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2008年7月31日 (木)

【番外】越すに越されぬ日本橋

  もう十年くれえめえになるかな。木曽の奈良井宿で宿場の裏ァ流れる清流に本場の木曽檜だけを使って昔ながらの木造りの大橋を懸けやしたのヨ。運よくそんとき、あっしァ行き合いやしてネ。まだ白木も眩しいできたてを雪駄で登ったのヨ。橋ィ登るッて言ふと変に聞こえやしょうが、昔の橋ァどうしても太鼓になってるものなのサ。だから雪駄は足袋が滑って登りにくいもんでしたゼ。
  それと同じ造りだと思ふが、江戸東京博物館にァ公方さまが懸けた日本橋をそっくりそのまンまの大きさで造ってあるッて言ふぢァありやせんかい。長さだきァ半分だそうだがネ。おいらァそれを登って渡ってみてえのヨ。雪駄でいっぺん、駒下駄でいっぺん、足駄でもういっぺん。登り心地がそれぞれ違いやしょうねェ。その感触を確かめたくてしょうがねえのサ。
  いつか渡らしてもらいてえヨ、石原のご奉行、頼んだヨ。
  それにしてもあっしァいっぺんもまだ見に行ってねえッてのは、片落ちだから、渡れる渡れねへはそれとして、まず見てこなくちァ咄になんねへもんねェ。それにしても、暑くて動きが取れねへ。意気地がねへと、てめえでも思ふヨ。少し涼しくなったら、御神輿が上がるかな。

  喜ンの字

2008年7月20日 (日)

【番外】とめぐりのよにて

 十年一昔と言はんぬ。その余の歳月を重ね、住み慣れし山の庵を捨て去り、はるばる戻りぬ江戸の空の下(もと)に立ち、感慨を覚えむ。町の佇まい移り行くは定めなれども、かつてはその姿目にすることもなく穏やかに過ごせしも、いまは町ぐらしの作法知らぬ人の涌くがごとき増え方に、穏やかならぬ心持するも哀し。吾が古里江戸、余所者に穢されむことこの上なし。都、いまや人の塵溜(ごみため)なり。嗚呼やんぬるかな。
 衣食足りて礼節を知るとは、夢幻(ゆめまぼろし)なり。人、満ちて行い落つる。市隠、狂歌読みて憂さを晴らさんとす。

 電車の中にて賤女のけわい(化粧)するを見て詠める

   紅や眉引くも塗るゝも恥知らぬ 見るに見かねし往生の席

 本歌  これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関  百人一首 蝉丸(第十番)

 電車の中にて便利屋(こんびに)のにぎり飯に食らいつく小むすめを見て詠める

 優先席どっかと座りてにぎり飯 恥とも知らず喰い果つるかな

2008年7月17日 (木)

夏鰌宵駒形(しょきばらいよいのこまがた)

 暮六ツ[※1]もとうに過ぎ、町の灯ちらほら人影まばら。暑気あたりにでもあいそふな、昼間の暑さもよふ\/に、おさまり消えて吹く風は、あれは大川墨田の夜風。ちゞみの袂ふところ吹き抜けて、歩む雪駄の足どり軽く駒形町[※2]、のうれん(暖簾[※3])撥ね除け駒形どぜう[※4]。外の閑けさ中の喧騒。やっとこさで場一ツ、籐敷[※5]の隅に腰ィ落ち着け、いらっしゃいましの姐さんに、田楽にぬる燗一本と、誂える。
 鰌(どじょう)は夏の季語だそうだ。どうりで見世のめえにァどぜうの季節と抜きの幟が川風にはためいていやがる。夏バテに召しませ鰻は知れたこと。鰌も形(なり)はちっせえが負けちァいねえ元気もん。そのくせしつッこくねへさっぱり味が江戸好み。お馴染みの面取り白磁の徳利の、口ッきりいっぺえへえった酒を、こぼさぬよふに盃へ注いでまず一口、一息つきァ、こゝンとこの躰の不塩梅もどこへやら。続けて運ぶ盃は、徳利と対の白磁の薄造り。ぐい呑みなんかだせねへとこがあっしァ好きヨ。真ッちろ(白)な開いた盃の中にァ染め付けで将棋の駒ン中にどぜうの三文字。洒落がきいてるちァござんせんかい。こゝで絵解きしちァ野暮になる。丁度、おまッとうさんト運ばれた田楽に箸ィつける。焼豆腐と白蒟蒻(しろこんにゃく)のふた色が湯気ェ立てゝのお出ましサ。木の芽頂いた白味噌をからめて喰やァ、酒の充てにァいゝ塩梅の甘辛さ。さて、田楽はゝや腹ァ収めたが、柳川行くにァちとはえへ。間つなぎに、姐さん呼んで、筏(いかだ)を一丁とお頼みいたしァ、あいよと受けて踵を返す。そのきび\/したあしらいがまた心地いゝ。打てば響くこの調子、これが江戸の気ッ風ヨ。のそ\/歩いてちャいけねへ。来るもけえるも急ぎ足の素早さサ。そこで駄川柳と洒落やしょう。

  姐 さ ん の 足 袋 の 汚 れ に ま め が 見 え

 おッとこいつァ皮肉ぢァねへヨ。まめッてえのは、朝下ろした足袋の底が、宵にァもう真ッ黒になるくれえ見世ン中働き廻ってるッてことヨ。甲斐\/しくッて、見てゝも気持がいゝぢァありやせんかい。
 姿の鰌五匹ほどを串に刺してたれェかけて、焼き上げたのが二串、皿に並んだ様は筏とはよく言ったもの。こいつを一匹口ィ放り込みァ香り味わひまるで蒲焼。そいでいてさらりとしてるのが夏バテのこちとらにァうれしいねえ。

  痩 せ 男 い か だ ど ぜ う で 鯔 背 哉

  残りの酒を筏で楽しみ、さていよ\/けふのお目当て、柳川といたしやしょう。しかしなんだねェ。客ッてもんは奇妙なもんヨ。三々五々、咄ィ合わせてるわけぢァねへンだが、来るときァばた\/ッとつゞいて来て、けえるときァまたばた\/と一緒ヨ。あっしの周り二間四方、客ァだあれも居なくなっちまった。大広間の向ふになんでか知らねへが固まって少し残ってるばっかしサ。そろ\/招牌(かんばん)かいッてこっちァ浮足だっちまうゼ。そこでまた一発。

  身 の ま わ り 空 い て わ び し き 独 り 客

  広間の脇に縁側があって、出るとこの柱に白紙の但書。「放歌ご遠慮下さいトね。いゝね。ちか比(頃)ふしだらをふしだらと気がつかねへ客がおりやすもんねェ。客をたしなめるのは見世の仕事ヨ。こないだ、とある蕎麦屋へ行ったと思ってくんねえ。その見世ァお江戸のご府外でちったァ名の知れた見世で、ちか比(頃)田舎の本店畳んでお江戸の真ン中に伸して来たンだそうだ。あっしがもりを手繰ってると、客の子どもが金切り声を上げて五月蠅(うるさく)てかなわねへ。で、仲居に「ちっと静かにさせてくんなッて頼んだら、手代がやって来て、「お客さん、奥のお部屋へお移りになられませんか、だってヨ。莫迦野郎ッてのヨ。「騒がしくッて迷惑なのハあっし一人がことぢァねへでやしょう。騒ぐ客に注意するのは見世のつとめだろうぜいッてネ。手代め、ヘェッて言って消えちまった。勘定払いに帳場寄ったら、その手代がゐやがる。さきほどは申しわけございやせんでしたトでも言ふかと思ったら、知らん顔の半兵衛。挨拶のあの字もねへ。また\/莫迦野郎だゼ。「客扱いの一つもできねへぢァ、一流にァなれねえヨッて、あっしも業腹なんでつい言はンでもいゝ厭味言ッちまった。ほんにてめえで思ふゼ。おちょこちょいのお節介だッてネ。この見世が先行きどうなろとあっしにァ関わりのねへことでござんすなんだが、そいつを黙って見過ごせねへのが、江戸ッ子ヨ。莫迦ァ承知で言っちまうのサ。そうやってみんなしてこのお江戸の町ィつくってきたのヨ。なにがあってもてめえだけは知らん顔のいゝ子ちゃんぢァ江戸の町ッ子ァつとまんねへと思いやすゼ。
 しかし手代の兄さんハ人間が出来てるヨ。なにィ言はれても蛙の顔にしょんべん。しれッとしてやがる。客扱いの玄人にァなれねへが、面だきァ鍛え上げたなめし革。てやんでえ、べらぼうメ。てめえの面ァ二度と拝みにこねへヤ。
 思ひだしむかッ腹立てゝたら、ハイお待ちッて、金網柄のお仕着せの活きのいゝ姐さんが、熱々の柳川を持って来ておくれヨ。こっちもさッと心持ィ変えて、山椒の粉ァぱら\/振り、ふぅ\/吹いて頬張りァ、厭な気分はどこへやらサ。旨いもん喰ってりァ人間極楽ヨ。

  夏 ば て や 柳 川 吹 い て 吹 き 飛 ば し

 開いて頭と骨とった鰌と笹掻き牛蒡、そいつを玉子で綴じた柳川は、誰が考えたか旨いもの。暑気払いにァ恰好の喰いもんだゼ。鍋と呼ぶか皿と言ふか、どこでも決まってかわらけ(土器)の上で煮えくりけえってやって来るが、暑い盛りの熱いもの。これが躰にァいっちいゝンでござんしょうねェ。
 さて、汗ェ手拭でぬぐって、〆は梅茶漬け。奈良茶碗の蓋裏に、山形に貼り付けられたおろし山葵、箸先で舐めちァ、熱い茶漬けを流し込む。拭いた汗がまた流れ、どうでえ風[※6]の野郎メ、めえったか。ぐいッと鼻ァ拳でぬぐい、ご馳(ち)になったぜト下足札ァ出して雪駄ァ揃えてもらい、ハイおさらばさらば。

【附(つけた)り】
[※1]暮六ツ。日没約36分後。
[※2]駒形町。現、台東区駒形一丁目。
[※3]のうれん(暖簾)。江戸時代では「のうれん」と発音されていた。
[※4]駒形どぜう。http://www.dozeu.com/dozeu_fl/info/info.html
[※5]籐敷。籐を細く裂いて茣蓙風に編んだ敷物。正しい名称不明。
[※6]風。江戸の文献を見るに、風邪のことを風または風邪とも表記している。

2008年7月13日 (日)

艶緑昼銀座(あでみどりひるのぎんぶら)

 寝起きの塩梅は相変わらずの愚図つき気分。陽気のせいか風邪の尾ッぽか、はたまた疝気の名残か熱があるよふなゝいよふな。半月の余もめえ(前)のこと、ひょんなことで利き腕の、血管潰れてその修理、風船[※1]入れてふくらませ、どふ間違えたか小石川[※2]が、ちょいと踏んだドジの跡、空ァ晴れても腫れはいまだに引かねえしぶとい痛み。その容態の悪さにかこつけて、寝たり起きたりの不精暮らし。溜まりに溜まった用が二ッツ。お上のお役所に顔出し済まし、世間の義理ィ果たしに中元物の用達にと、ふらつく頭で花の銀座へお出ましヨ。着いた比(ころ)にァ時分どき[※3]もとっくに半刻廻り、とにかく軽く腹ァつくっておいて、ぶらり\/と銀座町七丁目[※4]。定火消屋敷[※5]の裏道ィへえり(入り)、馴染みの水茶屋茶楽[※6]に登楼(あが[※7])る。生憎に男同士の先客が、銭金(ぜにかね)儲けの生ぐせえ(臭い)野暮咄。せっかくの煎茶の香りが濁ろうッてもんだゼ。咄の様子ぢァお店(たな)もん[※8]。ともに男盛りをとうに過ぎ、髪に霜置くご年配。まだ脂ッ気が抜けやせんかねェ。
 この水茶屋は時節の茶葉を取り揃え、客の求めで第一煎第二煎と器を替えて淹れて出す丁寧さがうれしくて、いつとはなしに立ち寄る見世。初めの比ァ主のとッつあんが淹れるから運び出しまでしていたが、大の大人に膝まづかれて湯呑み差し出されるッてえッと、こちとらがさつもんは申しわけがなくッて尻ィむず\/してしかたなかったが、ちか比ァ笠森ぢァねへがお仙[※9]娘に変わったンで、鳥渡(ちょいと)くつろいで味わえるようになったッてえ寸法だ。品書ひらくとのっけに書かれたいまの時期の茶銘は初蛍[※10]。風情のある銘だねェ。つい去年まぢァ蛍飛び交う山住みだった身が、いまぢァ道も建もんも石尽くしのそっけねへ当世お江戸暮らし。ほたるのほの字にもお目にかゝれねえンで、せめて茶の中に蛍を見るかと誂えやした。第一煎はお約束の小振りの白磁煎茶々碗。茶の緑が清々しいねェ。まず香りを嗅ぐが、隣の生臭ぢゞいたちの金々[※11]咄が脇から耳に割り込みやがって、せっかくの初蛍の香りを半分ハかッさわれる始末ヨ。少し含んで喫(きッ)すりァ軽やかな甘味と渋み。おだやかでいゝねェ。中継ぎに菓子皿。土もんの銘々皿に緑の小さい固まり。白砂糖を衣にしたそいつゥ黒文字[※12]で切ってみりァ空豆を模した菓子ヨ。中にァ晒し餡。小さく三ツ四ツと切りわけて、味わって喰いやして、さて第二煎。茶碗は手捻り風白磁の湯呑み。まい(前)のより一回り大きめサ。茶の味ァ深みィ増し、コクがあるねェ。仕上げは番茶。こいつァ冷やを誂えやした。番茶呑む比にァ金づくぢゞいたちが姿消したンで、独り静かにやすんで、サテおもむろにごッそさんトのうれん(暖簾)跡(後)にする。
 裏通りを西ィぶらつき、八丁目との間ァ北へ折れ表大通りへ出る手前、小さな見世先で足ィとまッちまった。盆栽を並べてンのヨ。こゝは何度も通っておりやすから、盆栽や[※13]のあるこたァ合点承知の介だが、いつもは横目に見ての素通りだったのが、けふは陽気のせいか気の迷い。ふら\/と見世ン中ァ吸い込まれちまったッてわけサ。きょねんの秋の長患いぢァなかった、秋まぢァ森木立の中の侘びずまひ。それがいまぢァ江戸もはずれのご府外[※14]の、九尺二間[※15]の侘住まひ。侘は侘でも月と泥龜(すっぽん)。花どころか実のなる木ひとつなきぞ哀しき[※16]ッてご身分。そいつがつい緑に惹かれてのふら\/迷い。こんなもん机の上に飾って愛玩(かわいがる)よふになっちァすっかり焼きが廻っておしめえ(お仕舞)ヨなんて憎まれ口効きながら、ごめんなすッてト敷居またがせてもらいやしたら、いゝ木が並んでいやがンのサ。欅あり楓あり、槇柏ありヨ。小(ショウ)能(ヨク)大(ダイ)ヲ写(ウツ)スッてね。三寸だの五寸だのゝへなちょこ盆栽のくせェしやがって、目ェ寄せりァ野辺の大樹の風貌ヨ。こちとらのやふな小人(しょうじん)は近寄り難いゼ。見世のどん詰まりにァすげえもんが飾ってござった。筏吹きッてのかね、針葉樹の寄せ植えヨ。ご丁寧に下草まで仕込んでありァがる。腰ィかゞめて下生えンとこに目ェ持っていって眺めりァ、こりァおめえさん、森の佇まいヨ。立派なもんだゼ。畏れ入谷[※17]だねェ。高直(こうじき[※18])の正札見て踏ん張ったが、いさゝかぐらッときちまったヨ。
 金春屋敷[※19]めえ(前)の北紺屋町[※20]に店ァ張る三河屋[※21]で中元の差配を済ませ、さてご帰還と汗ェ拭き\/戻って竹川町[※22]ハ銀座の大通り。とらや菓寮[※23]のめえ通りかゝると、ひょいと目にへえった緑濃き氷水。宇治の抹茶の色と氷の冷たさに、これで喉ゥ湿らせりァ噴いた汗も引ッ込むンぢァねへかと、またぞろふら\/と吸い込まれちまったッてえ甲斐性なし。誂えた氷水が目のめえに出されたときァ、まずその形の美しさに目ェ奪われたネ。こんなもんでも違いやすねェ。さて\/と汗に追われてひと匙ミ匙、その冷たさにこめかみがキ(引)ン[※24]と痛む情けなさ。やっぱり歳だねェ。だがさすがはとらや、発明[※25]だヨ。添えて出された湯呑みにァ熱い茶の趣向。冷えた口中温めて、また氷に取りかゝれとのご配慮、いたみいりやすッてェ寸法サ。上にかゝった宇治茶のほろ苦さ、中に積まれた泡雪氷の清々しさ、下に滲みた甘さひかえた蜜の加減。ぜんてえ(全体)がいゝ塩梅(あんべえ)ヨ。氷水と言やァ子ども相手の駄菓子屋で馴染みの代もん(代物)だが、さすがだゼとらやさん、伊達にのうれんかゝげてねえなァ。こいつァ上品(じょうぼん[※26])。かき氷のピン[※27]でやすゼ。
  茶楽の緑茶、盆栽屋の緑、最後の〆がとらやの宇治氷水。けふは緑で、ヘイまとまりやした。上々大吉、おめっとうさんで、あばよット。

【附(つけた)り】
[※1]風船。閉塞した血管を広げる医療器具。バルーンとも。
[※2]小石川。小石川養生所の略。医師と言うところを洒落た。将軍吉宗が町医者小川笙船の提案により、享保七(1722)年に小石川植物園内に病貧者救済のために設けた無料の治療院。
[※3]時分どき。食事時、の意。ここでは昼食を表す。
[※4]銀座町七丁目。江戸時代の地名表示(文化八[1811]年大江戸絵図・江戸日本橋南一町目須原屋茂兵儀版による)。現銀座七丁目。
[※5]定火消屋敷。明暦の大火の翌年、万治元年(1658)に三千石から五千石の四名の旗本家に置かれた火消組織。大名家の大名火消とは別。ここでは消防庁の消防署を洒落て言った。
[※6]茶楽。GINZA茶楽  http://www.moegi.co.jp/charaku/index.html
[※7]登楼(あが)る。この店は二階なので、遊廓へ上がるに洒落、この語を使った。
[※8]お店(たな)もん。番頭、手代など。勤め人、サラリーマンの意を洒落た。
[※9]笠森お仙。明和期の江戸谷中笠森稲荷の茶屋の看板娘。美貌で有名。鈴木春信の錦絵に描かれ、江戸中の人気を得る。明和(1764~1771)。明和五(1768)年、江戸森田座で笹守お仙の狂言大当たりする。
[※10]初蛍。はつほたる。煎茶銘、産地伊勢。若い新芽から作ったお茶で、深い旨みと渋みが調和した味わいが特徴。前掲[※6]のGINZA茶楽文月の茶、ひとくち菓子と番茶が付き680円。
[※11]金々(きんきん)。金持ち、金持ちぶる、などの意。恋川春町戯作「金々先生栄華夢」(安永四[1775]年大伝馬町三丁目鱗形屋孫兵衛版)が有名。
[※12]黒文字。黒文字の楊枝の略。黒文字の木を皮つきのまま楊枝にする。清々しい香りが特徴。ここでは菓子用の大形の楊枝。
[※13]盆栽や。江戸時代、八百や、呉服や、など屋を平仮名で書く例が多かった。
[※14]ご府外。江戸幕府域外の意。町奉行の管轄範囲。
[※15]九尺二間。江戸の長屋の標準的広さ。六畳間の広さ。入口の土間も含むので、実質は四畳半の板敷き。畳は間借り人自身で買って敷いた。
[※16]花どころか実のなる木ひとつなきぞ哀しき。落語の太田道灌に因む和歌で名高い「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ哀しき」に掛けた。
[※17]畏れ入谷。江戸の地口「畏れ入谷の鬼子母神」。入谷の鬼子母神とは、同神を祀る真源寺(しんげんじ)のこと。東京都台東区下谷一丁目の法華宗本門流の寺院。
[※18]高直(こうじき)。高値、の意。江戸語の表記。
[※19]金春屋敷。能の一流派、金春流の屋敷があった。京橋南築地鐵炮洲繪圖(文久元年改正再刻・蔓延改正)による。現銀座八丁目。金春通りの名を残している。
[※20]北紺屋町。江戸時代の町名。現銀座八丁目金春通りの南側の区画。京橋南築地鐵炮洲繪圖(文久元年改正再刻・蔓延改正)による。
[※21]三河屋。銀座三河屋 http://www.ginza-mikawaya.jp/index1.html
[※22]竹川町。江戸時代の町名。現銀座7丁目の一部、銀座通りの北側区画。
[※23]とらや菓寮。虎屋菓寮銀座店  http://www.toraya-group.co.jp/shops/sho04.html
[※24]キ(引)ン。キーン。江戸時代、長音記号「ー」はなく、「引」の文字でそれを表した。
[※25]発明。利口、頭がいい、の意。江戸語。
[※26]上品(じょうぼん)。仏教用語。上品、中品、下品と使い分けられた。
[※27]ピン。骰子の一の目。一番、最上級、などの意に用いられる。ピンから切りまで。切りは末、最低。

2008年7月 5日 (土)

浮世万事啌物語(このよはゞんじうそばかり)

 場末からモひとつ外へ転がり出た青山くんだり[※1]に用があったンで、ふた月ほどめえから気持の隅ッこに引ッかゝったまンまのもんにけじめェつけに骨董屋へ足ィのばしやした。売れて失くなってりァそれまでのこと。思いッ切りもつこうッてもん。万が一にも棚に残っていりァ、分別つけなくちァいけねへことだから、も一度よく見てどっちにするか腹ァ括る覚悟で行ったッてェわけだ。山暮らしィ畳んで生れ古里のお江戸に戻って来るにあたッちァ、家財も本も捨てられるだけ捨て、身軽になっての帰還。いまさら残りの齢(よわい)かずえ(数え)たって始まらねへ老いぼれ。所詮あの世にァ空手で行くッきァねへンだから、物ハもう買はねへ心積もりなんだが、そこがそれ、つい魔が射してッてことがありやしょう。人間迷いの生きもんだからねェ。
  そんときも用あっての青山行きだったンだが、約束の刻限にァだいぶ間があって、時潰しに通りがかりの骨董屋覗いたンが運のつき。叺(かます[※2])に唐金(からがね[※3])の金具。丸いその金具を円窓(まるまど[※4])に見立て、吹きッ降りの大川[※5]ン中ァ手前に蓑笠の筏乗りが棹で筏を操ってゐて、遠く向岸にァひょろ松が三四(サンシ)本ッて趣向の錺(かざり)職人[※6]の仕事ッ振りが妙に気にいっちまってネ。叺の金具ッて言やァいまゝで見たのは、唐獅子だの瓢箪だの御所車だのッてもんで、その形になってるのが並ヨ。この金具のよふに円窓から見た一幅の絵に仕立てゝあるもんにァ初めてデッ喰わしたッてわけだ。そいつがこゝンとこずっとあっしの瞼から離れねへ。これはあっしのわりい(悪い)癖ヨ。物は買わないと胆(はら)ァくゝったのに、その癖がまた頭ァもたげてきちまったッて意気地のねへ咄サ。
 何遍も大病で死に損なったあっしァ女に負けるくれえの痩せぢゞいだから、使ってる烟管は女持(めもち)の華奢仕立て。引ッかゝった多葉粉入ァ似合いの女持ヨ。烟管筒[※7]は黒い胴全体に釘彫のやふな溝で波形の縞模様になってゐるンだが、その材が乾漆[※8]なんだか。見世のお上は、明治のもんでしょうト言ふ。そう言われると、セル[※9]のやうな気がしねへでもねえ。外底に渦のようなものがあるから、こりァセルの鋳込みぢァねへかなんて言ってたら、お上が網代の烟管筒を持ち出してきて、そいつと替えましょうかト。当てがってみると、叺との相性もいゝ。そうなると今度は、中にへえってゐる蜻蛉玉(とんぼだま)が目立ってしょうがねへ。赤だの緑だのゝ線がへえった玉でペルシャ風だ。そんぢァそいつも替えようッてことになって、翡翠風の蜻蛉玉を探しだして入れ換えてくれやした。うん、これですっきりまとまったゼってことで、なんのこたァねへ買うことに落ちついちまったッてえ咄ヨ。元々くっついてる札にァ掛直(かけね)があるのかないのか知らねえが高直(かうぢき[※10])の数(かず)が並んでおりやしたが、網代の烟管筒の方にァもっと高直の札が付いてた。どうなるかなッて思ったら、とん\/ト落ちて安い方の六掛けほどになっちまった。
 包んでもらってけえろふ(帰ろう)とすると、鳥渡(ちょいと)お待ちなさいなト近くの水茶屋で菓子と茶をご馳走してくれやして、咄ィ聞かされやしたのヨ。「もうだいぶ前のことだけどね、出張で香港へ行ったとき買って来たンだッて商社の人が、根付を十ヶ持ち込んで来てネ。まとめて参萬五千円で買っておくれッて。あたしァ根付ハ専門ぢァないから仲間に見せたら、こりァ九ツ贋物(まがいもん)、ほんもんは一ツだけですッて。日本の根付の写真見て、駱駝の骨で彫るンですッてね。古色ゥ着けると象牙みたいになるンだそうヨ。香港行きァこんなもん一ツ二千円くらいでいくらでも売ってるヨですッてサ。あっちの人は手先ィ器用ですもんねえ。銘も日本風に光一なんて入れたりしてネ。
 こりァあっしの腰にぶら下がってる根付の咄ぢァありやせんかい。あっしそっくりのぢゞいが本多[※11]に結って杖突いて、片手に数珠下げていま寺参りの帰りでございますッて善人ぶってる根付ヨ。相方(てき)は骨董屋の婆さんだゼ。ぼんやり客を眺めてるはずァねへし、なんのご利益もねへ咄でゞえじな時と茶代を捨てるやふな莫迦ぢァねへ。すばしっこく、あっしの帯にへばりついてる根付ぢゞいを目に留めて、このぢゞい一丁からかってやろふッて思し召しで、茶代代りのご高説。お客さん、余所の見世で引ッかゝちァいけませんよッてのご深切。あっしも鈍いから、アハハッて笑ってご馳(ち)になりやしたッて水茶屋出て、二三歩あるいてやっと咄の筋が読めたッてえお粗末サ。

【附(つけた)り】
[※1]青山くんだり。幕末でも青山は江戸府内の外。麻布も場末と呼ばれ小馬鹿にされた。青山はその麻布より外側になる。
[※2]叺。煙草の葉を入れる蝦蟇口状のもの。たいがい烟管入れと対になっていて、帯に差した。
[※3]唐金。中国から伝わった合金。銅、錫に、鉛、鉄、ニッケルを加えて造る。純銅よりも渋い色合いがある。
[※4]円窓。唐様の窓で、幕末から下級武士や文人の間で流行った中国趣味の一つ。この文人趣味は明治に引き継がれて行った。
[※5]大川。隅田川の古称の一つ。浅草川、宮古川とも、所によりそれぞれの名で呼ばれた。
[※6]錺職人。簪(かんざし)、煙管、こうした金具などを造る職人。
[※7]烟管筒。煙管を入れる携帯用の筒。
[※8]乾漆。麻布や和紙を芯にし漆を塗り固める手法。仏像にこの製法のものがある。
[※9]セル。セルロイドの略。
[※10]高直。高値、のこと。
[※11]本多(ほんた)。本多髷のこと。本田とも。宝暦より起きた男子の髪形。種類甚だ多く、兄様本多、蔵前本多、五分下げ本多、丸曲本多、疫病本多、金魚本多、浪速(おおさか)本多、団七本多など。侠客など好まれた疫病本多を例にとれば、月代を小判形に小鬢を耳の辺りまで剃り、髷は杉箸ほどに細く真っ直ぐ、うねりなく直角に曲げる。

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