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2009年2月28日 (土)

【其の二】たそがれ清兵衛異聞

 このめえ(前)ハあらすじみてえなもんを書いたが、江戸をかじったもんとしちぁ腑に落ちねえことがまだありやしてネ。それがけっこう本筋にからむとこなんで、そいつゥ鳥渡(ちょいと)させてもらいやしょうか。
 そりァ果合(はたしあひ)ヨ。清兵衛の幼馴染で想ひよせる朋江ッてえ武家の出戻りがおりやしてネ。そこに酒乱のめえの亭主が暴れこんで来る。朋江ァ宮沢りえが演じてるンだが、その控目なかんじがいゝねえ。あっしァ贔屓しちまうヨ。ちか比(頃)お茶屋の女房やってなさるが、ぞっこんだゼ。咄ァずれちまったが、その朋江の兄が間にへえッてなだめるンだが、相手は高祿の武士でいばりちらす。腕に覚えがある清兵衛が取り押さえて帰すのサ。そいつァァ顔を潰されたト遺恨を持ち、果合を申し込んで来るッてえわけダ。
 そいで、その果合の場サ。それがまた絵になるンだねえ。鳥の目(俯瞰)で上から撮ってンだが、左のたけえ(高い)とっからすゥッとミごとに組まれた石垣の角(かど)線が下がっておりやしてねえ。少し広い地べたがあって、その右にァ巾二三間の浅い川が流れてンだ。川にァ石垣も土手もねえ。たゞ地べたがそこんとこだけ自然とへこんでゝ浅い水がせゝらぎのやふになって流れるッてあんべえ(按配)サ。いゝとこミッけたねェ。こういう場ァ探すのハてえへんだヨ。今日び、この景色だけでも涙もんヨ。
 こゝで、清兵衛が小太刀の代りのぼッきれ(棒ッ切れ)で、真剣の相手を打ち負かす。見事な殺陣(たて)だゼ。清兵衛役の真田広之が足を払ってくる相手の太刀をぱッと飛び上がって除け、ぼッきれで撃ち込むのサ。躰ができてる役者ァ絵になるねえ。ト感心ばっかしゝてらんねえンだ。敵にァ二人ほど見届役みてえのがついてる。朋江の兄ァ相手から果合をしたことが洩れねえかト案ずるンだが、清兵衛はナニ負けた方は恥になるから向うから洩れる気遣いはねえト安堵させるンだ。だが、そいつがじきに知れて、たそがれッて小馬鹿にしてた清兵衛がなか\/の遣手(つかいて)ト家中(かちゅう)の評判になッちまうのサ。そいでいて、上役から下問がねえンだ。おかしいぜ、こいつァ。果合なんてのハご法度のはずヨ。お咎めどころか、なんの問質(とひたゞし)もねえ。暢気な家中だねェ。
 どこの家中でも果合なんて勝手にやっていゝとこなんぞありァしねえト思ふゼ。そんなことさせてたら、負けた方がこんどハ仇討ッてンで、そのうち家中の侍が殺しあってゐなくなッちまァワ。果合ッてのハそれッくれえ大事なのに、そいつヲこともあろうにお城の石垣の下でやッちまうンだから、べらぼうだゼ。申込む方も受けて立つ方も、家名断絶を承知でやったにしてもお上ィはゞかって人の目につかねえ原ッぱか森ン中でやるもんだろう。武家のくせにはゞかるッて分別がねえッてのもあきれた盆暗だヨ。
 そいで、めえに書いた方につながるンだが、清兵衛が上意討にいく朝、ぼんやりの中間を走らせて想ひよせるその朋江を呼び寄せるンだ。その気持ァあっしでもわかるネ。まかり間違えば逢えねえかもしれねえからネ。そんで、支度ゥ手伝ってくれッてわけダ。そしたらなんと朋江が、清兵衛の乱れた後毛(おくれげ)を櫛でなでつけるンだねえ。これにァあきれたゼ。清兵衛ハふだん陸(ろく)に髪の手入もしねえような不精もんなんだ。これから死地に立つ士(さむらひ)ならば、汚い恰好で死恥をさらしァ末代まで笑者ヨ。だから、元結(もっとひ)ヲ切って髪を梳いて、髷を結い直してやるくれえ当りめえのことだろう。支度を終えて出立する清兵衛の姿ァ見たらなんと、裁着袴(たッつけばかま)に襷掛(たすきがけ)、その上に羽織ッて姿ヨ。額に鉢巻し、腰に大小二本。さすがにぼッきれハ持ってねえ。こんな支度なら人の手ェいらねえ。どんなにぼんやりッだってえ、中間が一人ゐるンだ。手ハあるはずヨ。清兵衛は袴一ツてめえで穿けねえのかねえ。そんなこたァねえだろう。相変わらず月代も髭も不精の三分伸び。なんだろうねえ。あっしァ情けねえヨ。清兵衛役の真田広之がぢャねえよ、勘ちげえされット困るゼ。せっかく宮沢りえの朋江を呼んでやったンだ。髪ィ梳かせるくれえの仕事させてやらァいゝぢァありやせんかい。そうすりァ送る方も送られる方もこれが別れト腹ァくゝる涙の場ヨ。門発つ清兵衛にァ二人の役人が付添ンだが、どうして上意で出立するのに兵力の一人であるはずの中間がついていかねえのかねェ。そういうもんなのかねェ。中間てのハいつでも主の共をするもんなんぢァねえのかねえ。
 マこんなことあんなこと、いろ\/あってサ。この活動写真が、けふハこれきりト終わッちまった跡(後)で、あっしァ思ったネ。
  啌(うそ)ハ実正(ほんとう)のような面ァしてあらわれ、実正(ほんと)は啌みてえにして語られるッてネ。古くは大本営発表で騙され、いまァねずみ講でだまされ続けてらァ。
 それにしても誰もがゐるはずァねえト判っていても笑って涙流して観てた寅さんで人の真を描いておくんなすったこの活動写真の棟梁さんが、なんでこうしたもんつくろうッて思われたンでやしょうかねえ。あっしァわかんねえヨ。観る方も気ィつけなきァいけねえネ。活動や戯作で騙されてるうちァまだ可愛いが、もっとおッきなとこで騙されッてかもしれねえゼ。用心\/。

   啌ばなし 実正(ほんと)のように やってくる

2009年2月24日 (火)

たそがれ清兵衛異聞

 いまッ比(頃)観たッてえバ遅れもんッて鼻ッつァきで笑われちまうが、損料屋に大枚偽銀二百両払って借り出してきたッてェわけヨ。そいでじっくり観たわサ。まずくれえ(暗い)ンだ。そいつが気にいったヨ。行燈だの蝋燭だの提燈だのゝ明りだけで撮ってンぢァねえかと思ふほどヨ。横ッちょだの上からだの光当てゝねえ。電気のねえあのじでえハあんなもんだと思ふゼ。訪ねた先様の門先で中間(ちゅうげん)が提燈を持って主(あるじ)が出てくるのを待ってる様子を高いとこから撮ってンのヨ。まわりは真の闇サ。そんなかで提燈の明りだけが、心細くも輝いてンのサ。なんとも闇と光がたがいに生きておりやしたねェ。
 それからいゝのハよくぞこんな場所めっけたねえッて感心しちまうことサ。舞台は庄内ッてことになってるから、言いっちァわりいが田舎だ。だからッて今日び、轍の跡のねへ道ィさがすの容易ぢァねえゼ。よくめっけたねェ。えれえヨ。
 台詞も庄内の詞なんだろうねェ。江戸もんのあっしにァわかんねえが、そんな気分ヨ。観てるこっちが、するりと幕末の庄内にへえりこんだこゝろもちがいたしやしたゼ。立戯作者もえれえが、役者さんもえれえネ。簡単にやれるこっちァねえゼ。
 たそがれッて綽名(あだな)ハお城のお勤めが引ける黄昏どき、同輩たちハ居酒屋へ行ったりするンだがその誘いを無愛想に断り真ッつぐけえってしまうことだの、月代や髭を剃らず不精していたり、湯にはろくにへえらずむさくしょぼくれてゐるンで、そんな二ツ名がついたッてえわけだ。清兵衛役の真田広之ッてえお役者ハ無口演じるとじつにいゝねえ。そんなのォじっと観てゝ江戸の士(さむらひ)のお勤めッてのハ黄昏どきまであったのかなァと思ったネ。黄昏どきにお役を終えて、それからつるンで呑みィいったら引上げは何刻になるのかねえ。士が夜歩きしてちァまずかろう。出仕はゝえ(早い)ゝが、けえり(帰り)もはえゝト聞いたように憶えてゐるが。なにぶんにも士は暮六ツ(日没直後)にァかならず家に戻ってなくちァなんねえ決まりがあったンぢァなかったかねえ。それにじでえハ幕末。開府から二百六十年くれえたってる。幕府にかぎらずどこの藩だって、藩士が多くて困ってゐやしょう。一ツ仕事を何人もの藩士で分け合ってゐたンだと思いやすぜ。活動写真ン中でも、清兵衛が庭の畑ェ耕してるとこが写るから、まいンち出仕ぢァねえッてことだ。江戸徳川さまの旗本だの御家人なんか役についてゐても出仕は三日にいっぺんなんてのハざらだったらしいからネ。そいで元々祿がすくねえから、空いた日に内職に目白や虫ィ、躑躅(つゝぢ)を育てたりして口をしのいでゐたッてえそうだ。清兵衛も二人の娘と虫かごづくりの内職をやってンだが、油が高直(こうじき。高値)のはずの行燈を灯してンのサ。十露盤(そろばん)が合わねえゼ。
 それにサ。のっけに月代(さかやき)や不精髭をはやしてるッて言ひやしたでやしょう。庄内が田舎藩だからッて、そんなこたァ許されねえはずだゼ。武士ハ人前にでるときハかならず月代、髭はきれいに剃刀を当てるのが定法ヨ。徳川幕府は、髭は戦国の蛮風ときらい、禁じたと聞いておりやすンだがねえ。なにも言はねえ上役もおかしいやナ。藩主が清兵衛の躰が匂うのに気づき、「藩士たる者、城下の民の規範になるようにせねばならぬト躰を清くしておけト言ふンだが、そんときもなんでか不精髭や三分ほど伸びた月代についちァお詞がねえ。こいつも妙ヨ。士はどんなに貧しても身だしなみを忘れず立ち居振る舞いを身ぎれいにするもんでやしょう。
 そのたそがれが、じつァ小太刀の名手だったッてえことが知れる。調べたら道場の師範代だったッてえンだから驚きヨ。藩士の誰がどこの道場に通ってゐたか。どのくれえの腕前だったかぐれえ、いくら武道のすたれた幕末だって、小さな田舎藩なんだから、同輩や上役の間で知らねえッてことハねえゼ。知れる発端ハ長刀真剣の相手を小太刀代りの木(ぼく)で打ちすえたンだが、清兵衛は師から小太刀を習ったッてのヨ。武士ならばだれでも大小両刀を腰に差してるもんだゼ。その長い方ぢァなく、なんでわざ\/みじけえ小太刀の使い方だけおせえるかねェ。奇妙だゼ。小太刀ッてのハあっしァ別にくわしいわけぢァねえが、ありァ戦で組み打ちになったとき長刀ハふるえねえから、そんときに敵の鎧の隙間の脇の下なんぞを刺しぬくもんなんぢァねえのかねえ。活動写真ン中ぢァ清兵衛ハ苦しい身(貧乏)なんで長刀ハ金に代えてしまって、竹光だッてえのサ。そいで小太刀を振るうッてのハ帳尻があってるようなあわねえような妙ちきりんな咄ヨ。
 清兵衛ハ五十石取りだが、お借上が二十石なんで、三十石しかねえから暮向がてえへんだと周りが言ふ。お借上ッてのハ藩の懐が苦しいから、藩士の禄の内から藩が借りたことにして差ッ引いちまうことで、こいつァほとんどゞこの藩でもやってた方策だそうヨ。借りるッてのハ名目だけでけえしちァくれねえ。藩士も苦しい身なら、藩の内証(ないしょう。懐具合)も苦しい。その貧のさまが清兵衛。そいでも愚図者ながら中間をおいて見せてるからちゃんと活動写真にしてるわナ。たそがれどきに藩士が勤めを終えてお城から出てくるトそれぞれの中間が薄暗がりの中で膝をついて待ってるッてえ図ハやっぱり絵になるワ。あゝ、江戸のじでえに観てる自分がゐるような気ィさせてくれるのヨ。こうしたとこがこの活動写真ハうれしいねェ。
 そいで、小太刀の名手トしれた清兵衛に白羽の矢が立って、上意討ちに行かされるのヨ。これがまたあっしにァ妙に思えてしょうがねえ。お上(殿)が亡くなったンで家臣が追腹を切るのサ。共腹とも言ふ、殉死だわナ。藩命で何人と定めたんだそうだ。ところがその中の一人がどうしても切腹しねえ。そいつァ浪々の果て、やっとこの小藩に召し抱えられ必死に奉公に務めたンだと言ふのヨ。なんでわしが死なゝきャなんねえ、納得できねえッてわけだ。藩ぢァ許さねえッてンで先に一人討手を差し向けたンだが、返討にあッちまった。そいで、清兵衛おぬしの腕を見込んだ行けッてんだ。渋々のんだ清兵衛に上役ァおまえに万一のことがあれば子たちのことはかならず藩に先々の面倒を見させるからト因果をふくませるわけヨ。主従三世(さんぜ)サ。
 だがねえ、この追腹の咄ァまゆつばだゼ。こりァ殺し合いばっかしやってた戦国の名残ヨ。なんてッたって江戸幕府は寛文三年に禁止令を出してるンだ。西洋の暦で言やァ1663年。江戸開府は慶長八年で1603年、大政奉還が慶應三年の1867年。この活動写真の中の台詞に、京ぢァ倒幕の浪士がぞく\/と集まって騒然としてるッてンだから、年代の帳尻ァ目茶苦茶ヨ。追腹の風なんぞハ早々となくしてるンだ。江戸時代は残酷だねえ、ト勘違いさせるゼ。なまじこの活動ハいかにも実正(ほんと)ッて感じに絵ェつくってるだけに、知らねえお人は信じちまう。止しにしやしょうヨ、こういうことはサ。
 くゝりに、言わずもがなのことォ一つ。なんで元の戯作者のお方も活動の棟梁(監督)さんも、こんなつらいのつくるのかねえ。棟梁は寅さんのめえもずっと莫迦ァ描いて一筋だったのにねえ。お歳かねえ。命の〆が来るめえに渋いやつゝくってあいつも重いものォつくったねえッて名ァ残してえのかねえ。つれえこたァ現世だけでいゝぢァありやせんか。無理やり時代にあわねえ追腹ばなしつくるこたァねえでやしょう。戯作も活動もなんでもありッてもんでもねえでやしょうヨ。啌は啌らしくつくらねえト世間が信じちまいやすからネ。

2009年2月23日 (月)

散火花御職艶競(ひばなちるおしょくのあできそい)

 こないだ雷門通りの尾張屋本店で、小柱蕎麦にうつゝを抜かし、気がつきァいつしか足ィ遠のいてゐた飯田橋ここも屋号おんなじ尾張屋の、見世先の板に墨黒々と名を連ねる牡蠣きしめんト蛤きしめん。どっちも今ンじきの売れッ子ぞろい。どっちがお職を張るか、牡蠣が張りァ蛤ァ二枚目。蛤贔屓が押しかけりァ札のかけかえの一番御職。意地の張りあい、果たし合い、味に手練手管のよりィかけ意地と意地とのきしめん勝負。あっしァ遊びの仁義ィ守ってひとッところの見世で、浮気は厳禁。はなに蛤花魁と決めたからにァどこまでいっても牡蠣たァあすばねえ(遊ばなえ)。それが通り者の仁義ッてえやつだろうゼ。
 けふ十九ンちも、ふっくら豊かな久しい蛤、三ツ葉したがえ、白肌のきしめんの上で、もふ開けませんッてえくれえ二枚の貝をおッぴろげ、自慢の肌を惜しげもなくご開帳自慢。つゆに蛤の旨味がほの白く広がってゐるのもいつもの姿。きしめんの量と蛤の量を加減しいしい、食べる旨さ。喰ふほどにへるなァ淋しいが、箸もとめられねえ旨さの誘い。こいつァ男覚悟もやわと消え。気がつきャはや殻が残るのみ。蛤花魁、もうそろ\/お仕舞えなんぢァねえのかいット女将にきゝァ「大丈夫、まだやってるわヨのうれしい返事。ト言ってうか\/してりァ抜かるッてえものサ。いまのうちに贔屓ァ通って、蛤花魁を御職にしてやってくんねえナ。牡蠣がどんだけ迫ってるかせハ知らねえが。こゝは一つ、江戸の遠浅、蛤産地。通って詰めて、蛤きしめんに軍配上げておくんなせえ。お頼みいたしやすしたゼ、コウ江戸ッ子兄哥、江戸ッ子姐さん衆ヨ。

2009年2月18日 (水)

【番外】〈十四〉川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)

   さむらひハ 主従三世の 深き縁

 浄瑠璃の牛若千人切斬にこうある。げにやしゅじうは三世(さんぜ)の機縁と聞くなれバと。主従たァ主(あるじ)と家来のことヨ。士(さむらひ)ッてのハなんだッてネ。そちハわしの家来になれ、ヘイようがすッてんで、主従の間柄が決まる。そうすっと、わしの家へ来いッてわけだ。そいで家来ッて言ふぢァねえかとあっしァ思ふのヨ。ついてッて主の家に住み込む。家来の勤めッてのは二六時中だからネ。日が暮れやしたから、殿、跡(後)ハご自分で、ハイさいならッてえことハねえンだ。戦が仕事だから、いつなにがあるかわからねへ。で、昼も夜もそばについてる。はなに祿高いくら\/でッて決めるのもゐりァ、取り決めなしで、来い、ヘイ合点ッてんでトぜんぶ主にまかしちまうッてのもあったらしい。こんなとこからも、士はとりわけ金銭を口にすることハ賤しいとしたッてえことがミえる。江戸の町ァその武家の町だから、それが江戸ッ子の気ッ風の骨ェなって、損得で動くやつァ屑よッてえ任侠の気が生れたんでやしょうナ。
 殿様の方も、いったんてめえの家来になったもん(者)は三代にもわたるくれえ面倒みた。子(こ)孫(まご)の代まで引受るわけヨ。稼業ッてのも変だが、そうぢャなきァ命かゝるンだからやれねえヤ。おめえの命ハわしに預けろ、万が一のことがあれば、子はおろか孫まで喰ふにハ困らせぬッてえことだろう。そいで、三世(さんぜ)の機縁と言ふンだろうとあっしァ思ふネ。これはあきんどや職人の間にァねへことサ。お店(たな)に勤めたからといって、それの子が親父の跡ォついでそのお店にへえるッてことハまったくなかったゝァ言へねえだろうが、まずねえわナ。職人もそうヨ。親方に弟子入りしたッていずれ一本立ちになって出るンだ。
 主従三世のめえに来る詞もあって、夫婦(みょうと)は一世、親子は二世、主従三世。みょうとト親子ンとこはあっしのうろ覚えだから、もしか違ってたら勘弁なんだが、夫婦の縁は当りめえだが一代限り、親子は親が子を育てるがもんだから二世ッてことになるわナ。孫は子が育てるもんだから、三世にァならねへわけだ。師弟の間はみょうとにおよぶかどうか。師が弟子の一生を見ることハねえから、あきんどや職人とおんなじ、弟子が一人めえになりァ離れる縁なんだろうネ。

   さむらひハ 祭近所とつきあはず

 江戸でも三社祭だの天下祭と呼ばれた山王社と神田明神の祭礼などが親玉格だが、こりァみんな町人の祭。士(さむらひ)ッてのはそういうものにァかゝわらなっかそうだネ。元和元年(1615)に山王祭の行列が初めて千代田のお城にへえったンだが、それにァわけがあってもと\/城中にあった社が二年めえの慶長の十八年(1613))に城の外に移されたからだそうヨ。
  また士ッてのハ士同士で屋敷を並べてゐても近所づきあいはしなかったンぢァねえかネ。そんなことすッと、あいつら謀叛をたくらんでンぢァねえかと痛くもねえ腹ァさぐられる。侍が横つながりでひとまとめになって殿に仕えてるわけぢァね。横のつながりより、縦のつながりなンだな。
 そんな風潮は、戦後のいゝ加減まで東京の杉並辺(へん)にァ残ってゐたネ。あすこハ丸の内の勤人が地所が安いッてんで住みついたとこだが、丸の内の勤人てのハ元々維新政府の関係の昔の藩の下級武士の末裔でやしょう。下町だの深川本所浅草の長屋の店子(たなこ)のように、ひっついた付き合いはしねえもんだと思ひやすゼ。これハ徳川の旗本や御家人もおンなじでやしょう。たがいに立ちゐらず、迷惑をかけずかけられずッてえのが、武家の心得だとあっしァ思ひやすナ。まァべたつかねえッてことヨ。それが江戸の気ッ風のあっさりしたものを生んだぢァねえかねえ。

2009年2月17日 (火)

喰積(くいつみ)【江戸語ッこ 二】

  喰積(くいつみ)がこしやくに出来て一分(いちぶ)めき  (柳多留より)

  あっしの餓鬼時ぶんの戦後すぐッ比(頃)でも、年始のお客は座敷に通し、お節に酒でもてなす風がありやしたが、江戸ッ比ァ喰積ッてんで迎えたようでやすナ。三宝(さんぽう)に米ェ盛って、その上に鮑を剥いて干した熨斗(のし)ですナ、それからかち\/に干していっそう甘くなった勝栗、昆布、鎌倉海老[※]などを飾ったそうでやすネ。気のきいた家なんぞぢァ飾り海老はちゃんと伊勢海老にして、それに若松なんぞも添えたようでして。
  この飾りつけがあんまりうまく出来すぎるッてえと、吉原喜の字屋の台の物みてえになっちまって鳥渡(ちょいと)なんだぜッてんで、一分めきッて詠んでるわけでさァ。一分とハ一分金のことで、四分で一両になるンだから、かなりの高直(こうじき。高値)ですゼ。台の物ッてえのハ吉原のそれなりの見世ェ登楼(あが)るトまず酒宴になりやすが、そんときでっけえ飾りつけ料理を取り寄せるンだが、そいつを言ふンですナ。その仕出しをやってる見世が、喜の字屋。ト言ってもあっしがやってたわけぢァねえゼ。
 この川柳、深読みすりァ素人が玄人じみたこたァあんまりしねえ方がいゝぜッてことかな。

【附(つけた)り】
[※]鎌倉海老。伊勢海老のこと。江戸には現在の神奈川県鎌倉の海で捕れたものが運ばれていたので、こう呼ばれていた。安永四年『物類呼称(二・ゑび)』「関西にて、いせゑび、関東にて、かまくらゑびと云、又年の始にかざり海老とする物は関東にても、いせゑび也」

2009年2月14日 (土)

薬種屋(やくしゅや)【江戸語ッこ 一】

  薬種屋(やくしゆや)で屠蘇(とそ)を買ふのは無病なり  (柳多留より)

 薬種屋ッてえのハ漢方薬の見世。今で言ふ薬局や薬店のことサ。江戸の比(頃)ハ屠蘇散は買ふもんぢァなくって、かゝりつけの医者から歳末になるト届けられた、言ってミりァお医者からの歳暮だから、そいつゥわざ\/買ひに行くのハ病気知らずのやつッてェことを詠んだ川柳ヨ。
 今ごろなんで三ケ日に飲む屠蘇の咄なんだト思ふだろうが、けふ2月14日ァ旧の天保暦で言やァ睦月廿日。まだ正月の内ヨ。我慢してくんな。

【附(つけた)り】
柳多留(やなぎだる)。江戸では川柳はてえへんな時花(はやり)で、そのすぐれたものを集めたものが柳多留。その句の中に読み込まれた江戸語江戸弁を『江戸語ッこ(えどごっこ)』と題して取り上げてみんべえッて思っておりやすんで、お付き合いのほど、よろしゅう。本日は第一回。よって年の初めの正月に付物の屠蘇散に因んで、薬種屋ッてえことでやらさせてもらいやしたのサ。

【お願い】

   読んで下さる方、お宅のお屠蘇事情を教えてください。
 匿名やmixiハンドルネームで結構ですし、文章は標準語でかまいません。

 ①あなたの実家では、お屠蘇は飲みますか。

 ②お飲みになるお宅では、屠蘇散は味醂で漬けますか、それとも日本酒ですか。焼酎でもつくりますか。

 ③あなたの実家の都道府県は、どちらですか。

  ④あなたの年齢、判別を教えてください。

2009年2月13日 (金)

【番外】七个月振りのお勤(しちヶげつぶりのおつとめ)

 江戸語ォ集めて整理してト身のほど知らずに始めたァいゝが、三年ミ月の去年の夏、新の暦の七月辺り、腰の痛みに耐えかねて、鳥渡(ちょいと)休んでまたの日ト甘えた思ひが仇となり、気にはすれどもけふをあす、のばし\/て気がつきァ早七个(ヶ[元字])月。秋もとうに過ぎ去って、赤城颪(おろし)の木枯らし空ッ風、頬切る風もいまぢァぬるんで春ハ気配のけふこの比(頃)。小机相手に長く座ってらんねえやわ腰もどうやら少しいうこと聞きそうな按配と、騙してふたゝび始めた江戸語拾い。江戸語江戸弁、たっぷり埋まった川柳集、その名も柳多留(やなぎだる)名句選。こいつァ実正(ほんと)に詞の埋蔵金。掘りァざっく\/と、あんな詞こんな詞が湧いてゞる。まず手始めに初手の「薬種屋で屠蘇を買ふのは無病なり」から薬種屋を拾い、七个月振りのお勤再開と気合入れ。この元気もいつまでつゞくかわからぬが、行けるとこまで行くのが命ッてもの。出たとこ勝負ぢァねへけれど、先の約束なしのお仕舞勘弁と行かせてもらいやしょうかね。

2009年2月11日 (水)

春〆霰模様(はるのしめあられもやう)

 浅草のひとつてまえ、田原町駅で地べたへ出りァあおぐ空ァ真ッつァおヨ。けふ二月十日、旧の天保暦で言やァ睦月(正月)十六ンち。江戸の比(頃)なら藪入[※1]ヨ。線香店(だな)の丁稚、定吉ハおッかさんンとこィ走ってンだろうなァ。それとも鳥渡(ちょいと)おませになって奥山の小屋に寄道か。そう言やァ田原町の角にァむかしッから、両国の四目屋[※2]ならぬ、八目屋[※3]があらァ。倍は効くのかもしれねえゼ。こゝの鰻でいきおいつけて、いってえどこに狙いをつけて走って行こうッてのかねえ。
 雷門通りを鳥渡一丁行くか行かぬか、角に見世はる尾張屋本店。格子をみなまで開けず、一尺ほどで素ッ首つっこみ、もしもねえなんて聞きァさッと踵(きびす)けえして随徳寺の腹づもり。帳場の女将に「あられ、まだやってるかいト問やァにっこり微笑み「はい、ございやすヨのうれしい返事。ありがた山のほとゝぎす[※4]。席にもつかねえ内にお運び姐さんに「あられトひと一声。姐さんあたふた、「鳥渡待っておくんなさいヨと釜場へ駆け込んでの談判。「あられ、あるゥの声が聞こえて来る。とってけえして来て「お客さん、ございますッて。「だろう、さっき帳場ぢァあるッて言ってたゼ。此処で天気好転あられなしの青天井になられちァ遠路はるばるのしてきた甲斐がねえッてもの。また一年命つないで辛抱しなきァなんねえ。やがて「お待ちッの声と一緒に運ばれてきた霰蕎麦。こぶりの持ちやすい丼にあつ\/のつゆをたっぷり張り、蕎麦の上の真ン中に色紙に切った海苔を据え、その上にこんもり持った大星の貝柱。てっぺんにァお決まりのわさびおろし。「姐さん、このあられァそろ\/おしめえかいト訊ねりァ、姐さん振り返り、あっしのめえの丼指さし「それが最後トにんまり笑う。してやったり。こいつァ春から縁起がいゝゼ。残りもんにハ福があるトは聞くが、このあられ蕎麦ハ最後のいっぺえ。跡(後)ハ冬まで十月(とつき)の歳月生き延びて、またおいでの貴重ダネ。見世の主が河岸にのし、数ある柱ン中から吟味して、大星のいゝとこ取りで仕入れてきた大星中の大星ぞろい。噛みごたえのある大きさ、歯ごたえ。旨さが蕎麦つゆに負けることもなく、少し甘めのつゆン中から蕎麦ァ引出し、手繰ってすゝり、つぎにァわさびと一緒に大星ひとつ二つ。このあっさりした旨さが判るようにならなきァ江戸の舌を持つたァトハ言へねえンぢァござんせんかい。脂ッこいもんがうめえと思ってるうちァ、まだ二才[※5]。さらりとした蕎麦、ほんのり甘めのつゆ、そいで噛みしめると奥く深い味がわきだして柱の中の柱ァ大星。これが江戸の味わいッてやつだろうゼ。
  ごッつォさんで見世を出て、雷門めえの餅屋岩美屋。こないだの大豆入りの海鼠餅に味ィしめたんで、けふハあっしのもう一つの大好物、黒胡麻入りの海鼠(生子)餅を一本。「けふつくったばかしだから、切るのハあしたの夕方がよござんすヨと女将の助言。こゝら辺が、仕入れて売ってるンぢァねえ、てめえでつくっててめえで売ってるから出る詞。混ぜ物なしの証にァせいぜいこの二月いっぺえでおしめえ。跡ハ黴びるからねト正直な答。食い物はこれがいっち大切なんでやしょうナ。明日の夜にァ胡麻海鼠、ふた切れミ切れふっくら狐色に焼いて喰ふがたのしみヨ。

【附(つけた)り】
[※1]藪入。旧暦一月と七月の十六日、奉公人が暇をもらって親元や宿元へ帰る日。宿元とは身元保証人である口入屋(桂庵とも)など。宿おり、宿下がり。この日は、閻魔王の斎日で、地獄の釜の蓋が開くともされていた。
[※2]両国の四目屋。長命丸など淫薬や張形やひごずいき、兜形などの淫具の販売で知られた店。店内は客の顔が判らないように暗かったのでも有名。
[※3]八目屋。八目鰻屋。八目鰻は精力効果で知られる。
[※4]ありがた山のほとゝぎす。江戸元禄の頃に板行され幕末近くまで人気がつづいた赤本「たゞどりやまのほとゞぎす」(幼児向図書)のもじり。
[※5]二才。青二才の前語省略。江戸語。

2009年2月 8日 (日)

【番外】切られ與三手切金(きられよそうてぎれのかね)

 けふは右腕ェ一寸の余も切られちまいやして。縫った針かず、五針六針。縫った黒糸色気ェねえが、しっか止めて血のおさえ。
 明六ツまぢァ早くねえが、あっしとしちァ覚悟の早起き、夜の闇がまだちったァ薄まって残ってるような時刻に、目覚ましの煎茶に梅干の果肉のすっぺえとこで無理やり目ェ明けさせ、朝の町ィくりだし、いの一番で手術室へ行ったッてわけヨ。着替えの部屋で、看護師の若衆(わかいし)さんがついて面倒見てくだすったンだが、いつもの伝の着物姿のあっしィ見て、「わたしも着物着たいンですよなんてとこから、茶道やってるッてえ咄がでやしてネ。まだ一年ほどなんだがッてえんで、いっち楽しい比(頃)でやすねえなんて咄ィはずみやしてネ。あっしァかれこれ十年してたんだが、長年の透析のためかだん\/足腰背中の筋肉が落ちて、釜や水指の上げ下げどころか、正座してるだけで背骨のつながりが痛んで横にならなきァいらンねえ始末。これぢァ茶にならねえトあきらめ振った茶筅の別れ[※1]。こんな茶咄ィ手術室でゞきるなんてのも、けっこう乙でいゝもんぢァありやせんかい。
 去年の春三月ッ比にも右手ァ手首に刃物入れてるンだが、その跡(後)、血管がつぶれちまって二遍細い針金ェ血管中に入れてちッさな風船ふくらませて、血管をむりやり広げるなんて痛い芸当をやったンだが、またすぐにへたッちまッたンで、今度の切り裂きッて仕儀ヨ。
 左手にァもうやり場のねえほど刃物がへえっておりやして、かずえて見ると、なんと大小合わせて六个(こ[※2])。楊枝ッくれえのぶッとい針ィ毎週\/最低でも六本ハ刺しておりやして、そんな芸当をかれこれ十五年。おぎァと生れた赤ん坊もいまぢァ生意気ざかりの高校生になろうッて歳月(としつき)、こんな刃物針三昧の修羅の日々。そんなこんなで針の跡となめれねえほどのいっぱし跡だらけ。いつもおんなじ辺りィ刺しつゞけンでそれががつながり、切られの傷のように見えるッて寸法サ。
 人さまの目にふれることのねえ腹にァ、大層な向ひ傷が数ゥありやしてネ。まず下ッぱらの右にァ自慢にもなんねえ小さなちょン傷。こいつァまだ高校の二才のときに盲腸になっての手術跡。てえしたもんぢァありやせん。真ん中、胃の腑の下から臍ォよけて真ッつぐその下めいっぺえまで、すっぱりと割腹のメスの跡。こいつァある朝、急に大腸に孔ァ開いて腹膜炎起こしてのたうち回り、危篤の宣告。孔あいちまった大腸切り取り、左のどてッぱらに一寸径ぐれえの風穴あけて外に出し。そのまンまで六ヶ月。待ってまた割腹。切り離した大腸をチタンのホチキスでパチ\/ッて止め、また腹ン中に放り込んだンてわけヨ。そんな騒動のときだろう。右ッぱらにもちっせえ切傷がありやすねえ。跡ァ目だネ。左目、こいつも刃物傷ヨ、ちょんと切ってそッからレンズ入れておりやすンだが、この傷ハてめえでも見えやせんナ。なんだかんだもぜんぶひッくるめりァ十と四(し)箇所。與三郎にァおよびもつかねえが、いっぱしの向こう疵のぢゞいッ二ツ名になりそうだゼ。そいでけふの手切りの手術代ヨ。帳場の姐さんに、お代はおいくらお支払いさせていたゞきやしたらよろしいンでトお訊ねすりァ、喜三二さんハ華の身障第一級、透析の御身、お代はいりやせんヨのお情けあるお詞。こいつァ春から縁起がいゝゼ。ありがた山(やま)の賽のふり目。めぐる月日になんか特別でっけえいゝことが待ち受けてゐるかもしれやせんなァ。こないだの観音さまの拾い福豆がもう効いたか。上々大吉。幾久しュお頼み申しやすゼ、観音さんよォ。

【附(つけた)り】
[※1]振った茶筅の別れ。振ったと茶筅は縁語。振ったと別れは縁語。
[※2]六个(こ)。个の字の草書体がヶ。个は音読みで、か、または、こと読む。そこから草書体のヶを書いてコ(個)と読み、さらに個の字を当てるようになんた。一カ月のカも、かつてはヶと表記してカと読んだものが、そのままカの字を当てるものとなった。

2009年2月 5日 (木)

雷蔵形切られ與三郎(らいぞうごのみきられよさぶらう)

Photo  こないだにつゞゐて損料屋から借り出したのハ切られ與三郎。立役ァご存じ市川雷蔵。こんどもいゝぜえ。のっけの幕開きで雷蔵が歌舞伎の囃方。好きがこうじて玄人はだし。明烏の三味線を弾いてるンだ。それがよォ、水もしたゝるいゝ男ッてのヲ画に描いたようヨ。黒羽二重の紋付にきれいに剃った月代、髪の毛一筋の乱れもねえ結い上げたばっかしの髷、色白の整った顔だち。男のあっしからみても非の打ちどころがねえヤ。男の色気たァこのことだねえ。筋書ァ本編を観てもらやァいゝンで四の五の言はねえヨ。いゝとこだけつまんで咄しやしょう。 その與三(よそう)が理由(わけ)あって木更津に落ちるンだが、そこで木賃宿を一時(いっとき)の塒(ねぐら)にして三味と喉ォいかして口しのぎの新内流し。川端の岡場所辺、柳の並木からもれる月影の下を爪弾きながらそゞろ歩きに流してゆくンだが、その後姿がなんとも粋でねえ。どっかの牛乳商品ぢァねえが骨太ぢァできねえ相談だゼ。その玄人の音色に、オヤッて耳ィ傾けるのが、お富ヨ。こゝの網元に引かされて来たらしい。元深川出の羽織だけに、こんな田舎にゐても、上手名人の三味の音ハ判るッてわけだ。すぐに小女(こおんな)を呼びにいかせ、座敷に上げて弾き語りさせるのヨ。曲ハ蘭蝶。しんみりしてゐて、そいでゐて声ァ張りつめた絹糸みてえヨ。たまらねえなァ。そんときの仕立てァ画面で観て、勉強になりやしたゼ。芸人さんの扱いハこうするもんなんだねえ。床の間ァ背に、夏なんで青の毛氈を敷き、そこに與三郎を座らせ、そのめえ(前)にァ盆に袴付の徳利、杯洗、ちょいとした肴の皿。旦那になるお富ァ下手の敷居際に席をしめて拝聴するッてえ形ヨ。そんときのお富の形(なり)がまたいゝねえ。ぞく\/ッとするッてえのハこういう形だネ。黒無地、夏なんだが絽でもなし、それへ水色の帯ィ〆てネ。半衿と長襦袢ハ真ッ白よ。顔が映えるンだよネ。役者がまたいゝヨ。大映がこのお富にァこの人でなきァなんねえッてンで社内をなだめ、先の会社に天窓(あたま。頭)目いっぺえ下げて借りてきたンだろうナ、東宝から。淡路恵子姐さんだゼ。それが眉ゥ落とし、歯ヲ鉄漿(かね)で染めてんだから、いっそう目がきいてくるッてえ寸法ヨ。仇たァこういうのを言ふンだろうゼ。宵の町ですれ違って、流し目なんぞくれたひにァ、あっしァ卒倒しちまうゼ、ほんにサ。ま、此処でお定まりの情夫(いろ)ッてことになり、とッつかまって三十四(さんじゅうし)ヶ所切られ、簀巻きにされて投げ込まれ、命の綱の切れたのをどう取り留めてか木更津からッてわけで、生き延びたッてわけヨ。
 この映画で役者ぶりが滅法界(めっぽうけえ)いゝのが、多々良純の蝙蝠安(こうもりやす)だねえ。うめえのなんのッてこれが映画役者の演技ッてもんだねえ。あっしァ感服いたしやしたゼ。地回の小悪党ぶりが見事ヨ。柄にもなくやわらかもんを着てるンだが、八口があいてやがる。そッから橙色の裏地がちら\/。袷ッてことだ。そいつゥ半襦袢なしの引抜で着て、下も股引なしの素寒貧(すかんぴん)。與三つれて玄冶店(げんやだな)の妾宅へ草鞋銭ねだりに行くンだが、そンときの所作が見物(みもの)だゼ。これより下ァねえッてくれえ下手にでて見せといて、丁度来合わせてた旦那の使いの番頭が天保銭いちめえ鼻紙に包んであしらうトそのお捻り開いて天保銭手に取り下から目ぬ上げ、「たった百ばかり、扱ひだも凄まじい。そっちの方へ、すッ込んでうしやァがれとパッと尻ィまくって橙色の裏地の裾ォ肩まではね上げて啖呵ァ切る。凄まじいッてのハ元の歌舞伎台本、與話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)を瀬川如皐が書いた嘉永(1850年)ッ比(頃)の流行詞(はやりことば)。こんな詞ァ映画にしてもちゃんと活かしてくれてンで江戸気分が味わえるッてえもんヨ。そんときのお捻りの扱い方が粋なんだねえ。手首くるッと返して捻り直し、すッと畳ィ押し戻すンだが、それがなんとも言へねえほど、きれいに形(かた)になってンのヨ。いまどきの子どもだましの役者もどきぢァおよびもつかねえ技だぜエ。この比ァいゝのが揃っていたねえ。映画の会社ッてのハ役者ァ育てたンだねえ。棟梁(監督)ハこんども伊藤大輔。モひとつ見落としたくねえのが玄冶店の場にあるゼ。洗い髪のお富の右鬢にァちゃんと櫛ィ横に差してンのヨ。元の外題をこゝでおさえてるッてえ趣向サ。このビデオもお早い内にご覧なせえ。もゥちっとすりァ消えちまう命だろうゼ。

初春並木藪(きぶんあらたなみきのやぶそば)

Photo_2  だらしのねえことにこゝンとこ腰が痛くって往生していたンだが、気晴らしでもしねえとます\/いけねえトきのふハ旗本奴の向ふ張ってやろうかとこないだの丹前着込んで、浅草は並木の藪へ繰り出したッてえわけヨ。形(なり)ハいま言ふ縞の丹前の上に濃色(こきいろ)手紬結城の羽織、紐ハ鼠色(ねず)の平打、鯨帯の濃紺を表に〆、ぶちこんだ烟管筒にァ藍染叺(かます)。あか(銅)の留金の細工ハ大川の筏流し、川向こうに蔵前がけむるッて芸のこまけえ趣向ヨ。焦茶の角袖に象牙色の手紬手織襟巻。足袋は桐形四枚(しまい)こはぜ。下駄は桐の細身仕立、鼻緒は細身で白地に黒の極細縞。右手にしろがね(銀)の握りに丸黒檀の杖。左手にァ黒染鹿革に黒漆、梅花ちらしの印傳合財袋。行きがけの駄賃に履物問屋の長谷川にィよって、年末にはじめて見て目ェくらんだまゝ瞼に焼きついてはなれねえ燻(くすべ)の合財袋を譲ってもらい、ご亭主のとっつあんト鳥渡(ちょいと)咄ィしたら同病の死に損ないト知って意気投合。横丁の出会茶屋かすめて江戸の丁名並木町の藪。比(頃)ァ八ツ時(どき)。ころ合いに空いてゐて、狙いとおり小上がりのいっち奥の席サ。角袖脱ぐもゝどかしく、樽酒ヲぬる燗ト誂え、どっかと腰を据へやしたのサ。見りァ畳が青\/。暮の内の新調ト踏んだネ。うれしいねえ。初春や新し畳古女房ッてくれえで、清々しい畳に昔変わらぬ老舗の客あしらい。この見世ァ安心していられらァ。跡(後)からへえって来た女客が、「帽子を忘れてッてェと、お運びさんが皆まで言わせず引き取って「ハイお客さま、先ほど外へお出になられたときお忘れになられてゐたのをすぐに気づきませんで、申しわけございませんト一歩引いた応対。これが江戸の気遣いッてえものヨ。客に負い目をかけねえ。打てば響くの勘のよさ。今日びァどの見世もとうしろう(素人)ぞろいになっちまって愛想がねえが当りめえになッてるが、こゝのお人たちの心得ァ大いに見世の価値だねえ。あっしァそこが好きだゼ。気分がいゝもんねえ。こうこなくっちァいけねえヨ、あきんどハ。
 徳利も盃も例によって無駄な絵付けなんかねえ白磁のすっきりもん。ぐい呑なんぞ出さねへとこが、あっしァ好きヨ。徳利の袴、これもお決まりの白木一合枡。飾気のねえのがさっぱりしてゝいっそいゝぢァありやせんかい。肴は蕎麦の実入りの甘味噌。まず盃にいっぺえ注ぎ、これで口をしめらせ、次のいっぺえであのぶッとい箸の先をしめらせて、味噌を鳥渡(ちょいと)つまんで充(あて)にする。こんな所作もいつのまにかあっしの形(かた)になっちまったネ。とっくり一本ゆっくり食べて、〆ハざるいちめえ。ズゞッとたぐって片づけ、薬味の葱を蕎麦猪口のつゆン中にぶち込んで蕎麦湯で割り、わさびなめ\/割りつゆをすゝるッてェ仕上げヨ。わさびの香りがかろやかで、気分がいゝねえ。ごッつォさんト外にでりァ、雷門がこっちィ来いとお呼びサ。
 雷門の向ひッ側、江戸の昔で言やァ茶屋町、おもちやさんのゝうれんさげた間口一間あるかなしかの岩美屋で大豆入りの生子餅(海鼠餅)ィ買ひ、咄ィ聞きァ寒の内のもの。跡ハ黴がでるンでせいぜい二月いっぺえ。江戸東京の菓子屋ハ餅菓子屋ッて言って、昔ァどこの見世でも海鼠餅を並べてゐたんだが、ちか比(頃)ァとんと見かけなくなったさびしさ。こゝで買わなきャ縁がねへ。さて、ひっけえして雷門。くゞってとッつきの梅林堂で鹽豆ト思ったが、目が横のバタピーに引ッかゝッちまって、二百瓦(グラム)をお買い上げとくらァ。歯ァ弱くしてからこっちずっとごぶさたの味がなつかしくって、ついふら\/とッてやつヨ。仲見世ぶらつき甘酒いっぺえ。寒にうれしい熱\/の甘味だゼ。
 浅草寺のきざはし(階)上がり、けふもお参りさせていたゞきやすト偽銀いちめえカンカラカンと投げ込んで、手ェ合わして本堂おりりァ、紅白の幕も賑わしく豆まきの始まり\/。正蔵、二代目水谷八重子、押すな\/の人の波、福は内\/の掛声高く、福豆が宙を飛ぶ。ひょいと足元見りァ煎豆二つ三つ、誰がまいたか、正蔵か八重子か。こいつァ春から縁起もん。一ついたゞき袂に仕舞い、ありがた山(やま)の弁天山。こちらにァご縁の偽銀五十円。ちゃりんト浄財函へ落とし入れ、お参りさせていたゞけるお礼の天窓(あたま。頭)下げ。足をのばしに水茶屋鉢の木の小上がり。昆布茶に葛餅で一息入れ、鼈甲羅宇に銀細工の雁首吸い口、こゝンとこぞっこんの町人喜世留(きせる)で刻みの小粋を一服二服。日も暮れかけ、たまにァ薬喰ひで景気ィつけるかト仲見世裏の今半別館。玄関脇の四目垣の小庭があっしの好みヨ。赤身のすき焼、太葱、豆腐に白瀧、独り鍋。へい、ごッつォさん。あばよ。

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