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2007年8月21日 (火)

【追い書きあり】いろはにほへとよめもせす  其の与

Photo  喜多川の歌さんが、歌まくらッて色気のあるもんを描いておいでゞ、その中のいちめへが本の裏表紙に載っておりやすのサ。本の名題(※1)ハ浮世絵の極み春画ッて題でね、書き手さんはかの林の美一(※2)旦那ヨ。
  絵の中のおなご(女子)さんハ緋の長襦袢を着ておいでだから、玄人さんでやしょう。男の方は薄物の羽織に本多髷で決めておりやすンで、遊び馴れた大店の旦那のご様子だねェ。
  それにしても、歌さんの線ハなんて色気があるンでやしょうかねェ。花魁の尻の線なぞ厭らしさなぞこれッぱかしもありァござんせんかい。綺麗な色気ヨ。線一本で肌のやわらかみ、ぬくもり、見事に描いていなさる。もっともこいつァ歌さん一人の手柄ぢァねへゼ。彫師の腕の冴えを買えッてもんぢャなきァ浮世絵見たァってことハ言へやせんヨ。その上、このやわらかい線一本に見えるのハ彫師の腕だけぢャござんせんゼ。刃物の鋼のよさ。玉鋼ッてやつかね。それと、版木のよさ。桂の一木(いちぼく)かねェ。大首絵なら鬢なぞの髪ンとこだけ細く彫ァいゝだろうが、この絵ハどこもかしこも毛筋よりも細い線で描いてありァがる。こいつゥ彫るのハ並の彫師にできる技ぢァねへと、あっしァ睨んだがいかゞなもんでやしょうかねェ。
  あっしもよしァいゝのに、またわりい癖がでて、絵ン中の扇ヨ。こいつの中の歌に目がとまッちまってサ。鳥渡(ちょいと)読んでみやすが、間違ってたら勘弁だゼ。なんせ色気の匂いかぎつける鼻ァいゝんだが、文ン字の方見る目ハからっきしなんでネ。

    蛤尓(に)者(は)しを
    志(し)川(つ)可(か)と
    者(は)さ満(ま)れて
    鴫たち
    可(か)ぬる
    秋の夕
    くれ

    飯○○

  こんな具合でどでもんでやしょう。当たっておりやすかねェ。最後の○○ハ悔しいことに読めねへのヨ。誰がおせえておくんな。
  のっけの行の者(は)しハくちばしのはしト逸物とを掛けてありやすヨなんて、種明かしするのも野暮なことで。へい、あいすいませんダ。
  この狂歌、本歌は言ふまでもなくあの西行さんヨ。

    心なき  身にもあはれは  しられけり  鴫たつ沢の  秋の夕暮

  こいつァ新古今集の三夕(さんせき)歌と言はれる歌のひとつヨ。てへしたもんだゼ。そいつゥ艶っぽい歌に変えちまうンだからネ。いま比(頃)西行さんもあの世の隅ッこで歯ぎしりしてンぢァねえかね。負けたよッてネ。
  心なき身ッてのはなんだってネ。薄情もんッてことぢァなくッて、俗世間から一切離脱した身ッてことだってネ。そりァそうでやしょうねェ。こんな品のいゝ花魁としっぽりといゝ仲になりァ、誰だってそんときァ俗世間のこたァすっかり忘れちまいやすゼ。
  オヤ、こいつァ歌がふたつ混じッちまったかナ。

【追い書き】
狂歌の作者、飯○○ハあっしのドジよ。狂歌で飯とくりァ次は盛に決まりヨ。だから、読めねへ○は二つぢァなくて、一つサ。宿屋飯盛(やどやのめしもり[※3])。この名がすぐに出てこなかったッてのは、とんだ盆暗(※4)。あっしァてめえでてめえがいやになっちまったゼ。

附(つけた)り
(※1)名題。本の場合、表紙に書かれた題を外題といゝ、中に再び書かれる題を内題と言う。歌舞伎でも小屋の外に表示した題を外題と称した。この外題は上方の呼称で、江戸では名題と言った。
(※2)林の美一。林美一、大正11年生。江戸文芸研究家にして、時代考証家、浮世絵研究家として知られる。
(※3)飯盛。宿屋飯盛。石川雅望(いしかわ まさもち、宝暦3年12月14日(1754年1月7日) - 文政13年閏3月24日(1830年5月16日))の狂歌名。江戸時代後期の狂歌師・戯作者。通称は石川五郎兵衛。号は他に六樹園・五老など。家業は江戸小伝馬町で宿屋を営む。
天明年間初期(1781年-1789年)から狂歌を読み、狂歌の四天王の一人として、版元である蔦屋重三郎から多くの狂歌書を出版している。文化年間(1804年-1818年)天明狂歌を主張して、俳諧歌を主張した鹿津部真顔(しかつべのまがお)と対立した。文化文政時代の狂歌壇を二分する勢力となった、狂歌の軽妙さと諧謔性を主んじた。国学者としても知られる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
(※4)盆暗。丁半賭博で場を盆と呼び、そこに賭けられた金が丁半均等でないと博打にならない。賭金高が相互に揃ったかどうかを一瞬で目算できることを盆が明るいと言い、それができない者を盆暗と呼ぶ。

2007年8月11日 (土)

其の参 贋作良寛食(にてひなりりょうかんのゆうげ)

Photo  鰻はお江戸と決めてゐて、江戸詣で行かにャあ蒲焼にありつけねへこたァ百も承知の介。そいでも恋しい江戸前の、あの蒲焼いつ喰った、ト問われて指折りかずえるも、おこがましいが、めえに喰ったハありャいつだッ、思ひ出せねへくれへ前の月、意気だ鯔背(いなせ)と口ばかり威勢はいゝが、そのじつァ隠れもしねへ素寒貧(すかんぴん)、しけた咄がとどのつまり。
  膝小僧抱え腹の虫、その奏で聴いておりやすトへいお待ちト飛脚が荷ィ担いでご到着。オヤこれハどちらからのお届けで。荷札見りァ吾が愚息(むすこ)。開けてびっくり玉手箱。見たか聞いたか願いを知ったか、蒲の焼き。こいつァ嬉しの江戸生まれ、艶気(うわき)の樺焼(※1)ぢャござんせんかい。二本差しよりまだ上野、竹の御蔵の御串を三本も、差した姿は神々しい、ありがた山のご到来。風がもてくる惣菜か。
  跡(後)より来る愚息の文、行こうと思へど風邪の熱、しばし後日に訪ねると、遅れ伝える内容に、こいつァしめこの兎、来るめへに喰ッちまえ。
  ひと風吹けばもうひと風、続いて吹くのが世の不思議。馴染みの水茶屋で一休み、のうれん(暖簾)くぐりァ丁度いゝ、来たか長さん待ってたホイ、とハ言わねへが、いま丁度福岡帰りの娘夫婦、手土産折に辛子明太、下げての宿下がり、ひと折持ってお帰りヨ、気前のいゝご愛想に、にんまり微笑む吾がの頬。ここでもしめこの兎だヨ。
  気が変わらぬ内が華の内、長居は無用の韋駄天に、もらった明太抱き込んで、馳せ戻ったは茅屋ハ九尺二間の侘住まい。これでけふの夕餉は決まりトきたゼ。
 蒲焼ハ湯煎でたっぷり温め、冷めねへよふに木製の、小判形の弁当入れを鰻や(※2)の、お重に見立てゝ仕込ンで飾り、辛子明太は東屋文染め付け瓢向付皿に一口大に柳刃引いて(※3)盛りつけたと御覧じろ。
  久しい習いの飯前の、酒は馴染みの山田錦の純米酒。徳利は清々しい祥瑞(しょんずい)に京焼染付螺子文盃を添え、青でまとめて涼味を求め、青菜はアスパラ湯がき上げ、盛った器は白泥の、当り鉢形模した向付鉢。白と緑の映えがいゝあんべえヨ。
  酒のあてハ黄瀬戸の手塩皿。こいつに海苔佃煮、桜の花の塩漬け、らっきょの甘酢漬けを小口切りに刻んで盛りつけ、夕餉の仕度は出来上がり。
  けふとても  待てばもてくる 施しの味

附(つけた)り
(※1)江戸生まれ艶気の樺焼。山東京伝の黄表紙『江戸生艶気樺焼』(ゑとうまれうハきの可[か]者[ば]やき)に掛けた。
(※2)鰻や。江戸の頃の表記の多くは、八百や、魚やなどと○○屋の屋を平仮名を用いる例が多い。
(※3)柳刃引いて。柳刃は先端が柳の葉のように尖った刺身包丁。それで切って、の意。江戸・東京の刺身包丁は先端が四角の蛸引きが多く用いられてきた。

2007年8月 9日 (木)

其の弍 贋作良寛食(にてひなりりょうかんのゆうげ)

Photo  あるお方の日記をちらりと覗かしてもらいやしたら、赤だしに茗荷とありやした。オッこいつァ洒落が利いていなさる。涼しそう。いたゞきやしょう。あっしァまだやッたこたァねへ。茗荷と言やァお江戸だよ、なんてったッて茗荷谷ッて里があるくれへなんだから。
 あっしの苦しい身(※)按じておくんなすったお方たちから、風にのせて喰いもんをお運びいたでえた咄ァついこないだいたしやしたが、もってえなくていっぺんにァ喰えねへ。貧乏性でけち\/喰ってるンでその残りがまだあるッて寸法だ。そいつ活かしてけふもしのごうッて算段ヨ。
  電気氷室ォ鳥渡(ちょいと)覗くと、生湯葉のお姿。こいつァしめこの兎ッてンで、茗荷の赤だしの実ァこいつと決め、跡(後)はやっぱりお恵み残しおきの蛍いかの昆布締めで〆(しめ)よふッてこころづもりで仕度をすすめ、いざ湯葉をト氷室ォ開けりァオヤ湯葉がいつのまに油げに化けているぢァござんせんかい。てめへいつのまにトよく\/見りァやっぱり油揚(あぶらげ)ヨ。そうかこの野郎、はなっからそうだッたんだな。油揚ッて言やァお狐さまサ。そいで生湯葉に化けて誑(たぶら)かしがったナ。ふてえ野郎だ、刻んで御味御汁(おみおつけ)の実にしちまうゾってンで、昆布だしかつを(鰹)出汁ン中にぶち込み、さて味噌と思ひハテと天窓(あたま。頭)ァひねりやして、油揚に赤だしァどうかねェ、やっぱり並の味噌がお似合いだろふト替えやした。なんのこたァねへ、知恵ェいたゞいたンは茗荷だけとなっちまいやした。勘弁してくんナ、お知恵の主さんヨ。
  蛍烏賊ハ見た目でへじに、向付皿は青磁と染め付け掛け分けの角皿。有田は深川製磁のもんで、先々代からの譲りもの。そいつの隅にすだちィ櫛に切って添え、彩りと香りト洒落たッて魂胆サ。
 汁椀は、朱塗りの大振り木椀。飯は前の生姜の残りの始末。飽きもせずの生姜飯。繊切りを散らし、酒ェ奢り、昆布をかぶせて薄口醤油ひと匙ミ(三)匙。電気からくりの釜でもお焦げができるありがたじでへ(時代)ハ便利だねェ。
  飯の前にァお定まりの六勺の酒。つまみも残りの枝豆で、塩を効かせて茹であげて、益子の三ツ足皿に盛り上げて、こいつァけふもご馳走さん。脇の小皿にァ柳ばし、小松屋手むき浅蜊の佃煮置いて、祖父伝来の切られ与三の猪口を傾けりァ、けふも無事の宵となる。
 いたゞきもんでけふを〆、ありがた山の良寛食。ご世間さまニ天窓下げ、あしたもおねげへいたしやしたヨってネ。貧乏も三日過ぎたら習い性。喰うものハ風がもてくる贅の味。

附(つけた)り
(※)苦しい身。江戸の文化文政頃、貧乏をこう言った。

2007年8月 7日 (火)

いろはにほへとよめもせす 其の参

Photo  歌麿の描きし、當時(※)全盛美人揃、越前屋の花魁、その名ハはるか唐土の、団扇の中で団扇持ち、詠みし歌は後朝(きぬぎぬ[※2])の、別れ惜しき首尾の松、頬かすめる大川の、微笑み浮かべる朝風に、昇る旭の猪牙早し。

  詠み人  柏木亭樟長

  きぬ\/の
      己(わ)かれハ(は)
                 をしき
     三千里
  もろこし乃(の)
              君
      我朝の家

  我が朝ハきぬぎぬ(後朝)に掛けたと読んだが、いかゞか。詠み人に訊ねたくとも知らぬ人。
  サテそれにしても、唐土と太字で書かれたその脇の、河(か)やの、をり可(か)ハ番新(※3)振新(※4)か、吉原知らぬ野暮喜の字、色はにほへど読めもせずが口惜しゝ。

附(つけた)り
(※1)當時。今、現在、の意。現代ではあの頃の意味で過去を表す言葉として使われることが多いが、江戸時代は原意の通りに用いられていた。
(※2)後朝。男女が共寝ののちに迎える朝、の意。衣衣、の文字もあるが、江戸の風流本などでは後朝の字が用いられることが多いようである。
(※3)番新。番頭新造の略。花魁に付き従い、その身の回りの世話をする係で、将来花魁になる。
(※4)振新。振袖新造の略。新造の下位の者。まだ16歳の元服前なので、振袖を着ている。

2007年8月 2日 (木)

NHK陽炎の辻 贔屓

NHKの木曜時代劇『陽炎の辻』を観て、贔屓になりやしたゼ。時代考証がいゝねェ。そいつがまた脚本に活きておりやすヨ。

デあっしとしちァ珍しく、投稿いたしやしたヨ。下の文がそいつヨ。ご納得だったら、あんたさんも贔屓にしてやってくんな。けっこう見どころが多ござんすヨ。

NHKさんへの投げ文

 八月二日の放送を見せてもらいやしたゼ。
 時代劇にあんまり取り上げられことのねへ湯屋の場面でそこの湯船が出たり、湯屋の二階の場があったり、珍しく見どころになりやした。
また、蕎麦屋の場面ぢァ、どこの時代劇でも飲み食い物屋ッてへと、机に酒樽ッて江戸の比(頃)にァありもしねへ道具立てが普通にまかり通っておりやすが、それをせずに板場の見世(店)だったのハよござんしたねェ。
矢場もよかったねェ。緋毛氈敷く造作もよかったが、客が矢場女の尻ィ狙って矢ァ放つなんぞハ川柳に詠んでるまんまで嬉しくなりやしたヨ。
 長屋の場面ぢァ井戸枠が樽で、上に屋根なんかつけてねへのがよかったねェ。主役が住む部屋ハ畳が上げてあって、そいつゥスッと床に敷いて見せるとこ、二階へ上がるのが階段ぢァなくて梯子になってるのも実正(ほんと)らしくていゝぢァありやせんかい。
 見どころいっぺえで、場面が変わるたんびに目ェ離せねへゼ。
 いゝ時代咳、造っておいでだねェ。これからも、木曜楽しみにしておりやすヨ。
 たのんますヨ。

江戸狂ひ 喜三二

浅草寺薄紅観音(せんそうぢねげしゃうくわんおん)

 呑屋の神谷の角で振りけえるト浅草広小路(※1)の西の先、さしものお天道様も田原町の方へでへぶ傾いて勢いが弱くおなりヨ。そんでも土用。うだるよふな温気が、晴でもなきァ曇るでもねへ空ァを埋めつくし、もふ暑いと言ふ科白吐くだけでもつれへから勘弁しておくんなッて言ひてえほど、暑いゝちンちがそろ終わろうトしておりやすのヨ。
  角を馬道(まみち)の方へ一歩踏み出すッてへトそよとも空気が動かなかった広小路が啌(うそ)のよふサ。心地いゝ風が北州(ほくしゅう)の方から、吹いてゐるぢァござんせんかい。やっぱり浅草ァ粋なとこヨ。風まで吉原から吹きァがる。野暮なとこほっつき歩いてゐる手合いハざまあ見ろッてのヨ。こうこなくっちャ、夏の宵は決まらねへゼ。いまゝぢァ青菜に塩で時化(しけ)てゐたが、いゝ風ひと吹きでしゃんとしやしたゼ。
 どうせこの世は風まかせ、吹いたお方になびくだけッてネ。さて、ご挨拶にゆきやしょうかネ。別嬪観音目指してツイと路次ィ曲がりァ、また蒸れる暑さに、いっぺんとまった汗が吹く。おなじ吹くでも風と汗とぢァ大違い。こいつァ田町(※2)ト水茶屋へ逃げ込んだッて次第サ。月の沈む山の端(は)もなし(※3)ッて小馬廉(こばか)にされたこの吾妻でも、いまぢァ鉄筋の端がのこ刃(※4)のよふに立ち並び、日の沈むになんの造作がゐるものかッてね。もう四半時もつぶしャぁお天道さんも姿隠してくれやしょう。「コウ(※5)お仙(※6)のばゞあ、粗茶ァくんな。「お生憎さま、わっちァお仙でもばゞあでもござんせん、まだ女ざかりの女将だヨ。その上なにをお客さん、粗茶なもんかネ、うちァ宇治の生一本。「莫迦(ばか)ァこきァがる。茶に生一本があってたまるかッ。「はゝゝ、ばれ元、ハイ煎茶。「けふの充(あて)ハなんだい。「けふはお客さん運がいゝヨ、抹茶の葛きりだヨ。「オヤ粋なもん出すねぇ。お江戸やめて上方に宗旨がへかい。
  いちンちほッつき歩いて乾いた咽に、渋い煎茶が吸い込まれる。猪口見たよふな茶碗で駆けつけ三杯。やっとひッついた咽がなめらかに。これで人心地がつきやしたッてもんヨ。白漆で勝虫(※7)散らした勝色(※8)印伝の合財袋から南鐐(なんりょう[※9])の延べ烟管、小粋なんて野暮な銘柄ァ名乗った刻みィ詰めて、ふわりと吐き出すこの旨さ。
  「ときに女将、宝蔵門(※10)の修理は終わったッて聞いたが。「オヤお客さん、浅草ァご無沙汰かい。かれこれひと月サ。見事なもんだヨ。見てけえんナ。「それよ、そいつゥ拝みに来たッてことヨ。汗ェ引くン待ってんのサ。「はい\/、どうぞゆっくりお休みを。
  多葉粉(たばこ)をもう一服。たなびく煙の間から、通りの様子、行き交う人をぼんやりと、眺めてすごす四半時。夕の気配も七ツ半。「あばよ。茶代ハこゝへ置いたゼ。「あいよ、ありがとゥござい。
  ぶらりと出たは弁天通り、そこを曲がって仲見世へ。「おャ、なんでえ。そこもかしこも見世ハ戸を下ろし、早仕舞。歩く人影まばらな不景気。「こいつァあてが外れ乃介だゼ。
  見上げりァ、水に薄めた御納戸茶の藍鼠色(あいねずいろ)の空。その下にでんと構えた宝蔵門。ここしばらく幔幕に包まれてお隠れのお姿を堂々ご開帳の見事さヨ。まずはくゞって、観音さまへご挨拶。きざはし(階)登って賽銭をト見りァなんと、大戸お閉めになっておいでぢァござんせんかい。「鳥渡(ちょいと)観音さん、もうお休みかい。いくらなんでも早かァねへかい。まだ宵の口にもなっちァおりやせんゼ。それとも間夫(まぶ)でも引き入れて。ト詮索するのもなんだから、贋南鐐ひと粒(※11)かんからかんト放り込み、ご縁の断えねへことを願ってドたまァ(頭)下げてお参り済ませ、急な階段杖突いておっかなびっくり下りァ、「お足元があぶのふございますよ。ト深切(親切)なご婦人の手。見りァ大店(おほだな)のお内儀風。もう観音さまのご利益か。うれしや握る手と手。その掌(たなごころ)の温かさ。見交わす目と目の微笑みに、つい足元も忘れがち。いっそう強く支えてくれるご深切。下の石畳のなんと近いこと。いっそ永久(とは)階段が、続きァいゝと思えども、思ふにまかせぬが浮世の常。「ハイ、お気をつけて。ト放されて残る己が手の侘しさヨ。
 見上がりァ夕暮れ色になった空背景に、宝蔵門が薄紅の色。夕日の紅か人工の、電気仕掛けの紅灯(べにあかり)。ほんのり染まった寝化粧、その色気のほどは最前の、お内儀様か観音か。もいちど動悸が高鳴って、十は若返った心持ち。お賽銭は安いもんだねェ。

附(つけた)り
(※1)浅草広小路。雷門前の広い道路。江戸時代の呼び名。両国、上野とともに、日除地として広小路が造られた。
(※2)田町。たまらないを洒落て言った。
(※3)月の沈む山の端もなし。俗歌に「武蔵野は月の入るべき山もなし草より出て草にこそ入れ」と詠まれたのを踏まえている。紀貫之の土佐日記に「都にて山の端に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ」がある。
(※4)のこ刃。鋸の刃のこと。
(※5)コウ。呼びかけ言葉。現在「オイ」と書くが、江戸時代の文献では「コウ」または「コヲ」と表記している。
(※6)お仙。江戸、谷中、笠森神社前の水茶屋鎰屋(かぎや)の看板娘。浮世絵師鈴木春信が描き、江戸随一の評判となり、絵草子、双六、歌舞伎にも取り上げられた。
(※7)勝虫。とんぼのこと。とんぼは後戻りしない虫なので、武士の間で尊重され、この名で呼ばれた。
(※8)勝色。かちいろ(褐色、搗色)。濃い藍色。「かち」は「勝ち」に通じるところから、武士の間でこの色を尊重し、鎧などの武具に用いられた。武田信玄の風林火山の幟にも使われていた。
(※9)南鐐(なんりょう)。精錬された純銀の意。語源は支那。良質の銀は支那では産出せず、南方より輸入していたところから、この呼び名がついた。
(※10)宝蔵門。先頃改修工事が終わった。浅草寺本殿前に立つ楼門。浅草寺の宝物殿。平安時代の中期から建てられていたと伝えられる。家光によって慶安2年(1649)に建築された。昭和20年(1945)の空襲で焼失したが、昭和39年(1964)ホテルニューオータニの創業者大谷米太郎の寄進で復興された。
(※11)贋南鐐ひと粒。銀貨風の100円硬貨を洒落て言った。

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