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2009年4月25日 (土)

【番外】花より団子の巻<十七>川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)

   花落ちて 餅ヲ包まン 土手ざくら

 むかしァなかった桜橋で大川わたりァ向島の土手ヨ。この橋ァ花見に行くにァもってこいだねえ。こいつのねえ比(頃)にァ吾妻橋か言問橋わたンなきァなかったンだ。江戸のむかしにァこの辺(へん)に竹屋の渡しッてンで便利してたッてえ咄だ。桜橋のいゝのハ人ッきりわたれねえとこだネ。車がわたるとうるさくッてしょうがねえ。吾妻橋ァめえにァ車だけぢァねえヨ。都電もわたってたもんネ。がたぴし騒がしいやネ。
 向島の土手、洒落てンだかどうだか知らねえが、墨堤なんて言ふネ。こういう漢語風ッてのハ偉ぶった明治なんかに増えたが、これもその口かも知れねえ。その墨堤を上(かみ)ィ鳥渡(ちょいと)歩くと土手下からいゝ香りヨ。ご存じさくら餅だゼ。長命寺の寺男が桜の葉を塩漬けにしといて、そいで餡入りの餅ィ巻いたッてんで、江戸の比ッから名物ヨ。屋号はたしか山本。こゝは一ツの餅をさんめえ(三枚)の葉ッぱで巻く大盤振る舞いヨ。並の桜餅ァ葉ッぱ一枚だゼ。これだけでも江戸ッ子の気前のよさが分かるッてもんヨ。どうでえおどろいたか、なんてネ。なんでも鼻高々になっちまふのが江戸ッ子のおっちょこちょいヨ。しょうがねえゼ。堪忍しな。
 でサァ、名物だもんで、こゝで茶ァもらってさくら餅喰いてえだろふ。ところがどっこいだ。あわてる乞食ハもらいが少なえッてやつヨ。鳥渡(ちょいと)先ィ見な。言問団子があンのヨ。どっちィ喰ってどっちィ土産にするかッてんだ。そこが思案のしどころだヨ。

  団子喰ひ いざ言問はン 勘定ハ

 で、あっしァ見世で腰ィ落ち着けて喰ふのハ言問団子にしたッてえわけヨ。長命寺のさくら餅ハ手土産に包んでもらってネ。お楽しみァ九尺店(くしゃくだな)にけえって渋茶相手にてえ寸法ヨ。団子は三色。小豆、白あん、黄色。串にァ刺してねえヨ。きれいに丸めてあるンだ。そいつが皿にのって出てくる。お茶ハけっこう奢ッてンだよネ。こういう茶店みてえな見世ハでがらしが多いが、オッこりァいけるネって旨さだヨ。まず小豆餡から喰ふ。甘さが軽くていゝねえ。お次の番だよ、白あんさんッてネ。黄色ハ珍しいンでこいつゥ最後にとっといたンだが、黒文字で真ン中から真ッ二ツと思ったらそれが切れねえのヨ。白玉粉だッてえが、腰があるねえ。うれしいねえ。ハリがあっていゝヤ。噛むッてえト鳥渡はねッけえしてくるよふなとこがあッてネ。それがいゝねえ。黄の色ハくちなし染め。中ァ味噌餡だヨ。さっぱりしてゝ〆に喰ふにァお誂え向きだったゼ。うもうござんしたヨ。いゝ気分だねえ。土手の桜は風まかせッてネ。こりァ柳だったか。欲言やァ長命寺が吾妻橋近くにあってくれりャあ、桜餅と団子との二品(ふたしな)が喰えるッてとこなんだがねエ。たがいに近過ぎるのが難だゼ。

【附(つけた)り】
長命寺さくら餅  http://www.wagashi.or.jp/tokyo/shop/1413.htm
言問団子 http://www.kototoidango.co.jp/

2009年4月21日 (火)

【番外】御神籤の巻<十六>川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)

   聖天凶 女(め)より近しハ あの世なり

  こないだの花見ンとき、言問団子のけえりに、山谷堀のとッつきにある待乳山聖天に寄ったのヨ。こゝにァ何年もめえから来てえ\/たァ思っちァゐたが、足腰がまだしっかりしねえンで、ずっと来ず仕舞いヨ。 待乳山ァ山ッてたってェてえしたもんぢァねが、腰よわのあっしにァいゝお山登りサ。こゝの土がほんもんの土ッてンで、真土山ッて古くは書いたンだそうだが、いまァ山肌なんて出てねえでみんな境内になって人の手がかゝってるから、泥のこたァ分からねえ。観音さまの浅草寺のいつもの賑わい見慣れてるあっしの目から見りァこゝハ淋しいねえ。参拝の姿はほんの三組五組。だもんでちったァにぎわかしになるかト線香あげて賽銭投げ入れ、調子のついでに御神籤引いてみたのサ。そしたら出ましたねェ。凶。あっしァ凶ッてのハいまゝでどこ行ってもいっぺんもしいた(引いた)ことねえヨ。初めてサ。お祝いしなきァとも思ったが、やっぱりいゝこころもちゞァねえヤ。そいだもんで、きれいさっぱり縁を切ろうッてンで、脇に結んでけえってきたッてェわけヨ。そう言やァそうだよナ。初めて行って偽銀いちめえチャリンと投げ込みどたまァ(ド頭)下げて、吉だの大吉欲しいなんてのハ虫がよすぎるッてもんヨ。もっとお賽銭積んでから御籤ハ引きなッてネ。二股大根ぶッちがい、男女和合の神さまも甘かァねえゼ。

   観音で 大吉引て 家移りす

  聖天さまで味噌つけたンで、厄払いに日をあらためて観音さまァ行ったと思ってくんねえ。そいで御神籤を引いたネ。そしたら、出ましたヨ。大吉。なんせ観音さまにァいまゝでお賽銭積んであッからねえ。ご利益\/、なんて賤しくなっちァおしめえだが、そこンとこハあちらさまだって朴念仁ぢァねえ。以心伝心、魚心あれば水心ッてわけヨ。観音さまもさばけてるねえ。もふおとゝしのいまッ比(頃)になるかねえ。御神籤しいたのサ。そしたら吉ヨ。家移りよしトでましたねェ。念のためッてんで、梅雨ッ比と明けたあッつい盛りにも引いてみたら、つゞけて家移りよしサ。こいつァ縁起がいゝてンで、八つのお山ァ引き払って生れ里のお江戸に舞い戻ったッてことサ。またこんど、どっかに移るかッて尻ィむず\/してきたンで、この御神託で家移りも安堵してゞきるッてわけだ。ありがたふおざりィやす。

2009年4月16日 (木)

和蘭陀勘定(やぼはおよしよ)

 こないだの花見ンときに兄貴分と咄してゝ、銀座裏にむかしあった蕎麦屋のことになったンだ。兄分とあっしァ一緒の宮仕えしてた仲なんだが、そんとき昼に腹ァつくりによく行った見世がそれヨ。古い構えの蕎麦屋でサ。見世と釜場との間に半畳ばかしの帳場がしつらえてある。そこにいつも明治生れの婆さんが座ってンだ。漱石だったら、明治で売れ残って大正で店晒しになったなんて悪口言ひそうだヨ。その婆さんがいつも猫ォ抱いてゝネ。それを言ったら、兄哥(あにィ)もすぐ思ひだして「あの勘定のできねえ婆さんねッてのヨ。あれ、こりァ洒落言ッてンのかなッて思ッたゼ。商(あきない)やってゝ勘定できねえのが帳場ァ座ってちァ商売になんねえ。そりァねへよナ。そしたら兄哥がサ。「割り勘でッて言ふと、あの婆さんいッつも怒ってたぢァねえかッてのヨ。それよ、あっしもいまその咄ィしようと思ったとこヨ。そいで、こっちァいつも申しわけねへッてこゝろもちになッちまッてさァとネ。あっしァしがねえお店もんだ。いくたンびに、一人でみんなの分請け負ってちァ懐がもたねえし、第一たがひに横並びの身。連れ立ッちァゐるが子分手下(てか)でなし。あっし同様の奴(やっこ)ヨ。そんな仲で誰か一人が「コウけふハおれにまかせとけ、なんて言やァ出過ぎた野郎だぜッてことにならァ。だからいッつも一人\/「狸そばいくら、とか「俺ハおかめなんて、しまらねえことォ言って並ぶもんで、婆さんガぢれて怒るのヨ。「なんだい、いゝ若いもんが、誰かゞまとめて払いナってネ。そりァ婆さん、分かってンのヨ。でもサ。それができねえのサ。すまねえなッてネ。あっしァ婆さんの言ひてえこたァ百も承知ヨ。だがサ。二十年もたったいまァ兄貴分とたま\/咄てみて、まったく勘ちげへしてた人もゐたンだなァってことが分かったッてえことヨ。婆さんが言ひたかったッてえことハ和蘭陀(おらんだ)勘定なんて野暮な真似ェすンぢァねえよッてことサ。こゝハ下町銀座だよッてネ。割り勘なんて、和蘭陀か兵隊のやること。銀座の町ッ子のやるこッちァねえよッてことなんだが、兄哥だってそんなに遠くの田舎出ぢァねえ。礼儀だから生れハこっちから訊いたこたァねへが、どこそことか言ってたがそんなにお江戸から離れたとこぢァねえようだった。訛もねへし。そんなこんなで忘れちまったが、春の塵除外套(ダスターコート)なんぞハわざ\/日本橋の丸善で買うようなお人だし、田舎\/した人ぢァねえンだが、そいでも婆さんがあっしらわけえ(若い)もんに野暮ハおやめッてえ思ひで言ってくれてるンが分かってゐなかったンだってのハ正直言ってあっしァおどろきだったねェ。江戸に三代生れ育たねえト江戸ッ子にァなれねえッて言ひやすが、やっぱりそうなんだねェ。野暮と粋との境目なんぞハ糸ォ張ってあるわけぢァねへから分からねえト言やァ分からねえ。そこんとこが、こりァ粋だな、こいつァ野暮だなッてスッと嗅ぎ分けらンなきァいけねえ。教わンなくてもできるよふになんねえといけねえ。もっとも教わってゞきるようなもんでもねえけどネ。サテあっしァできてンのかねえ。そいつが分かンねえのヨ。ま、だから修業ッてことだネ。

2009年4月15日 (水)

【番外】今ハ昔(むかしがたり)

 都電が走ってた比(頃)のことだから、東京たッて五十年の余も昔の咄ヨ。上野から柳島行きのそれが稲荷町(いなりちやう)の停留所の一ツ先の田原町(たわらまち)の四ツ辻で左へ鉤の手に曲がり、ものゝ一丁も行くか行かねえかでこんどハ右へやっぱり鉤の手に曲がって雷門向かって行くンだが、その僅かな処(とこ)に、ソース焼そば商う見世がずらりとならんでおりやしてサ。店先に大ガラスの窓つくって電気の球吊って、通りから見えるように鉄板の上でどんどん焼くッてえ趣向ヨ。そいつゥ夕暮れどきなんかにがたがた揺れる都電の中から眺めるッてえと、こっちァもう空きッ腹なんだ、鉄板の上でもふもふとあげてる湯気見ッと、あゝどうかして喰いてえもんだト思ふわサ。
 あっし、この世に生を受けて、初めてゝめえでこさえた料理ハ、なんて言ふとえらそうに聞こえやすが、そいつがソース焼そばヨ。買食いしたり見世ェへえってなんか喰ふなんてことハうちゞァ賤しい所業だってンでご法度だったンだが、さすがに中学生になるとその箍(たが)もちったァゆるむはナ。こっちも育ちざかり、いつでも空きッ腹ヨ。そいだもんで八ツ時ぶんにァ、鳥渡(ちょいと)銅銭もらって近所の見世ェ行ってソース焼そば喰ふこと憶えたンがはじまりサ。見世ッてえのはミルクホールの成れの果てみてえなもんでネ。大福だの州浜だの売ってゝ、見世ン中にァ細い鉄パイプの足のテーブルに椅子がいくつかあンだ。コンクリの床が凸凹だからねえ。テーブルも椅子もがたぴしゝてる。食い物ッたら、醤油味のさっぱりした中華そば、これが東京風だがネ。それからカレーライス、夏になるッてえとカキ氷や心太(ところてん)。そんな見世でソース焼そばをちゃちゃッとつくってもらって喰ふンだ。具ハもやしとキャベツ、ほんの少々の豚の挽肉と揚玉。焼き上がりにぱらぱらト青海苔を振ってくれるンだが、この香りづけが命だネ。ソースのハイカラな香りとそれが混ざりあって、そゝるッてえ仕掛けだ。歯ごたえはシャキシャキのもやし。この上手下手で勝負はつくネ。
 近所の見世で喰って、その作り方おぼえて材料買ってきてゝめえでなんべんも作って喰ったが、都電の窓から眺めた田原町のソース焼そばが喰いたくてしょうがねえ。そいでよォ、けふ(今日)足ィのしたのヨ。雷門から小雨模様の中ァ徒(かち)でネ。そしたら昔ァ軒並みだったンが、いまァ生き残りァたったの一軒ヨ。なんで昔ァあんなに並んでやってたかッてえバ此処ら辺ハ裏が寺町になってるンで、参詣の善男善女のお休処の水茶屋だったンだろうネ。いまやでえじな一軒、屋号ハ花屋ッてッた花ァ売ってねえンだが、一歩へえるト上さんが「焼そばァって詞の尻ィあげて大声で訊くンで、こっちも椅子にもつえねえうちに「焼そばッてでけえ声で一発けえしておいて、それからゆっくり腰ィ落ち着けるッて段取りサ。そッすりァ「ハイお待ちッて待つ間なんか与えねえで、中ッくれえの皿に盛ったソース焼そばがやって来るッてえ素早さヨ。なんてッたって、親爺ァ鉄板の上で焼きつゞけに焼いてンだから、在庫ハ豊富。皿にちょいと盛りァもう出来上がりサ。出て来るのがはえゝの早くねえの。せっかちな江戸ッ子向きの韋駄天ヨ。まごまごしてりァ客の注文なんか聞かねえうちに焼きそばのせた皿が飛んできちまいそうだゼ。割箸パチンと割ってそばをッたって、正しくハ麺だがネ、そいつゥ一口すゝりァ懐かしいあの香りがもふ口ン中いっぺえヨ。もやしの香り、キャベツの甘味、ソースの複雑な香りと甘味、そして青海苔の清々しさ、これが四ツ巴で一ツになって。あゝ、もうたまンねえなァ。喰って行ってうれしくなるねえ、こゝンちの量は。ほどよい量ッてのを知ってるねえ。ちょいと小腹をみたすッてあんべえサ。飯の代わりに喰ふなんて野暮ァやらねえンだ。これが江戸ッ子東京ッ子なんだ。蕎麦でも鮨でもラーメンでも、喰やァ飯の代わりにしなきァ気が済まねえッてのハ喰い意地が張った恥ッさらしだゼ。喰ふのも呑むのも、さらりが身上。腹の皮が破れるほど喰ったり、酔っぱらったりするほど呑むのハ態(ざま)ァねえ。こゝら辺りも町ッ子の勘どころでやしょうねえ。
 それにしても、ソース焼そばなんて妙ちきりんで旨いもん、どこの誰がかんげえだしたのかねえ。これも罪な喰いもんヨ。花屋さん、がんばッておくんなせえヨ。おたくが最後の頼りヨ。いゝ気分味わゝせてもらって、お代ハ偽銀中三枚、穴空き偽銀一枚。〆て三百五十円。

【附(つけた)り】
田原町 花屋 http://blog.livedoor.jp/funkyttfresh22live/archives/50026188.html

2009年4月13日 (月)

春嵐散桜霰蕎麦(はるのかぜちるはさくらかあられそば)

 きのふけふ(昨日今日)あたりァもう葉桜になりかけてるが、八分咲きの比(頃)ヨ。その桜が散るンぢァねえかと按じさせるような滅法界つえゝ風の吹いた日があったンだが、そんな中、上野の広小路へ繰り出した。時分時(じぶんどき)なんで久しぶりに池の端の藪のゝうれん(暖簾)くゞったと思ひねえ。やっぱり名のある店だねえ。いっぺえヨ。こいつァ振られの態かなト思ったンだが、運よく小上がりの席が一ツ空いていてサ、そこに角袖脱いで腰ィ落ち着けたわサ。椅子の席ァどうもいけねえ。歳かもしれねえが、江戸ッ子でありてえと思ふあっしにとっちァ椅子なんて悪洒落したもんは江戸ッ比にァねえ代物だからネ。よく時代劇で樽ゥ椅子代わりにして洋卓で飲み食いしてる図なんてのがあるが、あんなもんは江戸のじでえ(時代)にァありァしねえ。樽だって腰掛け代わりにするような安価なもんぢァねへのヨ。醤油屋でも酒屋でも、丁稚の手が空きァ空樽を集めに得意をまわらせるのがあたりめえの仕事ヨ。机もねへし、客は床几に腰掛ける。見世ぢァその横に盆にのせた蕎麦だの酒だのをはこび、客はちょいと横座りになって喰ふッてえのがあたりめえサ。そんな気分にちったァちけえかなッてのもあって、あっしァ小上がりのある見世が好きだし、そこが空くのを待ってゞもあがろうッて魂胆サ。サテなんにするかと品書ひらきァ、なんて運のつよさヨ。霰(あられ)蕎麦があるぢァねえかい。「姐さん、霰、できるかいト聞きァ、打てば響くのお返事ヨ。こいつァ縁起がいゝねえ。田原町の尾張屋本店で新の一月末に手繰ったが最後のいっぺえ。こいつァ来春までの辛抱長生きト思っていたが、お釈迦さまだか弁天さまのご利益。まだ寒いッ比に池の弁天さまにお参りしてるから、そのお陰かもしれねえナ。信心ほどのもんぢァねえけれど、浄財にドたまの一ツ二ツ下げとくもんだねえ。けふハ先を急ぐ旅なんでぬる燗一本ハお見送り。蕎麦を待つ間に見世ン中を眺めさせてもらやァ、こゝンちもいゝ数寄屋造りだゼ。床は那智黒の洗い出し、柱は北山杉か磨き丸太、明りにァ無粋な蛍光灯なんぞ使っておりやせんヨ。京壁の温かみのある色合いが落ちゐて、よござんすねえ。そいでぜんてえがこざっぱりしてンのが、あっしァ気に入ったゼ。お運びの姐さんたちもてきぱきしてらァ。こんなとこにも、江戸のさっぱりした感じがでてるッてもんヨ。「お待たせッて卓に運ばれた丼ァやっぱりこゝも黒塗の木蓋付。取りァふわァッと立ち昇る焼海苔の香り。うれしいねえ。なんとこゝンちの霰ァあれだヨ。上に焼海苔をもんで散らしてあるッて芸の細かさヨ。焼海苔を色紙に切って蕎麦の上におき、その上に貝柱をのせて出す見世ァけっこうあるが、花巻のよふに蒔いてあるのハ初めてヨ。小柱にァ特別な香りハねえから、こいつァいゝ工夫ッてもんだ。小柱も大星揃い。いゝとこばっかし大目によってありやすゼ。薬味にァおろしわさびト白葱の刻みがついて来てる。わさびァ箸の先にちょいとつけて舐め、舌の目ェさましといてから、さて食べるかト丼ィ手にとって、また感心ヨ。小振りなんだよねェ、これが。片手で持って食べるにァ丁度いゝ大きさ重さ。こうこなくっちァねえ。重くてゞけえ丼ぢァ卓に置いたまゝで面ァ突ッ込んで犬喰いの態ヨ。人間さまのやる芸当ぢァありァしねへ。蕎麦も軽めの少なめ。腹いっぺえにするなんぞの賤しい真似ができねえよふになってンのヨ。残ったつゆン中に、薬味の葱ィ散らし、そこに黒塗の湯桶から蕎麦湯ゥ注いで一口二口。あゝけふもいゝ昼を過ごさせてもらいやしたヨ。こんどハけつゥ空けといて、酒をいっぽんゆっくり楽しんでから、蕎麦ァ茹でゝもらいやしょうかねえ。ぢァあばよ。

【附(つけた)り】
池の端藪蕎麦。http://www.yabu-soba.com/index.htm

2009年4月11日 (土)

花火花巻粋気質(はなびはなまきゑどかたぎ)

 桜の咲きはじめだからもうちっとめえ(前)のことになるンだが、向島の土手へ兄貴分と連れ立って花見に行ったのヨ。あっちァ画工であっしァ戯作。ともにかれこれ二昔めえッ比(頃)に足ィ洗って、いまァたがいに隠居の身分。そいでも縁が切れねえで、歳末にァ二人ッきりの忘年会駒形どぜうやって、こんども二人ッきりの花見ィくりだしたッてあんべえ(按配)サ。腹ァつくっておこうぜッてンで、雷門から真ッつぐ並木の藪へゝえったわナ。酒で鳥渡(ちょいと)舌ァしめらしといて、サテ蕎麦ハなんにするッてンで、あっしァ花見にしっかけて(ひっかけて)花巻をお誂え。ちょいと無駄ばなしゝてる間に「へいお待ちどふッてあつあつの丼がやって来る。黒塗りの木蓋ヨ。これがいゝねえ。蓋ァとりやしょう。そすッと、ぷんト磯の香りヨ。いまゝで熱いつゆであっためられた海苔の香りが、木蓋でおさえられてゝ立ち昇りたくッても外にでられねえ。磯の気が丼のつゆと蓋との一寸ばかしの合間に押し込められて、うん\/うなるほど溜まってたわけサ。そいつが木蓋の重しが取れた瞬間、ふわッと立ち昇るンだ。この一瞬が花巻の命ヨ。だから、木蓋のねえ花巻なんぞ曲(きょく)がねえヨ。並木さんハご存じだから、わさびなんか付けてこねえ。折角の海苔の香りィ殺しちまうからネ。花巻に薬味ァ愚ヨ。七色まいたりしちァなほいけねへ。海苔ァあぶるといっち香りが立つンで、焼海苔にして手で揉んでかけ蕎麦の上ェ散らして来るわナ。海苔ァ金ッ気(かなっけ)嫌いやすから、刃物で切ッちァいけねえ。むかしァそう言ったねえ。あぶったのォ包丁使わずに二ツに畳んで三ツに畳んでゝッて折目を手で裂きやしたもんネ。
 この花巻蕎麦ァ手繰りながら、あっしァ思ったネ。こりァ花火みてえなもんだなぁッてネ。花火を大川で上げるようになってもうずいぶんとたつンだが、はなッ比ァお大尽が船遊山してるとこに花火師が小舟でやってきて、旦那一発いかがでしょうッてきいて廻ってたそうですナ。そいぢァ二発頼むよなんて言やァ二両ヨ。一両小判なんてもんハ並の町人なんか目にしたこともねえッてえくれえのもんだそうでサ、そいつゥひゅぅぅドンで消えちまうンだ。ぱッと打ち上げてぱッと開いて消えちまふからいゝンだねえ。なんにも残ンねえ。その瞬きするほどの間を味わふのサ。花巻もそれヨ。江戸だねえ。

2009年4月10日 (金)

江戸ッ子ハ皐月の鯉の吹流し口先ばかり腹わたなし

 こふあったかくなってくるッてえと、なんだネ。青空大川に見立てゝ悠然と泳ぐ鯉の吹流しがそろ\/ッてえ気分になってくるねえ。そいで、お題目ッてえわけだ。江戸ッ子てのハおっちょこちょいが多いから、ぽん\/口ぢァ言ふが、べつに下心なんかねえンだ。そんときの勢いッてえか、気分てえか、マそんなとこでてめえの損得かんげえねえでものォ言ッちまふとこがあるンだ、これが。馬鹿だからネ。たゞ、並の馬鹿ぢァねえヨ。一本骨が通ってンのヨ。どんな骨だいッて言やァ、賤しかねえッてえ骨ヨ。だから、十露盤(そろばん)で動かねえし、腹ン中になんか忍ばせといて、表ッ面ァにこ\/してお愛想言ふなんてうさんくせえ芸当ができねえのヨ。なんせ公方さまのお旗本御家人のお侍がお手本でゞきあがった気ッ風だからネ。賤しいこたァ金輪際やらねえ。そいつァ外道だからヨ。だから、江戸ッ子ほど騙しやすいもんもねえネ。自慢ぢァねえがあっしァずいぶんと騙されたヨ。みんな陰で笑ってンだろうねえ。阿呆ッてネ。
 ふと思ひついてみッと、もう三四年、あいつから年賀状がこねえなァ。たしかこっちからは出してたンだがなんて、今ごろ気づいたりしてネ。そいつゥ紹介した先の主にたま\/会ったら、何さんにハうちの仕事をお願いしております、なんて丁寧なご挨拶ヨ。オヤさい(左様)ですかい、あいつにァついこないだも面ァ合わせたがなんとも言っておりやせんでしたが、お世話になっておりやしたか、ありがたふおざりィやす、なんてこっちが礼を言ったりしてナ。そうかァあいつが何年もめえに向うから近づいて来たのハそれが狙いだったのかなんて、鈍いねあっしも、今ごろの合点ヨ。
 頼まれるッてえトいやとハ言へねえのが江戸ッ子だから、よくかんげえりァなにもてめえが引き受けなくたっていゝ大仕事引受ちまってサ。三年も四年も大汗かいて大改革してずいぶんとよい場をつくり上げたんだが、反対側から見りァ憎まれ役。益のあった方も憎まれるのいやだから、知らん顔の半兵衛。得ハもらっておくが、損ハあんた一人で背負いなせえッてェ魂胆ヨ。そいで事も終わって、あっしァ江戸へ家移りいたしやすんでさいならッて挨拶すりァ、そうですかいの一言。現金なもんだゼ。用の済んだ奴にァ用ハねえッてネ。こりャ道理ッてえバ道理だがネ。逐一十露盤はじいてンにァまいったネ。
 言ってみりァ、こふ言ふことか。

   この世ハ狐と狸の化かし合い 負ける阿呆に勝つ利口 所詮勝ってもけもの道

 あっしァ皐月の鯉の吹流しで終りてえネ。

2009年4月 9日 (木)

うらむゼ宇江佐姐さん

 あっしァ今出来の戯作ァ読むのふやめにしておりやすのサ。そいつァなんでッてえ言やァ、めえ(前)にさんべんばかしあの世ォ行きかけやしてネ。もふ残りァあんまりありそうもねえンで、寄道ァしてらんねえッてわけヨ。で、江戸物一本に的ォしぼってるッてことだ。そいでも、宇江佐真理姐さんの書く江戸ものだきァ別ヨ。あのお人は江戸詞だの江戸弁をうまく活かしておくれだものねェ。髪結い伊佐二もんがよかったンだが、鳥渡(ちょいと)書肆(ほんや)の棚ァのぞいたら、ひょうたんッてえ軽い外題の小本をめッけたト思ひねえ。こいつァこじんまりした本で滅法界よござんすヨ。着物の懐にぶちこんでもかさばらねえ。あっしァ腎の臓がなくなッちまったもんで、七日に三日、養生所で二刻半横になって過ごしてゐるンだが、そんときァ左腕が使えねえ。楊枝くれえの針ィ二本刺してるンでネ。そいだもんで、右手だけで本読むにァこの懐に忍ばせていける文庫ッてえ本が丁度いゝのヨ。片手で持って読めるからネ。
 江戸ハ人情なんかねえよ、あっても風情だッて言ったのハ確か杉浦の日向子姐さんだったかねえ。風のように薄い情が風情だッてえのサ。あっしもそう思ふゼ。人情なんてべたついたもんハ勘弁しておくんな。だいたい、人情\/ッて言ふ奴に限って人の人情あてにしやがるンだ。そいでゐてゝめえハいざとなるト知らん顔の半兵衛で逃げちまう。くそッたれメ。いまでもあるが、昔ァけっこう人情売りもんにした戯作が多かったねえ。江戸の咄書いてンのに、ご本人が江戸とハ縁も所縁もねえ出のお人だったりしてネ。そんなの読むッてえと、コウ勝手に江戸にへんな色ォつけンぢァねへッて言ッてやりてえネ。江戸はさば\/してンだ。情がねえわけぢァねえンだ。情はあるが、べたつかねえだけヨ。お節介ハやかねえし、やいたって押し売りァしねえンだ。あっしがおめえさんに深切を施しやしたなんて面ァ間違ってもしねえ。あばよッてことヨ。いさぎよさが身上ヨ。やっぱり武家の町だわサ。
 このひょうたん読んで、あっしァかなわなったゼ、姐さん。養生所の洋床の上で涕(なみだ)がにじンじまってサ。いゝ歳こいたぢゞいが涕ぐんでる図なんてのハ様(さま)になりァしねえヤ。古道具屋やってる音松ッてえ丁稚みてえな名の野郎が立役なんだが、こいつがぶら\/もんで気がいゝンだねえ。上さんがしっかりもんトきてゐる。まァこのへんはよくある配役ッてやつだ。音松の野郎ハ相手が困ってたりすりァ、しょうがねえッて感じで手ェさしのべちまふのヨ。マ落語で言やァ文吉元結(もっとい)みてえな按配だ。あすこに左官の親爺が出てきやしょう。てめえが借金で首が廻らなくッて見かねた娘が吉原に身を預けてつくってくれた五拾両の大金を、いま身投げしようッてえ見ず知らずのお店(たな)もんにくれてやらァってぶつけて逃げちまふッてやつヨ。持ってけ泥棒ッてもんだゼ。これが江戸の人情なんだ。そこんとこォ宇江佐の姐さんハよッく心得てゝうまくお書きだヨ。聞くとこによりァ姐さんハ蝦夷地は函館生れ函館暮らしなんだってねえ。畏れ入谷だヨ。おめえさんも読んでみねえナ。鼻ッ先がぐず\/したッてあっしァ知らねえヨ。

【附(つけた)り】
宇江佐真理著「ひょうたん」光文社文庫

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