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2009年1月31日 (土)

雷蔵形辨天小僧(らいぞうごのみべんてんこぞう)

 ちか比(頃)のテレビの時代劇ァ見応えがねえンで、なんかいゝもんハねえかと損料屋ァ覗いたら、なんと雷蔵の辨天小僧がありやしてサ。古いもんだヨ、大映ッて活動会社があった比のもんなんだから。もっとも市川の雷ちゃんだってもうとっくにあっち側の人になッちまったンだからしょうがねえけどネ。そいでも、こいつァありがたやッてんで借り請けたのヨ。棟梁(監督)は伊藤大輔ッてえお方だ。やっぱりあの比の映画ァていねいにつくってるねェ。全盛期だもんナ。けちッてねえヨ。本(台本)だって、江戸の比の詞ァちゃんと知ってゝ書いておいでヨ。お屋敷ィ上がってる大店(おほだな)の娘を隠居が手をつけようとしたのを聞きつけて、そいつゥ大枚な金にしようッてたくらんで上野輪王寺の宮様からの使いだってえ小姓に辨天が化けてッてだまくらかし、小判の包みいくつかと娘ェ親元へけえすッてことにして攫(さら)ってくるンだが、そのときの台詞に「手入らず、なんて詞が出てくンのヨ。意味ァあっしァこゝに書けねえからおめえさんてめえで調べてもらいてンだが、とにかく娘ッ子のことを江戸の悪(わる)ァそう言ったのヨ。そんな詞ァさらりと使ってみせるンだ。観てるこっちァ、そういうとこで、あゝ江戸だなァって思ふのヨ。それからよう、矢場が出てくンだ。天明ッ比まぢァ土弓場(どきゅうば)ッて言ってたンだが、そのうち矢場ッて言ふようになったそうだ。いまで言やァ温泉街なんかにある射的場みてえなもんなんだが、あんな愛想もそっけもねへもんぢァねえ。色気ェ売りもんで、わけえ女おいてンのヨ。土弓むすとか矢取女だの矢場女ッて言ったンだ。むすッてのハ娘のことサ。とにかくそれェ目当てに男衆(おとこし)が通うわけサ。この活動で、なんで男連中(れんぢゅう)通うか判るネ。矢場女が、「こうやってごらんッて足で弓ィ引いてみせんのサ。裾が割れて太股まであらわヨ。こいつァ通うヨ。裏ぢァ裏の稼業もやってたッてのハ誰でも知ってたことだしナ。そこの二階に菊之助ァ転がりこんでンのヨ。女将といゝ仲でネ。塒(ねぐら)にしてるそこに連れけえった娘ェ一時(いっとき)隠し、跡(後)で売り飛ばしちまうッて魂胆なんだが、行きがけの駄賃にその手入らずをものにしちまおうッて二階へ上がるンだが、そんとき梯子ォ二階へ引き上げちまう。そうなンだよねェ。ちゃんと見せてくれッからあっしァうれしくならァな。いまみてえに造りつけの階段ぢァねえヨ。かっこ(恰好)ハ階段になってッけど、取り外しできるようになってンだ、江戸の比の町屋ァ。そこンとこ手抜かりなくきっちり見せておくれサ。ていねいだねェ、あの比の映画ハ。こうしたこまッかいとこがちゃんと写されてゝ、感じがでるのヨ。見どころァ筋だけぢァねえし、雷蔵兄哥(あにィ)の男ッぷりだけぢァねえゼ。男ッぷりッてえバ粋な縞をなんめえも見せてくれるゼ。あっぱり辨天小僧ハ遊び人だゼ。鳥渡(ちょいと)堅気ぢァ着こなせねえ見事な縞ヨ。粋なのは柄だけぢァねえ。着こなしがいゝンだねえ。惚れ\/するゼ。胸元ァゆったりさせてネ。袷なんだが襦袢なんか着ねえ。引き抜きヨ。そうかと思ふト浴衣を下に合わせて着たりネ。十辺舎一九の姿ァ写した絵なんかでも下に浴衣着てるとこ描かれてるよナ。あの比ァ町方のちょいとくだけた野郎ハそういう着方してたみてえだナ。小道具もいゝ加減してねえ。喜世留(烟管)だって、見ねえナ。お武家ハちゃんと銀延べヨ。町人は羅宇(らう)の烟管吸って見せてるゼ。小道具の隅々まで抜かりァねえゼ。大道具の建て込みだって、町並にァ高低はあるし、屋根瓦ハいまみてえなきっちりした出来のもんぢァねえ。積み方だってがたがたで、それが江戸の比の町家なんてこんな感じだったンだろうナなんて思わせンのヨ。ま、いっぺん観ておくんなせえヨ。おめえさんチの近くにビデオの損料屋があったらネ。いまのうちに観ておかねえトなくなッちまうゼ、なんせ古い映画だからネ。いゝもんハ消えちまうのヨ、いまのご時世はサ。
 ついでにもうひと言咄させてもらやァ、辨天小僧の小僧ッてのハありァ掏摸(すり)上がりなんだってネ。掏摸ァ捕まるといっぺん目ハ叩きの刑で、二度までは放免されるンだが、三遍目にァ首ィ打たれたそうだ。そいだもんで、二度捕まるト掏摸の足ィ洗ったンだそうだ。掏摸で三十過ぎのやつァいねえッて言われてたそうだゼ。わけえ内だけの稼業ヨ。鼠小僧だの葵小僧だの、なに\/小僧呼ばれてたやつァみんな餓鬼時ぶんに掏摸やってたやつだッてことだそうだ。それからモ一つ。辨天小僧は菊之助ッて名乗っておりやしょう。女に化けるンだから当然だけど、前髪を落してねえ若衆髪だ。若衆ッてのハ蔭間だネ。だから菊之助ッてわけダ。どうして菊之助なんだッてのハ、おめえさん、てめえでかんげえナ。あっしァこゝに書くわけにァいかねえゼ。ぢァな、あばよ。

2009年1月28日 (水)

【番外】かちかち山

 けさッて言っても午(ひる)に近い時ぶんだが、出かけようと玄関を出たら、向ひの家のめえにうずくまってた白猫が妙な面ァして天窓(あたま)ァ低くしてンのヨ。おやッて思った途端、茶の毛色がまだらになったちゅうッくれえの犬みてえのが、二三歩家の角曲がって来て、あっしと目が合ったらすくんだように立ち止まった。コヲ、たぬちゃんぢァねえかい。ッて声かけたら、やっこ慌てゝきびすゥけえして走り去っちまった。ゐるンだねェ。いまのお江戸たってあっしの塒(ねぐら)ァ、ほんの江戸の昔ァご府外もご府外、たゞの田舎ッてとこでやすからねェ。ゐたっておかしかァねえんだが、あっしァなんだかてめえ独りで笑ッちまったゼ。ついこないだッて言ったッて、足掛け三年になるがそれまぢァ八つのお山で隠遁してたんだが、そんときァうちの庵の庭たッて林のまんまだがヨ、その庵の戸を夜になると狸が躰ぶつけて叩くし、氷雨が降るような夕暮れにァしょぼくれた痩せ狐がうなだれて通ったり、貂(てん)の野郎が書庫の庇の下に巣ゥ造ってたりサ。ドでけえ離れ雄猿が飛び石の上にちょこなんト座って眼下の村の家々を眺めて思案してたり、野兎が通り抜けたり、栗鼠が山桜に巣ゥかけたりして、雉も盛りになりァ鋭い声で啼くし、雌は雛を一列に連れて灌木の下をほじくって歩いていたりしてゐたわけサ。そんな山暮らしにおさらばして、生れふるさとお江戸の隅ッこに舞い戻ってみりァお狸さまのおいでト来たネ。狸ァ縁起がいゝらしいネ。他抜きッてネ。落語の小さんが色紙にいっぺえ書いてンね。手拭にも染めてるそうぢァねえかい。色紙が見たかったら、目白の駅出て、そのまんま左の落合の方へ商店街あるッて行くと、地下に小体な鮨屋があってサ。小さんが贔屓にしてたとかッてんで、他抜きの色紙がなんめえも飾ってあるゼ。もっともこりァ十五六めえの咄だがナ。ぢァあばよ。

2009年1月25日 (日)

銀蕩女持喜世留(しろがねあそびめもちのきせる)

Photo  京橋から一本下(しも)の中橋を、渡って当たる水谷町、そのまた外れの河ッ岸、江戸の比(ころ)なら町並どころか、家一軒建つ空(あき)もなかった水ッ際、いまぢァ押しも押されもせぬ銀座は一丁目。その隅っこに立ち上がる西洋建物ン中、いつのまにやら骨董街。その名も洒落て南蛮の、あんてぃーく・もーると招牌(かんばん。看板)を、掲げてあつまる古物古美術あきない。蔵の中から引き出したか時代ついたるその匂い、つい釣られてふら\/と、迷い込んだが運の尽き。びいどろ戸棚の奥でくすぶる華奢造り。こいつァ女持の烟管ぢャねえか。羅宇竹にァ焦茶の飛び模様。これが鼈甲模様ッてものか。ほんの唐物か箱根芦ノ湖向ふ岸生まれの竹に細工の鼈甲仕上げ、真を見分ける利き目があるぢャなし。吸口雁首、いぶし銀。姐さん、鳥渡(ちょいと)棚から出して拝ませておくんな。鍵束じゃら\/棚戸を開けて、ハイお客さんト手渡されたる烟管、ためつすがめつ眺めてミたが、銀の流しか無垢物か、はたト悩んで訊いてハみたが、さァと頼まれ店番返事に力ァへえちャいねえ。訊くだけ野暮ト観念し、ヘイありがとさんトお返しゝ、見世から見世、棚から棚ト素見(ひやかし)て、いっち奥に水茶屋見つけ、煎茶いっぺえ香りで二へえ、ぼんやり一息ついて、気がつきャ思案首。オッとこいつァわりい(悪い)癖が天窓(あたま)もたげた。そんなに先があるぢャなし、鳥渡(ちょいと)素ッ首のばせばころり\/と石ころ河原が見えそうな死ぞこない。これからなんか手にいれたとてなんになる。物はかわねへ減らすだけ。大井川ぢァあるめえし荷物丸めて天窓ァのせて三途の川渡った亡者ハひとりもゐねえ。ヱェィッさっぱり未練を絶ち切ンな。ト腹ァくゝろうとするほどに、いぶし銀やら寝ぼけ銀、鼈甲羅宇竹まぶたに浮かぶ。まゝヨ、娑婆の見おさめ遊(あすび)おさめ、残りの歳月あの女持で洒落者ぶって過ごしてミるか。齢(よわひ)重ねて病も重ね、とうに危篤の声も二度三度、いまさら危篤の声におどろくようなお兄哥(あにィ)さんとハお兄哥さんが違って、いまぢャ三日めえのもやしみてえなへな\/ぢゞい。男と言へど勇(いさみ)の兄哥が喧嘩道具にするような、松の根ッこまがいのぶッとい烟管が似合うぢャなし。女持が丁度のお似合いトてめえで決めて合点をし、も一度棚へひっけえし、わりいが姐さんモいっぺん拝ませておくんな。しげ\/見ても判らぬものハやっぱり判らぬ。骨董は買っておぼえろが決まりの極意。えくぼに惚れて手にした途端、そいつァあばたト知るのも勉強。男は度胸、女は愛嬌、坊主は説教でおかずはらっきょ。姐さん決めたゼ、包んでおくれ。烟管ばっかし見ていたが、叺(かます)ト共布の烟管筒がついてゐて、これハこれでミごとな造作。叺の口金は四分一(しぶいち)か。針金のごとしの繊細造り、裏を返してミりァ留具の爪がなんの材やらしれねえが溜漆で二巴三巴の描き入れた凝り性仕事。内布はぱッと目が覚める金茶の絹、むかしァなんて粋だったンだろうねェ、この国ァ。
 塒(ねぐら)に戻って銀磨薬、ひと塗りして布でススッとぬぐやァその名の通り白く輝く銀(しろがね)造り。吸口を斜(しゃ)に継いだ洒落ッ気に惚れ\/させられる細工の妙。雁首はしろがねの火口を継いで文字通りの曲(きょく)とした職人の心意気が見どころ。渋い銀色は四分一か。急度(きっと)そうと独り決め。すっかり悦にいっての面(おも)ちょろ道具。帯に挟んで、サテ。煙嫌いの野暮天現世、どこの水茶屋いったらや、こいつで決めて煙(けむ)ゥ吐けるやら。使ふミとほし靄のなか。

2009年1月22日 (木)

出会丹前冬伊達(であいのたんぜんかんのだて)

 まいンち着物で過ごすようにしてるトやわらかもんばっかしッてえわけにも懐がゆるさねえ。しょうがねえから羊毛(うーる)の長着でもいちめえ手に入れてしのぐかッてンで、浅草ァ奥山のちどり屋のゝうれん(暖簾)をくゞりやしたのヨ。ご亭主にそんなわけでッて言ふと、こんなんハいかゞッて三四(さんし)めえ(枚)棚から下ろして広げておくんなすった。男もんッてえとゞうも薩摩絣風の亀甲が多いネ。そんならあっしァ幕末生まれのじい(祖父)さんの薩摩があるから、風ハいらねへ。ト真ッ向から言ったンぢァ店主に身も蓋もねえ無礼。あっしとしちァ欲しいハ縞ヨ。羊毛ッたって粋に決めてえわナ。ありやせんかねェって頼むト縞ハうちは多ございやしてト懸けてあった一めえを衣紋竹から外しておくれサ。紺地に白の極細の縞。きりッと締まっていゝぢァござんせんかい。歳ァとったどっから見てもぢゞいだが、ちったァ男ッぷりがあがろうッてもんですゼ。で、旦那さん、これ、懸けといたら焼けちまいやしてッてのヨ。どこがッてよく見ても鳥渡(ちょいと)わからねへ。手ざわも羊毛にしちァなめらかヨ。縦糸が絹で緯糸が羊毛。なるほど手ざわりが軽い。亭主は二万七千両の札ァ指さし、二万しいて(引いて)七千両でいかゞでしょうト思い切りのよさ。これに応えなきャ男がすたろうッてもんサ。よし来たと引き受けたッてわけサ。そしたら敵もあきんど(商人)だねェ。この客あまいぞト見たか、それとも縞狂いと見たかハわかんねえが、こんな面白ひもんもございやすがッてひっぱり出して見せたのが、なんと今日び珍品、丹前ヨ。袷の間に真綿仕込んだ、あれだ。いまぢァ舞台の上か銀幕の雨ン中へでもいかなきァ拝めねえッて代物(しろもの)だ。手を通してねえ物で新古品ッてェもんでしてッて能書付ヨ。こいつがまたいゝ縞なんだねェ。困るヨ。鼠の地に紺と茶の極細縞。鳥渡(ちょいと)遠目にァ灰色に見えるが、寄って見りァ凝った縞ッてえ趣向だ。粋ぢァねえかい。表地はお召し。裏地もおごってるヨ。藍も紫一歩手前の手間のかかった染。裏地だけでも高直(こうじき)物だゼ。丹前と言やァ江戸ぢァどてらが馴染みの呼名。あっしの餓鬼時ぶんにァ親父なんぞが着てたが、もっと綿も厚く柄も野暮たいもんだッたねえ。こりァ寒さしのぎにもってこいだゼ、そいぢァ一緒にもらってゆきやしょうト合点承知の介の二つ返事で引き取ッちまったッて次第サ。
 丹前とくりァ勝山ヨ。そりァなんだト問われそうだが、勝山知らなきャ困るヨ。吉原花魁の道中の足の運びを気ッ風が売りの江戸風に変えた勇肌(いさみはだ)の姐さんぢァありやせんかい。江戸は松平丹後守邸のめえに風呂屋があって、そこの湯女に滅法界気ッ風のいゝのがゐたのヨ。それが勝山、えらい人気サ。集まる輩たちの間で扮異なる綿入袷が時花(はや)った。そいだもんで、その形(なり)を丹前風と呼び、その一風変わった威勢のいゝ詞つきを丹前詞ッて江戸の世間ぢァ呼んだト言ふゼ。歌舞伎で観客沸かす六方ッてのがそれ。で、大見得切るような詞づかいを六方詞とも言ふわけサ。
 吉原ハ幕府の公許だが、湯女で春売るは許されねえ。勝山ハとらわれ吉原の勤めにだされた。罰で吉原へ送りこまれて花魁になれるのハゐねえが、勝山だきァ別格だったンだねェ。だが、勝気の勝山ヨ。めえからの花魁の風にァしたがわねえ。それまでの吉原の太夫花魁は公家風を模したもンさ。道中の足の運びは内八文字。そんななよ\/女々しいのハ男気ッ風の江戸にァ似合わねえト勝山ァあの高下駄を外へ蹴りだす八文字、外八文字で道中して見せたのヨ。これが受けたネ。そいからッてもん、吉原ぢァ外八文字が習ひヨ。江戸ぢァ女々しい女ハ似合わねえ。侠(きゃん)で意気がいゝのが江戸女ッてやつサ。
 丹前いちめえ、長話になッちまったねえ。けふの咄ァこれきり。ぢャあばよ。

2009年1月20日 (火)

観音慈悲大手焙(かんおんじひのおほてあぶり)

 ありァ新暦(あらごよみ)の大晦(おほつごもり)ちょいめえの暮六ツ近く。途中で道草喰い、観音さまのお参りにァ日はゝるか西にそびえる忍ヶ丘[※]の向ふに落ち、宝蔵門も五重塔も黒い固まり黙(だんま)りトあいなって、広い境内もまばらの人影。いつも取り巻く人で割り込むこともまゝならねへ本堂めえの大香炉。たった二三人が手で線香のけむ(煙)をすくい躰にすりこみ、病気平癒のご利益目当て。あっしも並んでけむを両手ですくっていまさらよくなる筈もねえ空ッぽ天窓(あたま。頭)にすり込むが、こいつァきっと観音さまもお困りサ。あの莫迦の願いは、薄くなった天窓の手直しか、はたまた錆び付いて廻りようもねえ天窓のからくり細工の再生願いか。どっち転んでも手直しなんぞでらちのあくどこぢァあるめえものを、素人の願いは欲が深くて往生すらァ、あたいハいまの望みは見てないことにしておこうッてことになるンでやしょうねェ。そんなあっしの隣の先客、迫る宵闇に面も風体も判らぬながら、冗談めかして誰に言ふでもなしの大独り言、「三円、財布ン中ァ三円しかねェや」の威勢のよさハやけのヤン八。この世はご縁と言ふけれど、参縁あれば、無縁よりも濃いつながり。それが証拠に差し渡し三尺の余ハあろうッて大香炉。信心者が百金払って線香ご寄付。勝手\/に灰に差し込んだ線香の燃え残りがそこかしこにいぶり、こいつァどでけえ手焙(てあぶり)代わりにもっけのさいわい。棺桶にァ足からへえるたァ聞いちァゐるが、老いのあっしの指先ァ手が冷たくて我慢がなんねえ。三円のとッつあんの横で手焙仲間にさせてもらッてしばし暖をとり。ぢァあばよット本堂へ三四の十二歩。三円の声が耳にくッついて離れねへ。この寒空の下、腹も空(す)こうッて暮六ツ時ぶん。あのとッつあん、三円ぢァ飯どころか缶の茶も呑めぬ。それを思やァ、苦しみ身とハいえどもけえる屋根のあるあっしァまだ果報の者。明日は我が身と思えば足は自然とゞまって、紙入より取りいだすハ野口博士の肖像画いちめえ。素早く畳んでとってけえし、「親爺さんヨ、晩飯の足しにしてくんなト人に見られるようにそっと手に握らせりァ、三円親爺なにごとゾと驚けど、すぐに気づきて「旦那、どうもあり、の先を言わせず唇に指一本立てゝ内緒\/の身振り手振り。一葉姐さんのご真影、はたまた福沢御大の肖像画いちめえ出せぬてめえの甲斐性のなさが恥ずかしく、逃げて駆け上がるご本堂の階(きざはし)。偽銀百金賽銭函にぽんと投げ、けふもお参りさせていたゞきやした。ありがたふおざりィやす、の一礼して踵(きびす)をけえす。観音さまの大香炉ハ日落ちて寒気が迫りァ家のねへ、食い物のねへ、酒で躰温めることのできねえお方たちが、一時の暖をとる手焙になすってゐるッてことをあっしァその宵初めて知ったお粗末ヨ。観音さま信心で供えた線香の束がそんな形で人の役に立つ。これこそ観音さまの慈悲ッてえもんぢァござんせんかねェ。そんときのあっしの観音さまへの天窓の下げ方ァいまゝでとはちょいと違ってきたように思ひやしたネ。願いごとなんぞするのハもっての他。あゝけふもお参りさせていたゞけましてありがたふおざりィやす。神仏ッてのハこの心持ちなんぢァねえンですかねえ。

【附(つけた)り】
[※]忍ヶ丘。しのぶがおか。上野の山の正しい名称。その下にある池が、不忍池(しのばずのいけ)。

2009年1月15日 (木)

師走空風霰蕎麦(しはすこがらしあられそば)

 天保暦[※1]のけふ師走の廿日(新暦1月15日)、雲ッひとッツねえ真ッつァおの空の下、遠慮会釈なく吹きッつける赤城おろしの空ッ風ひてえ(額)に受けて、浅草尾張屋のいつ途切れてもおかしくねえ霰蕎麦ァたぐりに根性で田原町にちけえ本店へのしやしたのサ。真ッつぐそこへ行ッちァ観音さま弁天さまに不義理のきわみ。けふもお参りさせてくだすってありがたふおざりィやすト百金の偽銀[※2]いちねえそれぞれの賽銭函にちゃりんと投げ、天窓(あたま。頭)ァ下げてサテ仲見世ハ亀屋[※3]で人形焼ィふところに、人のすくねえ裏道づたい、抜け道かくれ道トたどって浅草広小路[※4]ハどんづきの田原町のちょい手前、小体(こてい)な造りの尾張屋本店[※5]、格子戸がらりと開けりァ、まだ時ぶん時の鳥渡(ちょっと)めえ。「お一人さんこちらえトお運び姐さんのすゝめてくれた奥の落ち着いたとッときの席、角袖脱ぐもゝどかしく「あられェトひと言誂えりァ合点承知の姐さんはすかさず釜場へ通す声。打てば響くの小気味よさ。こいつが江戸の気ッ風だゼ。
 脇の卓見りァ爺さんひとり。車海老の天麩羅肴に麦酒壜傾けての朝酒昼酒。あっしも二度三度の危篤の修羅場生き抜いていまぢァ押しも押されもしねえ六十路の峠越え。たまの昼酒くれえ世間さまもおゆるしくだするだろうト踏ンぢァいたが、この爺さんはいちめえ上手、午(ひる)めえにァもう出来上がりの早手回し。こいつァ畏れ入谷でござんすゼ。
「お待ちィで運ばれた丼ァちゃんと手に持ってたぐる蕎麦の仕来り知った小振りの轆轤(ろくろ[※6])。ありがた山(やま)ト手にとりァ、色紙(しきし)に切った海苔の上、尾張屋亭主ご自慢の大星[※7]ぞろい。こんもり小山をなしでござる。その真ン中にァおろしたての山葵(わさび)がひと摘まみ。まずひと口つゆを吸う。ふわッと上品(じょうぼん)の甘味の奥に下地[※8]と鰹のコクが境目もなくとけあって、こいつァなんとも言えぬ旨味ヨ。色紙の脇から蕎麦ァ引出し、ズヾッとたぐりァ細切りの厭味のねえ旨さ。ひと口ふた口たぐっておいて、こんだァ大星ひとつゥでえじに口に。じんわりと歯ァ立てりァ固くもなく柔らかくもなく、心地いゝ歯ごたえ残して崩れてゆく柱の旨さ。これ\/、これがお江戸の味わひヨ。赤身よりトロが、鰹ハ戻りの方が脂がのってゝうめえなんて、賤しい根性。脂ッ気なんぞ欲しがるねへッてのが、江戸ッ子ヨ。目刺しで酒飲んでンの見つかって、そんな脂ッこいもん喰ふンぢァねえぜ江戸ッ子の面汚しだトたしなめられたッてえ咄があらァな。千代田のお城の奥におわす公方さまァ一年中まいンち鱚の塩焼きヨ。脂ッこい魚なんぞ下司として近づけねえのサ。旨まきァいゝッて根性が賤しいのヨ、淡白なもん、軽やかなもん、そん中にほのかな旨味ィめっけなくッちァ確かな舌ァ育たねえゼ。
 尾張屋の主の左の二の腕見てえネ。貝柱命ッて彫物(ほりもの[※9])があるンぢャねえかね。大将みずから河岸ィ足ィ運んで大星小星ある貝柱の大星ン中から、いっちいゝ大星だけェ選りすぐって客にだす霰蕎麦。冬場のいまのほんのひと月くれえだけのもン。いゝ大星がなくなりァいつとハ決めずその日に仕舞いにする商(あきない)職人のかゞみ。早いとこ行かねえト尾張屋の霰ァ幕になりやすゼ。エェ、蕎麦ッ喰いさんヨ。

【附(つけた)り】
[※1]天保暦。天保壬寅元暦(てんぽうじんいんげんれき)の略。天保十三年(1842)寛政暦を改め、翌々年から明治五年(1872)までの三十年間用いられた日本最後の太陰暦。
[※2]百金の偽銀。百円硬貨を洒落て呼んだ。
[※3]亀屋。浅草仲見世、手焼煎餅と人形焼の店。http://www.asakusa-nakamise.jp/shop-5/kameya/
[※4]浅草広小路。吾妻橋西詰から雷門前を通り田原町に突き当たるまでの今の通りとほぼ同じ広い道。火除地として拡幅され、広小路と呼ばれた。他には上野広小路の名が現在では知られいる。
[※5]尾張屋本店。浅草雷門前を東西に走る通りの西、田原町寄りに在り。蕎麦屋。支店は雷門から吾妻橋方向に二三十mに在り。http://www.asakusa-umai.ne.jp/umai/owariya.html
[※6]轆轤(ろくろ)。丼は粘土を轆轤で挽いて成形して造るので、轆轤と洒落た。
[※7]大星。貝柱は馬鹿貝のもので、一つの貝に大小二つあり、大きい方を大星(おほぼし)、小さい方を小星(こぼし)と呼ぶ。
[※8]下地。したぢ。醤油、のこと。吸物をつくる下地、の意。〈四天王楓江戸粧〉文化「大家も下地でも煮て進ぜうか」
[※9]彫物(ほりもの)。刺青。入墨と呼ぶのは間違い。入墨は犯罪者の腕などに印として墨で彫りこんだもの。

2009年1月12日 (月)

【番外】宇江佐真理江戸勉強(うえざまりえどのべんがく)

 江戸の市井もんを書かせたら、宇江佐の真理姐さんハ断凸(だんとつ)トあっしァ思ひやすゼ。とりわけ髪結伊三次の一連のもんがいゝねえ。なにがいゝッていゝ仲の文吉姐さんが啖呵切るときの科白なんぞ、胸がすかッとしやすゼ。文吉姐さんてのハ羽織[※]でネ。意地とはりッてえのハこういうことだねッてえ感じヨ。あんまり歯切れのいゝ江戸弁だの江戸の口調でお書きだから、宇江佐の姐さんハてっきり深川か本所辺のお人かと思ったら、なんと函館の女(ひと)ヨ。そこで生れてそこの手習指南所出て、いまもってそこにゐるッてんだからすごいゼ。函館ッていやァおめえさん、蝦夷地だゼ。訛りのみちのくのまだ先だヨ。そこでべらんめえダ。あっしァ天窓(あたま。頭)ァ下がるゼ。今日びの物書きさんでも江戸のことほとんど調べもしねえで書いちまう度胸のいゝお方がけっこうおりやすが、ちょいと聞きかじったあっしでさえ、こんなこたァねえよッてのが多いが、この姐さんにァ感服いたしやしたもんネ。
 桜花(さくら)を見たッてえ外題の文庫本がありやしてサ。そんなかに、別れ雲ッてえ短編があるのヨ。湯屋ッて詞が出てくる。江戸は湯屋サ。銭湯とも言ったらしいが、湯屋が通り相場サ。よしねェな、なんて詞も出てくる。目につくとこをざっと上げてみようか。お店者(たなもの)。姐さんのお店ですかい。ついでと言っちゃ何んだが。ささ、どうぞ。この店のもんは皆、父っつぁんが造るんですかい。床几に座った。世辞抜きでいい筆ですね。こまっしゃくれた飾りもねェし。一丁前に能書き垂れるところは。何んやらですかい。懐から紙入れを取り出した。あんな半鐘泥棒みてェな息子ができた。商いに長(た)けていたし。仇になっていたようだ。仕舞屋(しもたや)。表徳(雅号)。こんがらがる。小伜(こせがれ)。横丁の隠居。鯛蔵さんの話があんまり奮(ふる)っているもんですから。信濃者(おしな)。一本立ち。間夫(まぶ)。衣紋竹(えもんだけ)。吉原(なか)。
 切りがねえからもうやめッけど、いっぺん読んでみな。そこら中に江戸があふれてゼ。てえした勉強なすってるッてえことヨ。こういうお方のもんハ読んでてうれしいねえ。読み手をなめてねえもんナ。
 この別れ雲のつぎにおさまってる酔(え)いもせずッてえ戯作もまたいゝねェ。この題ハ杉浦の日向子師匠にゑひもせすッてのがあるが、そっからひらめいたのかもしれねえナ。書いた年代調べなきァうかつなこたァ言へねえが、あっしァそんな気がしておりやすのサ。ま、騙されたと思って、いっぺん読んでみねえナ。鳥渡(ちょいと)並の戯作者とは違うトあっしァ睨んでンだがネ。

【附(つけた)り】
[※]羽織。深川芸者のこと。女だてらに羽織を着たのでその呼名がついた。羽織は黒。

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