無料ブログはココログ

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月25日 (木)

【番外】東京をなめるンぢゃアねへ

 場末のでっけえ駅の構内を横切ってたら、向うから己惚鏡(うぬぼれかがみ[※1])ィ手に面(つら)に肌色白粉(ファンデーシヨン)塗りながら小娘が急ぎ足で来た。「コヲ、姐さん待ちねえ。人中(ひとなか)で化粧なンぞするもんぢゃアねへト思はずあっしゃ怒鳴ッちまったゼ。電車ン中でやってる盆暗(ぼんくら[※2])ァちか比(頃)増えてむかッ腹がたえねンだが、けふの歩きながらッてのハあきれ果てた。遂にこゝまで堕ちたかッてネ。それもやふ、見るからのあばずれならだが、どうみても初(うぶ)な面。おとゝい山からおりて来ましたッてェとこ。渋皮のまンまよ。かなわねえゼ。
 その跡(後)食い物やに行ったら、卓でわけえのが四(よ)ッたり盛り上がってやがる。やけに騒がしいなと見たら、南蛮絵札(かるた)であすんでのさ。「そんなもんハこゝでやるもンぢゃアねだらうふ、仕舞えッて言ってやッたら、中の小娘がくす\/ッて笑いやがった。このあまも盆暗ヨ。この世に怖いものがあるのを知らねえ。別にあっしがその怖いもんッてえわけぢゃアねけど、用心が足りねえッてことヨ。もしも声かけたのが地廻りだったら、くす\/ハ待ってましたの因縁づけのネタ。只ぢゃァすみやせんゼ。「てめえら、善し悪しの区別も親におすわってねえのかトそこまで言ってもまだ手から札ァ離さなねえンで、「それとも、見世に嫌がらせでやってンのかいッて畳み込んでやったら、「いゝえ、違いますトやっと片づけやがッた。おめえらが勝手放題に育った山ン中や野ッぱらと、このお江戸東京は違うンでえ。人さまに迷惑をかけねえやふに、気ィ使って一歩遠慮してすごすッてのが東京の町ッ子ッてえもんだ。東京をなめるンぢゃアねへゼ。
 全国の親御さんよ、躾してから東京へ出してくンな。山育ち野育ちのまンま東京はおッぽりだされちゃア迷惑ヨ。東京はおめえさんたちの馬鹿息子馬鹿娘の捨て場所ぢゃアねえンだ。東京は江戸のじでえからあっしら代々の土地のもんがきちんと仕来りを持ってつくってきた町ヨ。このふるさとヲ礼儀知らずの芥の巣にされちゃアたまらねえゼ。

【附(つけた)り】
[※1]己惚鏡(うぬぼれかがみ)。手鏡、の意。鉄製のものではなく、ガラスを用い裏に水銀を塗ったもの。江戸語。<三人吉三巴白波>万延「こゝに夜鷹のおはぜ、小さな箱に化粧道具を入れ己惚鏡で顔をしてゐる」
[※2]盆暗(ぼんくら)。賭博用語。丁半賭博等で骰子を振る場を盆と呼び、丁半それぞれの掛金が揃ったかどうか一瞬で暗算できない者を盆が暗い、すなわち盆暗と呼んだ。間抜け、役立たず、の意。江戸語。

2009年6月24日 (水)

湯上徒谷中(ひとッぷろさんぽのやなか)

 こゝんとこ愚図ついてた空も、けふ(今日)閏(うるう)皐月(さつき)朔(ついたち)[新暦6月23日]ハ昼から抜けるやふな青い空。これがほんとの五月晴れ[※1]。暑さハこの夏のいっち[※2]ながら、青い空に誘われて、千駄木駅でればそこハだんご坂下。日を背に受けて、上る三崎坂、柳の並木ハ風の波、打ちくる緑のその風を、白絣の袂に入れてのそゞろ歩き。ものゝ一丁か二丁行く、番所[※3]のちょい先、大福帳と記した招牌(かんばん。看板)が目にへえる。これぞご存じいせ辰[※4]ヨ。見世の善し悪しどこで観る。でかさで見るハ田舎者、佳と言えるハそのきっちりとぬかりのねえ佇まい。見世にゃア主の性根が隠しても表れるもの。目のゆきとどくことをでえじにすりゃア見世はおのずと小体におさまる。間口一間半ほどの小体な造りのいせ辰で、まず目ェひいたンは、藍の水面に白い帆散らした時期の手拭一本。もひとつ紅紫の菖蒲の花が咲き乱れる江戸団扇。包んでもらい、とって返して、番所前をもどりゃア丁度湯屋[※5]のゝうれん(暖簾)がかゝったとこ。もッけのさいわい、渡りに舟。がらりと格子明けて、湯銭偽銀番台にチャリンと投げ、さッと一浴び汗流し、ヘイお邪魔さまで通りまたいで菊見せんべい[※6]。こゝちの佇まいときちゃア思わず涕がでらア。江戸の商家の二階建。むかしゃこんなのがずらりと軒を並べていたンだが、いまぢゃア残してくれてありがとさんの大の代物。こゝで買わなきゃどこで買うッてものよ。あれとこれとゝ買わせてもらって、ハイあばよ。けふハ流れる汗のいちンちだったが、いゝ旅ィさせてもらいやしてゼ、お江戸さん。

【附(つけた)り】
[※1]五月晴れ。旧暦の五月は梅雨であり、その晴れ間を言う語。
[※2]いっち。一番、の意の江戸弁。
[※3]番所。交番
[※4]いせ辰。http://www.tctv.ne.jp/miyakyo/tenpo/kikujudoIsetatsu/index.html
[※5]湯屋。朝日湯。脱衣場の床がきれいで気分がいい。洗場な高い天井に昼下がりの光が反射し清々しかった。湯銭大人400円、手ぶらセット(タオル等)100円。
[※6]菊見せんべい。http://qppp3.exblog.jp/7884581/

2009年6月21日 (日)

【番外】「冷酒」 閑話休題(ひまつぶし)

_img  いよ\/蒸し暑くなってきやがった。となると、やっぱり暑気払いヨ。薩摩切子の義山(ぎやまん)で、冷酒だヨ。切子ハあっしとしちゃア江戸といきてえンだが、なか\/手にへえンねへ。なンですッてネ。江戸切子は色伏せしねえンだってネ。薩摩ぢゃ江戸から切子の職人引ッ張ってッて、そいで義山始めたさふだッて聞きやしたヨ。薩摩は色ンとこがすくねえほど高直(こふじき[※1])ださふだから、あっしのこれだって見らンねへやふんなもンぢゃアねえでやしょう。赤絵の瓢箪徳利、あっしゃこいつが好きでねえ。歳だね。赤絵が無性にいゝンだ。元気がでるッてのかネ。皿ン中に赤で寿なンで書いてあンのがありやしょう。あンなもん、口先筆先ッてえこたァ分かちゃアゐるンだが、そいでもうれしくなッちまうのヨ。歳ィとると甘ッちょるくなるもンよ。だから歳ィいってからのあすび(遊び)ハあぶねへッて言ふンだね。若い女(こ)に鳥渡(ちょいと)やさしくされりゃアいちころヨ。あっしなンか自慢ぢゃアなへが、若くなくったてコロリとまいッちまうヨ。
 冷や酒は躰に悪いッてのハむかしッから言ふネ。酒ッてのハ胃の腑ン中で躰とおンなじにあッったまってから、躰ァめぐるやふになるそふでネ。そいだもンで、酔がまわるめえに呑み過ぎちまふッてンで、燗して呑めェてえことらしい。でも、夏ァしゃッこい[※2]のが口当たりがよくってやめらンねえ。で、呑みやしょう。ついくい\/いッちまふ。結句(けっく[※3])生酔(なまよひ[※4])。態(ざま)ァねえヤ。
 ほんもンの酒ェ呑めえッて言ふがあっしも紛(まがい)ハ大の字付きのきれえヨ。焼酎ハ呑まねへ。若い時分にゃアちゅうッて言って、まともなもンは口にしなっかたネ。ほんもンの酒ァなンだッて言やあ、そいつア純米酒でやしょう。でも、本醸造ッてのもあるンだよね。これにゃア醸造用アルコールッてのがへッてえる。焼酎ヨ。そんなもんをなんで本ッて言ふかッてえバ江戸の終りン比(ころ。頃)酒に焼酎入れてたンだ。水増しヨ。米の値段が上がってしょうがねえンで、そいでこの手でしのいだッてえわけサ。それを今、江戸の比にやってたんだから正しいッてンで、本の字付きで名乗るのはなんかおかしかアありゃやせんかいッてあっしゃア思ひやすのサ。酒ァ米だけで造ンなきゃアね。

【附(つけた)り】
[※1]高直(こふじき)。高値、の意。江戸語。
[※2]しゃッこい。冷たい、の意。冷やッこいがさらに訛った言葉。江戸弁。
[※3]結句(けっく)。結局、の意。江戸語。
[※4]生酔(なまよひ)。泥酔。酩酊。江戸語。

2009年6月14日 (日)

【番外】喜三二腰痛変化(きさんぢやうつうへんげ)

 もふ丸二年ヨ。去年の夏に十五年振りの冷房くらし。そいつがたゝって、おとゝしの引越しで天窓(あたま。頭)出してた腰痛がいきおいつけやがって、ゐすわッちまった。坐骨神経痛ッてェ立派な名前持ちヨ。ところがどっこいあっしゃァ物持ちなんで、腰痛もゝ一つあンのヨ。どうだ、驚いたかッてネ。
 腎臓がオッ潰れると梅干しみてへにしなびるのかと思いきや、濃疱ッてのができるらしい。養生所の赤髭がそう言ふンだね。そいであっしゃァかんげへたヨ。天気が下り坂になるとたまらなく痛くなるのハそいつのせいぢやァねへかとネ。気圧が下がると、海の水まで持ち上がるンだそふだ。あっしの腹ン中の疱を膨らませるくれへ、朝飯めへだらふサ。けさ起きたら滅法界体が軽い、気分もいゝ。こいつハいけるッてんで、ちぢみの長着と麻の長襦袢洗濯して、昼飯に繰り出してたらまた痛みだしてきやがった。飯屋でて空ァあおぎゃ案の定曇ってきてンのさ。天気知りたきゃ、あっしの腰に聞きな。誰かさんの予報より当たるゼ。

風柳午褄弾(ふうりうひるのつまひき)

 ごッつォうさんト大黒屋[※1]をでりゃア、向いハ小松屋[※2]さん。柳橋も啌(うそ)かくれもねえその橋の袂、比(頃)合いの柳一本ワキに立て、こじんまりと控えた見世構え。白木のきざはしとん\/\/ト上がり、「ハイ御免よト面ァつッこみむ。こゝンとこ金春(こんぱる)通りの三河屋[※3]さんで間に合わせちゃアゐたが、目のめえまで来てゐて素通りハできねえご縁。佃煮買うならこゝンちッきゃアねえッてエあっしの入れ込み。佃煮ッて言やァ日持ちするもんッて昔ッから決まってンだが、欲こいてそれよりもたせやふッてンで妙な薬入れてンのが余所にゃたくさんあるらしいが、こゝンちのにァそんなからくりがねえのがあしゃアお気に入りッてェわけヨ。混ぜもんしてねえのは、喰ってみりゃいっぺんでわからァ。お分かりぢゃねえお方ハ止しにしときな。そんな奴ァ喰ふだけ無駄。食べもんになってくださる貝や昆布だの醤油や味醂、汗水流してつくる見世の大将の精根も無駄になるからナ。分かる奴だけ来りゃアいゝのヨ、ちッせえ見世なんだから。大将、いつものにっこり顔で「いらっしゃいましのお出迎え。「暑くなりやしたなト時候のあいさつ、途端に待ってましたの追ッ風。縮の帷子(かたびら)麻の長襦袢、体ン中ァさあッと駆け抜ける川風のこゝちよさ。桐駒下駄麻足袋の、足の指まですが\/しい。「いゝ風が、通りやすねえェ。江戸もいまぢゃあ東京と、名ァ変えたがいつのまにやらどさくさに、江戸ッ子なら鼻もしっかけねえ、朱引[※4]ご府外のド田舎までも繰り入れて、いまぢゃアあっちもこっちも堂々の都面(みやこづら)、あっしゃアそのしがねえ片田舎住い。隅田の川風袂に入れてお暮らしなんて小松屋さん、ほんにおめえさんハ果報もんだゼ。
  大の字付きのお気に入り、手むき浅蜊と醤蝦(あみ)の佃煮桶二ツ、包んでもらい、でハまたまいりやしょうトおさらばし、きびす返して渡る水面の柳橋。江戸の昔のことならバ木組造りの太鼓橋、ぢゞいと言へども桐下駄の、からころはずむ音色(ねいろ)も涼しげだッたらふが、いまァ無骨の鉄筋西洋造り。風情もそっけもありゃアしねエ。そいでも下(しも)ォ見りゃア、神田川がとんとぶッかる大川の、波打ち寄せる向ふ岸。遠目にながむる岸辺り、咄に読んだ百本杭[※5]。その跡形もいまぢゃア野暮なコンクリ土手。緑のみの字も見あたンねえ。都々逸の粋な文句ぢゃアねえけれど、ものゝ半丁も往かないうちに、もふひらけて広小路、両国橋の西詰[※6]。なんてえこったア江戸一二の盛場も、人気(ひとけ)のけの字もねえさびれやふ。渡った先に赤幟。薬研堀[※7]不動尊[※8]。風にはためき招く招牌(かんばん。看板)、幟の並び。名高きこの堀の名も、いまにとゞめるのは、七色唐辛子かお不動か。江戸のとっくに埋立くって跡形もなし。小路の奥のお不動に偽銀いちめえチャリンと投げ入れ天窓(あたま。頭)ァさげ、ふと耳すましゃア、ありゃア爪弾く三味の音(ね)か。お堂のとなり辺りから洩れ聴こえるか。あゝお江戸さんヨ、生き残ってゝおくれだねエ。うれしいゼ。かすかなその音に合せ、なにやら唄ってゐるやら口ずさみ。聴こえるやふな聴こえぬやふな。その気配のほどがまたいゝねえ。
 江戸は建物ぢゃアねえネ。風情と気ッ風ヨ。ちか比(頃)在も在、新出来の東京にもへえンねえ田舎に江戸を思わせる町並が残ってるッてンで、小江戸とか言ってもてはやすが、そいつァあっしにゃア合点がいかねえ。それハ江戸のじでえ(時代)であっても、江戸の町ぢゃアありやせんでしゃう。町ァ江戸の気ッ風がなけりゃア、建もんが似てゝも別もんヨ。こゝらが線の引き分けでやしょうヨ。ヲッといけねえ、お不動さんが二階よりもたけえ処(とこ)にあるせいか、柄にもねえ偉そうなことほざいちまったゼ。退散、たいさん。あばよ。

【附(つけた)り】
[※1]大黒屋。天麩羅。http://www.geocities.jp/daikokuya_tempura/index.html
[※2]小松屋。佃煮屋。http://www.tsukudani.net/order/
[※3]三河屋。http://www.ginza-mikawaya.jp/items/gift2/02.html
[※4]朱引。御府内を示す境界線。文政元(1818)年に幕府が定めた。東は砂村亀戸木下川須田村、西は代々木角筈戸越上落合、南は南品川宿大崎、北は荒川を限りに板橋まで。この二廻りほど内側に墨の線引きが在り、町奉行の管轄範囲はそこまでである。
[※5]百本杭。ひゃっぽんぐい。本所横綱町一丁目先の大川端の俗称。水除けに沢山の杭が打ち込まれていたのでこの呼び名が生れた。かつてこの辺りから、浅草瓦町への渡し船富士見の渡があった。
[※6]両国橋西詰。渡れば房州、こっちの江戸は武州。二つの国を結ぶので両国橋の名。橋の両端に火除 地として広小路が設けられていた。小芝居などの仮小屋が許され、栄えた。
[※7]薬研堀。①両国橋から南西へ一丁(約100m)ほどのところにあった掘割。細長い形状が生薬などを磨り潰す薬研に似ていたところからこの名で呼ばれた。お米蔵への舟路。明和八(1771)年、蔵の築地移転にともない、埋立られた。堀名であると同時に埋立地であるこの辺り一帯の俗称でもあった。踊り子とも呼ばれた転び芸者が多く住んでいた。②薬研堀不動尊の略。
[※8]薬研堀不動尊。江戸三大不動尊の一つ。かつては薬研堀の堀止まりに位置していた。元禄三年(1688)年、勧進で諸国を廻る六十六部が置いていった不動尊を祀ったのが始まりと伝えられている。毎月二十八日が縁日。三大不動の残り二尊は、目黒と目白である。

2009年6月12日 (金)

柳橋初川風(やなぎばしゝょてのかわかぜ)

 浅草橋の停車場[※1]をとんと降り立ちァ安政四年江戸切絵図茅町、右手の浅草御門の方へ鳥渡(ちょいと)行き、一、二丁目の間ァ左に抜けて第六天。その脇第六天門前丁(町)の角にゃアいまハ傳丸[※2]の黒板塀横目で見、突き当たって神田川の川ッぺり。下(しも)へ半丁もくだりゃアその名も粋な柳ばし。手前左に唐文字の招牌(かんばん[※3])。何代目か知らねえがご時世が悪いからッてまさか唐様で書く[※4]てえわけじゃアねえだらふが、けふのお目当て大黒家[※5]。浅草大黒家[※6]の流れをくむと言ふ天麩羅屋。午(ひる)のご奉仕天丼で腹ァつくる腹づもりのお出ましサ。
  なめらかな引戸する\/と明け「独りだがよござんすかいト女将に問やァ、「ハイ只今お席を聞いてまいりましょう。すぐにとって返して「どうぞお上がりなすって。お履物はそのまゝでトもっとものご挨拶。黒檀の唐変木に銀(しろがね)の握(にぎり)、長年頼みの杖ェ預け、手すり頼りに二階へ上がり、通されたハ乙粋四畳半。根来[※7]の座卓、藍染縮(ちぢみ)の夏座布団。着ていッたあっしの縞の縮よりよッぽど地がいゝヨ。「只今お席のご用意をいたしますのでトおしぼりに焙茶、桐鉈目の茶托のしつらえ。ぬかりのねえ夏仕立てヨ。こいで三味の音粋筋の、姐さんがにっこり待ってゝでもくれりゃア上々出来の大吉ト文句のつけようもねえンだが、浮世もそこまで甘くねえ。窓辺によって見下ろせば、神田川の川ッちり(尻)。もやふ遊山舟幾艘も、揺れて夕暮れ待つ風情。向岸にャあ無粋なコンクリ西洋建築。ちょい左ィ見りゃアこれまた無骨な鉄骨橋。柳橋の名が泣くぜエ。明治からこっちの西洋かぶれが嵩じ、丈夫で長持ちが一番なンて貧乏こんぢゃふで野暮なもんばッかしおッ建てやがる。消えゆくさまの風情なんて、いまぢゃア薬にしたくたってありゃアしねえ。ゆら\/揺れる川ッ面(かわッつら)と遊山の屋根舟で、行けぬ江戸を天窓(あたま。頭)の奥に想いえがいてト算段したのハよけれども襖越しに聞こゆる隣の艶消し大高声。「なんの\/わずかなもので年商たった百億円、「いや\/大したものですなァなンて、自慢咄にお追従。えゝィ耳障りナ商人(あきんど)メ。生ぐせえ咄ゃア傍迷惑、他人さまの耳にさわらねえやふやってくんねえ。この世ハおめえさんたちだけのもんぢゃアねえ。この見世買い取ったわけでもあるめえ。遠慮を知らねえかい。まるで天下ァとったァ気でゐるンぢゃアありやせんかい。其れッぱかしでその鼻高大声。さぞ信長の声ァでかゝったらふし、秀吉も痩せぢゞいたァ思えねえ大音声か。その分ぢゃア、千代田のお城のいっち奥でまいンち鱚の白焼きひっそり喰ってつゝましくお暮らしの天下人公方様なら、さぞや一言つぶやいたゞけでそのお声ハ雷鳴となって諸国津々浦々まで轟いたこッたらふヨ。ざまみやがれッてンだ。
 辛抱してると「お待たせしましたお席の用意が出来ましたト仲居姐さんのご案内ヨ。真ン中に天麩羅鍋、それを囲んで輪形半切の付け台。こざっぱりとした白い布をかけた小椅子に尻ィ置いて、あっしゃアうれしくなったね。椅子の面(つら)がめえへ鳥渡かしげてあンのヨ。ゆきとゞいてるヨ。これなら腰ァ痛くなンねえ。
 目のめえにゃア半月盆、小鉢にゃア海老のお頭空揚げ二ツ。跡(後)ハおッつけあがりやすこれで間をつないでおくんなさいッてェこころ遣いだねえ。やることに卒がねえ。気をそらさねえヨ。じきに「お待たせしましたト天丼のご入来。待ってた長さんト蓋をとりゃア、香り立つ胡麻油。丼つゆの甘い香りに生唾わき立つ醤油色。これヨ、これが江戸前。そいでいて仕事にがさつなとこハ微塵もねえ。海老はでかさでおどかすやふな田舎だましハしていねえ。味加減のいゝ才巻海老が二尾。尻尾の先ハすぱッと切り落とした小気味いゝ包丁仕事。色どりと口の調子変えに獅子唐一ッ本。目がさめる緑ヨ。かき揚げも頃合いの寸法。食べやすい大きさッてのをご承知さ。鮨屋も蕎麦屋もそふだが、天麩羅屋も料理の商職人(あきないぢょくにん)。客の食べ加減が分かって一丁めえてえもンでやしょう。
 椀は八丁味噌仕立て。具ハ色紙に切った豆腐にくるんと締まった小粒のなめこと三ツ葉。言ふこたァねえゼ。まずお湿りに軽く汁を吸い、本題の丼。才巻海老に歯を立てりャアすぱッと切れる心地よさ。かき揚げの具ハ小海老、小柱、それに大きさ合わせて刻んで混ぜた蓮根が、清々し歯ごたえヨ。外はいゝが中がねッちりしちまってるかき揚げッてのハよくあるが、こゝンちのはそんな不出来ぢゃねえゼ。はなッから喰い仕舞いまでおなじ気分でいけるッてやつサ。
 あっしゃこゝンとこ、おまンまッ粒がうっとうしくッてなンなかッたンで、けふも丼いっぺえ持て余すンぢゃアねえかと按じて来たンだが、最後の一粒まで残さずたいらげちまったヨ。丼つゆのかけ加減も心得てるねえ。底に汁が溜まってゝ、米ッ粒がおぼれてるなンて不始末がねえのヨ。うれしいんねえ。そいで仕上げの香の物ハお決まりに三品。どれも塩辛いことのねえ漬け加減サ。口中さっぱりッてえ終わり方ハあっしゃア好きだねえ。
 さてご馳走さんト玄関へ下りゝゃア、下ろしたて桐の駒下駄、女将の手できっちり揃えてお待ちッてのぬかりなさ。一から十までうれしい見世ぢゃアねえかい。お勘定はト訊きゃアなんとこれだけの心尽くし楽しませてもらって、日本銀行発行野口英世大博士の複製肖像画たった二枚のありがたさ。まるで、たゞどり山のほとゝぎす[※8]、しめこの兎[※9]。あっしゃ惚れこンだよ。

【附(つけた)り】
[※1]浅草橋の停車場。総武線浅草駅。高架になっている。
[※2]傳丸(でんまる)。http://r.tabelog.com/tokyo/A1311/A131103/13023399/dtlphotolst/35812/?ityp=4
[※3]招牌(かんばん)。看板のこと。喜田川守貞〈近世風俗志(守貞満稿)〉「招牌、俗にかんばんと云ふ。看板なり。」
[※4]唐様で書く。川柳「売家と唐様で書く三代目」にかけた。
[※5]大黒家。http://www.geocities.jp/daikokuya_tempura/index.html
[※6]浅草大黒家。http://www.tempura.co.jp/index.html
[※7]根来。根来塗。朱塗と黒塗のものとがある。根来物とも。とくに黒漆のものは黒根来と呼ぶ。大黒屋の座卓は朱塗。黒漆の上へ朱漆を重ね塗りし、かすれた朱の下から黒が現れ景色となっている。和歌山県那賀郡岩田町の根来寺で中世に始められた。
[※8]たゞどり山のほとゝぎす。只で取ってなんの返礼もしない、の意。骨を折らずに利を得ること。只取に当時の流行語「山」をつけた洒落。〈里言集覧 中〉「たゞどり山の時鳥にスウタタヽトル山の郭公とて時鳥からあることよと、愚按、此諺か今も棋客のよくいふこと也」
[※9]しめこの兎。占子の兎、の意。占子は兎を飼う箱のこと。よって、我が手の内にはいったも同様の物を言うとの説がある。〈道中膝栗毛五上〉文化「やくそくのしろもの占子の兎と」

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

最近のトラックバック

2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31