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2008年1月31日 (木)

尾張霰雨交(をはりあられのあめまじり[※1])

 味を占めたら通う千里もひとッ跳び、ついこのめえの、舌の根乾かぬ霰蕎麦、時期のものト思へばいつまであるぢャなし。人の命ァ限りもの、喰える出会いに舌ァ肥やしておかねえと、次に会えるは冥土か三途の川ッぱら(原)。此岸の胃の腑に収め、いつ旅立っても悔いのねへ、そんな思ひの浅草寺詣。雷門めえの広小路、空ッ風に背なァ押されて東へ半丁、白地に墨痕、尾張屋の招牌(しょうへい。看板)。暖簾(のうれん)くゞッて格子を明けりャ比(ころ。頃)は時分どき(※2)、隅の一席借り受けて、「姐さん、あられト声かけりャ、「アラお客さん、二三ンちめえに大星(※3)の品切れと同時に終わってしまッてねェ。蕎麦ァ台(※4)に、そん上に、色紙に切った(※5)浅草海苔(※6)いちめえ敷いて、小柱ン中でも大星ばっか選りすぐっての天の盛り(※7)、そいつを種(※8)に喰わせる江戸名物霰蕎麦。それが喰えねへトあっちァつれねえ咄。「また今年の師走の中比(なかごろ)まで待っておくんなさいな、の女将の慰め。ものは考えようと言ひやしょう。こいで今年の暮れまで生きてく目当てができたッてもんヨ。梅が見たきァ春までお待ち、桜愛(め)でたきャ散り初(ぞ)め待ちな、ほととぎす聴きたきャ啼くまでお待ち、大星尽くしの霰蕎麦、手繰って舌鼓打ちたきャ師走の半ば、そこまで生きて出会える仕合せ。こゝで川柳一句。

  長生きや生きてるかい(※9)の霰蕎麦

  さて、お目当てに素ッぽかされたらなんにしよう。種もんの洒落ハおかめ(※10)ト出やしょう。干し湯葉、蒲鉾、竹の子、麸に玉子焼き、そいつら配しておかめの顔を丼の中に仕立てた茶目っ気。具を載せたゞけぢァ曲(きょく[※11])がねへ。ひと工夫がお江戸の洒落と言ふもんサ。
  出てきた丼がまたいゝねェ。片手で持って蕎麦ァ手繰れる小振さが、うれしいぢァござんせんかい。置いたまゝ喰うのは犬食いの恥ッさらし。ときたま面(つら)ァ洗えッてェ魂胆かとうたぐりたくなるでっけえ丼だす箆棒(べらぼう[※12])な見世もありやすが、こゝンちァそんな頓間(とんま[※13])ぢャござんせんダ。
  温(ぬく)めた熱々丼持ち上げて、熱々蕎麦ァ手繰るがその熱いこと。ふう\/吹いて一箸手繰り、この熱さもご馳走ト下手な横好き、また一句。

  熱い種ひょっとこ顔でおかめ喰い

 ズズッと啜って、汁一口。出汁の利いた深みに甘味と辛味、こいつが江戸の蕎麦ヨ。そのうめえ汁をどっぷり吸った麸を口へ。歯を当てりァ中からしみ出す熱い汁。こいつァうめえのなんの熱いのなんの、たまらねへ。蕎麦ァ手繰ッちァ具を一口。このやったりとったりが種もんの楽しさ。もりとハ違う味わいたっぷり楽しみ、銭ィ払い、ごッそさん(※14)ト外へでりァ、いつの間にやら小糠(こぬか)雨。霰に振られて雨に会う。こいつも洒落と受け流し、一歩踏み出す広小路。春(※15)はそこまで来ていらァ。

附(つけた)り
(※1)尾張霰雨交(をはりあられのあめまじり)。尾張は尾張屋の意。尾張と終を掛け、霰と雨は縁語。
(※2)時分どき。食事どの、の意。ここでは昼食どきを表す。
(※3)大星。小柱の元である馬鹿貝には、一つの貝に大小二つの柱があり、大を大星、小を小星と区別し、大星を上とする。
(※4)台。種もの(※8参照)の蕎麦では、蕎麦を台と呼ぶ。蕎麦屋詞。天ソの台抜きのと言えば、汁を張った丼に天麩羅を浮かしたもの。天ソ=種物の天麩羅蕎麦の略。これも蕎麦屋詞。
(※5)色紙に切った。色紙形に真四角に切ることを言う。
(※6)浅草海苔。現在の紙状の海苔は、浅草が発祥との説がある。江戸時代、浅草には古紙を漉き直す紙漉き職人が多くおり、その技術を元に海苔を漉き、そこから浅草海苔の呼び名が生まれたと伝えられている。
(※7)天の盛り。日本料理の盛りつけの基本。高く盛ることで料理に精気が生まれる。
(※8)種。種物の略。いわゆる汁物の熱い蕎麦。かけ蕎麦の上にさまざまな具を載せ丼で供する蕎麦の総称。
(※9)生きてるかい。かい=霰蕎麦の具である小柱の馬鹿貝の貝と、甲斐があるの甲斐を掛けた。
(※10)おかめ。おかめ蕎麦の略。
(※11)曲(きょく)。真っ直ぐはつまらず、ひねりがないと面白みがないとする江戸人の考え方。
(※12)箆棒(べらぼう)。馬鹿、の意。
(※13)頓間(とんま)。間抜け、の意。
(※14)ごッそさん。ご馳走さまがご馳走さんと軽くなり、さらに江戸弁で訛り簡略化された語。
(※15)春。旧暦(太陰太陽暦)一月一日より三月末日までが春。新暦では2月7日より5月4日がそれに当たる。

2008年1月25日 (金)

閑話休題咄元種(ひまつぶしらくごのねたもと)

 頃日(ちかごろ)ァ聞くこともあまりねへよふだが、たいらばやしかひらりんかッて訪ね歩く馬廉(ばか)ッぱなしの落語がありやしょう。あっしァ根が莫迦(ばか)だからあゝ言ふ他愛のねへ咄が好きでねェ。町ィ歩いてゝ平林なんて表札めっけるトつい、たいらばやしかひらりんか、いちはちじゅうのもッくもくなんてくちずさんぢまう始末ヨ。
  めえ晩寝しなに江戸の笑話集(※1)なんぞをめくるのが癖でネ。寝しなに暇だといやなことなぞ思い出したり、宛もありもしねへ先のことなど思案して気が滅入るといけねへンで、あっしァ寝しなになんか難しいことなんぞ天窓(あたま。頭)が勝手に考えたりしねへよふに、気のおけね屁みてえな本を読むことにしておりやすのサ。
  先の夜もその伝で、きのふはけふの物語の下巻をめくっておりやしたら、こんなんのに出くわしやしたンでサ。ちょいと書き抜いてみやしたんで、寝しなに憂さ晴らしに読んでおくんな。

  上京に、平林といふ人あり。此人の所へ、ゐ中(※2)より文をことづかる。此者(もの)ひらばやしと云名(な)をわすれて、人によませければ、「たいらりん」とよむ。「そのやふな成(なる)名ではない」とて、又余(よ)の人に見せければ、「これはひらりん殿」とよみける。「是でもなひ」とて、またさる者(もの)に見(み)すれば、「一八十木木(ぼく\/」とよむ。「此うちは外れじ」とて、後にはこの文(ふみ)を笹(さゝ)の葉に結び付て、かつ鼓(こ[※3])を腰(こし)につけて、「たひらりんかひらりんか、一八十にぼく\/、ひやうりや\/」と囃(はや)し事をして、やがて尋ねあふた。

  めでたし、めでたし。こんなねた(※3)を元に肉付けして落語を仕立てゝいくンですなァ。
  そういやァ頃日(ちかごろ)、寄席へ行ってねえ。躰ン中から笑いが抜けちまってるやふだゼ。いけねへ、いけねへ。こんなことぢァ苦虫面になって癌なんぞ引き受けちまうかれしれねへ。腹ァよじれるほど笑って、癌の虫、追い出さなきャいけやせんねェ。

附(つけた)り
(※1)江戸の笑話集。岩波書店・日本古典文學体系「江戸笑話集」
(※2)ゐ中。いなか。田舎、の意。憚って字を変えたもの。
(※3)かつ鼓(こ)。腰鼓に似た楽器。撥でこれを打って、獅子舞などをした。
(※4)ねた。種の倒語。倒語は幕末の通人の間で流行った語法。詞をひっくり返して言ふ。しだらない→だらしない。

2008年1月19日 (土)

観音弁天御礼返大星(くわんおんべんてんおんれいかえしのおおぼしあられ)

正月三日、お世話になった観音さんト弁天さんに不義理しちァ寝覚めが悪い。こゝは一番、お当てくだすった宝札の大枚三千円。あっしァ運を授けてくだすったゞけで、ありがてへ。いたゞいたお宝は、浄財として投げ入れて、礼といたそうと出かけてみたが、前にも進めぬ仲見世の混雑。そのまゝにしちァ義理が立たねえ。
 そいでこないだ手ェ切るよふな新札三枚懐に、寒風突いて繰り出して無事に観音さんにァ野口の博士をお二方、弁天さんにァお一方。お礼トさせてもらいやした。
 霊験あらたか、そのご利益はすぐにあり。時分どきト暖簾くぐった尾張屋で、なんとあの冬の銀座更科で食べて馴れた霰(あられ)蕎麦があるぢァござんせんかい。こいつァ観音弁天さまのお力添え。ありがてへト飛びついてさっそく手繰ッてめえりやしたゼ。
 更科の白い蕎麦の上に色紙に切った海苔一枚。その上にァ夢にまでみた小柱がてんこ盛り。その上にァわさびの留めがあざやかヨ。箸ィ取ってお懐かしい、しみじみと眺めてみりァうれしい限り。小柱ハ小柱でも、たっぷり噛みしめられる大星揃い。蕎麦をたぐっちァ大星つまみ、またひと箸ふた箸蕎麦を啜り、大星一つ二つにわさびを添えて噛みしめる。今年もいゝ年になりやしょう。観音さん、弁天さん、お頼みもうしやしたゼ。

2008年1月10日 (木)

牡蠣蕎麦日暮里仇討(かきそばにつぼりのあだうち)

 山の手線の停車場から降りて、通りを見渡すと定町廻り同心の番屋(※1)が目にへえった。こいつァ渡りに舟と飛び込んで「川むらァどっちでへ、ト訊ねたネ。 去年も押し詰まった霜月(新暦)の晦日近くに八つのお山から舞い戻り、吹く風の冷たくなるにしたがって思ひだされるはオハリ丁(尾張町[現銀座五丁目])の銀座更科の牡蠣蕎麦ヨ。引越しの片づけの合間を抜け出し、足ィのばしてみりァなんとその見世が見あたンねえ。並びにァ鰻の竹葉亭ハあるのにサ。銀座は変わったねェ。あっしが鳥渡(ちょいと)十年ばっかし八つの山へ留守にしてる間に、南蛮毛唐のすばしっこいのがわんさと出張ッて来て土地ィ買い占めやがッたンだろふネ。もと\/土一升金一升と言はれた銀座の地べたァます\/高直(かうじき)になッちまって、もりかけ十六文なんて小商(こあきない)ハ合わなくなッちまったのかもしれねへ。淋しいことヨ。泡沫(ばぶる)景気ンときァなんとか銀座は持ちこたえたト思ったが、ついに金々(※2)西洋の銭稼ぎの植民地になりにけりサ。その波くらったか、お目当ての牡蠣蕎麦ァ、影さえ残らず消えちまったゼ。 あの銀座更科で牡蠣にならんで粋だったのハ霰蕎麦だねェ。こいつァ雪がちらほら舞ふような底冷えの晩に、鳥渡(ちょいと)いゝ仲と熱いのをふう\/吹きながら啜るのは、肌ァ互いに許し合った仲だけが醸しだす粋(すい)な間柄が喰う蕎麦ッて感じでやしょうねェ。牡蠣ァもっと生くせへッてのか、まだ脂が濃い仲ッてのがお似合いヨ。そんでも急に寒くなって陽気にまだ躰がついていけねへ冬の初ッぱなァ、やっぱ脂ッ気のある牡蠣蕎麦ッてことになりやしょうよネ、たった独りのやもめ食いでもナ。 そいつを商ってる見世が、日暮里停車場の上手にあるッて聞いたから、もふたまらなえ。銀座で取り逃がした敵ィ日暮里の丘で仕留めずおくものか。 どこをどうとりちげえたか、西日暮里で駅ィ降り、最前の番屋で聞いたが、隣駅。諏訪台登って頑張ってト同心の励まし受けて杖突いて、急坂登りァ道ァ一本、右手にァ家並み、なかにァ珍しい戦前の長屋も数軒。道の左手は寺づくし。途中の建具職人の見世先にァ麻の葉などの繊細な細工で仕上げた木曽檜の衝立が、見本のよふに飾られて、まだ江戸の職人は健在ヨとうれしいねェ。しばし見とれて一休みサ。 じきに表通りに出、左に曲がれば佃煮は中野屋。ふっくら大身のあさりの佃煮。「こいつゥ百瓦(ぐらむ)おくんなト包んでもらい外套の隠し(ぽけっと)にねじ込む。目当ての川村はもふ目と鼻の先。暖簾(のうれん)くゞりァ「いらっしゃいましィと意気のいゝ声がお出迎え。この語尾をしぃッてのが、お江戸よ、切れ味がいゝねェ。うれしいぢャござんせんかい。 壁には品書きが檜の板に書かれて下がる。まず狙いの牡蠣蕎麦一丁誂え。頼んでおいてみまわしァ、そのもりもある仕掛け。外にァなんとあっしの好物、小柱のかき揚げの天もりがあるぢァござんせんかい。 こいつァ裏ァけえしにこなくちャなんねへ。また脇ィ見りァ、なんと深川蕎麦ト来たゼ。こいつァ初見参。角書にァなんと浅蜊の玉子綴じときたぜ。これもいっぺん洒落で手繰ってみてえしろもんヨ。穴子天は江戸前の、ト但し書きヨ。名店は普通の町に隠れておりやすねェ。 やがて運ばれた牡蠣蕎麦のその牡蠣ァ大振り。油でいったん炙ってあるから、狐色。みっしりと身のへえった食べ応えのある牡蠣が、五ツ六ツ。蕎麦ァ細めで口の中での消え加減もよござんしたゼ。 行った時刻は時分どき、小見世だから外に客がすぐに列をなす。長居は迷惑。はい、ごっそさんで見世を出る。ありがたふございましたト帰る手に渡されたのは、白い紙箱。跡(後)で開けてみりぁ、やるこたァさすが蕎麦屋ヨ。小さな缶入りの七色の御年賀。この気遣いが、やっぱり江戸だねェ。お蔭山ヨ。いゝ仇討ちができやした。 (※1)定町廻り同心の番屋。現代の警官とその交番をこう洒落た。 (※2)金々。金持ちを見せびらかすのを金々と呼んで軽蔑した。

2008年1月 6日 (日)

江戸仕草厚顔奴(まちさほうやつこのはぢしらず)

 なにをすねたか旗本奴(※1)、肘張り腕振り天下の大道大威張り。戦国の蛮風残る徳川時代の江戸前期ぢァあるめへし、昭和平成ひきつゞき、込んだ電車で足ィ組み、優先席にはゞかりなく腰据える、わけえ(若い)もんやら分別ざかりの物知らず。てめえら、こゝを何処だと思っていやがる。この席ァぢゞいばゞあ(※2)トぶっこわれ(※3)、孕みをんな(女)(※4)に鰈(かれい)ぢァねへが子持ち(※5)の席ヨ。ぴんしゃん青二才のてめえなんぞの席ぢァねへ。空いてゐても座らぬ意地、辛抱して立ちつゞけるハリ、それがをとこ(男)を磨きをおんな(女)を磨く道。江戸の意地とハリッてのは、そう言ふことヨ。これが内から身につくまぢァ三代かゝるト昔から、言ってきたのが江戸しぐさ。そいつが出来ねへうちァ、邪魔で世間の迷惑。小さくなって隅っこへすっこんでろい。
  山出しばっかのいまの江戸。をとこをんなの区別なく、意地もなけりァハリもなし。恥ともしらずのさばるかっこ(格好)ハいかにもぶざま(無様)。おめえ、今様の、お菰(こも[※6])も逃げ出す蓬々(ほうぼう)天窓(あたま。頭)にずり落ち洋袴(ずぼん)やちぎれ洋腰巻(すかーと)で決めたつもりだろうが、そいつァ了簡(れうけん)違いの勘違い。こざっぱりがゑど(江戸)の粋。きたねへなりがしてへなら、出てきた山へすっこんで、人も寄らねえ奥山で、畠の土にまみれてゐやがれ。石河島(※7)の寄場(※8)の無宿人(※9)ぢァあるめえ。この大江戸でおめえの周りにおいでなさるンは、狐狸が人より多いてめえの在所たァ大違い、この華のお江戸はどこへ行っても赤の他人のお人さま、その他人さまの鼻ッ先でけわい(化粧)道具おっぴろげ、眉を描いたり紅塗ったり、これから騙しに行くわいなアとは、チト姐さん、魂胆丸見えだゼ。夜鷹(※10)局(つぼね[※11])だって人様のめえで、そんな真似ァいたしやせんゼ。おめえの周りに乗り合わせてゐるンは、おめえの里の狐狸や石ころ棒杭(ぼっくい)ぢァござんせん。れっきとした赤の他人さま。他人さまだからなんの得もなし、気なんか遣うこたァねへッて了簡(れうけん)は、損得でものを計る田舎根性。はばかりながら、このお江戸ぢァ通らねへ。ちゃんと胆に命じておきァがれ。江戸ハ侠気の町ヨ。なんの関わりもねへ赤の他人さまに気ィ遣い、見苦しくねへよふに髪も着物もこざっぱりとゝのへ、すれ違うにァ互いに道ィ譲って会釈を交わし、袖触れ合うも他生の縁、そいつゥ大事に気配り心遣い。そうやって江戸の町ィつくってきたンだ。山出し野出しのてめえらにこの町ィぶっ壊されてたまるけへ。

附(つけた)り
(※1)旗本奴。旗本が殿様の身分をおいて奴の風体で江戸の町をのし歩いたさまをそう呼んだ。有名なのが水野十郎左衛門(寛文四[1665]年没)、棕櫚(しゅろ)つか組(白柄組)を率いた。他に神祇組、吉弥組などが江戸の町を跋扈(ばっこ)した。十郎左衛門の父出雲守成貞は旗本奴の走り。旗本衆は、家康を将軍にするために後押しをした。それを「公方の尻持」と言ったが、それをしたのにその後の自分たち旗本が恵まれぬとし、将軍に意地を持ち、殿様の身を省みず奴姿に身をやつして捨鉢の反抗をした。その一つの形(なり)が、喧嘩のときに髷のたぶさを取られぬように髪を一束に切ったぼさぼさ頭、白の着物で冬はその綿入れ、白帯を三重に回し、袖口は太くくくり、丈は三里(膝下の灸のつぼ)の下くらいまでに短くし脛をさらし、裾に鉛の重りを三文目ほど入れ、歩くにしたがって褄(つま)が跳ね返るのを佳とした。この旗本奴たちに対抗して現れたのが町奴。その代表格が幡随院長兵衛(生没年不明)。旗本とは、将軍が野戦で指揮を場を幔幕で囲むが、そこで警護する直参の士(さむらい)。九千石以下の直参を言う。一万以上は大名。
(※2)ぢゞいばゞあ。爺婆。筆者を含めての年寄の意。
(※3)ぶっこわれ。けが人や杖突。筆者も杖突の身。
(※4)孕みをんな。妊婦の意。
(※5)子持ち。赤子を抱く人の意。
(※6)お菰。乞食。江戸の頃、衣服は高価で多くの乞食が菰を躰に巻いて寒さをしのいだため、こう呼ばれた。この呼称は昭和四、五十年代まで東京では用いられていた。
(※7)石河島。文化八年刊須原屋版の江戸全域図にこの表記あり。現石川島。隅田川河口沖の江戸湾、佃島北の埋立地。
(※8)寄場。人足寄場の略。町奉行大岡越前守の提言で作られた一種の収容所。無宿者や、余刑人の中で再犯の可能性の高い者を留置し、職業訓練をして社会復帰をさせた。
(※9)無宿人。人別帖から外された人間。やどなし。江戸町人で勘当されると無宿人とされ、非人頭の管理下に組み込まれた。非人は髷を結うことを禁じられ、散切りであった。
(※10)夜鷹。夜になると、丸めた寝茣蓙(ねござ)を小脇に抱え現れる街娼。主に木場や、神田川浅草橋上流の柳原土手などに出没した。梅毒持ちが多いことで知られる。相場一交二十四文。
(※11)局。局女郎の略。吉原の外周を取り巻くお歯黒どぶ際に立ち並ぶ建物で身を売った最下層の女郎。この女郎を鉄砲見世とも呼んだ。房事一回なり、ゆえに鉄砲。価百文。わずか敷布団一枚が敷けるほどの狭い部屋(間口四尺五寸)、掛け布団なし、隣部屋との境は唐紙。入口の戸(二尺巾)が目印。開いていれば客待ち、閉まっているときは客をとっているときである。その建物を局見世、局長屋とも称した。

2008年1月 5日 (土)

新春浅草当吉縁(はつはるくわんおんあたりのきちえん)

 あれハ歳の暮れ、いくンちだったかはっきりァ覚えちァいねへが、観音さまへお参りし、さてそろ\/引き上げるかと、角ォ曲がッた途端の銀行めえ、凍えるやふな風の中、わけえ衆(し)がたった一人ぽつねんト屋台を張ッての小商(こあきない)、見下ろすあっしの目と、寒晒しわけえもんとの、すがるよふな目とがばっちり合いやして、そうなりァこのまゝ見過ごしに、捨ておくこともならねへ仕儀、黙って通れねへのが男の侠気、買う気もなかった富札だがァ、こうして出会うもなんかの縁、「兄(にい)さん、ちいとそいつヲ分けてもらいやしょう、ト財布ゥ叩いて譲ってもらひ、そのまゝどっかへしまってそのまんま、日を重ねてすっかり忘れ、年を越してしまったが、きのふテレビで富札に、夢ェ託したお人たち、老若男女を取り上げて、ゐるのを目にし思ひだし、そう言やァあんときあっしも買った、富札がどっかに仕舞ってあったはず、こいつを見ずに流しちまっちァ、あの寒晒しの兄さんに、申しわけがたゝねえのがこの世の義理、けふ家捜し見つけ出し、当落を見てみりァなんと、これがなんと金三千円の大当たり。こいつァ春から縁起がいゝわい。観音さまの恩お蔭。きっとお礼に参りやしょう。

2008年1月 4日 (金)

正月浅草観音黒海波( はつはるせんそうじひとのおおなみ)

 新暦霜月末の家移(やうつり)も上々大吉で無事に江戸へ戻ってこれたのも、まわりのお人たちのお力添えに加えて、浅草寺観音さまのお蔭と、初詣にこの三日に繰り出しンだが、雷門の前で立ち往生ヨ。人の波がつかえて前へ進まねえ。あっしァお世話になったのハ観音さまだけぢァねえ。境内の辰巳の隅に鎮座まします弁天さまにも大のお世話に也の介サ。鳥渡(ちょいと)順が悪いが先に弁天さまにご挨拶と脇ィまわり、百文贋銀貨(100円硬貨)賽銭箱へチンコロリと投げ入れてドたまァ下げて御礼申し上げ候ト済ませ、さて脇から観音本堂へと目指したが、お寺も莫迦ぢァねへネ。脇からこすく入れねえやふに柵で仕切っておいでヨ。
  仕方ァねえから水茶屋でちっと時ィつぶしァ昼下がりの陽射も傾いて、そうすりァ風が冷たくなって人もけえるだろうと踏みやして、昆布茶にくず餅、銀烟管でいっぷくト間を持たせたんだが、どっから繰り出してきたお人たちだがしらねえが、よっぽと暇と見えてまったく人波が減りァしねえ。
  そいぢァこの間に昼の仕度にかゝるかッてんで、雷門を跡(後)にするが、お目当ての藪(並木)ハ三ケ日休業と仕りニ候の貼紙。こうなりァ時間潰しのついでト駒形の四ツ辻を渡り、駒形どぜう六代目越後屋助七まで足ィのばしちまいやしたゼ。てめえで言ふのもなんだが、あっしの足もけっこう歩けるふやになったもんト感心すらァ。前ァ駒形橋の脇、鰻屋の前川まで歩くのもつらかったものだが、お江戸へ戻ってからッてもンからまいンちなんだかんだと歩いてゐるからずん\/歩けるやふになって来て、この分ぢァ半年もすりァそこら走りまわれるかもしれねかへし、一年もすりァ空ァ飛んでるかもしれねへくれえ元気になったゼ、なんてネ。
 込んでるのハ浅草寺だけぢァねへ。この泥鰌屋も大賑わいヨ。見世のめえに縁台をいくつも並べ、ところどころに唐金の火鉢ィ置いて、炭をかん\/におこして添えてある。こうした心遣いがうれしいぢァありやせんかい。一人客だから相席させてもらって早く見世へゝえれるかと目論んだが、そうは問屋が卸さねへ。四半時の余も待ったかね、けえっちまおうかと思ひだした比(頃)やっと名ァ呼んでもらって中へゝえる。下足番に雪駄と銀の洋杖(すてっき)を渡し、下足札ァもらって入込みへ上がる。床にァ竹の薄縁ッて言ふのかね、そいつを一面に敷いてあって、その上に膳代わりに檜の長い大板を置きてある。ちっせえ座布団に胡座をかき、誂えたンは柳川にご飯。このご飯がうれしいねェ。小なりと雖(いえども)お櫃(ひつ)にへえって炊きたての熱々、蒸れてもねへ。真ッちろの銀シャリを茶碗に一膳よそって、跡(後)は蓋ァ開けておきァ自然と湿気が抜けて米ッ粒に弾むやふな歯応えが出てきて、こいつガうめえのなんのッて、跡惹(ひ)くご飯だゼ。
  柳川にァ山椒の粉ァ振って、これも熱々を小皿にとりふう\/吹いて食べる。山椒の香りが軽やかでゞえ好きだゼ。柳川ァあっしの好物。言ふまでもねえが、泥鰌の開きを笹掻きごぼふトいっしょに玉子で綴じてありやして、こいつガうめえ。丸のまンまの泥鰌汁ハ喰わず嫌いで、意気地がねえがあっしァ駄目なんだ。もしも奇特なご仁がゐて馳走でもしてやらふト思し召したら、柳川の方で御願い奉りたいと思っておりやすんでネ。
  さて、柳川であっためた躰でもいっぺん雷門へ戻るとちったァ人波が減ってゐる。これならなんとかなるかとくゞったが、仲見世二三軒進んだがもういけねへ。跡ァ一寸刻みの五分詰めで、なか\/めえへ進まねえ。人の間に挟まって見上げる空ァだん\/暮れて来やがる。こんなことしてゝも埒ァあかねへ。おいら一抜けたゞ。観音さん、ちけえ内にかならず礼をしに来やすから今日ンとこは勘弁してくんねェと宝蔵門もくゞらねへ遠くから腹ン中で手ェ合わせ、ご無礼トさせていたゞいたッてとこが、けふの顛末ヨ。
 ほんに観音さまのお力は大きいねェ。日本中の人を吸い集めたよふだったゼ。これだもんな、田舎にァ人ハいなくなっちまうのヨ。みんなお江戸へ出て来ちまう。あっしがついこないだまで燻ってた八つのお山なんぞ、いっぺん十人とまとめて見ることなんぞ稀でやしたもんねぇ。参ったネ。

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