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2009年3月24日 (火)

【番外】羽二重団子の巻〈十五〉川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)

   生醤油の焦げたる匂ひ羽二重の

 花がそろ\/咲くッてえ声が聞こえてくるンで、そのめえ(前)に団子ォ喰いに行かなきャなんねえ。なんせ、花より団子ヨ。お江戸で団子とくりァ生醤油の付焼き団子だゼ。煎餅だってそうサ。江戸の気ッ風にァ濃口の生醤油がいっち合うのヨ。さっぱりしてゝ切れ味がいゝ。小細工しねえのが性(しょう)に合うッてことサ。その付焼き団子の親玉ァ日暮里(にっぽり[※1])の羽二重団子でやしょうヨ。谷中の高台、山の手の縁に天王寺があって、江戸の昔ァ広大な土地だったようで、それがいまの谷中霊園ぢァねえかと、江戸絵図[※2]見ると思えやすのヨ。そっからだら\/ッて下って来るのが芋坂。いゝ山芋が採れたンでこの名があるそうでネ。マこの咄ァ跡(後)でしやすが、羽二重団子の見世ェへえったと思ひなせえ。品書のはな[※3]にあるのが、団子ヨ。こいつァ一皿に生醤油の付焼きと晒餡の団子が一串ずつのっておりやして、急須を添えて茶が出てくるッてわけだ。一串にァ団子が四ツ。気が利いてるハ短めの黒文字[※4]がつけてあるッてとこヨ。このへんが町ッ子の気遣いだねえ。横ぐわえで団子引き抜かなくていゝようにッてことサ。黒文字使って一ツッつ外して喰える。ありがてえネ。
 まず取ッかゝりハ付焼きを一个(こ。ヶ[※5])。口元へ持ってくるッてえとぷんト芳ばしい香りヨ。もふたまらねえゼ。まじりッ気のねえ濃口生醤油の香り。野田の生一本[※6]ヨ。こいつをゆっくり味わうのサ。やっぱり羽二重ッて名乗るだけに、そのやわらかいこと。よその団子ぢァこうハいかねえ。ところがこの柔らかさ、のんぴりしてりァじきに固くなっちまうンだ。こゝンちの団子は生きもん(物)だヨ。
 辛さで口ィ〆たら次は晒餡の団子を一个。甘さほんのりさっぱりしてるゼ。そいでもその甘味を茶で流し、も一つ晒餡を味わっといて、付焼きィ一个。やっぱり鳥渡(ちょいと)焦げ目の香りがたまらねえゼ。
 残りァ付焼き二个に餡二个。どんな段取りで〆(しめ)るかァこいつァ悩むヨ。うめえもんハ無神経に喰っちァなんねえ。途中もでえじながら、〆が盟(かみかけて[※7])いっち[※8]大切。しばや(芝居)とおンなじ。幕切で決まるッてやつサ。
 そいだもんで、大トリは付焼きと決め、餡を喰って茶ァ一口すゝぎ、も一つ餡をかさねといて、いよ\/付焼きの二段つゞき。芳ばしさとふんわりト申し分ねえ贅沢ヨ。堪能、たんのふ。これで価(あたい)偽銀大一めえ(枚)で釣がきよふッてえ安直[※9]。ちょいとしたお八ツにァもってこいサ。

   芋坂を馳せくだって団子腹(だんごッぱら)

 羽二重団子の見世の脇ィ山の手に向かってゆっくり登ってく坂がある。そいつガさっき言った芋坂ヨ。この坂ァ、忍岡[※10]の戦にやぶれた彰義隊の士(さむらひ)たちが駆け下ってきて、この羽二重団子に飛び込み、此処で武具ゥ捨て、野良着に身をやつして日光を目指して三々五々散ってゐッたてえンだ。そんときァ今生の別れの思ひをこゝの芳ばしい団子と一緒に呑みこんで行ったンだろうねえ。徳川お江戸三百年の〆くゝり。それが江戸の味、濃口生醤油付焼きの羽二重団子たァ泪ァでるねえ。
 もしもンときハ芋坂を退路ト打ち合わせしてあったンだそうでネ。てえことハ見世にも通じてゝ、野良着だのほう(頬)かッむりして武家髷を隠す汚れ手拭なんかもたくさんあずけてあったンでしょうナ。追ッかける官軍も粋な計らいだねえ。賊軍に通じたッてンで見世ェお取り潰しにしなかったようだからネ。いまでも彰義隊が置いてッた武具だのなんだのが見世に残ってンだから。あっしァ官軍きれえだが、こゝンとこは拍手するゼ、官ちゃん。

【附(つけた)り】
羽二重団子 http://www.habutae.jp/

[※1]日暮里(にっぽり)。この地域は谷中の高台の東に位置するため、午後は日陰になり日暮が早い里の意で、日暮里。にちぼつのさと。訛りの音韻変化で「にっぽり」となったか。余談ながら、現台東区の区名は東京の高台(山の手)の東に位置するの意である。江戸の本来の山の手とは、上野駅から現西日暮里駅辺りにかけての高台のこと。
[※2]絵図。地図、の意。江戸市中を区域別に刷った地図を切絵図と称した。
[※3]はな。端。最初、の意。真景累ヶ淵<三遊亭円朝>「これ喧嘩する端(ハナ)に一服やるなどと」
[※4]黒文字。黒文字の楊枝の略。天保九年・春色雪の梅「ぢれッたいねえと、くはえて居る黒柳(くろもじ)の先を食ひきつて障子へぶつつける」
[※5]个(こ。ヶ)。「个(こ)」の崩し字が「ヶ」となった。よって「ヶ」は「こ」と読むのが正しい。
[※6]野田の生一本。灘の生一本を洒落た。現千葉県野田は江戸の醤油の大産地。それまで醤油は上方から下ってきていたが、野田でつくられるようになって江戸庶民に醤油が普及した。
[※7]盟いっち大切。歌舞伎戯作題名の盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)をもじった。
[※8]いっち。一(いち)を強めて言った語。一番、の意。東海道中膝栗毛-五・追加「此中にていっち上しろものを、じぶんの相方とさだめ」
[※9]安直。値が安くて、手軽なこと。安値。続歌舞妓年代記-二八-安政元年「今朝噂にて直段(ねだん)も安直になりまして大入りになりました」
[※10]忍岡。しのぶがおか。通称上野の山。故に山の下にある池を不忍池(しのばずのいけ)と称する。

2009年3月22日 (日)

春色磯花巻蕎麦(しゅんしょくかほるはなまきそば)

 ちか比(頃)ァなにかと世間が目まぐるしくって桜のたよりまで滅法界はやくなりやがって、そうなるッてえとなんか落ちつかねえネ。空気ン中まで菜の花の黄(き)ィだの桜の薄紅、新芽の萌葱色だのがしみてきてるよふぢァありやせんかい。そんな風に浮かれ、こんど浅草へのしたら並木藪[※1]のゝうれん(暖簾)くゞって、花巻でもあつらえッかてェ気分ヨ。潮干狩りぢァねえけれど、春らしく磯の香りが楽しみだセ。
 花巻蕎麦ッてえ名も洒落がきいておりやすね。無粋ぢァこうした名ァつけれねえ。餓鬼の時ぶん、こりァどういうわけだいッてずっと謎ヨ。かけ蕎麦の上に海苔ィかけ散らして、「ヘイお待ちどッて出してくる。蕎麦屋ァわけなんぞ言はねえヨ。これが花巻ッてェのッてだけヨ。知らなきゃ喰ふねえッてネ。でも、気になってしょうがねえンだ。性分だヨ。なんでそれが花巻なんだッてネ。花ぢァなくて、海苔ぢァねえかい。なんにも巻いてねえぢァねえかッてネ。鴨居からぶらさがった品書(しながき)見たって、どこにもわけなんぞ書いてねえ。馬鹿の柱ァ[※2]散らして霰(あられ)ッてのハまだ盆暗だってわかるンだが、花巻ァ二ツくれひねりがへえってる。だから洒落わかんねえやつにァ謎ヨ。中にァわかんねえまンま、海苔ィ散らしてあるのが花巻ッてわけ抜きに鵜呑みにしちまってるやつもおりやすもんナ。そりァそれで極楽ッてもんだけどネ。
 あっしァかんげえたネ。花巻の花、ありァ花色のことだろう。となりァ元ハ縹色(はなだいろ)ヨ。それがしだいに詰まって花色になっちまった。落語にありやすナ。盗人にへえられて盗られたものハと聞かれ、持ってもいねえ着物を言ふ。裏ハなんだッてンで、花色木綿ッて。ほかにも盗られたもんがあるかッて訊かれるたンびに、裏は花色木綿ッて答えて啌(うそ)がばれるッてェ咄ヨ。縹色ッてのハ綿服を着る町人が袷の裏に藍染木綿[※3]をつけるンだが、その染め色を縹色ッて言ふわナ。紺にちけえくれえ濃い藍色ヨ。でダ、海苔を縹色に見立てたッてえわけサ。海苔ッたッて、佃煮の海苔ぢァねえヨ。紙みてえに平にかわかした浅草海苔だ。そいつをあぶって手でもんで、かけ蕎麦ンうえに撒いてある。まくだから、巻くサ。で、花巻ッてことヨ。どうでえ、あっしァそう思ふンだが、おめえさん、いかゞかい。こいつァなんかの請売ぢァねえヨ。あっしの推量だ。間違ってたら、勘弁してくんな。
 も一つ。焼海苔は揉んで振りかけるンぢャねえといけねえやネ。あっしの餓鬼の比の大人ァよく言っておりやしたヨ。海苔は金気(かなけ)を嫌うッてネ。だから包丁で切るようなこたァしねへ。二枚を裏同士を合わせて炭火でてばやく炙り、一枚を半分に折ってその折目を引き裂く。そうやって順々に小さくしたもんヨ。そうしておいてかけ蕎麦の上に揉んで振りかけるッてえしかけサ。いまァ短冊形に刃物で切り揃えた焼海苔売っておりやすが、こりァどうかねえ。まして撒かねえで敷きつめちまう見世もたまにありやすが、あれぢァ花巻の洒落になんねえ。畳ぢァねえンだからネ。やっぱり花が散るよふに撒いて欲しいやネ。ぢァまた。あばよ。

【附(つけた)り】
[※1]並木藪。並木藪蕎麦。東京の藪蕎麦御三家の一軒と言われる。浅草雷門前より一丁半(約150m)蔵前方向へ。店の辺り、江戸の当時は並木町と称し、松並木があったと言う。http://donraku.moo.jp/wa/yabusoba.html
[※2]馬鹿の柱。ばか貝の貝柱のこと。
[※3]綿服を着る町人が袷の裏に藍染木綿。絹物の袷の裏地に多くは絹を用いるが、町人は絹物はご法度になっていたので、袷の裏も木綿であった。現代でもその仕来りは残っており、木綿を模した紬の裏には木綿が使われ、その多くが縹色の藍染である。

2009年3月21日 (土)

【番外】東京ふた色

 地下鉄銀座線の上野で浅草行を待っておりやしてネ。待つほどもなく電車がへえってきやしたのヨ。ところがなんだゼ。上野止りだッてえのヨ。けちくせえことするぢァねえかい。跡(後)三ツ走りァ稲荷町、田原町で終点の浅草ヨ。乗ってた客がぞろ\/降りてくるわなァ。待ってた客はあっしの後(うしろ)にもずらりヨ。そしたら降りてきた客が、いっちめえ(前)のあっしの横にそのまゝ立ッちまうのサ。あっしの後の子ずれの姐さんが「東京の人ハねえッて文句つぶやいたゼ。だもんで、あっしァめえに立ッちまった婆さんの肩ァ扇子でちょい\/と叩いて、「みンな並んでおりやすんで、後についておくんなさいなッてネ。
 文句言った姐さんもいけねえのヨ。足元にァ三列で並ぶように三本の線が引いてあるのに、そのお方ァあっしの真後に並ンぢまってるから、二列が空いたまゝなんだ。だから降りてきた客がそこに立ッちまふ。そいで、姐さんにめえに詰めて横に並びなせえッておせえたッてわけヨ。で、姐さんのさっきの詞ァ江戸東京の町ッ子としちァ聞き流しにァできねえンで、言ったのヨ。「東京にァ、東京の町ッ子とたゞ東京にゐるだけの人がおりやすのさ。姐さんは着流しのあっしの姿ァ見て、「東京の方ですよねえ、どうみても。「へい、さい(左様)で。 そいで、「東京にァ江戸の比(頃)から、三代生れ育たねえと江戸ッ子にァなれねえッて詞ァありやして。こりァ町ッ子ッてえことでしてネ。赤の他人さまに自然と気遣いできるようにならねえと町ッ子たァ言へねえンですワ。ですから、初代がもの見る目がなくって田舎と人が多くて肩ァぶつかり合ふような町の暮らしとの違いに勘づかねえと、何代江戸東京にゐても町ッ子になれねえわけでしてネ。末代まで恥ィつゞくし、周りは迷惑するッてえわけでして。きのふ(昨日)けふ(今日)東京へ出てきたばかしの人もそれとおンなじ。東京にァお江戸からつゞいた江戸しぐさッてえもんがありやすが、それだけ守ってりァいゝかッてえとそうぢァねえ。要はさっき言った、赤の他人さまへの気遣いでさァ。それがごく自然にできリァ今朝出てきたゞけでも、もふ町ッ子にれる。難しいことぢァありやせんトね。

2009年3月14日 (土)

【巻の二】残寒宵独湯豆腐(はるあさしよひのひとりなべ)[湯豆腐白山五右ヱ門]

 待つ間もなく、徳利に盃。こいつがうれしいねえ。ぐい呑なんぞの下卑たもんださねえンだ。馬子駕籠舁(かき)ぢァあるめえし、酒ァ味わって食べる[※1]もの。ぐいづくり[※2]でひッかけるもんぢァねえゼ。
 そのうえありがた山(やま)ハ焼もんヨ。こいつァ益子(ましこ[※3])かねえ。土ものだねェ。益子ァ江戸町人の器だヨ。盃ァ大きく平たく開いた大作りながら、指にしっくりくる形サ。益子の土ァ轆轤(ろくろ)にかけても縦にァ伸び上がりにくいンで、皿向きと聞いてるから、この縦長の徳利からミりァ余所の土かねェ。そこいらへんが鳥渡(ちょいと)あっしの目ぢァわからねえ。見世に聞きァはえンだろうが、答ェ人に訊いたらてめの目が育たねえ。じっくりおのれで見るがいゝッてもンサ。いっぺえ注いで鼻ッつァきに盃もってくりァその香りの甘やかさ。一口含んで舌の上ころがしァ案の定甘めの上物。また\/うれしいねえ。辛口\/ッてなんとかの一つ覚えみてえにおっしゃってるお方ァちか比(頃)多いが、酒はでえじな米からつくる神の水。喰いもんの合間に口ィ洗うように呑んだりしたら罰ィあたるゼ。酒は、味わッて口にするものヨ。喰いもんのお供ぢァねえンだ。酒と肴、どっちが立役だってえバ言ふまでもねえ。酒に決まってらァな。
 まずハ先付け。焼かま、はじかみ、昆布、鮭の刺身にァ酢だち添え、なめ味噌の五品(いつしな)。それに南天と菊の葉の色添え。難を転じて斧琴菊(よきこと聞く)の洒落ときたネ。こいつら相手に炭火景色で盃重ねてゐりァ、田楽三色(みツいろ)のお出ましサ。お定まりの木の芽味噌とからし味噌、そいで濃い目の練味噌。「お熱いうちにト姐さんのご案内。言われるまでもねえッてのヨ。あっしァ田楽ッてのがなんでかわかンねえが餓鬼の比(頃)よりの恋こがれ。目がねえのヨ。ホイ来た待ってたホイってやつサ。串が鳥渡(ちょいと)焦げてンのも料理の景色。ありがた山の山椒の木。酒に合うねえ。三番目ハごま豆腐。こいつがでッけえのなんの。けちな絹ごしくれえあるゼ。妙な大判振舞。お上品なご家族さまなら四人(よッたり)で分けられるッてえくれえの代もンさ。そいつゥ独りでご馳(ち)になっちァ腹ァくちくなりそうで、肝心の湯豆腐が喰えなくなるンぢァねえかと、気のちっせえあっしァどき\/しちまったゼ。
 そこでお待たせト大立役湯豆腐のご登場。ヨッ待ってましたァってやつだゼ。あっしァこゝンちの土鍋がでえ(大)の字つきの好きだねえ。欲しいくれえサ。並の土鍋と違うヨ。五右衛門茹でた鉄の大釜みてえに鍔がぐるりにあンのヨ。そいつがまた景色だねえ。惚れ\/すらァ。湯豆腐ッていやァ京のなんとかッてえ寺の名で知られるンが名だけえが、ありァ鍋に豆腐しかへえっていねえ。招牌(かんばん)に偽りァねえが、けちくさくていけねえ。見ねえナ、この五右ヱ門の湯豆腐を。豆腐はあたりき車力、太ねぎ、しめじ、それに水菜、梅の花形の生麸ハ京の向ふ張ったかッてえとこだネ。これを鍋の真ン中で燗をつけてあッためた土佐醤油で喰ふッてえ仕掛けサ。
 鍋で峠越したかなッて思ふと、生湯葉の登場と来たネ。こいつが、熱いもんのつゞいた跡(後)の箸休めみてえになって、よござんすヨ。もう腹ァいっぺえだなァとなでてるとこに、「茶飯でございト赤だし、漬物お供に〆くゝり。もう喰えねえよト思って奈良茶碗[※4]の蓋ァとってミりァ、旨そうな茶飯が品よく軽ゥく盛ってある。箸ィつけりァいまゝでの満腹ハどこへやら。箸がすゝンであッてえ間にたいらげちまったゼ。おでんもそうだが、やっぱり〆ァ茶飯にかぎらァ。しば漬、きゅうりの糠漬、沢庵。あゝ旨かったトくつろいだら、「お跡(後)にお菓子がッてんで、鳥渡甘いもんをいたゞいて、満腹\/。今宵ハ思ひもかけねえたらふく喰い。歳のせいかちか比食が細くなりやしてなんて、人さまに言ってたのが啌(うそ)にならァ。すゝめ上手、喰わせ上手の見世だぜえ。
 親が死んでも食休みなんて罰当りィむかしから言ひやすんで、灰皿貸しておくれのついでに見世の燐寸(まっち)もらい、そいで喜世留(きせる)で多葉粉(たばこ)。禁煙でございなんて言わねえとこがまたうれしいねえ。吸うッたって煙突みてえにもく\/煙(けむ)吐くわけぢァねえ。刻みのほんの二三服ほどヨ。紙巻でえん\/と煙吐くような野暮ぢァござんせんよッてネ。さて、ごッつォさんト帳場の女将に勘定払いに席ィ立ちァ、オヤいゝ音トあっしの赤樫歯の下駄の音をおほめだヨ。判る方(かた)にァお判り。江戸の気が通じてうれしいねえ。がらりと格子ィ明けて、ぢァあばよト石畳。振りけえりァ、ほどよい闇に赤い灯ほんのり映えるたゝずまい。粋だねえ。いゝ時ィすごさせてもらいやしたヨ。ありがとさん。

   五右衛門に浜の真砂はつきるとも 湯奴しゃれる客は尽きまじ

【附(つけた)り】
[※1]酒ァ味わって食べる。現在は酒は飲むと言うが、江戸の頃には食べるとも表現した。
[※2]ぐいづくり。「ぐい」は急ぐ、の意。ぐいづくりは急ぎで仕立てる、つくる、の意。ぐい呑みは急いで飲むための酒杯。
[※3]益子(ましこ)。栃木県益子の陶器。江戸町人の日常食器としてもっとも多く用いられたと言う。水運で江戸まで運ばれた。
[※4]奈良茶碗。[日本国語大辞典]蓋付の飯茶碗のこと(奈良茶飯に用いたところから)。[原色陶器大辞典(加藤唐九郎編)]略称奈良茶。現在もっとも普通に使われている蓋付の飯椀である。奈良茶飯が江戸で大流行した。喜田川守貞の守貞満稿に「元禄六年印本『西鶴置みやげ』に曰く、近き比(ころ)、金竜山の茶屋に一人五分づゝの奈良茶を仕出しけるに、器のきれいさ色々調へ、(中略)上方にもかゝ自由なし。(中略)金竜山は今の待乳山(まつちやま)を云ふなり。一人五分は価銀五分なり。(中略)『事跡合考』に曰く、明暦の大火後、浅草金竜山の門前の茶屋に始めて茶飯・豆腐汁・煮染・煮豆等を調へ、奈良茶と号(なづ)けて出せしを、江戸中端々よりも、金竜山のならちやくひに往かんとて、特(こと)ほか珍しきことに興ぜり。(中略)右の奈良茶、皇国食店の鼻祖とも云ふべし。」

2009年3月11日 (水)

【番外】鉄欠病

 五右ヱ門のつゞきを書かなきャなと思ッちァゐるンだが、どうもこゝンとこ気力がわかねえのヨ。朝飯喰ふともいちど寝床へもぐりこんで昼まで寝ちまうなんてだらしねえことが多くていけねえなト思っていたら、鉄がたんねえンだッてえのサ。養生所の赤髭先生がヨ。金がたんねえなら久しことだから、馴れッこだが鉄ッて言やァ筋金だろう。そいつがたんねえたァ勇(いさみ)のぢゞいとしちァしまらねえ咄ヨ。で、鳥渡(ちょいと)と少しのあいだ鉄を入れやしょうッてことになったッてえわけサ。そんなもんで、筆が遅れておりやすんで勘弁してくんねえナ。

 

2009年3月 3日 (火)

【巻の一】残寒宵独湯豆腐(はるあさしよひのひとりなべ)

Photo  初春ッてよろこんでた正月睦月もついこねえだの新暦2月26ンちで終り、きのふ27ンちからァ二月如月。季節ァ逆もどりかッてえくれえ寒く、しょぼつくしけた天気よ。こんな日ァむかしの胸の古傷がうずくとは粋に泣かせた詫び涙。あっしの疼くは色とて恋とて空ッきし。ただの湿り陽気の神経痛。艶消しぢゞいの冷え躰。腰痛病みの按摩三昧。あまりの痛さに音ェ上げて、鴬谷の笹乃雪[※1]、それとも白山(はくさん)ゆどうふ五右ヱ門[※2]か。いっそ無精きめこんで、近間の蕎麦屋の燗酒で。トまァ思はぬでもねえけれど、こんなときこそ手近で間に合わせちァ不精が習性(ならいしょう)トなり、ぢゞいに黴がはえよふッてもの。歳ァとっても江戸ッ子修業の伊達気分、こんなこッちァさまにァならぬ。重い腰ィ喝ゥいれ、赤樫差歯の下駄の音(ね)も、カツン\/とひゞかせて、白山辺りへお出ましヨ。
 本郷もかねやすまでは江戸のうち[※3]。その四ツ辻[※4]北ィ真ッつぐつッきって、加賀様の赤門[※5]前ェ素通りすりァ左の武家屋敷ァ本多様の長塀で、馬の背道をそのまゝ進み、御先手組屋敷、追分天丁、御小人御中間とたどってひらける白山の辻。江戸の比(頃)なら徒(かち)で来るか、それともお天下さまもお許しの、老人態のわれなれば、辻駕篭ひろってたどってくるところだが、便のよいのがいまのご時世、南北線の本駒込、きざはし(階)も使わず、昇降機なんぞでひよッこり地べたへ苦労なしのすッぽん抜け。ありがた山(やま)の大感謝。出て見りァいまぢァ武家屋敷の影さえなく、立ち並んだ西洋まがいのコンクリ縦長屋。左にめえる四ツ辻ィ向かって鳥渡(ちょいと)行くッてえトなんとむかし風情のたゝずまい。煎餅あきない梅月堂[※6]。今日び当りめえになってるアルミ格子いち枚なく、見世の戸は年季のへえった木格子ヨ。うれしいねェ。時流に流されず、よくぞ守っておくんなすった。買わせていたゞきやすよト三品の煎餅。包んでもらって、ありがとさんト礼を言ひ、先を目指しァ又目ェひく見世。屋号の招牌(かんばん。看板)がちょいとわかんねえが、通ったら覗いてごらんなせえ。こいつァ江戸ならではの商職人(あきないしょくにん)の見世。見逃しちァいけやせんゼ。すぐに出会う四ツ辻を右手に渡って、あきない見世の連なりを数軒たどってぽっかり空いた闇の露地。清めの打水しっとりと、濡れてうれしや御影の石畳。点々と灯す行燈に、映えて浮かぶ江戸風情の別世界。その名もあったまる湯豆腐の五右ヱ門サ。庭を真ン中、左に母屋、真正面にァ小間の離(はなれ[※7])、右の築山にァ赤の丸提燈はなやかに、軒にめぐらせ数寄の離、石段の中場に灯るハ魯山人の秋草行燈思わせる、鉄の切金細工露地行燈。それぞれに灯がもれて闇と明りの妙、えも言はれねえみごとさサ。
 格子を明けりァあっしが今宵皮(かは)ッ切り[※8]の客。真ッ赤におこった炭火の出迎え。こいつが五右ヱ門のうれしいとこヨ。瓦斯の火なんかで便利にァしねへ。帳場の女将の「おいでなさいましノお出迎え、「喜三二でト案内請へァ「ハイこちらにお席をご用意でト小上がりの落ち着いた一角に、衝立仕切って席の万端とゝのいて、鍋ェかける火鉢の炭火ァカッ\/と赤い。冷えた手ェかざし、あゝうれしや懐かしやこのあたゝかさ。茶の道からすっかり無沙汰の今日この比、炭火のあッたかさ忘れておりやしたヨ。火鉢の縁は皿徳利がおけるように六七寸の板づくり。黒漆で仕上げた粋な造作。そこに箸置箸小皿、準備万端ぬかりはねえ。「でハ、ぬる燗を一本つけておくれトお頼みサ。湯豆腐は当りめえだが今宵の料理は席ィあつらえるときに頼み済。跡(後)ハ黙って座ってりァ向うからやってくるッて寸法ヨ。ありがてえしつらえだねェ。今宵は五右ヱ門さんにお任せいたしやしょう。(つづく)

【附(つけた)り】
[※1]笹乃雪。絹ごし豆腐の異名。上野根岸、玉屋忠兵ヱの店。創業三百五十年。葛餡をかけた絹ごし豆腐で知られ、二鉢を一人前として供する。http://www.sasanoyuki.com/
[※2]白さん上五右ヱ門。湯豆腐料理屋。文京区本駒込一の一の二六。電話03(3812)0900、(3811)2015 http://www1.tcn-catv.ne.jp/goemon/
[※3]本郷もかねやすまでは江戸のうち。川柳。かねやす(兼康)。歯磨粉や口中薬で有名であった。現在も本郷三丁目交差点角にあり。元禄初年、京より下り芝柴井町と本郷三丁目に出店を開いた。
[※4]四ツ辻。現、ここでは本郷三丁目交差点を指す。
[※5]加賀様の赤門。現、東大赤門。
[※6]梅月堂。江戸名物手焼せんべい屋。文京区向丘二丁目三十六番九号。電話03(3821)6469 http://gourmet.livedoor.com/restaurant/21643/
[※7]離(はなれ)離座敷。離家の略。別棟の小屋(しょうおく)。
[※8]皮(かは)ッ切り。皮切(かはきり)。最初にすえる灸、のこと。転じて、一番最初。

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