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2008年8月17日 (日)

居残夏介宵笹雪(ゐのこりなつすけよいのさゝのゆき)

 暑くってしょうがねえ。とうに文月(旧七月)にへえって半ばにもならふッてのに、夏の野郎どっかとゐのこって人の躰より暑い日つゞきヨ。むかしなら八ツもすぎりァ日もかたむひて涼しい風が吹いたもンだが、ちか比(頃)ァそこらじゅうが熱気のまンまヨ。出たついでに夕の時ぶんになったンで、暑さ払いに冷や奴ト根ぎしィ足ィのばしやした。根岸ッて言やァご存じ笹乃雪[※1]サ。こゝは言ふまでもねへが豆腐ばッかしの見世。三百十五年もやってゐるてえから元禄六年からだ。あきれるくれえ根(こん)のいゝ見世だゼ。
 山の手線はその名もゆかしい鴬谷で台下[※2]へ下りァものゝ一丁[※3]かそこらで、もう見世先。水が売りもんッてあかしに脇にァ名代の湧き水を蹲(つくばい)に落としてるッて仕掛けヨ。「はい、ごめんよット格子ィ開けりァ、法被(はっぴ)の下足のじいさんが、「へい、らッしゃいトお待ち受け。これがいゝねえ。あっしァ駒形と言ひこゝンちと言ひ、この下足番が出迎えてくれるンがいっち好きさネ。
  籐敷にどっかと腰を落ち着けて、まず誂えはぬる燗いっぽん。徳利はゆるやかな瓢箪形。白磁の肌に、染付でなゝめに笹乃雪の屋号が粋に入っておりやして、また合わせる盃がいゝ。形ァあっしのきらいなぐい呑みなんだが、焼締めの薄造り。唇への当りがもっさりしねへのが上等ヨ。よくぞこいだけ薄くろくろが引けやしたッてえ代物だネ。
  肴は、こゝンちにきて外せねへのがあんかけ豆腐。二鉢で一人めえ。この謂れはかの江戸の比(頃)、上野の山は輪王寺の宮様が召し上がって、こいつァいけるゼとおっしゃったかどうかは知らねえが、三太夫代りを持てッてンで、もう一碗召し上がった。それに因んでいまだもって一人めえふた鉢サ。一寸五分四方ぐれへの豆腐にあんがかけてあって、真ン中に溶きからしを落してある。二鉢ならべてみても、その落しからしの大きさが版で圧したようにおンなじサ。この辺が板さんの芸だネ。こいつゥ相手に酒をなめ\/してたのしんだンだが、あんの汁(つゆ)がもってえねへンでふた碗ともみんなすゝッちまった。まだ酒ァ半ば。で、次の誂えは、やッぱりこゝンちで外せねへ冷や奴。こいつが逸品だねェ。水気ばっかしの絹でなし、野暮でもさつく木綿でなしサ。まるで泡雪を四角にまとめたッて代もんサ。旨味が濃い豆腐なんだよねェ。よく大豆の味がしていゝ豆腐だなんてこと言ふ野郎がおりやすが、あっしァありァねへぜト思ひやすゼ。大豆の味がしていゝンなら、なにも手間ェかけて豆腐にこせえるこたァねへンだ。大豆を煮てでも炒ってでも喰やァいゝのヨ。豆腐は豆腐でなきァ味わえねへ味になってなきァ啌(うそ)だゼ。この余所ぢァ出会えねへ旨味の濃い豆腐に繊切り大葉、下ろし生姜、白葱の小口切りを薬味に、濃口醤油で喰ふンだが、薬味ィ替えるたんびに味わいが変わって、つい\/酒ェ食べる[※4]の忘れちまう始末ヨ。
  さて、仕上げはト。こゝまで豆腐尽くしでくりァ〆も豆腐がいっそいゝッてもんだゼ。そんだもんで、品書き繰りァうずみ豆腐の茶漬がのっておりやすッて寸法サ。うずみ豆腐とくりァこんながらッ八のあっしでも茶懐石のうずみ豆腐をつくったことが一度や二度。いっぺんなんて恐れを知らぬ所業で雑誌のカラー頁を飾ッちまったことさえありやすのヨ。さて笹乃雪のうずみ豆腐、どんなしつらえで出てくるか。なんとも楽しみ。やがて運ばれてきた碗にァ釜飯張りに木の蓋。そいつゥ取ると、飯のうえにァ一面に細かく砕いた薄茶色のもんが振られてる。豆腐の味噌漬けか。こいつァ醍醐(チーズ)のように味姿を変えやすんでネ。一口すゝると独特の香り。あとは一気にかッこんで、はいごッつォさん。あゝ今宵もいゝ飯を喰わせてもらひやした。お天道さん、ありがとさん。
 けえりァちょいと脇道ご見学。目のめえの駅までの間にァいまどき余所ぢァ見れねへ出会茶屋。軒並みそろって赤い灯青い灯。やっぱりこゝァ根ぎしの里。江戸の比ならお囲い者の小屋敷が、軒をつらねてゐたンでしょうが、それがいまぢァをとことをんなの忍び部屋の時間貸し。むつみごとやら、鶯の谷渡り。根ぎしの色の灯ァ、いまでも消えちァいやせんゼ。

【附(つけた)り】
[※1]笹乃雪。http://www.sasanoyuki.com/ なお、同店では豆腐にはすべて豆富の字を当てている。
[※2]台下。谷中や入谷などの低地に対して、上野、鴬谷、日暮里などは高台であり、山の手と呼ばれた。現在の区名「台東区」と高台の東の意と思われる。
[※3]一丁。距離、約100mほど。町は一丁四方で区画されることが多かったようである。江戸絵図(地図)では、町を丁の字で表記している例が多い。
[※4]酒ェ食べる。江戸の頃、酒は飲むというよりも食べると表現されることが多かった。

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コメント

おいしいお豆腐を買うために、わざわざ少し遠くまで足を延ばすほどの豆腐好きです。

夏は冷奴、冬は湯豆腐でいただくことが多いのですが、うずみ豆腐もおいしそうですね。

moon3ひよこ姐さん江

 あっしもこゝンちのうずみ豆腐は初めて喰いやした。鳥渡(ちょいと)乙な旨さですゼ。
 その茶漬けの上にばらまく豆腐ァ瓶詰めにして、三越本店で売ってるらしいですナ。笹乃雪の頁で見たんですがネ。

 喜ンの字

ほーーっ。笹乃雪のうずみ豆腐は、豆腐の味噌漬けなんですか。それは夏にもってこいかもしれません。
普通のお豆腐と吸い加減のお出汁で真似ごとしますが、味噌漬けでしてみます。
よいことを教えていただきました。

豆腐の味噌漬けは好きな肴です。フランスパンやガーリックトーストにつけて食べたりもしてます。

moon3風知草姐さん江

 豆腐の味噌漬けッてのは、あっしの当推量ですぜ。はっきりァわからねえ。そんな気がする夏の宵ッてやつサ。
 姐さんはご自分でおつくりになるンですかい、豆腐の味噌漬け。酒のあてにァもってこいでやしょう。相方ァしあわせもんだヨ。妬けるゼ。

 喜ンの字

笹乃雪は、松葉屋や三定のように、はとバスコースになるような名所でござんすが、まだ行ったことがないんですよ。松葉屋には行きましたがねえ(笑)

そういえば、ささというのもお酒でございますね。キーンと冷えたおさけと、雪のような豆腐料理、夏の醍醐味でございましょう。

moon3ねこじゃねえやいのお玉姐さん江

 そう言やァささは酒でもありやしたねえ。口当たりのいゝ冷えた吟醸酒が用意されておりやすゼ。ぜひ、お行きなせえ。鳩さんと一緒だとせわしねえから、憎からず想っておいでのお方でもちいょと誘って、とうふて近いは男女の仲ッて洒落るのも粋なもんですゼ。

 喜ンの字

お江戸に生まれ住んでいながら
笹の雪には一度も行く機会なく過ごしております。
粋な仲の殿御にお誘いをうけることもなく・・・(笑)

いずれ孫に手をひかれてでもまいりますかね。
いつのことになりますやら・・・ふ~っ

 豆腐だけで百五十年ですかい、驚きやすねえ。
 頑固一徹守って来た老舗の味を賞味致しやしょうか。
 訪ね甲斐があるってもンだ。

moon3おあやのお内儀さま江

 そいつァ残念だねェ。お孫さんに連れられてッてのもうらやましいがネ。
 そのめえに、その殿御にあたしャおまえに熱々湯豆腐だよッて謎かけなすっちァいかがですかい。勘のいゝお人なら、連れてっておくれかもしれやせんゼ。そいで通じなきァ脈はねへ。お前なんか情なしの冷や奴ッて袖にしちまいなせえ。

 喜ンの字

moon3仇吉姐さん江

 姐さんにあやまンなくちァならねへ。あっしが書き込みンときまちがえて、創業三百十五だったンだ。すまねえ。上の原稿は直しておきやしたンで。
 いっそう凄いだろう。三百五十年の間に、おりァこんなしょうべえ厭だ、太く短く生きるンだと男勇(をとこいさみ)の纏持ちに走ったり、すぐ崩れちまふ豆腐に身ィ託すわけにァいかねへッてんで細く長く生きるッてんで蕎麦屋になりやすなんて、暖簾とびだすもんも居ずにサ。ずっと脇目もふらずに続けた根性。これこそ、畏れ入谷の鬼子母神だわサ。

 喜ンの字
 

兄さま  

 暑さに負けてご無沙汰いたしました。

 兄様のお書きになる豆富料理。目に浮かぶよう。
いつもながら、ちょいと一杯いきたくなります。 私の近くにも『豆腐料理』の看板を掛けた
料理屋はございますが、笹ノ雪みたよな粋な
料理じゃないのが寂しいこと。
揚げたり炒めたり・・・と油っこくて豆腐の
味より肉やら魚の味がするのが田舎じみてます。

 明日はひとつ奮発して、寄せ豆腐でも買ってこようかしら。庭の茗荷や大葉でも刻んで。


 

moon3かじき姐さん江

 庭の茗荷や大葉を刻んでッてのがよござんすねェ。豆腐はあんまりいじくりまさねへほうがすっきりしていていゝもんでやすもンね。
 こうして返事書いてると、また冷や奴食べたくなりやすねェ。どうしてあゝいう淡白なもんが旨いンだろうねェ。日本人は不思議だねェ。あんまり味のねへようなもんが旨いといゝやすもんネ。あっしァ日本に生れてよかったゼ。

 喜ンの字

んとに、日本に生まれておきながら何の因果で・・・。
こうなりゃ茗荷の抜け荷に手を出すしかあるめえな。

茗荷大葉好きの猫より

moon3ねこじゃねえやいのお玉姐さん江

 茗荷の抜け荷ァよかったねェ。島にァありやせんかい。でもあっても、他国のお方にァ、これのどこがいゝンだいッて喰いもんでやしょうねェ。
 
 喜ン公

けっ、田舎モンに茗荷の粋はわかるめえ。

あのしゃくしゃくした舌触り、すっと抜ける香り、気張らねえ色姿、夏の味だものを。

それを庭に生やしてるハワイ二世のばあさんがいてね、茗荷が欲しけりゃただ働きしに来いっていうんだよ。

苗ごとくれるってんなら考えてもいいけどね。

moon3ねこじゃねえやいのお玉姐さん江

 あっしが鼻ッたらしの時ぶん、おやじがよく茗荷ァかじってンのサ。その比(頃)ァ戦後の喰いもんねえときでねェ。あっしァいッつも腹ぺこヨ。なんであんな腹の足しになんねえもんありがたがって喰ふのかまったく分けェわかんなかったが、いまになりァそれが旨くてねェ。
 よかったゼ。焼夷弾くらって死なずにいて。ちか比ァまいとし夏になると、茗荷ァ喰えるッていゝなァって思ひやすもんネ。
 そのハワイ二世のばあさんも、茗荷命でやしょうねェ。お玉姐さんも、その婆さんが生きてるうちに根分けしてもらっておいた方がよござんすゼ。

 喜ンの字

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