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2008年10月27日 (月)

千秋楽面影歌舞伎座(せんしゅうらくなごりのかぶきざ)

 きのふ、あっしとしちァ早起きしてのお出ましヨ。もっとも江戸のむかしァしばや(芝居)見物ァ夜もまだ明けきらぬ六ツめえにぞろ\/でかけるが当りめえだから、四ツ半時ぶんに幕ゥ上がる歌舞伎座へのなんかはえへたァ言へねえ。いまの時計で言やァたかだか十一時。世間さまァお笑いヨ。歌舞伎座ハ再来年にャあ建て直しッてえ咄ィでてゐるせいか、木戸があくのを待つ客が大勢写真機構えてござる。破風屋根のこの建物の面影ェ写真に残そうッてのか、あっちでもこっちでもパチ\/ッて算段サ。いまァ時花(はやり)の無国籍ビードロ(がらす)箱の建もんに化けなきァいゝがなッてンが、大方のしんぺえヨ。
 さて、二階花道真上の席につき、見せてもらった出しもんハ初手が、恋女房染分手綱 重の井。子役の馬子がでるが、これが見もの。扮した小吉ァなか\/長丁場の台詞所作を見事にこなしやしたゼ。たゞ気になって仕方がなかったンは、その小僧さんの髷ヨ。なんで元服めえの餓鬼なのに、前髪すってンのかねェ。こいつが合点がいかねえ。
  二番手は奴道成寺。道成寺に男判があったァ、あっしァ知らなかったねェ。謡で始まるンだが、そこがよかったなァ。柄にもねへト笑われやしょうが、めえにァのべつ能見物しておりやしたンで、躰ン中にァ謡や能笛小鼓の音なんかゞ染みついてゐるでしょうねェ。〆のとこでハ能のシテは、天井から釣った大鐘が床に落ちてくる中に、下から跳び上がってへえるンで、歌舞伎もそうするンかと待っておりやしたが、ドジぃ踏みァ首の骨ェ折って死ぬこともあるそんな芸当は、さすがに町方の歌舞伎ぢァよしにしておりやしたネ。
  三番手ハあっしにとっちァけふ昼の部のいっち気がへえった二幕もんでやしたナ。魚屋宗五郎。立作者は河竹新七。筆を折ってからァ黙阿弥を名乗りやしたな。立役者の菊五郎がよござんしたねェ。女房おはまを演じた玉三郎は地味にてっしておりやすが、歩む姿なんぞにァ少し疲れた中年女のやわらけえ線がよく出ておりやしてネ、それはそれで宗五郎の引き立て役になっておりやすもんネ。宗五郎の台詞ン中に、ぼて振りだの一期半期なんてのが出てくるのがうれしいぢァござんせんかい。てんぴん棒で売り歩くのはふつうハ振り売りッて言ひやすが、魚屋だきァぼて振りッて別に呼んでおりやしたからね、江戸ン比(頃)はネ。一期半期てえのハ下女や下男なんかの下働きの奉公人は九月朔(ついたち)から三月四日までを半期、一年を通してを一期と言ふンだが、その奉公人は桂庵と呼ぶ口入屋から来るッて仕組。なんで桂庵ッて呼ぶかッてのはそれなりに理由(わけ)がありやすが、それハ長くなるンでまたッてことでネ。舞台にしつらえた居間ン中ぢァ年寄にだけ座布団がだされたンがいゝねえ。部屋の床ァもと\/板敷。畳は上敷なんだから、上敷に上敷重ねる間抜けェしねえが本式ヨ。だから躰の弱った年寄にだけ座布団が出されたが、それも客が来たら目につかねえようにすッと引っ込めた。ちゃんと判ってやってるのがいゝねェ。このぶてえ見てるうちにあっしァ、志ん生の妾馬(めかうま)思ひだしちまったゼ。
 昼の部の〆は藤娘。場内明かりッてえ明かりぜんぶ消して真ッ暗闇の始まりサ。その闇ン中から囃子が聴こえて来る。なんでいこの趣向はッて思っても、なんも見えねえ。それがまた、照明部さんは昼寝してンぢァねえかッてくれえ、なげえ真ッ暗闇ヨ。どんな按配に明るくするンだいトお手並み拝見ッてじっと辛抱してたら、突然ぱッと真昼もあざむく明るさになりやがった。なんと天井から舞台の床につくほどのとてつもねでっけえ藤の花がいく房も\/も吊り下げられてゐるぢァねえか。その艶やかなことッたらねえぜ。見せてえくれえヨ。真ン中にァあの藤娘が咲いた花のような立ってゐるのは、なんと傘寿の芝翫ヨ。それが舞台を広々と踊るのヨ。そうしちァ早変わりで衣装をなんべんも替えて見せるからてえしたもんだゼ。こんときばっかしァあっしァ芝翫柄の手拭を懐にしのばせてこなかったンを悔やんだゼ。持ってきたからッてなんとかなるッてもんぢァねえが、そこはやっぱり見せてもらうこっちのこころの持ちようが違いやしょう。
 歌舞伎座さんよゥ。こんども末代までもみんなが誇れるよふないゝ上もん、おッ建てゝおくんさいヨ。待っておりやすゼ。

2008年10月19日 (日)

【番外】NHK土曜時代劇、道具が光ッておりやしたゼ

 ゆンべ、NHKの土曜時代劇を観ておりやしたサ。きらット光る小道具が三ツばっかし目にへえりやしたね。番組の外題はたしか、居眠り磐音(いわね)江戸双紙。陽炎の辻2とかッてあったと思ひやすヨ。
 鰻屋が舞台になってるンだが、そこの板めえさんたちがちゃんと板場に座りこんで包丁ふるってンがいゝぢァありやせんかい。江戸ン比(頃)の板めえは土間での立仕事ぢァねえ。みんな板の間に座ってやっておりやした。そいつゥこの芝居ぢァちゃんと再現してンのがうれしいねェ。こんどの場面で出てきたかどうか分からねえが、かまどだって板の間から火加減、湯加減をした。そいだもんで、かまどは板の間の高さに合わせてしつらえてあったもんでさァ。
 剣術の道場で竹刀で打ち合う場面があったが、そこで使われた竹刀もちゃんとしておりましたヨ。いま目にする竹刀は割竹を束ねて要所しか皮で留めていねえが、江戸のじでえに使われた竹刀ハ割竹をそっくり皮の筒でくるんだもんだったそうだが、それで打ち合いをするのが観てゝうれしくなりやしたねェ。いまゝでの時代劇ン中ぢァこうしたことッてのハけっこういゝ加減でやしたもんねェ。劇ァ作り話なんだが、細ッけえとこで啌(うそ)やっちまうッてえと、ぜんてえがうさんくせえものになるもんサ。だから、こうした小道具ハきちんと〆(しめ)とくことがでえじ。観てゝ心持がいゝやネ。
 きらりト光ッてゐたッてえバいっち光ってゐたンは、朱銀ヨ。こいつヲ鰻屋の出前持の小僧が釣銭に三めえ(枚)持って行くンだ。これを語りで盗まれるッてのが劇の本筋なんだが、この手の銀貨にァ一朱銀と二朱銀がある。一朱銀は文政十二(1829)年につくられたが、二朱銀それより五十年ばっかしはえへ安永元(1772)年からある。場面ン中ぢァ小僧の手のひらの上にのったそいつが写ったが、縁に粒々の玉がつながって光ってゐたから文政の一朱銀かもしれねえ。なにぶんにも一瞬写されたゞけだし、釣銭はいくらッて額は台詞はなかったから定かなこたァ分からねへ。それにしてもその銀はたくさんの人の手を渡ってきたッてすり減った光り方ァしてゝ実正(ほんとう)らしさがよく出ておりやしたゼ。もちろん本物を使ったンだろうけどネ。劇で使う造りものゝ小判のように啌臭くねえのがいゝヤ。
  たゞなんだゼ。釣銭ッて言ひやしょう。銭(せん)てのハ銭(ぜに)だ。一朱にしろ二朱にしろ銀は銭ぢァねへ。金(かね)だ。職人は銭で決済し、あきんど(商人)は銀、武家は二分金や小判といった金(かね)を使うト分けられてゐたそうでしてネ。お金(かね)ッてえのハそうした大層な代物(しろもの)だったわけヨ。そんなもん釣に、しかも鼻ッたらしの小僧に持たせるかねェ。こゝら辺(へん)に無理があらァな。こいつァきっと原作の方にそれがあるンだろうねェ。
 二朱銀なら八めえで一両に当たる。一朱銀なら十六めえだ。一両小判との間にァ二分金てえ貨幣がある。二朱銀二めえで二分金一めえ。一朱銀なら四めえで二分金一めえ。二分金四めえで金一両の十露盤(そろばん)になる。相当腕のいゝでえく(大工)でひと月に稼げるのが小判に換算して一両だッたと聞きやすからね。三朱にしろ六朱にしろ、大した金額なんだがねェ。

 大道具(おほどうぐ)も、浅草奥山の芝居小屋の外の造りがよかったねえ。丸太の柱や梁に筵(むしろ)ォ張りめぐらしてネ。江戸の比の寺の境内でやる緞帳(どんちょう)芝居はいつでもとり壊しできる、いまで言やァ架設ッてやつでしかお許しがでやせんでしたからネ。この場面、ほんの瞬きするくれえの間しか写らねえンだが、しっかと造ってありやして、こちとら観てゝうれしかったゼ。
 またこんどの土曜の夜が楽しみになりやすナ。

2008年10月17日 (金)

【番外】川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)(九)

 そろ\/寝るかッて床とっておりやしたら、電子文がへえりやして、教育番組で江戸の風呂屋のことやってるよッてご深切なお知らせヨ。こいつァ待ったァなしだッてんで、枕ァおッぽったまゝ電子からくり絵図箱を点けて見りァ、ちっきりちょうどの〆このうさぎ。草紙かなんかの湯舟ン中に老若男女入り乱れの図を見せてくれての大ご奉仕の最中。ありがた山だヨ。こちとらちか比(頃)脂ッ気ぬけちまって浮いた咄ァとんとごぶさたゞからネ、こんな浮世の娑婆を写して見せてくれるだけで、極楽気分サ。NHKさんも粋なお計らいだヨ。
 だけンど聞いていて、あっァ腑に落ちねへことが、二ツ三ツ。なんでお江戸の町の湯屋の咄ィすんのに、銭湯\/ッて呼ぶのかねえ。江戸の時代の江戸ぢァ、みんなが湯屋(ゆうや)と呼んでおりやしたもんサ。銭湯は上方浪花の呼び方ですゼ。
 そしてモ一つ。ひょいと出てきた詞(ことば)に寺子屋があったが、あれも、なんでも銭金の商売屋でとらまえちまうあきんど根性の町浪花の呼び方ですゼ。こんなこたァ江戸学のイの一番のことだと思いやすがねへ。
 そのうえ気に入らねえのが、混浴のことヨ。物知り顔に説明ぶってるとッつあんハご存じねへのかねえ。江戸の町ァすけべ揃いだったから混浴やってたわけぢァねへのヨ。はなァ町づくりの男ばっかしの町だったから湯屋ッてえばへえりに来るのは男ばっかしが当りめえ。湯屋はその男相手にできたンさ。それがその男目当ての女たちが段々集まってきて女が増える。だからッて湯屋を広げたり建てたりハとてつもなく金がかゝる。お上の一声でゞきるなんて生易しいもんぢァねへ。止む終えずの混浴だったのサ。
 電子からくり絵図箱の番組さん、江戸のイの字くれえはおせえてやっておくんなさいナ。お頼み申しやしたヨ。こちとら、贔屓してンだから、頼むゼ、ほんにヨ。
  はなむけに駄川柳一発、お見舞いしとこうかな。

   江戸ばなし 銭湯(せんと)寺子屋 みな浪花

                                                喜三二

2008年10月15日 (水)

午后鈴本遊(ひるさがりよせのいきぬき)

 上野広小路から池之端に向ひ、鈴本[※1]酒悦[※2]をとッこして脇ィついッてへえると、蓮玉庵[※3]。こざっぱりした白地に墨一色、みゝずがのたくったのうれん(暖簾[※4])。崩し字ァ無筆[※5]ヨ。あんまし達筆で読めねえ。そいつゥぱッと撥ね除けてへえりァまだ午(うま)の刻[※6]になったばかし、先客は一人ッきり。席ィ決めて、誂えるのはお定まりのかき揚げのもり。小鉢の蕎麦つゆン中に小海老のかき揚げを浮かべ、もり蕎麦がお出ましサ。そいつゥつゝッと手繰って、つゆのしみたかき揚げをほぐして喰い、またつゝゥと手繰る。いつも思ひやすが、こゝンちのこつァ安いネ。これで野口の大将いちめえ[※7]サ。余所行ってみな。まだ跡[※8]に偽銀[※9]なんめえもくッつけねえと、お客さん御勘定たりませんッてお帳場のお叱り受けらァ。ごッつォさんとゝって返して鈴本のめえ(前)。さっき横目で見ながら通ったときァ何人(なんたり)もたむろしてゐた客の姿ァひとつもねえ。みんな木戸ヲくゞッたようサ。遅ればせながらッてんで、あっしも木戸銭払い、もぎりの姐さんに香盤表[※10]をもらッて中へゝえりァ、もう前座さんが高座で咄の真ッ最中サ。3-5の席に腰ィ下ろしやしたヨ。こゝァいゝねえ。前が通路になってるから膝めえが広々ヨ。足を組むも伸ばすも自在だゼ。
 つゞいては古今亭志ん八[※11]。落語はたいこ腹[※12]。半刻[※13]ほどたったとこでけふのお目当て、橘家文左衛門[※14]の登場サ。座布団に尻が定まるッてえト鳥渡(ちょいと)不逞な面ァしてネ、客席ぐるッとねめまわすンが文左のお決まり。けふも忘れずそっから枕[※15]にへえったヨ。咄の本筋ァ無筆の奴が叔父さんから手紙をもらったが読めねえンで、ふだんからわかんねえことがあったらなんでも俺ンとこに聞きにこいッて大見得張ってる兄哥(あにぃ)ンとこに読んでくれッて行く咄ダ。ところがこの兄哥、でかいこと言っちァゐるがじつァこいつも無筆。読んどいてやるからあさって来いだの、なんだかんだと逃げるンだが、逃げ切れなくなって手紙広げたァいゝが裏返しぢァねえかいトその弟分に言われちまったり、結句(けっく[※16])なんだ兄哥も無筆かァとばれて莫迦にされる始末ヨ。出てくるのハぼけ同士、それがはなァぼけとつッこみで始まるンだがやがてそれが逆転しちまうわけサ。文左衛門ァこういう咄ァ上手いねえ。芸に華があって、勢いがある。あっしァ好きだゼ。
 けふのお目当てァこの文左だったンだが、そのすぐ次の漫才のホームラン[※17]。あっしァ初めて観る芸人さんだが、これが大笑い。腹ァよじれて体ぢゅうが熱くなるくれえサ。それにつづく金原亭馬の助[※18]。この人は落語は短めにして、今日びは演(や)る方ァ少ないンですがッて見せてくれたのが、百面相。思やァこの詞(ことば)も懐かしい。噺家の小道具ッて言やァ扇子と手拭。それに跡ァ羽折(はをり[※19])。これを裏返して割烹着のように前から袖に手ェ通して着といて、手拭を器用に頭巾にしたり、扇子を釣竿や打出の小槌に見立てゝ、恵比寿さんや大黒さんに化けて見せくれたが、ウンなんとなくむかしこういった芸があったなァとおもいだして、安心感のある懐かしさヨ。こんなこと見てなんも考えずにカラ\/笑ってりァ生きてることもいゝもんだゼ。
 仲入(なかいり[※20])で一息入れといて、桂藤兵衛[※21]は金明竹[※22]。桂ッて言やァ上方落語の一門なんだが、ところがどっこい。この噺家ハ林家の一門ヨ。どうなってンのかねえ。この咄ァ大阪弁をなに言ってるかわかんねへくれえの早口でやるとこが要(かなめ)なんだが、お江戸生れの藤兵衛がうまくやるもんぢァねえか。立板に水の勢いヨ。見上げたもんだよ屋根屋のッてやつだ。参ったネ。
 さてトリは古今亭志ん五[※23]。噺ァ大師匠志ん生[※24]得意の付き馬。夕ンべの牛(ぎゅう[※25])がけさは馬[※26]になってくっついてくるのをだまくらかす男の口八丁ぶりを飄々と演じてくれて、愉快ないゝ時をすごさせてもらいやしたゼ。たっぷり笑って軽くなった体で桐下駄の歯音もかろころ、身軽に小屋ァ出りァ空は赤味がほんのり射してはなやいだ風情。いゝ夕暮れヨ。これからどっかァのす[※27]もいゝし、たまにァまッつぐけえる堅気も悪くねえ。もぐって地下鉄の駅、電車くるまにひょいと横見りァオヤァどっかで見た顔。なんだァさっき高座に出てた志ん輔[※28]師匠ぢァござんせんかい。こないだァ赤塚宿の白瀧[※29]の独演会でたっぷり聞かせてもらいやしたゼ。挨拶するよな野暮でなし。しらん顔の半兵衛で、たがいに右と左の箱[※30]に分かれ乗り。へい、本日の寄席はこれ切り。お退屈さま。

【附(つけた)り】
[※1]鈴本。鈴本演芸場。http://www.rakugo.or.jp/
[※2]酒悦。http://www.maruchan.co.jp/shop/syuetu/index.html
[※3]蓮玉庵。http://www.aurora.dti.ne.jp/¯ssaton/gurume/rengyokuan.html
[※4]のうれん(暖簾)。のれん、のこと。江戸時代後期の表記。喜田川守貞著「守貞満稿」による。
[※5]無筆。文字の読み書きができないこと。
[※6]午(うま)の刻。昼の午の刻と夜の午の刻ある。ここでは昼。いまの十二時。
[※7]野口の大将いちめえ。野口英世の肖像画を印刷した日銀券。千円札一枚のことを洒落て言った。
[※8]跡。江戸表記。後、の意。
[※9]偽銀。偽銀貨、の意。こゝでは百円硬貨を表している。
[※10]香盤表。寄席の入口で入場者に配るのは番組表だ、それを洒落て出演者などすべての出欠席をとる香盤表で言った。香盤表は本来は楽屋口などに置かれもの。大元の語源は、芸者の名を書いた板に線香を立て、その燃え尽きるまでを一本と言ひ、ひとつの時間の区切りとした。香盤表の名は芝居や映画、現代のテレビ・コマーシャルの制作現場にまで引き継がれている。
[※11]古今亭志ん八。http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=310
[※12]たいこ腹。落語の題。遊びにあきた若旦那が鍼にこり、太鼓持ちの腹に打ッて失敗する騒動咄。
[※13]半刻。一刻は約二時間。その半分で一時間。
[※14]橘家文左衛門。http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=151
[※15]枕。落語で本題に入る前に、お客の気持を噺家に集中させ、本題に入る助走のような役割をもった前振りの話を言う。
[※16]結句(けっく)。江戸語。結局、のこと。
[※17]ホームラン。漫才コンビ名。http://manzaikyokai.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_a1bd.html
[※18]金原亭馬の助。http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=53
[※19]羽折(はをり)。江戸表記。江戸時代は漢字表記法が厳しく決まっておらず、羽折も羽織も端折も混在した。はをり、は旧仮名遣いの一つ。旧仮名遣いには諸説あり。
[※20]仲入(なかいり)。寄席は昼の部と夜の部に分かれているが、ともに長い時間がかかるため、それぞれの中程で十五分ぐらいの休憩時間が入る。それが仲入である。手洗いに行く人が多い。
[※21]桂藤兵衛。http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=76
[※22]金明竹。落語の外題。与太郎に店番をさせていると、次々とお客が来る。その対応にすべて失敗していると、最後に大阪弁て骨董の専門用語を早口でまくし立てゝ帰ってしまう使いの客が来る。与太郎ぢァ心細いと女将さんが受けるがなんど聞いてもかいもく分からず。帰宅した主にとんちんかんな報告をする可笑しみが笑いとなる。
[※23]古今亭志ん五。http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=63
[※24]志ん生。五代目古今亭志ん生。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E4%BA%AD%E5%BF%97%E3%82%93%E7%94%9F_(5%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
[※25]牛(ぎゅう)。伎夫(ぎゅう)。若い衆(わかいし、わかいしュ)。吉原遊廓の揚屋の雇人で、客の呼込みなどをおこなう男。年齢に関係なく、若い衆(わかいし)と呼ばれた。
[※26]馬。付け馬の略。代金が払えない客についてその家まで行き受け取ってくる役の人間。かつて吉原へ行く客を途中に馬子がいて乗せて行き、翌朝その客が支払いができない場合連れてきた馬子が馬を引いたまま受取についていったところから、この呼び名ができた。その後、この役は遊廓揚屋の若い衆(妓夫)にさせるようになった。
[※27]のす。足を伸ばす、を略して言った言葉。
[※28]志ん輔。古今亭志ん輔。http://rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=79
[※29]白瀧。白瀧呉服店。http://www.kimono-shirataki.com/contents/kimono-index.html
[※30]箱。電車の車両を俗にこう呼んだ。

2008年10月 9日 (木)

【番外】川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)(八)

   仲の町 ハはいらぬと 染井吉野
                                                 これから冬に向ふッてのに、時期外れの間抜けな咄なんだが、いまァ桜ッて言やァ染井吉野が通り相場。猫も杓子もそれでなきァよろこばねえ。それまでの桜ッて言やァまず葉で出て、それから花が咲いたもんサ。山桜ハその口だゼ。そいだもんで、口のわりいやつァ出ッ歯とッつかめえて山桜なんてからかいやがッてネ。鼻より先に歯が出てるからだとヨ。染井吉野ッてえ桜はご存じの通りヨ。葉は花が散ってからヨ。はなァ花ばっかしサ。葉はいちめえも出ねへうちに花だけ咲くから、見事ぢャねえか。こいつァ幕末から明治にかけての比(頃)、駒込の染井村の植木職人の誰だったかゞ懸け合せでつくりだしたもんだッてネ。
 なんでそんなことしたか。こいつァあっしの当て推量だが、吉原だネ。そこが裏にあるナ。吉原の大門(おほもん)へえると仲の町。この通りが真ん中を真ッつぐのびておりやすが、こゝに毎年花の咲いた桜をわざ\/植えて花の並木をこせえたのヨ。花ァ散りャあ、引ッこ抜いて捨てちまふ。この豪気さが、いかにもぢァねへか。そいできっと気のきいた植木屋がかんげえたンだネ。葉はいらねえ、花だけつける桜ァできねえものかトね。染井は植木の村の名、吉野は桜の名所のお名を鳥渡(ちょいと)拝借したッて寸法だそうですゼ。「ハはいらぬ、のハは、葉と端を懸けたのサ。なんてッたッて、仲の町はその名の通り、真ン中の町だもんナ。

   いまはなし こはだの酢〆 喰いたきや

  あっしァ餓鬼じぶん本所の隅ッこ住んでおりやしてネ。三軒ばっかし隣に惣菜屋があったのヨ。そこの見世のビードロの蓋ァつけた琺瑯(ほうろふ)の箱ン中にァあの銀色に墨の点々打ったこはだの酢〆がきれいに並んで光っておりやしてサ。そこに真ッ黄色の粟の実が散らしてあるッて造りヨ。目がさめるようだゼ。あの美しさァまぶたに焼きついていまだもって消えねヘヨ。だがヨ。あっしのおっかさんハ光もんは大の字付のおきらいヨ。そんだもんで、あっしァ喰わず嫌いになってちまってネ。この歳になって鮨屋で初夏にこはだを摘むと、あゝ人生半分損したッて気になりやすのサ。
 惣菜屋だがネ。毎度の飯のおかずゥ家でつくらずに買って済ますッてのハ江戸からの習いヨ。江戸の比ァもっと便利サ。毎朝振り売りが連尺肩に長屋の路地の奥まで売りに来たッてから、暮らすにァ俎(まないた)も包丁もいらねへ。味噌汁なんぞ、具の刻み葱なんか練り込んだ味噌ォ玉にして売りに来たッてえからありがた山(やま)だゼ。碗ン中にそいつゥ放りこんで熱い湯ゥぶッかけてひっかきまわしァ一丁上がりヨ。
 そんな朝のどさくさが過ぎて亭主ァ帳場へ出かけちまッて長屋が静まるトこんどは、こはだの酢〆を売りに来るッて段取りサ。これが若い優男が売り子ト相場が決まっておりやしてネ。そいつが椹(さわら)の白木の箱を肩に担いで、「こはだの酢ゥゥゥなんて新内みてえに細い澄んだ呼び声の尻ッ尾ォながァく引っ張りやがッてネ。そゝるわけヨ。九尺店(だな)のお上さんハその声聞くともうたまんないヨ。泳ぐように下駄ァつッかけて油障子戸引き開けて、「ちょいとおにいさん待っておくれ。素通りァつれないヨ。なんてネ。その宵の亭主の箱膳にこはだの酢〆がのったかどうかハあっしァしらねへ。そこまぢァものゝ本にも書いてねへ。ぢァ、あばよ。

  喜の字

【附(つけた)り】
(※)振り売り。天秤棒の前後に籠や箱などを釣下げ、それに商品を入れて売り歩く商売。野菜、納豆、豆腐、浅蜊、蜆などを売った。同じく天秤棒で担いで売り歩くのでも、魚屋だけはぼて振りと呼んだ。
(※)連尺(れんじゃく)。天秤棒のこと。振り売りの小商いがまとまって住んでいたところが神田連雀町などである。
(※)帳場。大工や左官などが、仕事の現場をこう呼んだ。

2008年10月 7日 (火)

【番外】川柳ひとり柳戯溜(やなぎざる)(七)

   寺子屋と あきないのよう 呼ぶ無礼
                                                  めえッから江戸を舞台にした小説やドラマで、どうにも癇に触ッてしょうがねえことがありやすのサ。そりァ寺子屋ッて呼名よ。これが浪花の咄ならよござんすヨ。だがよ、江戸を舞台にしてそりァねへだろうッてことヨ。子どもたちァ集めて読み書きをおせえる処を江戸ぢァ指南所(しなんじょ)だの指南所(しなんどころ)ッて呼んだッて聞きやすゼ。師匠にァお武家が多かったそうでネ。こりァしょうべえでやってンぢァねへ。浪花はあきんどの町だから、なんでも商売屋のように言ふが、江戸はそこんとこちゃんとわきめえていて、寺子屋たァ言わなかったそうですゼ。江戸の町ッ子たちのその気遣いがあっしァ好きヨ。

   あつかまし 願ひたくさん 百旦那

  お寺へのお布施なんかを百文しかださねえけちな旦那を百旦那と江戸ぢァ笑ったそうヨ。こりァ言われてみりァあっしがそれヨ。浅草へのして観音さんをお参りしても、その辰巳に見世ェ張ってる弁天さんお訪ねしても、ちャりんト投げ込む浄財はいつも決まった偽銀いちめえ。たったの百円ヨ。その割りにァ願い事の欲が深過ぎるぜトお二方もあきれてご利益なんぞやれねえトぼやいておいでだろうねェ。たまにァ五百旦那ト気張りァなるめえよ、なんてネ。そんな端金ぢァやっぱり駄目か。

2008年10月 1日 (水)

【番外】二人は水性

 あるお方がブログで、粋な唄をご披露なすってらしたんで、あっしも鳥渡(ちょいと)洒落て書き込みさせてもらいやして。そいつゥこゝにお披露目させてもらいやすが、いかゞなもんかえ。ものになっておりやすかい。

あたしとおまえは 互いに水性

おまえ瀬ならば あたしは瀞よ

ふたりそろって ひとつの流れ

岩の意見も 巌(がん)とは聞けぬ

ともに海まで 落ちるは覚悟

産んでくれたが 親には顔向けできぬ

できぬ恋だけ 燃えても見せる

末はいずこの 藻屑に消える

それを覚悟の 恋の急流 道行流れ

残る浮名が せめての供養

わすれなんすな 真(まこと)の恋を

ともに手をとる道行ならば

いっそ離さぬ 花の命の燃えるまで

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