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2008年5月20日 (火)

三社祭池之端黒門亭(うわうさわうほっつきあるき)

 けふ十四日(天保暦四月[西洋暦5月18日])のお目当ては神輿に文左サ。だがほんに芯から疲れたゼ。まず行きがよくなかった。乗合で赤ン坊抱いたわけえ(若い)母親に席ィ譲ったら、そのまんま終点まで立ちンぼヨ。腰痛持ちの杖突きがいゝかっこ(格好)するもんぢァねへネ。そいつが跡々(後々)祟ッちまってサ。そンひ(日)ァ三社祭の仕舞日。観音さまへの義理ィあるから神輿の一つも拝みに行かなきャてんで繰り出したンだが、乗合は手前の浅六[※1]でおしめえサ。そっから歩いて浅草寺。賽銭投げて手ェ合わせ、本堂の上から見下ろしたら丁度いゝあんべえ(按配) に仲見世を何基もの神輿が練って来るところヨ。こいつァありがたえ。上から拝ませてもらっておいて、急いで弁天山へお参り。こゝもそゝくさと済まさせてもらいやした。あっしァ盛り場ァ好きだが、人込みハ勘弁の口サ。で、昼は池之端で藪へと逃げやした。広小路から小路ィへえると(入ると)、蓮玉庵[※2]。オウ天保の比(頃)ッから羽振りィきたせたこの見世もあったネッてんでのうれん(暖簾)をくゞる。こゝでゞッくわしたンが小海老と玉葱のかき揚げ。これをもりで誂える。こいつがけふの大当りヨ。銀座木村屋の餡ぱんちいとばかし大きくしたようなかき揚げ、小鉢に入れて持ってきて「こゝに汁(つゆ)かけてお食べくださいッてわけだ。ぷんと胡麻油のいゝ香りサ。車海老の天麩羅と違ってかき揚げァ食いちぎンなくていゝのがうれしいネ。つけ汁ン中でかき揚げ崩しながら食べ、そこに蕎麦を鳥渡(ちょいと)浸けてズズッとすゝる。もりも丸い蒸籠の上にぱらぱらヨ。山に盛ってあるトうんざりいたやすもんネ。あっしにァこの控え目が丁度いゝ。軽く腹ァつくって、これでお代は野口先生ひとッ方。価もありがた山でござんすゼ。
 腹ァできたが、文左ハまだはえへ(早い)。木戸が開くのは八ツッ過ぎ比。時ィつぶしにぶら\/歩き。それにしても、この小路ァきたねへ。幕末にァけころ[※3]で知られた処(とこ)、いまでもその名残か暮六ツともなりァぎゅう(伎夫[※4])が袖引く場だから、ゆんべのらんちき騒ぎの跡、塵紙紙屑点々ッてお粗末サ。薬の守田宝丹[※5]めえ通って、帯紐の道明[※6]、その先にお目当てだった上野の藪[※7]。所在はねへし、腰はいてえ(痛い)しッてんで、下町風俗資料館へでも行って、長屋でくつろぐかト思案して不忍通り。右へ曲がりァ櫛で名高い十三やァ[※8]けふは生憎の休みだが伊豆栄[※9]で蒲焼のタレの香りたゞ聞きし、通り渡って不忍池。こゝにァ江戸の昔ァ池から流れだす忍川。三枚橋が並んで架かっておりやしたそうだが、いまァ橋ィどころか川の姿も拝めねへ。池ッぱたの漆喰壁風の資料館[※10]、ずいとへえりァけふはなんとかの日なんで木戸銭ァいりやせんと大盤振る舞い。こいつァありがた山。なにはともあれ取ッ付きの床几で腰ィ休めるンだが、どうも痛くて落ち着かねへ。建て込みの鼻緒問屋の帳場めえに腰かけ、次にァ長屋の駄菓子屋の上がり框(かまち)で一休み。隣の銅壺屋(どうこや)の縁先でもまた一休み。けふはどこに行っても落ち着かねへ。しょうがねへから又外へ出て、広小路ィぶらついて、目ッけた水茶屋でところてん。そこにも長居はできかねて、通り渡って伊太利水茶屋。特急珈琲(エスプレッソ)なんと百と七拾円の大安売り。なんとか時ィつくろって、路次ィへえって黒門亭[※11]。「すいませんねェ、前が押してましてトもぎりの姐さん。「すまねえが腰がいてえト駄々こねて椅子ゥ巻き上げ、番太[※12]よろしく路次の番。
 やがてお待たせッてんで木戸が開き、席へゝえりァ畳敷き。うれしいぢァござんせんかい。入込みにァなってやすが、聞きァ四拾人でいっぺえだそうで。こいつァまるで、江戸の比の寄席だゼ。高座ァまずご挨拶代りに前座が一人、次が柳家初花(しょっぱな)が大工調べ、三人目があっしのお目当て橘家文左衛門、イヨッ待ってましたッてネ。先月のぶくろ(池袋)の演芸場で初めて聞いて、腹ァ抱えて笑わせてもらひ、はらわた(腸)の芯まで血の巡りがよくなったッてンで、けふハその追ッかけヨ。お人好しの泥棒の咄ダ。それにしても文左の咄ッぷりハ間合いがいゝ。わざとらしくねへ芸がいゝぢァありやせんかい。性根がとぼけてゐるンだろうねえ。とぼけて見せてるンぢァねへのが見てゝ聞いてゝ厭味がなくて気持がいゝヤ。跡(後)は鈴々舎馬生。トリは代演で古今亭志ん彌、演目は愛宕山ッてのかね。あっしァ初めて聞く咄でやしたヨ。このお人の声にァ志ん朝を思ひ出させる艶がありやしたネ。咄ッぷりもどことなく似ておりやすし、アヽ志ん朝も聞きてえなァと思ひやしたのヨ。太鼓に送られて外ィ出りァ空はまだ明るい。いゝ風に吹かれての夕でやしたゼ。

附(つけた)り
[※1]浅六。浅草六丁目停留所の略。
[※2]蓮玉庵。創業1860(安政6)年の老舗蕎麦屋。http://gourmet.yahoo.co.jp/0000744823/M0013004792/
[※3]けころ。最下層の淫売。ちょんの間、二百文。五十文のもいたと言う。上野山下(現上野駅前広場)から黒門町にかけて多くいた。ほとんどが素人で今に言う主婦。着飾らず普通の形(なり)だった。蹴転がしの略。
[※4]ぎゅう(伎夫)。吉原で呼込みをする若衆。その呼び名をここに当てた。
[※5]守田宝丹。延宝8(1680)年創業の漢方薬店。株式会社守田治兵衛商店。http://www10.plala.or.jp/hotan/
[※6]道明。帯紐屋。元糸屋。http://foohome.com/kimono/doumyou.html
[※7]上野の藪。上野藪蕎麦。http://www.katsuobushi.co.jp/soba/tenpo/tt/tt002/tt002.htm
[※8]十三や。つげ櫛の製造販売で知られる。元文元年(1736)創業の260年の歴史がある。櫛の音が苦(九)と死(四)なのを嫌い、足して十三とした屋号は有名。http://www.aurora.dti.ne.jp/¯ssaton/syouten/doumyou.html
[※9]伊豆栄。鰻割烹。http://r.gnavi.co.jp/g063800/
[※10]資料館。台東区立下町風俗資料館。http://www.taitocity.net/taito/shitamachi/
[※11]黒門亭。落語協会の寄席。http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Map.aspx?ID=6
[※12]番太。街角の番小屋の番人。通称、番太郎、番太と呼ばれた。多くは老人。町の雇い人。駄菓子や焼き芋を売って生計の足しにしていた。

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コメント

一日十分に遊ばれて、全て堪能なさったご様子ですが、
その後、お腰の具合はいかがでしょうか?

橘家文左衛門、という噺家さん初めて見る名前です。
お若い方なのかしら?

それにしても喜三二さまは本当にお蕎麦がお好きなんですね。
私はいつも間のわるい時分に蓮玉庵の前を通って、
振られっぱなしです。
それに、おっしゃる通りあそこの通り、女一人で通るには
あまり気持ちのいいところじゃございませんわね。

かき揚げ、私も大好きです!wine ほろりと崩れて食べやすいし、なんだかお宝の球をいただくようで楽しみですね(大〇屋さんの大きなエビ、食いちぎるにはあまりにも色気がない、酷く苦戦して二度と行けまませぬ)。

それにしてもエスプレッソが特急珈琲、とは面白や、百と七十ってのもいいですにゃあ。

一緒に街歩きしているみたいで、いつも味わい深いお文です。 角を曲がったどこかで、ふっと会いたい喜三二さま。でもゆめゆめ、おん身第一に、「いい恰好」はもう御無用に。paper

moon3おあやのお内儀さま江

 どうも罰ィ当りでしてネ。米の飯ぁひとっ粒も喰わなくたって平気なんだが,昼の蕎麦ァ抜くとどもいけねへ。腹の治まりがわりくてなんねェのさ。
 文左衛門ハ四十半ばかなあ、いま油ののってる噺家だゼ。どっかでとんかめえて聞いてみてくんねえ。いゝ噺家になると思ひやすゼ。当たるも八卦あたらぬも八卦だがネ。

 喜ンの字
 

moon3ミーシャ姐さん江

 かき揚げ、よござんすよねェ。蕎麦屋の天麩羅はかき揚げが最初だってこと聞いたような気ィいたしやすからネ。掻き揚げを蕎麦の蕎麦のつけ汁に浸して喰ふってのも、誰が最初んですかねぇ。

 喜ンの字

なんや、喜三二はんと浅草から上野までぶらぶらしている心持ちで読ませてもらいましたわあ。おおきにありがとうございます〜。

いつも池之端ばっかしで、なかなか蓮玉庵へ立ち寄れないんですが、そのかき揚げ、ものすごぉ食べたなりましたやん。あかんー。

あの通りの湯島側の裏手、もっと猥雑な小路のあたりに、エストゆう、ええバーがおますねん。喜三二はんにぴったりなお店やと思いますわ。あたしは、東京いちジントニックがおいしいお店やとおもてます。

moon3Hiroko姐さん江

 ぶらぶら歩きも腰がいてえなんてんぢァ艶消しでさァ。
 蓮玉庵のかき揚げはおすゝめだヨ。あれで小柱がへえっていたら御の字なんだがねェ。マ贅沢ァ言へねえやネ。

 エストねェ。覚えておきやしょう。ありがと。
 あっしァ諸事あってあんまり呑めねえしネ。ジントニックいっぺえで、あばよッてのも愛想のねえ呑み方になりやしょうしねェ。

 喜ンの字

蓮玉庵は話に聞くばかりで・・・あ〜おいしそう。木村屋のあんぱん思い浮かべて、さらにそのかき揚げ蕎麦が食べたくなりました。
ずいぶんお歩きになりましたね。読んでいて、どこも喜三二さんには掌なんだなーと思いました。こんど後ろからついて参りますぅ。

moon3風知草の姐さん江

 歩いたご褒美が腰痛ヨ。咄になんねへネ。
 でもなんだぜ。蓮玉庵の、あのかき揚げ、また食べたくなりやした。跡(後)引くねえ。やっぱり伊達に老舗ぢャねえや。

 喜ンの字

おや、資料館で長居できませんでしたかえ?
あすこぁたいてい暇なとこなんですが(笑)

下町のみんなが寄付してくれた、ほんとの小間物が簞笥にぎっしりはいってたり、小粋な柄の洗濯モンだのが干してあるのがいいねえ。足用のぞうきん(ッても元はこじゃれた手ぬぐいよ)きちんと固絞りされて縁側においてあるなんざ、見上げた心意気だ。

たいていの博物館じゃあ、展示はしてもどんな使い方ををしてたとかまではよくわからねえもんだ。
そこいくと、資料館の出来はわるくねえ。

いっそもっと広くして、ついでに当時の暮らしぶりの人間まで雇っちゃあどうかねえ。亜米利加さんなんざ、昔のままの暮らし方の村を、家族郎党付きで公開して結構儲かってるそうだ。

日本でだって、ただでも時代ごっこがやりてえってな奇特な奴も多いんじゃないかねえ、今時は。


moon3ねこじゃねえやいのお玉姐さん江

 そうぢァねへのヨ。腰が痛くってゆっくり座ってもいらねへ始末サ。ほんとなら長屋の畳にごろりと横になり、一休ッて算段で行ったンだが、ひっきりなしにどぶ板踏んで覗きにきゃがる。しょうがねへンですぐに出ちまったのサ。
 あすこのいゝのは、姐さんの言ふ通りだゼ。その上、客にお節介やかねへのもいゝネ。深川のハひっそり江戸の風情にひたってゐてへと思ふト係のおっさんたちが仕事熱心で、説明ぶってくれるンで聞かねへわけにもいかずヨ。
 ほんにあんな長屋の一部屋に、あっしみてえなぢゞいがぽつねんと暮らしてたら絵にならァな。いまのしょぼくれた宿ォ引き払って、風俗資料館にもぐり込むかな。

 喜ンの字

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