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2008年4月20日 (日)

築地奉行所呼出(ありがたや\/)

 あっしァ体の方に鳥渡(ちょいと)訳ありでして、そいつァ難儀なことだろふッてお奉行の石原さまが、東京都無料乗車券ッてのを下すってゐる。ところかドジしちまって、どっかへおッことしてきちまったらしいのヨ。首だ肩だ腰だの捻挫した足首だの、それこそ躰の節々にガタがきてンで、こゝんとこ蝶つげえの入れ直しに青山の整体所へ通ってンだが、そこで着物を脱ぐもンでそんとき落したンぢァねへかと、探してもらったがありァしねへ。そこのお方も深切なお人で、仕事中なのにわざ\/近くの駅にまで行って訊いておくンなすったが、出てこねへ。せっかくのお計らいでくだすったもんをおッことすなんて、申し訳のたゝねへ間抜けしたもんだし、周りの方々にまでお世話をかけちまって、あっしァ自分の盆暗加減にすっかり厭になっちまッておりやしたら、町飛脚が葉書いちめえ持って飛んで来てくだすッたのヨ。なんと定町廻り同心の築地署からサ。おめえの券が届いてゐるから取りに来いッてわけだ。
 ありがてえぢァねへかい。わざ\/察へ届けてくれなすった深切なお方がゐたッてことヨ。お江戸の人たちァまだ\/捨てたもんぢァござんせんねェ。思わず葉書ィ押しいたゞいちまったゼ。礼を言ひやすゼ、世間さま。それとお役目とハ言ひながらわざ\/こうしてあっしンとこまで、葉書を書いて知らせてくだすった遺失物係のお役人さまにも感謝ヨ。角樽まぢァ財布がまわらねへが、酒の一升も持って行きてへが、受けとんねへだらふねェ。めえに救急車で命拾いさせてもらった火消しの組ィ菓子箱持って礼に行ったが、なんとか受け取っちァもらったが、場違いな雰囲気があったからねへ。あゝしたとこにァ礼の物ォ持っていっちァいけねへようだゼ、棒組[※]、覚えておきナ。

附(つけた)り
[※]棒組。駕篭舁(かごかき)の相棒のこと。転じてこの場合は、読者を指している。

2008年4月18日 (金)

旅武士見参(あさぎうらけんざん)

 比(ころ)は弥生三月十二ン日(西暦4月17日)。ぐるりまわるハ山手線(やまのてせん)、雨にも負けずひょいと飛び乗り一駅目。乗合の立て込む客の間から、向ひッかわの席の足元がちらりと見えて、思はずこらす目ン玉ヨ。どっからどう見ても、こいつァまがうことなし、明治大正昭和飛び越え平成の、西洋亜米利加かぶれもきわまったこのご時世に、銀幕茶(ぶらうん)管か液晶か、そんな作りもんの絵の中で、たまに目する旅の馬乗り袴。茶の太縞、裾のぐるりを黒八[※1]で、塵除めぐらすハ仕立ての定法。その足元ハ紺足袋で決めて雪駄履き。手にした唐傘で推し計りァ、雨は合点(がってん)承知の介のお出ましヨ。その雨ン中、大切雪駄で伸(の)してゆく。しみったれにァできねへ相談、豪気もん。跡(後)でかん\/照りにでもならふもんなら、雪駄の土用干し[※2]。その名の通りに政治家か金貸か、そっくりけえってなんの役にも立たねえ代もんになりさがっちまいやしょう。そいでも雨中(うちゅう)ものともせずに履いて伸す、見上げた根性(こんじょ)のお方さま。ほんとなら草鞋(わらじ)で決めてえ旅姿。江戸の昔なら履き捨ての、そんな草鞋ァいまぢァ金や太鼓で探せども、貴重品の大貴重。越後屋三越探せども、幕府隠密密偵の化け衣装処ご指定の大丸呉服店か峠の茶屋か、ぞろ\/と下がって来る見世ェ[※3]さがしてもいまどき手にゐるしろもんでなし。仕方ねヘト泪ァのんでの雪駄の踏み出しとお見受けいたしやす。目と目が合えば、あっしァ着流し、黒羽織、足元ァ褄皮付けた黒漆真塗りの足駄履き。ともにそろった変りもん。こいつァ知らん顔の半兵衛はできねが道理。目顔で挨拶と狙い定めて、邪魔な客の切れ間ァ待っておりやすトやがて着いたる甲駅[※4]で、どっと降りた車内はいったんがら空(す)き。どんな旦那か、楽しみにしかと見据えたそのご尊顔。黒々とした乱れ髪、鼻下に蓄えし髭少し伸び、寝起きのご機嫌悪し漱石先生かくやのごとし。きッと睨まれ、笑顔の目配せどころぢャなし。町人風情のこちとらハご無礼ご容赦と目ェ伏せながら、しかと見届けし袴の男。上着ハ茶の羽織。よもやぶッ裂ト思ひきや、後姿はまさに図星のぶッ裂き羽織。腰に大小なけれども、まがうことなき浅葱(あさぎ[※5])侍旅姿。手にする唐傘、逆手に持ち、肩で風切り甲駅の、ぞめきの中に消えにけり。

附(つけた)り
[※1]黒八。黒八丈のこと。丈夫なので、袖口や衿などに用いられた。幕末の通人の間で羽織も長着も黒が粋とし流行り、黒八の羽織などが着られ、この好みは明治にまで続いた。
[※2]雪駄の土用干し。濡れた雪駄を炎天下で干すと反ってしまうところから、偉そうにそっくり返って人間をこう呼んで茶化した。
[※3]ぞろ\/と下がって来る見世。落語「ぞろぞろ」より。
[※4]甲駅。新宿は甲州街道第一番目の宿場であるところから、こう称した。
[※5]浅葱(あさぎ)。浅葱裏。田舎武士の多くが袷の裏に安価な浅葱色の木綿を用いていたところから、勤番で江戸へ来た田舎武士を嘲って呼んだ。

2008年4月15日 (火)

江戸子笑顔触合(まちッこえがおのふれあひ)

 その名もうれしい大江戸線。ぼんやり乗ってるあっしの横ィ、塩七分に胡麻三分のぢいさんがひっよいと腰掛け、耳打ちするよに言ふのヨ。「エッなんですかい。「五秒ごとにズズズッと鼻ァすすり上げ、一分ごとにハクションよ。その癖着てるもんたら薄物サ。あっちの赤染メ天窓(あたま)の莫迦タレよ。うつされちァたまんねへンでこっちィ逃げてきたト言ってにやり。「そいつァ災難でやしたねェ、いまァ人の迷惑考えねへ盆暗(ぼんくら)ァ多ござんすからトあっしもご挨拶。またゝく間に駅が来て「詰まらんことォ咄しィ悪かったねェとまた微笑んですたこらさッさと降りてッた。ヲッとこのぢいさん、町ッ子だねェ。見ず知らずの他人のあっしに気軽に咄かけれたとこ見りァ、町ッて娑婆(しゃば)に馴れてる証。これができて初めて町ッ子ッて言えるのヨ。
 並木の藪で相席になったぢゞいの二人連れ。帰りがけに片割れが、「騒がしくて、あいすいやせん。詩作のお邪魔で。鳥渡(ちょいと)お話したかったンですがトにこやかに先客のあっしにご挨拶サ。詩作たァ買いかぶり。あっしァたゞ買いもんの覚書。このお人ァ町住まいの作法をわきまえたお方ぢァござんせいかい。この気遣いが江戸ッ子町ッ子ッてもんヨ。こういうお方に出会えるから、いまのお江戸も捨てたもんぢァねへ。戻って来て実正(ほんと)によかったゼ。心持ちがいゝやァ。
 電車ン中で化粧する小娘がちょい\/おりやしてねェ。目に余らァ。あっしァ腹ァ据えかて、人の町ィなんだと思ってやがる。この町ァ江戸東京ッ子のもんなんだ。てめえら余所もんが勝手な真似するンぢァねへ。売女(ばいた)夜鷹だってそんな真似ァしなかったゼ。他人ハぼッ杭とおんなじ、知った人がゐないきァなにィやったッてかまわねへッて了簡(れうけん)なんだろ。その根性が許せねへ。こゝはなァ、あっしら江戸ッ子の町なんだ。江戸東京ッて、参百年の余ゥかけて磨き上げてきたんだ。てめえみてえなあんにゃもんにゃにこの町ィ穢されてたまるか。どこの山ン中で涌いたか知らねへが、とっとけえりやがれト天窓ごなしに言ッちァなんだから、「コウ姐さん、電車ン中で化粧すンの止めな、女ァ廃(すた)るゼ。親がしつけェしなっかた因果が子に報い、こんな娘になりやしたッて哀れヨ。恨むンなら小言々ったぢゞいのあっしァぢャなくて、親ァ恨みな。赤の他人さまに気ィ遣う町の仕来り。そいつが身につくまぢァ三代江戸東京に生れ育つくれえかゝるのヨ。覚えておきァがれッて、ネ。

2008年4月13日 (日)

陽春出会華御七(さかりのはるであいのはなのおしッつあん)

 ほんにことしのあっしァどうなってンのかねェ。また\/ひょっこり出会で七人目ヨ。花魁道中があるッてんで、浅草へ出端(でば)ッてきやして、軽く腹ァつくって伝法通り。ぱッと咲いたか八重桜、婀娜(あだ)な着物姿の年増が前を行くぢァござんせいかい。「おやァ、船遊山でご一緒したま文字の姐さんぢァありやせんかい。どちらへッて声をおかけいたしやしたら、やっぱり道中見物。浅草寺の裏でやしたよねェト処ォ確かめやすと、懐から絵図ゥお出しになって「浅草八丁目から千束への通りでございましょうッてのご返事。そこはどうやら昔の日本堤。こりァいけねへ、こっちァ足弱。とてもそこまで伸ばせやせん。ものゝ一丁も行かねへ弁天さまのめえ、そいぢァあっしァお参りいたしやすんでト右と左の泣き別れ。贋銀いちめえチャリンと投げ入れ、ど天窓(あたま)ぺこりと下げて、あれやらこれやら一束(いっそく)ほどもお頼み申し、釣ァいらねへ取ッときなッて弁天さんを跡(後)にして、廻る参りハ観音さん。こゝでもお布施の銀一めえにァ盛りきれねへほどのお頼みし、汗ばむ陽気ン中、をとこ(男)着物のちどりやへ。半襦袢を買いに寄り、ついでに鮫小紋の長着ィ素見(ひやかし)、ふら\/たどる洋蜜柑通り、実正(ほんと)名ハおれんじ通り。なんてこの名がついたか知らねへが、江戸もんにァ鳥渡(ちょいと)馴染みにくい名ぢャござんせんかい。
 あっしも馬廉(ばか)の一ツ覚え。浅草で八ツ時分ッて言やァ並木の藪。畳ィ上がって、いつもの伝でぬる燗を一本。蕎麦の実の練味噌で盃傾け、樽酒の香りィ楽しむ。トそこへあっしとおっつかっつの爺さん二人連れ、「お邪魔いたしやすヨのご挨拶での相席。こうした気楽な挨拶をできる人が江戸の町ッ子ヨ。これが身につくまぢァ三代かゝると江戸ぢァ言ひやしたねェ。江戸で三代生れ育たなければ江戸ッ子にァなれねへッてのがそれでやしょう。見ず知らずの赤の他人さんが気軽に詞ァ交わす。これがお江戸のいゝとこヨ。知らん顔の半兵衛、ぶすッと仏頂面の不調法ハお江戸ぢァご法度サ。
 一本仕上げてざる一めえ、手繰ってふらりと外ィ出りァ、陽は早傾いて「さて、けえりァどの道たどろふか。

2008年4月11日 (金)

二会目正蔵煙咄(うらをかえすしやうぞうけむりばなし)

 午めえに大学の養生所[※1]行って利き腕の抜糸してもらい、夕方にァ腰の蝶番の入れ直し[※2]に青山まで伸すンだが、その間がぽっかり抜け落ちのあすび人(遊び人)ヨ。運のいゝことにけふはぶくろの席[※3]の上席最後の日。おとゝい正蔵の噺に目から鱗でやしたが、その正蔵があっしの都合のいゝ時刻に上がる[※4]ことになってゐる。こいつぁ裏をけえしに行くべえッてんで、寄ったッてわけサ。
  けふの正蔵は落し咄でやしたヨ。おもしれえ。ところが跡(後)で、どんな咄だったか、皆目思ひ出せねえ。ト言ってもおとッつあんの三平みてえな咄ぢァねへ。ちゃんと落し咄ィしてるのヨ。そいでゐて、まったく思ひだせねへのサ。まいど志ん生で申しわけねえが、名人の咄ッてのは、そふいうもんだッてンだ、確か志ん生がネ。その場で面白いッて笑って聴いてゐて、でどんな咄だったかッてえと思ひ出せねへ。煙みてへに中身ィ消えちまってる。それが上手ッてもんだそうだ。なるほど、これがそういふことかト合点がいきやしたゼ。
 これが実正(ほんと)かどうか、そいつァこの駄文読んでくだすってるおめえさんの耳で直に正蔵の咄ィ聴いてもらうッきャねへネ。それが一番ヨ。ぢャまたな、あばよ。

附(つけた)り
[※1]大学の養生所。大学病院を洒落て言った。
[※2]腰の蝶番の入れ直し。整体のこと。
[※3]ぶくろの席。池袋演芸場。http://www.ike-en.com
[※4]上がる。高座に上がる。

2008年4月 9日 (水)

正蔵贔屓噺(しゃうぞうぞっこんばなし)

 春の嵐と言やァ花の色や萌葱の新芽ェ思い浮かべやすが、こないだ弥生(三月)三日(陽暦4月8日)のァ猛り狂ったようでやしたねェ。桃の節句だから、女の日。確かに女ァ怒らすと恐えへからネ。マ初ッぱなで咄ィ横丁ばいりしちァいけねへが、その吹きッぷりの最中(さなか)に、ぶくろ[※]の寄席ェ鳥渡(ちょいと)覗きやしたのサ。
 そしたら、なんと昼の部の番組の真ン中へんで、正蔵が出てきやしてネ。そう、あの林家ですワ。トリは柳亭市馬だヨ。仲入りのめえでも跡(後)でもねへ。なんとなく真ン中くれへンとこサ。あのいつものへらへらッて自信なさだか照れ笑いだかァ浮かべて出てきやしてね。いゝ着物着てゐたねェ。噺家さん見ると、いつも思ふのヨ、あっしァ。着物がてえへんだろうなッてネ。一張羅の着たきり雀ッてェわけにもいくめえ。客商売だもんネ。正蔵が貧乏だって言ってンぢァねへゼ。二ツ目だとか前座だとかの咄ヨ。
 そんでもって、枕があって、すいッと本題にへえったンだが、あっしァじつ言やァ小馬廉(こばか)にしてたのヨ。正蔵の名跡継げるのかねえッてネ。歌舞伎の千両役者の向ふ張ってお練りしたのも気に喰わねへ。大名人ッて言われたあの志ん生だって、噺の中とは言え、噺家なんか歩くとこなくッてどぶン中這ってあるッてたなんて言ってやすもんネ。一歩も二歩も引いてンのヨ。芸人なんだからッて承知なすってゐるわけヨ。それがお練りする。罰ィ当たるぜトあっしァ思ったネ。空恐ろしいッてことヨ。
 高座に上がってテレビの楽屋裏のことなんか咄てたそうだってネ。そしたら席亭さんに、古典やんなせえッて言われたッてんだ。茶ァ濁してちァいけねへッてわけだ。
 そんな咄、洩れ聞きやすとね、なんかこの野郎ッて気になるッてわけヨ。その正蔵の噺ィ聴いてゝ、はッと気づいたンだ。高座の正蔵のその目に吸い込まれてンのよ、あっしァ。正蔵しか見えねへ。高座の両脇に格子がありやしょう。それも消えちまってンだ。高座の床もなくなってる。あっしから正蔵まで、何列もお客の天窓(あたま。頭)ァ並んでゐるはずなんだが、それも消えちまってる。正蔵とあっしゝかゐねえッて寸法だ。恐ろしいもの見たよふな気ィしたゼ。ありァ天性のもんだ。芸いくら磨いてもそこにァいけねへ。生れついてもってるもんだ。それが古典やることで内から出てきたんだ。あっしァいっぺんでころッと参ったゼ。もいっぺん、この噺家の噺ィ聴きてえッ思ったンは、初めてヨ。あっしァ凄いもんに出会ったンぢァねへかねェ。
 そいで思ふのヨ。古典やれッて言った席亭さんハ伊達のお人ぢァねへネ。見抜いていたンだねェ。あっしァいゝじでえにまた出会えたのかもしれねへ。うれしいねェ。餓鬼ン比(頃)に志ん生圓生聴いてゝそれを当りめえに思ってたが、逝っちまってからあゝいゝ時代だったンだと気づいたッて始末ヨ。いまゝたそいつゥ迎えようとしてンのかも知れねえ。

附(つけた)り
[※]ぶくろ。池袋のこと。

2008年4月 6日 (日)

並木藪縦目気遣(なみきやぶざるめのきづかひ)

 観音さまと弁天さまァお参りし、時分どき外したら、いそ\/と暖簾(のうれん)くゞるハ浅草並木の藪[※1]とあっしの相場ァ決まっておりやすが、そいでいつも感心しやすのが、その気遣ひのよさヨ。客あしらひとも言ひやしょうが、その詞にァ鳥渡(ちょいと)人をこなす気分があるンで好きぢァねへ。で、お客への心遣いッて言わせてもらひやすが、それがほんにかゆいとこに手が届くッて按配でなされてゐるンで心地がいゝのヨ。
 今出来の金々[※2]見世の取扱説明書(まにある)仕込みの取ってつけたよふな客あしらひたァ月と鼈(すッぽん)。釜場板場の職人さんからお運びの姐さんたちの一人々々にまで、各(おのおの)が長年身につけた心遣いなんでやしょう。あんまりさりげないンで、勘の鈍い客にァどこがいゝのか分からねへかもしれねへくれえサ。
 箸一膳とって見ても、そうヨ。添えてくれる箸の末が、なんでけっこう太いか。わき(訳)ァ蕎麦ッ喰いなら言わずもがな。ツツゥっと手繰り終わる比(頃)にざるの上に蕎麦が一二本残りやしょう。それをつまむにャ箸ィ立てるがご定法。それにァ箸の先がとんがッてちァつまめねへ。先を尖らせた箸は、魚の小骨を取るためのもん。蕎麦手繰る箸はとがっていたり丸みがあっちァならねへのヨ。なんでも利休箸が上等となんとかの一つ覚えしてるト江戸ッ子に笑われやすゼなんて憎まれ口きいてすまねへ。こいつァ謝っておくゼ。
 で、そのお仕舞えの一二本をとるときに、ざるの目ァどっち向いてるンがいゝか。そこに天窓(あたま)ァ使っていなさるのが、この見世ヨ。
 他の蕎麦屋へ行って見てみな。もりとか蒸籠(せえろ)ッて呼名ァ違っても出て来るのハ大抵蒸籠ヨ。横長の蒸籠なら、下に敷いた簾(すだれ)の向きァ横だわナ。丸い蒸籠だったら目は横かい縦かい。縦ェ向いてたらお慰みダ。そいつが正解ヨ。
 並木のざるァ丸くて上反りだが、その目はいつも版で押したやうに縦目で出される。上にァ一面てえら(平)に蕎麦ァ広げてあるから、ざるの目ァ見えねへ。そんでもお運びの姐さんたちァ間違えることなく、縦目に置いてくだする。こうでなくちァいけねへ。啌(うそ)だと思ったら、横目に置き換えて、最後の一二本をつまんでみねへナ。箸先にざるの目がかた\/当たってつまめるもんぢァねへゼ。
 ナ、これが心遣いッてもんヨ。それがうれしくッて、気分がいゝからあっしァ並木に通うのヨ。こんど、並木で出会おうゼィ。あばよ。

附(つけた)り
[※1]並木の藪。並木藪蕎麦。三大藪蕎麦(並木藪、上野藪、神田藪)の雄とも、東京を代表する蕎麦屋とも呼ばれている店。浅草寺雷門前。江戸時代並木町の町名だったとこから、屋号となった。http://donraku.moo.jp/wa/yabusoba.html
[※2]金々。成金など金持ちを自慢する輩を軽蔑して金々先生などと呼ばわった。黄表紙「金々先生栄花夢」恋川春町画作(安永四[1775]年)

春宵伍六賛(よひのはるごろくのさん)

 まだ鳥渡(ちょいと)風の冷てへ比(ころ。頃)のこと。こゝンとこぞっこんの酒ェ買いに銀座ァ八丁目の金春通まで伸(の)しやしてネ。けえって食べる[※1]ことォ思やァつい脂さがッちまって、瓶の重さも苦にならず、ドッコトドッコトはァ都々逸ァご順ださっさとおやりヨなんて鼻唄まじりの春気分。鳩居堂の見世先ィ香(こう)の香(か)たゞ聞きで通り抜け、御公儀辻番所[※2]のめへ、昔なら尾張さまのお屋敷のあった処にァ、いまァ西洋水茶屋[※3]が張ッてゐて、そいつが掛け茶屋みてえに軒の下に西洋床几ィ出し、通りがかりのお方々がちょっと一服ッてェ趣向にしておりやして。
 さて、そのまゝまッつぐ(真っ直ぐ)一丁目、それとも左ィ数寄屋川岸[※4]、織田ハ有楽さまの元のお屋敷の方[※5]ィ折れ、一本手前を弥左エ門町、新肴町、弓町の間ァ抜け、人影少ねへ脇道[※6]を歩むも春の夕にァ乙粋かト迷って立ち止まり、ふと目ェ脇ィやるト、おや見覚えの横顔。こいつァ驚き桃の木山椒の木。もしや船遊山[※7]肝煎(きもいり[※8])の、お内儀さまぢャありやせんかい。思ひ起こせば去年の夏のわずらい[※9]に、ぢァなかった夏のお遊びに、また二月(ふたつき)めへの師走[※10]の船遊山にも、音頭取ってくだすった恩義ある世話人さん。こいつァ知らん顔の半兵衛で通り抜けちァ義理がすたろふッてもの。ほんにかいトまい(まへ)ィ廻ってご尊顔。オヽこなたは紛うことなきお内儀さま。ともに見合わす顔と顔。これはお懐かしゅうございます。手に手を取ってよゝと泣き伏し、ッてえこたァねへが、互いにびっくりヨ。縁は不思議でござんすねェ。銀座で出会うも一度ならずもこいつァ二度目、手繰る縁の糸車。この世は狭いものと聞いちァゐたが銀座はもっと狭い盛り場の、そのまた臍の四五の辻[※11]。こゝで出会ったのも他生の縁、こちらのお連れァご一緒の、ミクシィ仲間のろ文字姐さんトお着物姿のお内儀風情のお方にお引き合せ。こいつァお初にお目にかゝりやす、あっしァ喜の字ッてえしがねえぢゞい、おんなじミクシィ仲とお聞きすりァ他人のような気がしねえ、どうぞよろしゅうお頼みいたしやしょう。てなことにあいなって、三人で囲む洋茶の席。しばしの歓談、暮れゆく空の服部和光に越後屋三越銀座の出店。
 秋にふるさと江戸へ舞い戻り、それから奇縁の花ひらき、思ひがけねへ人とのばったり出会、指ィ折ってかずえ(数え)りァこのお方々とで、五方六方目(いつかたむかため)。これからどんなご縁の道筋、花がひらくかいのちの旅。出たとこ勝負の一回限り。歩むいのちの行く末は、仕上げは隆々(りうりう[※12])御覧(ごろう)じろト胸がはれりァご喝采サ。

附(つけた)り
[※1]食べる。江戸の頃、酒は飲むと言わず、食べると表現することが多かった。
[※2]御公儀辻番所。かつて武家地に大名の負担で置かれたのが辻番所。町方は自身番。現在のは警察の交番なのでご公儀と洒落た。
[※3]西洋水茶屋。珈琲の喫茶店を洒落た。
[※4]数寄屋川岸。昭和の中頃までは運河があり数寄屋橋が掛かっていたが、現在は埋立られ高速道路が高架で通り、下に西銀座デパートなどが入っている。江戸時代、橋を渡ると数寄屋橋御門があり、南の町奉行所があった。北の町奉行所は呉服橋を渡った処にあった。
[※5]織田ハ有楽さまの元のお屋敷の方。江戸初期、織田有楽斉の屋敷があったと言われている。
[※6]脇道。この脇道は、現在は並木通りとなっている。
[※7]船遊山。江戸時代、船遊びをこう呼んだ。
[※8]肝煎(きもいり)。世話役。
[※9]去年の夏のわずらい。「去年の秋の患いにいっそ死んで終うたら(酒屋)」をもじった。
[※10]二月(ふたつき)めへの師走。天保暦(旧暦。太陰太陽暦)での計算。
[※11]四五の辻。銀座四丁目と五丁目の四つ辻、の意。
[※12]隆々(りうりう)。りゅうりゅう。見た目が立派なこと。滑稽本「四十八癖」三「黒縮緬の羽織でりうりうしてゐる」。

2008年4月 5日 (土)

銀座春大霰(ぎんぶらはるのおほあられ)

 一丁目に降り立って、そッから西へ二三四(ふゥみィよ)と四丁(よちょう)行き。渡る四ツ辻尾張町(をはりちやう[※1])。見上げる空ハ、寒の戻りのきのふとは、打って変わって春日和。比(ころ[※2])は如月(二月)廿五ンち(西洋暦4月1日)。お納戸色に灰色の、細縞お召しの長着の裾、ねぶって過ぎる風の心地よさ、黒の羽織ァ紬と言へど春の薄物。いゝ心地の銀ぶらでござんすゼ。
 竹川町[※3]の表通(おもてどほり)、天保八年から店(たな)を張る小間物袋物のくのや[※4]に立ち寄り品探し。義娘(よめ)の誕生日の祝にと、目ッけた品は黒と白、縁に金糸の織り込みのォ、ちょい粋な帯締ヨ。そいつゥ求めて、あばよト裏通。抜けて金春通[※5]をいつもの伝(でん)で、三河や([※6])へ。
 江戸元禄の酒[※7]一本、世話になったお方へのお礼にト送ッといてくんなとお頼みいたしやす。こいつァあっしのお気に入り。元禄じでえ(時代)の酒の仕込み方ァ造り酒屋の白雪の、小西家に残った伝来書ゥお手本に、今に造りし復刻の酒。わざ\/銀座ィのしたけふの用ハこれで終え、取ってけえすは竹川町ハご存じ蕎麦やのよし田。あいにくの時分どき[※8]。込んではゐるが見かけより奥深い見世ン中。隅ッこに一席見つけて腰ィ落ち着け、見れば品書にうれいし五文字が躍ってゐるぢァござんせんかい。あられそばヨ。
 浅草尾張屋ぢァ正月ッ比きァなかった限りもん。念のためとお運びの姐さんに「ありやすかいト尋ねれバ「あいよト打てば響くお応えヨ。こいつァ有難山(ありがたやま)。一丁こせえておくんな。
 わけあって汁もの断ちのあっしだが、霰に出会えた運のよさ。こゝで逃しァまた来春(らいはる)まで、一年生き延びなきャ喰えねへ代物。断ちを鳥渡(ちょいと)絶っての昼といたしやしょう。
  やがて待ちかねの霰蕎麦。それも大星[※9]ぞろい。こいつァ上々大吉。やっぱり今年の春ァ運がついて廻るゼ。かけそばの上に色紙に切った海苔を敷き、こんもり積み上げた貝柱。口取りにァ包丁の切れ味もすッぱりと、小気味よしの柚子の皮。三ツ葉の軸もちらし緑の色添えに、食をそゝる趣向の出来。まず一口二口啜って味わうよし田の汁。かつをのコクが二段構えに利いてゐるト言ッたがよいか。汁断ちもんにァつらい旨味ヨ。霰の山ァ崩さぬよふに脇から蕎麦を静かに引き出し、ズズッと啜る蕎麦数本。こいつの喉を通るを待ち、本星の大星を一ツ口へ入れ、やんわり歯ァ立てゝ歯応えを楽しむ。昭和一の戯作者東海林のさだお師匠なら、貝柱のひとゝきトきっとお書きなさる別格の味わい。蕎麦ァ啜るときにからんでついでに引き上がったもんを一緒くたに喰ッちまうやふな不精な喰い方する奴にァ生涯喰ってもらいたくねへ絶品ヨ。ゆっくりと噛むとじんわりと遠慮がち押し返してくる大星小柱の弾力。この初(うぶ)な歯応えがたまらねへのサ。トロが脂がのッてゝ旨いだの、旨味たァ脂だねェなんて知ッたかぶりのお方たちにァ、小柱のこざッぱりした旨味は生涯判りッこねへのサ。分かってたまるかいッてね。こいつァまいンち鱚をお食べなさる公方さまのお膝元で、さっぱりしたもんにしか箸ィださねへできた江戸もんにしか分からねえ味の極みヨ。秋刀魚だの目刺しだのハ躰命の馬子駕篭舁(かき)の野暮天喰いもん。鮪なんぞハ脂ッこい下司魚、喰ったやつァ恥ずかしいッてんで、人前ぢァでけえ声ぢァ言えなかったもんヨ。
 蕎麦の丼の真ン中に珊瑚の嶋のやふに浮かばせた大星小柱崩さぬよう、脇の蕎麦ァひきだしては啜り上げ、三箸手繰ッちァ大星一ツ。噛みしめて味わっては、こんだァまた蕎麦ァ手繰る。こいつを何編も繰り返しァさすがに小柱も底の海苔が見え、跡に残るは心残りの小柱三介(け[※10])。中の一つをつまみ取り、そいつゥ食べたら蕎麦手繰り、次にまた小柱ト策を立て、箸でつまんだ小柱が思いがけなく海苔に付き、三介(け)一緒に海苔までも、共に上がってくる始末の悪さ。からんでひッつきひとかたまり。それぞれ別々に味わって、最後は磯の香の海苔で、真打(とり)を決めの心づもりも背負い投げ。一緒くたに口ン中。残念ながらの思ひだが、小柱に絡む磯の香(か)はまた格別の止めの香(こう)。江戸の冬の華、霰蕎麦一碗の贅沢、野口先生の似顔絵いちめえに贋中銀貨さんめえ[※11]つけてぽっきり払い、釣ァいらねへなんて長兵衛振り[※12]して外へでる。
 お八つァ言わずといれた茶楽[※13]の煎茶。いまが時期ァ山の茶とか、お店(たな)おすゝめの中から駿州気田川(けたがわ)水系の面影草(おもかげぐさ)春野を誂えて、第一煎。淡い青磁の茶碗に、新緑の色に香り。こいつゥ香り味わい、ゆっくり舌の上を転がして喫(きッ)すりァ、深山織りなす気田川の、山並が浮かんでこよふッて寸法ヨ。中入(なかいり)の菓子の名ハ聞き漏らしたか、桜しぐれか。ほろ\/崩れる儚(はかな)さを黒文字で押さえて口へ運べば、ほのかにたゞよう桜花の香(かおり)。いまを盛りのその香り、こいつを練り込んだ有難山(ありがたやま[※14])の桜尽くし。二煎目ハ器を新作もんの形変り白磁筒風茶碗に換えての凝りようで。こんどハ茶の甘味が売り、口直しにト番茶の振舞い。静かなひとゝき、穴場の水茶屋。あっしの銀座のお休み處ハこゝに決まりとなりにけりサ。

附(つけた)り
[※1]四ツ辻尾張町(をはりちやう)。現在の銀座4丁目と5丁目との間の交差点。5丁目三愛ビル角の側には尾張家の屋敷があり、尾張町と称した。尾張町は西へ二丁目まであった。ただし向いの日産のショールームのある側は、江戸当時も銀座五丁目であり、そのまま新橋方向に八丁目まであった。尾張町側は竹川町、内山町、出雲町、北紺屋町と続き、新橋を渡った。
[※2]比(ころ)。頃、の意。江戸の表記。
[※3]竹川町。現銀座七丁目。銀座通の北側。
[※4]くのや。天保8年(1837年)創業、和装小物。東京都中央区銀座6-9-8 http://www.ginza-kunoya.jp/shopping/omitate/index.html
[※5]金春通。金春流能屋敷があったためこの通り名がついた。現銀座八丁目。銀座通りの北側。
[※6]三河や。○○屋を○○や、と表記する例が江戸の文献には多く見られる。「銀座三河屋本店」〒104-0061東京都中央区銀座8-8-18 http://www.ginza-mikawaya.jp/info/page.html
[※7]江戸元禄の酒。現代の酒は辛口甘口と味わいが単純化されているが、この酒にはいわゆる五味がある。小西家秘伝書「酒永代覚帖仕込」を基に元禄時代に呑まれていた酒を今に復元したもの。仕込水は現代の造り方の約半分。濃厚甘口、琥珀色。冷やすとしまった酸味が立ち、燗をつけると柔らかい甘味が立つ。1本(720ml)/1,554円 アルコール度:17度/日本酒度:-35
[※8]時分どき。食事どき、の意。
[※9]大星。馬鹿貝には大小二つの貝柱があり、それを大星、小星と呼ぶ。
[※10]三介(け)。数を数える「ヶ」は、介(け)の草書体であり、それが形をさらに形を崩し、片仮名のヶとなった。江戸時代御家流の仮名文字として用いられた表記。
[※11]野口先生の似顔絵いちめえに贋中銀貨さんめえ。千円札一枚と百円硬貨三枚、計1,300円。
[※12]長兵衛振り。自分の身分を越えて振る舞うこと。幡随院長兵衛のこと。
[※13]茶楽。GINZA茶楽。東京都中央区銀座7-10-5  http://www.moegi.co.jp/blog/2008/03/top-news-2.html
[※14]有難山(ありがたやま)。「ありがとうさま」を軽略化した「ありがとうさん」の「さん」に山の字を当て、それを音読み化して洒落たもの。江戸後期に流行った。

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