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2008年1月 6日 (日)

江戸仕草厚顔奴(まちさほうやつこのはぢしらず)

 なにをすねたか旗本奴(※1)、肘張り腕振り天下の大道大威張り。戦国の蛮風残る徳川時代の江戸前期ぢァあるめへし、昭和平成ひきつゞき、込んだ電車で足ィ組み、優先席にはゞかりなく腰据える、わけえ(若い)もんやら分別ざかりの物知らず。てめえら、こゝを何処だと思っていやがる。この席ァぢゞいばゞあ(※2)トぶっこわれ(※3)、孕みをんな(女)(※4)に鰈(かれい)ぢァねへが子持ち(※5)の席ヨ。ぴんしゃん青二才のてめえなんぞの席ぢァねへ。空いてゐても座らぬ意地、辛抱して立ちつゞけるハリ、それがをとこ(男)を磨きをおんな(女)を磨く道。江戸の意地とハリッてのは、そう言ふことヨ。これが内から身につくまぢァ三代かゝるト昔から、言ってきたのが江戸しぐさ。そいつが出来ねへうちァ、邪魔で世間の迷惑。小さくなって隅っこへすっこんでろい。
  山出しばっかのいまの江戸。をとこをんなの区別なく、意地もなけりァハリもなし。恥ともしらずのさばるかっこ(格好)ハいかにもぶざま(無様)。おめえ、今様の、お菰(こも[※6])も逃げ出す蓬々(ほうぼう)天窓(あたま。頭)にずり落ち洋袴(ずぼん)やちぎれ洋腰巻(すかーと)で決めたつもりだろうが、そいつァ了簡(れうけん)違いの勘違い。こざっぱりがゑど(江戸)の粋。きたねへなりがしてへなら、出てきた山へすっこんで、人も寄らねえ奥山で、畠の土にまみれてゐやがれ。石河島(※7)の寄場(※8)の無宿人(※9)ぢァあるめえ。この大江戸でおめえの周りにおいでなさるンは、狐狸が人より多いてめえの在所たァ大違い、この華のお江戸はどこへ行っても赤の他人のお人さま、その他人さまの鼻ッ先でけわい(化粧)道具おっぴろげ、眉を描いたり紅塗ったり、これから騙しに行くわいなアとは、チト姐さん、魂胆丸見えだゼ。夜鷹(※10)局(つぼね[※11])だって人様のめえで、そんな真似ァいたしやせんゼ。おめえの周りに乗り合わせてゐるンは、おめえの里の狐狸や石ころ棒杭(ぼっくい)ぢァござんせん。れっきとした赤の他人さま。他人さまだからなんの得もなし、気なんか遣うこたァねへッて了簡(れうけん)は、損得でものを計る田舎根性。はばかりながら、このお江戸ぢァ通らねへ。ちゃんと胆に命じておきァがれ。江戸ハ侠気の町ヨ。なんの関わりもねへ赤の他人さまに気ィ遣い、見苦しくねへよふに髪も着物もこざっぱりとゝのへ、すれ違うにァ互いに道ィ譲って会釈を交わし、袖触れ合うも他生の縁、そいつゥ大事に気配り心遣い。そうやって江戸の町ィつくってきたンだ。山出し野出しのてめえらにこの町ィぶっ壊されてたまるけへ。

附(つけた)り
(※1)旗本奴。旗本が殿様の身分をおいて奴の風体で江戸の町をのし歩いたさまをそう呼んだ。有名なのが水野十郎左衛門(寛文四[1665]年没)、棕櫚(しゅろ)つか組(白柄組)を率いた。他に神祇組、吉弥組などが江戸の町を跋扈(ばっこ)した。十郎左衛門の父出雲守成貞は旗本奴の走り。旗本衆は、家康を将軍にするために後押しをした。それを「公方の尻持」と言ったが、それをしたのにその後の自分たち旗本が恵まれぬとし、将軍に意地を持ち、殿様の身を省みず奴姿に身をやつして捨鉢の反抗をした。その一つの形(なり)が、喧嘩のときに髷のたぶさを取られぬように髪を一束に切ったぼさぼさ頭、白の着物で冬はその綿入れ、白帯を三重に回し、袖口は太くくくり、丈は三里(膝下の灸のつぼ)の下くらいまでに短くし脛をさらし、裾に鉛の重りを三文目ほど入れ、歩くにしたがって褄(つま)が跳ね返るのを佳とした。この旗本奴たちに対抗して現れたのが町奴。その代表格が幡随院長兵衛(生没年不明)。旗本とは、将軍が野戦で指揮を場を幔幕で囲むが、そこで警護する直参の士(さむらい)。九千石以下の直参を言う。一万以上は大名。
(※2)ぢゞいばゞあ。爺婆。筆者を含めての年寄の意。
(※3)ぶっこわれ。けが人や杖突。筆者も杖突の身。
(※4)孕みをんな。妊婦の意。
(※5)子持ち。赤子を抱く人の意。
(※6)お菰。乞食。江戸の頃、衣服は高価で多くの乞食が菰を躰に巻いて寒さをしのいだため、こう呼ばれた。この呼称は昭和四、五十年代まで東京では用いられていた。
(※7)石河島。文化八年刊須原屋版の江戸全域図にこの表記あり。現石川島。隅田川河口沖の江戸湾、佃島北の埋立地。
(※8)寄場。人足寄場の略。町奉行大岡越前守の提言で作られた一種の収容所。無宿者や、余刑人の中で再犯の可能性の高い者を留置し、職業訓練をして社会復帰をさせた。
(※9)無宿人。人別帖から外された人間。やどなし。江戸町人で勘当されると無宿人とされ、非人頭の管理下に組み込まれた。非人は髷を結うことを禁じられ、散切りであった。
(※10)夜鷹。夜になると、丸めた寝茣蓙(ねござ)を小脇に抱え現れる街娼。主に木場や、神田川浅草橋上流の柳原土手などに出没した。梅毒持ちが多いことで知られる。相場一交二十四文。
(※11)局。局女郎の略。吉原の外周を取り巻くお歯黒どぶ際に立ち並ぶ建物で身を売った最下層の女郎。この女郎を鉄砲見世とも呼んだ。房事一回なり、ゆえに鉄砲。価百文。わずか敷布団一枚が敷けるほどの狭い部屋(間口四尺五寸)、掛け布団なし、隣部屋との境は唐紙。入口の戸(二尺巾)が目印。開いていれば客待ち、閉まっているときは客をとっているときである。その建物を局見世、局長屋とも称した。

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コメント

お元気で新年をお迎えの様子。胸の板を太短かの指にて撫で下ろしてございます。年も押迫って『八ケ岳宇宙人クラブ』なる摩訶不思議な会を立ち上げました。トラックス・三好悦子。ペアハット・多賀氏。小林啓子。私の4名が発起人。第1回は、麻研究家・中山康直さんの『麻と宇宙人』演題で、臨死体験の話、神事と麻、麻が地球を救う… 等の話+オーガニック麻料理+座談の会です。1月19日(土)13~
mixiたかさんでworld-wideに楽しんでます。

▼たかさん江

 鴉カァで明けまして、みめッとうさんでごぜえやす。
 今年の長坂ァ寒さ厳しいンぢァござんせんかい。男は金槌、女はくぎ抜きもって雪隠へいかなけりァいけねへッて北風の便りに聞こえてきやすゼ。
 宇宙人の会とはいやはや。なんともうしましょうか。面白そうな、そうでもなさそうな。

 mixiに入っておいでなんですかい。たかさんの名で。あっしもやっておりやすんで、探させてもらいやす。
お便り、ありがたふおざりィやす。

こないだブルーレイの南八ヶ岳な生活に書き込み入れやしたが、なしのつぶてだヨっていっといて。

喜の字

よう言うてくれはりました。
孕みをんなの時分、席代わってもらえんでしんどい思いしたん、思い出しましたわ。
なんや、「マタニティマーク」いうもんができたそうで、妊婦は自分にそのマーク貼れ、いう保健指導があるそうですけど、
そんなん貼っとったかて、そのマークのこと知らん奴らが座っとんねんから、しゃーないですわ。
最近は田舎モンのほうが出来とりますな。

▼やよぶさん江

 印票(まーく)を自分に貼れッてのも、なんか無神経な考えでやすねえ。そのうち、あっしみてえな年寄は、老人印の票を貼れッていわれるかもしれやせんねェ。そうしねえと席ィゆずってやんねへゾなんてネ。
 それにおっしゃる通りヨ。よしんば貼ったって、そんなものに気なんかつかない盆暗が世の中あふれておりやすからねェ。優先席の窓の板硝子にァ携帯のエレキ切れッて印票が貼ってありやすが、その下で平気の平左で携帯使っておりやすからネ。

 喜の字
     

私のブログに喜さまの記事を引用させていただきました。
事後報告であいすみませぬ。http://isiark.blog59.fc2.com/blog-entry-250.html

▼やよぶ姐さん江
 読ませてもらいやしたヨ。なァに、あっしの駄文で使えるとこがあったら、使っておくんなせへ。なんかの役に立ちァ幸いですゼ。

 喜の字

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