柳橋初川風(やなぎばしゝょてのかわかぜ)
浅草橋の停車場[※1]をとんと降り立ちァ安政四年江戸切絵図茅町、右手の浅草御門の方へ鳥渡(ちょいと)行き、一、二丁目の間ァ左に抜けて第六天。その脇第六天門前丁(町)の角にゃアいまハ傳丸[※2]の黒板塀横目で見、突き当たって神田川の川ッぺり。下(しも)へ半丁もくだりゃアその名も粋な柳ばし。手前左に唐文字の招牌(かんばん[※3])。何代目か知らねえがご時世が悪いからッてまさか唐様で書く[※4]てえわけじゃアねえだらふが、けふのお目当て大黒家[※5]。浅草大黒家[※6]の流れをくむと言ふ天麩羅屋。午(ひる)のご奉仕天丼で腹ァつくる腹づもりのお出ましサ。
なめらかな引戸する\/と明け「独りだがよござんすかいト女将に問やァ、「ハイ只今お席を聞いてまいりましょう。すぐにとって返して「どうぞお上がりなすって。お履物はそのまゝでトもっとものご挨拶。黒檀の唐変木に銀(しろがね)の握(にぎり)、長年頼みの杖ェ預け、手すり頼りに二階へ上がり、通されたハ乙粋四畳半。根来[※7]の座卓、藍染縮(ちぢみ)の夏座布団。着ていッたあっしの縞の縮よりよッぽど地がいゝヨ。「只今お席のご用意をいたしますのでトおしぼりに焙茶、桐鉈目の茶托のしつらえ。ぬかりのねえ夏仕立てヨ。こいで三味の音粋筋の、姐さんがにっこり待ってゝでもくれりゃア上々出来の大吉ト文句のつけようもねえンだが、浮世もそこまで甘くねえ。窓辺によって見下ろせば、神田川の川ッちり(尻)。もやふ遊山舟幾艘も、揺れて夕暮れ待つ風情。向岸にャあ無粋なコンクリ西洋建築。ちょい左ィ見りゃアこれまた無骨な鉄骨橋。柳橋の名が泣くぜエ。明治からこっちの西洋かぶれが嵩じ、丈夫で長持ちが一番なンて貧乏こんぢゃふで野暮なもんばッかしおッ建てやがる。消えゆくさまの風情なんて、いまぢゃア薬にしたくたってありゃアしねえ。ゆら\/揺れる川ッ面(かわッつら)と遊山の屋根舟で、行けぬ江戸を天窓(あたま。頭)の奥に想いえがいてト算段したのハよけれども襖越しに聞こゆる隣の艶消し大高声。「なんの\/わずかなもので年商たった百億円、「いや\/大したものですなァなンて、自慢咄にお追従。えゝィ耳障りナ商人(あきんど)メ。生ぐせえ咄ゃア傍迷惑、他人さまの耳にさわらねえやふやってくんねえ。この世ハおめえさんたちだけのもんぢゃアねえ。この見世買い取ったわけでもあるめえ。遠慮を知らねえかい。まるで天下ァとったァ気でゐるンぢゃアありやせんかい。其れッぱかしでその鼻高大声。さぞ信長の声ァでかゝったらふし、秀吉も痩せぢゞいたァ思えねえ大音声か。その分ぢゃア、千代田のお城のいっち奥でまいンち鱚の白焼きひっそり喰ってつゝましくお暮らしの天下人公方様なら、さぞや一言つぶやいたゞけでそのお声ハ雷鳴となって諸国津々浦々まで轟いたこッたらふヨ。ざまみやがれッてンだ。
辛抱してると「お待たせしましたお席の用意が出来ましたト仲居姐さんのご案内ヨ。真ン中に天麩羅鍋、それを囲んで輪形半切の付け台。こざっぱりとした白い布をかけた小椅子に尻ィ置いて、あっしゃアうれしくなったね。椅子の面(つら)がめえへ鳥渡かしげてあンのヨ。ゆきとゞいてるヨ。これなら腰ァ痛くなンねえ。
目のめえにゃア半月盆、小鉢にゃア海老のお頭空揚げ二ツ。跡(後)ハおッつけあがりやすこれで間をつないでおくんなさいッてェこころ遣いだねえ。やることに卒がねえ。気をそらさねえヨ。じきに「お待たせしましたト天丼のご入来。待ってた長さんト蓋をとりゃア、香り立つ胡麻油。丼つゆの甘い香りに生唾わき立つ醤油色。これヨ、これが江戸前。そいでいて仕事にがさつなとこハ微塵もねえ。海老はでかさでおどかすやふな田舎だましハしていねえ。味加減のいゝ才巻海老が二尾。尻尾の先ハすぱッと切り落とした小気味いゝ包丁仕事。色どりと口の調子変えに獅子唐一ッ本。目がさめる緑ヨ。かき揚げも頃合いの寸法。食べやすい大きさッてのをご承知さ。鮨屋も蕎麦屋もそふだが、天麩羅屋も料理の商職人(あきないぢょくにん)。客の食べ加減が分かって一丁めえてえもンでやしょう。
椀は八丁味噌仕立て。具ハ色紙に切った豆腐にくるんと締まった小粒のなめこと三ツ葉。言ふこたァねえゼ。まずお湿りに軽く汁を吸い、本題の丼。才巻海老に歯を立てりャアすぱッと切れる心地よさ。かき揚げの具ハ小海老、小柱、それに大きさ合わせて刻んで混ぜた蓮根が、清々し歯ごたえヨ。外はいゝが中がねッちりしちまってるかき揚げッてのハよくあるが、こゝンちのはそんな不出来ぢゃねえゼ。はなッから喰い仕舞いまでおなじ気分でいけるッてやつサ。
あっしゃこゝンとこ、おまンまッ粒がうっとうしくッてなンなかッたンで、けふも丼いっぺえ持て余すンぢゃアねえかと按じて来たンだが、最後の一粒まで残さずたいらげちまったヨ。丼つゆのかけ加減も心得てるねえ。底に汁が溜まってゝ、米ッ粒がおぼれてるなンて不始末がねえのヨ。うれしいんねえ。そいで仕上げの香の物ハお決まりに三品。どれも塩辛いことのねえ漬け加減サ。口中さっぱりッてえ終わり方ハあっしゃア好きだねえ。
さてご馳走さんト玄関へ下りゝゃア、下ろしたて桐の駒下駄、女将の手できっちり揃えてお待ちッてのぬかりなさ。一から十までうれしい見世ぢゃアねえかい。お勘定はト訊きゃアなんとこれだけの心尽くし楽しませてもらって、日本銀行発行野口英世大博士の複製肖像画たった二枚のありがたさ。まるで、たゞどり山のほとゝぎす[※8]、しめこの兎[※9]。あっしゃ惚れこンだよ。
【附(つけた)り】
[※1]浅草橋の停車場。総武線浅草駅。高架になっている。
[※2]傳丸(でんまる)。http://r.tabelog.com/tokyo/A1311/A131103/13023399/dtlphotolst/35812/?ityp=4
[※3]招牌(かんばん)。看板のこと。喜田川守貞〈近世風俗志(守貞満稿)〉「招牌、俗にかんばんと云ふ。看板なり。」
[※4]唐様で書く。川柳「売家と唐様で書く三代目」にかけた。
[※5]大黒家。http://www.geocities.jp/daikokuya_tempura/index.html
[※6]浅草大黒家。http://www.tempura.co.jp/index.html
[※7]根来。根来塗。朱塗と黒塗のものとがある。根来物とも。とくに黒漆のものは黒根来と呼ぶ。大黒屋の座卓は朱塗。黒漆の上へ朱漆を重ね塗りし、かすれた朱の下から黒が現れ景色となっている。和歌山県那賀郡岩田町の根来寺で中世に始められた。
[※8]たゞどり山のほとゝぎす。只で取ってなんの返礼もしない、の意。骨を折らずに利を得ること。只取に当時の流行語「山」をつけた洒落。〈里言集覧 中〉「たゞどり山の時鳥にスウタタヽトル山の郭公とて時鳥からあることよと、愚按、此諺か今も棋客のよくいふこと也」
[※9]しめこの兎。占子の兎、の意。占子は兎を飼う箱のこと。よって、我が手の内にはいったも同様の物を言うとの説がある。〈道中膝栗毛五上〉文化「やくそくのしろもの占子の兎と」
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コメント
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大黒屋と聞いて、浅草のあの、海老のはみ出した天丼を思い出してしまいましたが、こっちは浅草橋の方!
はあ、もう、天丼が食べたあなってきましたがな。
おおきに、ごっつぉさんでした。
投稿: Hiroko | 2009年6月12日 (金) 11時19分
浅草とは大違い、やっぱり柳橋ですゼ。ぜひ、行ってらッしゃい。粋ないゝ見世ですゼ。
喜の字
投稿: 喜三二 | 2009年6月12日 (金) 21時33分
憎まれ口もトントントンとお達者なら お褒めのお言葉は幾重ねもの気持ちよさ。海老の赤いのと しし唐の青いの 胡麻の香りにお出汁の香り おかみさんの履物をそろえる手まで見えそうですよ。
喜ィ兄さんの良いと悪いの境界線のはっきり見据えてる所 あたしは好いとうと。
投稿: ぱら | 2009年6月13日 (土) 01時42分
おいでなせえ。姐さん、久し振りだねえ。
よく読みとってくだすった。ありがと。うれしいねえ。そのうえ、仕舞いの一言で、あっしの心の臓しと(ひと)突きヨ。憎いヨ、このぢゞい殺しメ。
喜の字
投稿: 喜三二 | 2009年6月13日 (土) 10時01分