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2008年12月14日 (日)

【番外】贅沢寄席第参回白瀧寄席

 練馬は板橋との境、かれこれ百五十年ほどものうれん(暖簾)を張る白瀧呉服店。きのふ霜月(十一月)十六ンちの八ツ時ぶんから暮六ツッ比(頃)にかけて開かれた白瀧寄席へ寄せさせてもらってまいりやして。この日ッてのハなんだよ。満月ヨ。ちょいと雲があったンでよくァ判りやせんでしたがネ。暦もいまのじでえのお人になれた西洋はローマ法王のカレンダーで言やァ12月13日の土曜ッてやつに当りやすンだが、赤穂浪士の討入ァ十二月十四日ッたってあの時ぶんは西洋の日付ぢァござんせんから、実正(ほんと)ンとこハまだひと月も先、西洋日付で言ふところの1月の9日ッてことになるンですワ。
 木戸銭もさすがに呉服屋さんだヨ。お一人三千円の処、着物姿のお客さんハ二千と五百円、五百縁がありますよふにッてこゝろだねェ。ありがた山。座敷にへえって驚いたヨ。夏に寄せてもらったときよりも座布団の枚数が少ねえ。ッたッて大喜利ぢャねえゼ。客席ヨ。二十枚の余ちょいしか敷いてねえのヨ。こんな小人数で名のある芸人さんの噺ィ聴いてよござんすのかねえ。苦しがり[※1]のあっしァ席亭さんの懐がしんぺえになっちまうゼ。
  六曲金屏風ゥ背に、二段くれえ高くしつらえた上に緋毛氈に厚い座布団敷いての高座ヨ。上(かみ)[※2]にァ代々手ェかけて丹精してきたゞろうッてェ枯れた味わひの庭サ。主の五代目さんに聞きァやっと整ってまいりましてッてご謙遜だが、いっときァ荒れてしまってたのかもしれねえが、この庭観たさに見世ェ訪れる客もゐるッてくれえ味のある庭ヨ。それェ脇において落語聴くなぞ果報な会だねェ。
 さて、皮ッ切りァ高座のお決まり、前座さんで始まりやして。これも前座の決まり、羽織なしの長着姿。春雨や雷太ト名乗りやしたヨ。来るなッて思ったら案の定ヨ。「私の芸名春雨で、こちらのお見世が白瀧。おかずのようでございますが、トね。あっしァ白瀧さんッてえとぽッといつも天窓(あたま。頭)に浮かぶンは、すき焼でして、こいつァ申しわけねえから五代目さんにァ言ゑねへのサ。そこい(へ)今度は春雨だゼ。あっしァ春雨と聞きァお吸物が大の字つきの好物ヨ。めえハよくてめえで拵えやしたなァ。
 このおいしそうな前座さん、あっしァ感心したネ。小咄を枕に振るハ落語のご定法みてえなもんだが、この若衆(わかいし)さんの三ツ四ツの小咄ァみんな初めて耳にするもんばっかしヨ。勉強なすってるねェ。いまゝでこんな人(しと)ァ初めてだゼ。てえげえ聞き飽きた小咄サ。そんなもんで座をとろうッてのハ客を小馬鹿にしてるッてもの。そこいくッてえと、春雨や雷太はえれえ(偉い)。その勉強振りなら先ァ大真打ちだゼ。本題は牛ほめ。あっしの勝手な好みかもしれねえが、与太郎咄ァどうもいけねへ。大名人圓生ハずいぶん与太郎咄なすっておいでだったが、いまになって聞き直すとゞうもネ。生まれつき頭の弱いのを笑い者にするッてのハ聴いてゝネ、笑うと後ろめたくていけねへ。風呂敷とか、あくび指南なんかのように、阿呆らしい咄の方があっしァ好きだねェ。
 お次の席は、けふの大招牌(かんばん。看板)桂小文治。この真打はしばや(芝居[※3])の仕形咄(しかたばなし[※4])が得意芸のようで、声色や身得や六方[※5]なンぞほんに歌舞伎座の舞台の役者が思ひ浮かぶようさネ。ト言ってもなんせ高座の座布団の上で演じるンだから、足ァ出しァしねへ。六方だって腰から上だけで、ちゃんと六方踏んでるよふに見せてくれるからうれしいねえ。
  仲入をおいて、跡(後)口の初手ハ紙切り。林家花姐さん。まだ若い身空だヨ。どっかで見たような顔。あっしのわりい癖で別嬪さん見るとめえにどっかで会ったような気になっちまう。ご本人がこの秋から高座に上がらせてもらえるようになりましてッて言っておりやしたし、そのめえは楽屋の見習いを一年半ばかしゝておりましたッてことだから、どっかの寄席で顔を見てたのかもしれねえ。干支をいくつか切って、最後の〆(しめ)にお客の横顔をその場で切って見せるッてのハよかったゼ。あっしァこの芸は初めてヨ。工夫があってよござんすねえ。難しいことを逃げねえでやるッて根性があっしァ好きヨ。そいぢャなきァいけねえ。高座に上がらせてもらえるまでに十三年の修業をしたッてえから、感心ぢァねえか。いまの若いのハ楽な方行くのが利口だと思ってる節がありやしょうが、そいつァ不精ッてことだからねえ。お花姐さんのほんの芸はこれからが修業なんだろうが、根性がありやしょうから先が楽しみだネ。なんたって紙切りッて芸は、お客に注文もらって出来ませんッて言へねえンだからたいへんだが、思やァ世の中なんの仕事でも出来ねえッて言ったがそれが最後ッてもんだ。玄人ッてのは厳しいのがあたぼう[※6]。素人がおよびもつかねえことをいとも軽々とやってみせて初めて玄人ッて呼ばれるものサ。
 けふのトリはもいっぺん小文治真打の出。噺ァご存じ幾代餅サ。聞き慣れた噺だが、後衣(きぬぎぬ)の別れのとき、幾代太夫に「主ハつぎはいつ来てくんなますかえト尋ねられ、搗米屋(つきごめや[※7])の若者(わかいもの)の清蔵ハぱッて手を突いて野田のしょうゆぅ(醤油)問屋の若旦那とハ真ッ赤な啌(うそ)トてめえの身分を明かし、裏を返しに来るにァまた一年身を粉(こ)にして働いて金をためト白状すると、その真心に打たれた太夫が「来年三月ねん(年季)が明けたら訪ねて行くから女房にしておくんなまし、と語る下りァあっしァ不覚にも目頭が熱くなりやしたゼ。知れた咄よッと啌ぶくハ簡単なれど、芸がまずけりァ只の筋なぞり。聞き手をしんみりさせるあたり、知らず\/聞き入らせる力だねェ。
  やァほんに白瀧さん、いゝ席に寄せさせてもらいやした。お礼申しやすゼ。本業の方の客になれもしねへあっしァどうも申しわけがなくってねいけねへ。でも、また寄せさせてもらいてえ。これに懲りずに開いておくんなさいナ。お頼み申しやすゼ。

【附(つけた)り】
[※1]苦しがり。貧乏で苦しむ者、の意。江戸語。〈八重霞曽我組絲〉文政「女房は本所の松坂町で相も変わらぬ苦しがり」
[※2]上(かみ)。上手(かみて)、の意。客席から見て舞台右手方向。左手方向は下手。上手に上位の者が、下手に下位の者が位置するのが一般的決まり。
[※3]しばや(芝居)。江戸弁。しばゐ、の発音ともども使用されていた。
[※4]仕形咄(しかたばなし)。身振り手振りでおこなう咄方。落語、講釈でおこなわれる。仕方話とも表記された。〈御国入曽我中村〉文政「おらア仕形咄でまだ踊つてゐると思つたら」
[※5]六方。歌舞伎用語。近世初期に台頭してきた六方男達(だて)などの侠客や伊達者の異装を歌舞伎の荒事にに取り入れた、勇壮、伊達の所作を言う。六方を踏む、または振ると使う。手を振り、高く足踏みする芸。初期は舞台に登場するときの所作であったが、享保末頃より引っ込みの芸となる。〈源平雷伝記〉元禄「立髪にて六方振り出づる」
[※6]あたぼう。江戸語。当りめえだべらぼうメ、の省略語。「べらぼう」は「べらばう」「べら坊」と書く。寛文十二年春に大坂道頓堀に頭が光り、目が赤く、頭の形が猿のような異形の人形の見世物が出たのがこの語の始まりと言われる。べらは飯の意、坊は賤しめて言う表現なので、穀潰しの意。馬鹿、阿呆の意味で使われた。これから出た言葉に、べらんめえがある。〈紋尽五人男〉文政「こいつがごねたら(死んだら)おらが仲間はこゝにはゐられめへ」「あたぼうよ」
[※7]搗米屋(つきごめや)。江戸の町では玄米を精白して食べたので、それを職業とする稼業があった。使用人を置いて店としておこなう他に、体一つで町をふれ歩き大店などでそこの家の臼と杵で賃仕事として搗く者もいた。重労働だったので、雪国越後出身者などが多かった。

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コメント

その日は中国から帰ったばかりでござんした、、、。
シナの夜~じゃあなくて広島ですが(^^)
大店『白瀧呉服店』のあの雰囲気で落語とは一気にタイムスリップ~
さぞかし楽しかったでしょうね~
次回は兄さんと着物でめえりたいと思いますよ。

moon3牛込の兄哥 江

広島とハ遠ッぱしりなすったンですねェ。お好み焼きいかゞでしたかい。
白瀧さんのお席ハ結構づくめですゼ。そう言やァ二十二ンちの夜は、長唄があるとか五代目さんがおっしゃってやしたヨ。あっしァ月曜なんで都合がつきやせんが。
 その内、機会をつけめえて、着物で決めやしょうヤ。

  喜の字

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