天窓(あたま)。その眺めが絵にもかゝれた名所の神社。名高いのぞき鳥居はのこちゃァゐるが、ご維新後の無粋もん、見せねへ魂胆か、鼻ッつァきに首都高々架の足ィおッたてやがった。まッたく野暮は始末におえねへ。絵になんねへことしておくれだゼ。
 お稲荷さまだけに、両脇で番をするハ狛犬ならぬこんこんさん。それもにっこり笑顔の愛想狐。寄進ハご存じ越後屋さん。さすがの商売上手。まいどありィの笑みにやァ負けやすゼ。
 そッからまわる見番通り。やはりこゝハ名だたる向島。そこかしこにならぶ風情の料亭。見番の立派な建物。まだまだすたれちゃァおりやせん。
 汗を拭き拭き日陰ひろって往きやァ、お待ちかねの言問団子。鳥渡(ちょいと)休んで、いきやしょか。
(つづく)

2009年8月11日 (火)

東橋浮名甘露梅(わたるかわかぜうきなのかんろばい)

 先だってのこと、浅草川[※1]を吾妻橋で渡ってちょい上手。鼈甲簪(べつこうかんざし)お似合いの、粋な姐さんのお声かけ。吉原をしのぼうッてェ魂胆の会。あすこがなくなってかれこれ五十年。歳月の流れハ川のながれに似て、とめどもなしの早さなり。こちとらも気づきやァ、いつの間にやら顎ハ白髭神社[※2]。天窓(あたま[※3])ハ湯島天神急階段の抜け上がり。おぼつかぬ腰は角帯さゝえの虚(にせ)伊達姿。ご維新からこっち、吉原の妓楼、花魁、新造、禿、幇間(たいこ)に芸者、旦那、その姿を写した写真の収集、よくぞお集めなすったト感服するその数十枚ヲとっぷり見せていたゞきやした。その際に、姐さん馳走の甘露梅(かんろばい)。探しわざわざ取り寄せてくれた深切ありがてえ。こいつァ吉原全盛の江戸の比(頃)でも、誰でもの口にへえるものぢやァなかったトのこと。妓楼の上客にだけ、歳の暮れに配られるいっちの代物(しろもん)。甘露梅ヲ喰ったか喰わねへか、それで塩屋[※4]がきまる目星[※5]になったッてへものだそうヨ。もう吉原のなくなったいま、元の吉原の地でつくる処(とこ)ハなし。さりとていまのお江戸の中にもなし。吉原江戸となんの所縁もなさそうな、遠き雪国にたゞひとッ処。つくるところを探しあて、けふの集まりの引き出物にご用意くだすったありがた物。塩漬の梅をひと粒\/紫蘇の葉でていねいに包んだ逸品もん。口に含みやァ紫蘇のいゝ香り、つゞいて舌にひろがるほどよい蜜の味。歯を立てりやァこれまたしっかりした歯ごたえ。種ハはなッから抜いてあるからしんぺえなし。お得意さまへのお使いもンにそんなどじは踏みやァしねへ。実ハ梅干みてへにやわぢやァなし。気分のいゝかりッとした歯触り。この歯触りが江戸の気ッ風かもしれねえナ。扨(さて)蜜の甘さに塩漬のしょッぱさ。遊び馴れた上客にだけ差し上げたッてえ甘露梅。こいつハ酸いも甘いもかみ分けたお客さまッてへ洒落かねえ。

      甘露梅 蔵ひとッツの すいな味 

【附(つけたり)】
[※1]浅草川。隅田川の別名の一つ。都川とも。吾妻橋から下流を大川とも呼んだ。隅田川の表記には墨田川、角田川、住田川などがある。<日本国語大辞典>
[※2]白髭神社。隅田川上流に架かる白髭橋の東岸の神社。
[※3]天窓(あたま)。江戸の洒落本、滑稽本などで頭をこう表現しているものが多数ある。当時の男性は月代を剃っているので頭頂部が空いており、それを洒落たものか。
[※4]塩屋。自慢する、自慢屋、などの意。手前味噌の語が一般的になった後、さらに洒落てこの語が用いられた。味噌を造るには塩を入れるため、味噌よりも一層自慢する、の意。
[※5]目星。甘露梅の芯である梅干の語呂にかけた。

2009年8月 6日 (木)

魂胆洒落草(はらづもりしゃれなぐさ)

 たばこトいやァ、いまぢやァ煙草と書かなきや手習指南所先生の御丸ハいたゞけねへご時世。答ハひとつッてェことだそふダ。いつからこんなけち臭へお国になッちまったンだい。コウ文科の大哥(あに)さんヨ。江戸の比(頃)の洒落本だの人情本なんぞくってみねへナ。烟草あり莨あり多葉粉ありヨ。どれだッてちやんと読めるのヨ。場にあわせ、文(ぶん)の風行きにあわせて、書き分け使いわけ。自在なもんヨ。あっしがいっちお目にかゝったンぢやァ多葉粉の文字ヨ。いゝ字面ぢやァありやせんかい。お気に入りヨ。この文ン字だから、多葉がなくて粉ばかり、なんて洒落も言へるのヨ。
 咄ァ変わるが、思へば三十路の丁度真ン中、ふとしたことをきっかけ、十七の元服ンときから馴れ親しんだその多葉粉、ぱったりやめて指折りかずえりや早卅(さんじゅう)余年のめぐる歳月。そんな清い生き方を鳥渡(ちょいと)狂わす古道具、覗いた縁が焼け棒杭、また立ちのぼる多葉粉の香り。武家の烟管(きせる)の銀造り[※1]。ふらりとゆらぐ水性[※2]の、またまた覗いた道具屋で、ばったり出会目ェ釘付けの、鼈甲羅宇(べっこうらう[※3])に意匠こらした銀細工、町人使いの女持(めもち)喜世留(きせる)。こふも誘ふ水があっちやァ、やめた多葉粉に復縁ねがい、一服やらずば、しようがあるめへヨ。
 ところで姐さん兄哥さん、多葉粉の三文字、こいつァどふ見ても洒落くせへ。粋の通のとあすびを競う、狂歌文人川柳大尽の洒落が命の文字使い。ト思ふがどっこい、大外れ。なんとあの大老井伊直弼が書き残した茶の湯心得、茶湯一会集(ちやのゆいちえしゆう)。そこに出てくるタバコの文ン字ハ烟草ト多葉粉の二文字。たとえば、待合腰懸の項、こんな具合ヨ。╶─╴烟草(たばこ)盆、上座の方に置く。またこふもある。╶─╴寄付小座敷あらば、掃ききよめ、多葉粉盆・火鉢をも改むる事也。
 こふしてみりやァ多葉粉の文ン字は、洒落者の専売にあらず。べらんめへのべの字さえ使ったことハねえだらふとご推察申しあげる大老さまもお使いたァ、お釈迦さまでもご存じなかったろうヨ。

【附(つけたり)】
[※1]武家の烟管(きせる)の銀造り。銀延べの煙管は武家だけに許されていた。
[※2]水性。浮気性、の意。
[※3]鼈甲羅宇(べっこうらう)。鼈甲柄の羅宇。羅宇は元々はラオスから渡来した竹で、この竹を煙管の真ん中の管とし、前後に火口と吸口を金属で設えた。町人はこの羅宇の煙管に定められていた。

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