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2008年11月30日 (日)

終名古屋振松茸(をはりなごやのふられまつだけ[※1])

 棊子麺(きしめん)楼尾張屋の蛤花魁とは馴染みになったンで、並びの蕎麦楼尾張屋の松茸花魁にお目もじすべえトきのふは出先の戻りで立ち寄ったとおぼし召せ。こゝは昔省線いまJRとハイカラ風に屋号を化けた飯田橋の駅ィ目白通りへ出て、目のめえの信号を一つ、そのまンま九段の坂下方向へ渡ったほんの三四軒先。見世先にァ半紙に墨黒々と松茸そばの御名はっきり。やれうれしや、暦ァとうに冬なれど、まだ松茸の残がありァ、苦しい身[※2]のあっしにとっちァことしの初物[※3]。こいつァ長生きできらァと見世の中。でんと腰ィ据え、「兄さん松茸そばァお頼みいたしやすよト声ェかけた。するッてえと、請けた見世の兄さんが釜場に注文を通したンだが、なにやら遣り取りヨ。こいつァあぶねえぜト思ったら案の定サ。「お客さんすいません。もう季節が遅いンで松茸ハないンです、だとヨ。そいつァねえゼ。「見世のめえに松茸そばの貼紙、まだあったかと喜んでへえって来たンだがね。「あいすいやせん。蛤か牡蠣なら。「牡蠣かァ。牡蠣ァついこないだ余所で喰ってる。で「蛤ァうどんだろうト訊くと、「蕎麦もできやすが、の返事ヨ。そいぢァ一遍喰ってみるかト誂え。そいで出てきた蛤蕎麦ァ見りァ蛤ァ棊子麺亭とおんなじ大蛤が四ツ。つゆも蛤の出汁がきいたいゝ味ヨ。蕎麦ァ手繰ってみて判りやしたネ。蛤にァうどんを合わせてゐるのが。やっぱり蕎麦はどことなく合わねえ。蛤にァうどん粉の方が相性がいゝンだろうねェ。蕎麦粉は荒い感じがいたしやすナ。難しいもんさネ。喰いもんてのはナ。ま、物はかんげえようだから。これで一つ利口になったッてわけサ。お代もおもしれえゼ。あちらさんは千両ぽっきりだったンだが、こちらぢァ五拾両足し前しての千と五十円。こいつァご縁の五拾円。こんどハ牡蠣でも喰いに寄らせてもらいやしょうかネ。
 しかしなんだゼ。この咄、江戸の小咄みたようなもんヨ。けころ[※4]買いに行って艶ッぽい美人が目にへえったンで、揚がると菊石(あばた[※5])が出て来た。「コウ[※6]若い衆(わかいし)さん、姐さんが違うゼ、さっきの美人ハどうしたい。「ヘェあれは招牌(かんばん)でして。
  松茸の看板で蛤食らふドジな客。こいぢァ棊子麺亭の蛤花魁に合わせる顔がねへ。

【附(つけた)り】
[※1]まつだけ。東人である江戸人は濁って発音した。
[※2]苦しい身。貧乏の意。江戸語。
[※3]初物。初物を食べると七十五日寿命が伸びるの諺があった。
[※4]けころ。蹴転ばしの略。下谷、浅草辺りに多くいた下級の売笑婦。
[※5]菊石(あばた)。痘痕。種痘のなかった江戸時代、あばたは多かった。黒あばたと白あばたがある。一度被患すると二度と罹らなかったので、白あばたが二つ三つあるくらいの方が美人だという概念があった。
[※6]コウ。呼びかけの語。コヲ、とも表記した。現代の「オイ」に当たる。

2008年11月27日 (木)

はまぐりなじみ

 つい先だって、三べん目に行きやしてサ、ついに馴染みッてやつヨ。こゝンとこ、七日にいっぺんハ飯田橋ィ通るンだが、鳥渡(ちょいと)仕組んで時分どきにッてネ。やっぱりぐりはま[※1]の味ァ忘れらンねえヤ。裏のときァドジ踏んで、お店(たな)もんの昼とぶつかッちまったンで、席さえ並ぶ始末。こちとら隠居風情がお稼ぎのお堅気衆のお邪魔しちァいけねえから、三遍目ハ鳥渡利口になって、尾張屋さんののうれん(暖簾)くぐったのは午(うま)の刻[※2]も半刻すぎたとこヨ。お店もんたちァ可哀相なもんで定刻めえにァ戻ンなきャなんねへ。そいだもんで、蕎麦屋だのこのきしめん屋なんかゞ込むのハほんの半刻もねへ。わット来て、ぐいッと喰ってさッと引き上げちまう。まるで戦(いくさ)ヨ。それに合わせンのハ見世も容易ぢァなかろうヨ。
 ま、そんなわけでサ。疾(と)うに汐の引いた跡の見世で、好きな卓について、蛤一丁トきしめんを誂えたッてことヨ。味だの食べごこちハこゝでまた言ふこともねえやネ。めえの二遍でそこんとかァ耳たこ、おッとこいつァ読物だから目たこができるくれえ書いてあッから、こゝでまたくりけえしちァしつッこいぜ、こっちァ一を聞きァ十を知るッてえお大哥(あにィ)さんお姐ェさんヨとお叱りうけらァ。
 しかしなんだネ、馴染みたァよく言ったもんだゼ。三べん目ともなりァこっちも馴れッこ。気分も落ち着いてるッてことだが、そいだけ初会ンときのよふな出会頭のおどろきみてえなもんハ薄らいぢまってるのが、惜しいッて言えば惜しいとこヨ。とハ言え言っておくが、ぐりはまきしめんの旨さァ並ぢァねえゼ。蛤奢ってンのヨ。ぷッくらとした豊かな身でねえ。殻がでっかいだけぢァねへ。しっかりした身のもんをちゃんと使っていなさる。こいつァ三遍行ってはずれがねえンだから、間違いありやせんでしょう。さて、中[※3]なら馴染みとなりァ箸袋に、主さんのお名を書きなんしょ、なんて言ってくれンだが、きしめん屋にそんな艶ッぽいのハ居(お)りァせんから、見世の箸袋の隅ッこにでも表徳[※4]の喜三二ッて記そうかと思ったら、なんと箸袋がねえのヨ。そいだもんで、名入れァできなかったがしょうがねえネ。
 ぜんぶ喰って、最後に後ろ髪みてえな心持ちで汁を啜ったが、ぐりはまの旨味がこゝン中にァ濃ッく出ておりやしてねえ。たまらねえッてやつサ。また七ンちたちァこの飯田橋ィ通ってゆくとこがあるから、ぐりはまさんにお目にかゝりに寄ろうかねェと、見世を跡(後)にして駅の方へ半丁も行かねえうちに、も一軒の蕎麦屋の尾張屋さんサ。ひょいと見ると、オッこいつァなんだい見逃せねえゼ。松茸蕎麦だとヨ。ぐらッときましたヨ。よろけちまうネ。今度はこっちィ手繰ってみるかなんて、馴染みになったとたんにもふ浮気の虫。あっしも水性[※5]だねえ。

【附(つけた)り】
[※1]ぐりはま。はまぐりを倒語にした。
[※2]午(うま)の刻。現在の12時、こゝでは正午。
[※3]中。新吉原の意。
[※4]表徳。ひょうとく。雅号などを言う。江戸時代、吉原に遊ぶ通人は本名ではなく表徳を名乗っていた。
[※5]水性。浮気性の意。

2008年11月21日 (金)

ぐりはま

 ついこないだ行ったばかりで、まだ二日しかたっていねえのに面ァだすのも見すかされそうでなん\/だが、どうも跡(後)曳いてなんねえのヨ。で、恥ずかしながらで飯田橋の堀端ィでて、尾張屋ののうれん(暖簾)くゞったッてわけサ。行く道筋からしてこのめえたァ様子がどうも違う。まるでなんかあったかのやふにめったやたらと人の波サ。それが誰彼なく申し合わせたかの黒の上ッ張り。当世ぢァ背広とか言ふお店(たな)もんの半纏みてえなもんさネ。江戸の通人気取りぢァねえンだろうから、なにも上も下も黒ずくめにするこたァねえにヨ。黒も粋に着こなせなけりァいゝが着たきり雀の一張羅だと、黒づくめで鴉(からす)ッて呼ばれてた中間(ちゅうげん)風情の形(なり)ィ思ひださせるゼ。
 引戸明けりァ席ァ隙間もねへ。こいつァしまった。堅気のお店もんの時分どき。わりいときに来ちまったねェ。こいつァあっしのドジだ。なにもこちとら、午(うま)の刻に腹ァつくンなんくちャなんねへ不自由な身ぢャねへ。半刻や一刻ずらして、刻限に縛られたお人さんたちのお邪魔までして昼ゥしたゝめなくちァなんねえ囚われの躰ぢャねえンだが、けふは鳥渡(ちょいと)跡の段取り決め込んでいたんで、めぐりまわって世間さまと一緒になっちまったッてえ不始末サ。勘弁してくんな。相席させてもらったとッつあんなんか、にこりともしねへ。愛想なんか生れてくるときィおっかさんの腹ン中に忘れてきちまったッて面ヨ。腕ェ縛る時計ながめたり、紙モク(紙巻き煙草)吸ったり、おいら忙しい身なんだと盛んの立役者ぶりヨ。きっと他国者と口ィきいたことのねへ山育ちなんでやしょうねェ。袖すり合うも他生の縁ッて言ひやしょう。なにかのご縁のご相席。もう二度と互いの人生で出会うこともねえ一回ぽっきりのご縁。天気の咄ひとつできねえ芸のなさ。会社の難題吾独りでしょッてんンだッてェ難しくお顔をしかめて、きしめんの上がり待つ図なんて、お店もんとしちぁなか\/の身得でやすヨ。
 客も半ばが去って店内が静かになった比、あっしの誂え蛤きしめんが、ハイお待ちで届きやしたヨ。つゆはこのめえより贔屓目の多め。二枚の貝を左右いっぱい惜しげもなくおっぴろげて真ッちろな身を晒している大蛤。きしめんのやつァ箸で持ち上げればつる\/と滑り落ち、追っかけてとらえようとすりァこんどハするりと貝の下へ身を隠す、女にたとえりァ小悪魔みてえだゼ。蓮華ですくってつゆを一口二口味わやァ、おとついより一層深みを感じる風味、コク。やっぱりこいつエ紛うことなき上玉ヨ。三日に明けずッて詞ァありやすが、そこをいちンち実ゥ見せて、二日目に裏ァけえしに来るなんぞ、情なしのこのご時世、ぞっこんだッてこたァ、どうでえ以心伝心だらふ。ざまあ見ろッてンのヨ。こんど来たら馴染みだヨ。あっしの名ァ墨跡黒々箸袋にけえて用意してけッてのサ。なァんて莫迦な洒落きしめん屋相手にしても野暮な咄だが、まァそいだけ惚れたッてことヨ。蛤の身の厚みなんぞ、極上の白の碁石くれえ厚みがあって、ころんと転がりそうなくれえサ。そっからにじみでる旨さの深さッたらねえゼ。こいつァどうでも馴染みになんなきャならねえなァ。外題は言わずもながの、裏を返すってやつサ。合点だよネ、わかんねえなんて野暮ァ厭だゼ。

2008年11月19日 (水)

はまぐりァまだかいなァ

 牛込にふたつばっかし、昼下がりに足ィのばさなきァなんねえ用達がある。となるッてえと途中で時分どき。そいぢァ昼ァ何処でとるかゞが思案のしどころ。そいでふいッと浮かんだのがきしめんヨ。通りがかりの飯田橋、きしめんで暖簾(のうれん)張ってる尾張屋があったッけ。そいぢァそこで、素のきしめんでさらりと腹ァつくっといて牛込に乗り込むかト算段し、見世のめえに立って引戸を明けようと思ったら、店先になんやら白い紙。墨跡黒々、蛤きしめん、かききしめんと書いてあらァ。牡蠣の方はついこないだ日暮里の丘に登って蕎麦で手繰ってきたばッかし。お江戸ぐらしも永くやッちァゐるが、蛤蕎麦ッてのはお目にかゝったこたァねえ。情けねえがきしめんにそれがあるたァ初めて知った。蛤ッて言やァその手は桑名の焼きはま。桑名ハ尾張名古屋の近くだらふから、そいできしめんがあるンだろうとてめえ勝手に決め込んで、ずいトへえって女将さん、はまぐり一丁お頼み申しやすぜト席に着く。
 さて、水ゥいっぺえもらって喉ォしめらせ、ハイぐい造りでいらッしゃいトきしめんさんのお迎いに箸ィ割ってまったがいゝが、立役者の蛤きしめんの化粧造作にてまどったか、待てど暮らせど楽屋からあらわれねえ。しょうがねえンで手にした箸ィまた置いて、ぼんやり待てば海路の日和かなデ、お待ちどうト運ばれてきた丼ン中覗いて、こいつァ鳥渡(ちょいと)おどろきヨ。ちか比(頃)なんだゼ。蛤ァすっかり払底気味で、浅蜊の兄(あに)さんぢァねえのかいッて見間違ふくれえにちッせえのを堂々と蛤で御座居ッて売ってるご時世だから、きっとこゝンちの蛤もその手合いだらふと思ったが大違ひ。こいつがでけえ。紛うことなく一目瞭然、これが蛤ッて奴(やつ)ヨ。そいつが殻ァ開いて丼ン中ァ覆ってるッて豪勢さサ。あっしァ思わずかずえ(数え)ちまったネ。ひィふゥみィよォの四ツだゼ。女将、四はいけねへ。こゝハ奇数の七五三。三は淋しいからせいぜい五ツになんねえか。そいぢァお客さん、丼の真ン中までふさがッちまって、肝心のきしめんのお顔が見えませんよッて切り返されるンぢァねえかと按じたんで、余計な文句のもンの字一ツも言はずに箸ィつけさせてもらいやしたヨ。まずつゆを啜るネ。これが待たせたゞけのこたァある。伊達にじらせたンぢァねえわサ。並のつゆのきしめんの上に別に煮た蛤ばらまいて、ハイお待ちッて出すいゝからかんとハ大違い。ちゃんと蛤を茹でたそのつゆをきかせてあるンで、醤油色してねえのヨ。うっすらと白いつゆにァ蛤の天然自然の塩気と旨味。こいつァたまンねえゼ。香りと色みに散らした三ツ葉の青が、はまぐりの色白の身を引き立てゝ目に鮮やかヨ。蛤の下からつる\/逃げるきしめんをひっぱり出して啜り上げ、そいつゥ一口二口、そしちァ大振り蛤の身ィ奥歯でゆっくり味わッちァ、またきしめんのつる\/。なんとけふハ思ひがけねえ至福の昼めし。これでお代ハたかだか千両。こいつァ縁起のいゝ冬の始まりだゼ。

2008年11月 8日 (土)

【番外】川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)(十)

   四文銭(しもんぜに) 団子を一つ 数へらし

 いま何処ィ行って団子喰っても串に刺してあるその数ァ四ツですナ。たまにァ五ツンとこももあろうし、うちァ三ツで商(あきな)いしてンのッて見世もありやしょうけどネ。でも、ひと串四ツッてのが通り相場ヨ。ところがなんだッてネ。もと\/団子ッてのはひと串五ツだったンだッて言ふぢァねえか。そいぢァいつから一つ減へッちまったンだい。おかしいぢァねえか。誰か一ツ喰っちまったのかいッて思ふわナ。
 これが古い咄なんだねェ。明和五年だってヨ。いまお馴染みの西暦になおしァ1768年だゼ。二百四十年もめえのことヨ。この明和ッてえば、谷中の笠森神社の水茶屋の処女(むすめ)おせんが大人気の比(頃)だゼ。鈴木春信が錦絵にしてねェ。大人気ヨ。この五年に、新鋳造(しんぶき)の四文銭が出たのサ。そいまぢァ一文銭だ。物の値が上がったのかねェ。そいで一串五ツ刺さって四文だった団子が、そのまんまぢァ四文銭いちめえに一文銭一個ッてめんどうになっちう。そんだもって団子一個減らして価を四文にしたってことらしいのヨ。その比から物の値段が四の倍数ッて切りのいゝもんになったッて聞きやしたゼ。

【附(つけた)り】
 四文銭(しもんぜに)。しもんせんとも。真鍮製。表面に寛永通宝、裏面に青海波があるので、青銭、波銭、青海銭とも呼んだ。また一枚四文で通用するので、当四銭(とうしせん)、四当銭(しとうせん)、真鍮四文銭とも称した。これを大銭(おおぜに)、一文銭を小銭(こぜに)と呼び分けた。

   二八そば 十六文の 切りのよさ

 夜鷹蕎麦ッて言やァ絵草子や浮世絵だったかにも、担ぎ屋台の行燈に二八蕎麦なんて書いてあるのを目にしやすが、これにァいろ\/言ひやすナ。蕎麦粉八分につなぎの饂飩粉(うどんこ)二分とか、ひどいのになるてッえと饂飩粉八分で蕎麦粉ァ二分なんぢァねえかこの蕎麦ァやに歯ににちゃつくゼなんてのもあったらしい。この二八ッてのは価のことヨとも聞きやすねェ。もりもぶっかけも、どっちも一杯十六文。だから二八ッてんだッてネ。四文銭二めえ、親爺ィごッつォさんと投げ出しァいゝッてわけヨ。勘定の手離れがいゝゼ。いまなん時だい、なんて誤魔化さないでいゝンだ。ざまァ見ろッてンだ。
 まァ粉の割合と価、どっちも二八ッてとこが当りぢァねえかい。ついでに言やァいまのご時世で、かけッて呼んでる丼にへえった熱い蕎麦ハもとはぶっかけと言ったそうでネ。つゆを蕎麦にぶっかけて出すから、ぶっかけだ。もりハその比ァ皿に盛ったッてね。どッちも判りやすくていゝゼ。ぶっかけなんてのも、勢いがあって中ッ腹(ちゅうっぱら)にァ似合いの喰いもんヨ。こいつァ勇(いさみ)のこと。勇ッてのハ侠気のある血気盛んな奴(やつ)。鳶なんかの仕事師のことさネ。

2008年11月 5日 (水)

【番外】ひぐらしのおかにのぼりてかきくえば

 こゝンとこふいの風邪ェ食らってへばッちまって突っ伏してゐたンだが、按配が少しよくなるッてえと腹の虫が駄々ァこねだしやがって、秋もふかまったッてのに牡蠣ィまだ喰っておりせんなんて、大家のあっしの懐もかんげえなしのご託を並べやがる。牡蠣と聞きァきれえな方ぢァねえから、そんぢァまあ財布のお供でもしてやろうかトひぐらしのさと(日暮里)へ御神輿上げたと思ひねえ。
 駅でて、坂ァ爪先上がりに上がりァ、すぐに白いさっぱりした長暖簾(ながのうれん)。川むらヨ。小体な見世でネ。真ッ赤な洋卓で蕎麦ァ喰わせるとこが、よそにァねえ趣向ヨ。廻りの壁は科(しな)ベニヤのの並べ貼り。三六の板ごとのつなぎ目に細い竹を咬ませてゐるなんぞ、数寄屋気分は忘れちァいねへ造作ヨ。
 こゝンちの牡蠣蕎麦ァよそさんたァ鳥渡(ちょいと)違ってンのが売りだネ。ぷりッて身を張った大振りの牡蠣が五ツ、油で炒めてあるから、こくト香ばしさが跡を惹くッて細工だ。蕎麦ハ関西の出なのかね。細めの柔らかめ。京橋の美々卯(みみう)の上方蕎麦手繰ってるような気分がしてきやしたゼ。
 終の牡蠣ィひとつ、未練たらしく喰ってたら、引戸威勢よく引き空けておふらんすはベレー帽の姐御が飛び込んで来て、帳場に近いいっち奥の席にどっかと腰ィ定めたか定めねえかのうちに、「刺しィト誂えなすったネ。あっしの席から遠いから刺しが刺身の刺しか、馬刺しの刺しかそいつァわかんねえ。似合いそうなのは、馬刺しの刺しだネ。皿に盛られて出てきたンは、赤身に見えやしたからナ。そいですぐに次のご注文をなすッたよ。「お酒にもり。言うことに無駄がねえネ。間合いもいゝやね。とかく女子衆(おなごし)の誂えはあゝでもないこうでもないと決まらねえンで傍で見てるこちとらがじれッたくなっちまうンだが、さすがにこの姐さん世馴れてゐなッしゃる。ちゃきちゃきしてゝ、見てゝ心持ちがいゝゼ。いまのお江戸もまだまだ意気のいゝのがおりやすねェ。まだ\/、江戸の気ッ風ハすたらねへナ。
 安堵してごッそさんと外へ出りァはるかに聞こえくるよな鐘の音(ね)。あれは上野か、浅草か。はたまた江戸かぶれの空耳か。

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