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2007年6月28日 (木)

宵深川浮名川竹(よいのふかゞはうきなのかはたけ)(※1)

 長屋の角ォ曲がると、干鰯(ほしか[※2])魚油(ぎょゆ[※3])の招牌(かんぱん[※4])、瓦葺きの廂(ひさし)に掲げた油問屋(あぶらどひや)。こゝは深川佐賀町油堀(※5)下ノ橋辺(へん)。川風が御納戸茶の小千谷縮の裾を吹き上げる。掘割の前にァ馴染みの船宿相模屋。お誂へ向きに桟橋にハお目当ての猪牙舟(ちょき)一艘。
  喜佐次「コヲ(※6)女将、堀(※7)まで猪牙出しておくんな。女将のおけい「アラ旦那、お出でなさいまし。上がって鳥渡(ちょっと)待ってゝおくんなさいナ。いま船頭が出払ってましてね。喜「出払ってるッて、舟ェあるぢャねへかい。女将「いやサ、舟はあるンですがネ、手の方がたんなくて。喜「徳さんはゐねへのかい。女将「あい、徳さんハいま、その堀までお初姐さんを迎えにネ。喜「そいぢァ熊公がゐるだらう。女将「腹痛(はらいた)でねェ。喜「またかい。そいつァ前みてへに、百両手に入れた夢見てゝめえの両金握り、痛さに飛び起きた咄(はなし[※8])ぢァねへのかい。女将「いやですよ、旦那。熊だってそう\/おんなじ手ハ使いませんヨ。こんどはどうやら実正(ほんと)らしいンで。ゆんべ屋台の天麩羅でよしァいゝのに蛤ばっかし五本も喰ったらしいンですヨ。あいつァほんに意地汚い間抜けで、困ッちまいますよ。喜「しょうがねへ。上がって待つか。女将、一本つけておくんな。女将「ハイ、ただいま。
 跡(後)から、三輪髷(みつわまげ[※9])の女がひとり。鳥の子の地によろけ縞、鯨帯(※10)を猫じゃらし(※11)に〆(しめ)、ひょいと右肩で挨拶して入って来、「ごめんなさいまし。女将「オヤ、於喜乃(おきの)姐さん、お早いお戻りで。もふご用はお済みかい。喜乃「なにさネ、用ッたって、おッかさんの見舞だから。女将「アラ、おッかさん、お加減悪いのかへ。喜乃「先月辺りからゝしいンだけどネ。旦那の耳ィ入るとわりいッて遠慮してネ。ほんに水臭いヨ。女将「そんなもんさネ、親ッてへのは。気ィ活かしてまた見舞ってやったら喜びやしょうヨ。喜乃「そうだねェ。そうしますヨ。旦那もいまァ上方へ行ってお留守だしネ。
  女将ハ咄ながら、長火鉢の銅壺から銚釐(ちろり)を引き出し、指で底の燗をみ、「ハイお待ちどうさま。燗がつきましたヨ。ト喜佐次の前の猫板(※12)へ出す。喜「姐さんも、一緒にイッペどうだい。喜乃「あたしもご相伴していゝンですかい。喜「どうせ、船頭が戻るまぢァ舟は出ねへヨ。喜乃「そいぢァ鳥渡お供させていたゞきましょうかねェ。女将「そう、姐さんも、そうしなさいナ。あたしァ堀の取ッかゝりまで見てきましょう。ト女将は下駄を突っかけて出て行く。
  喜「サいっぺえ付き合いなせへ。どうせ舟は一艘、せんど(船頭)は一人だ。喜乃「アレ、船頭さん二階に居ないのかへ。喜「そうなんで、いま徳さんが戻るから、それで出るとこダ。姐さんハどちらまで行きなさる。喜乃「向島サ。喜「黒板塀かい。喜乃「まァネ、嫌な旦那だヨ。喜「形(なり)が白(※13)ぢァねへヨ。喜乃「ふゝゝ。喜「向島なら、真向かいサ。あっしァ堀で上がるから、行きに降ろして行きやしょう。喜乃「オヤ、旦那粋なとこへ。喜「なァに、娑婆の付き合いサ。喜乃「オヤ\/。ト笑いながら、盃を一気に干し、「ハイご返杯。喜「こいつァいゝ呑みッぷりダ。嬉しいねェ。盃をとったりやったり、呑み交わす。そのうち表が暗くなり、サッと雨の走る音。喜乃「アレ、雨が。喜「やなときに降って来やがったが、しんぺえねえゼ、徳が漕ぎ戻って来るンは屋根舟(※14)ダ。そいつで行きやしょう。濡れずに済みやす。
  雨は風を呼び、土間へ吹き込んで、「ヱイ、しょうのねへ雨だゼ。喜佐治立って戸口から空を仰ぎ、「空ァ真ッ黒だゼ。こいつァしばらく止みそうもねへ。ト引戸を〆る。喜乃「困ったねェ。喜「お急ぎかい。喜乃「寮にァ女中の小娘一人残してるからネ。喜「マじたばたしても雨ァ止まねへ。呑んで待つにかぎらァ。トまた注ぐ。喜乃「アレ、そんなに注いだら酔ッちまうヨ。喜「酔うなら酔いなせへ。舟で寮までお連れしまさァ。喜乃「ほゝゝゝ。
  暗さを増した八畳間、長火鉢の銅壺の炭ばかりが赤々と、二人の脇の薄明かり。喜乃「ほんに、ト言ったその弾み、雷(らい)が轟き、喜乃「アレ、恐ひ。辺りに響く轟音に、喜「ヤどっかへ落ちたゼ。ト言ふ間もなしの稲光。その轟音に耳をふさぎ、喜乃「あッ。と叫んで身を伏せる。投げた裾から緋縮緬、光に眩しい白い足。
  丁度その比、首尾の松(※15)、お初を乗せた徳の舟。舫(もや)ッて雨を忍べれど、屋根を打つ雨足に、初「徳さん、中ァへえんなヨ。徳「いやァ、せんどが姐さんのゐる中ァへえるわけにァいきやせんゼ。初「誰も見ちァいませんヨ。そこぢァ濡れるばっかしだもの。見てるのは川の魚くらいのもんさネ。徳「そうですかい。そいぢァ、ちょっと入れていたゞきやしょうかネ。初「あゝ、そうおしナ。徳さん、お酒、少し残ッてるかい。徳「エヽ、いま(燗を)おつけしますヨ。初「すまないねェ。徳「なァに。鳥渡お待ちを。初「あたしァ驚いたのサ。徳さんが船頭になったッて聞いてネ。あんな綺麗な若旦那が。徳「勘当されちまいやしてネ。初「だからサ、いっそう驚いたのサ。あたしァねェ、お酌の時に若旦那だった徳さんを見てネ、一目で。徳「一目で、初「先を言わせるンぢァないヨ、この人ハ。トそこまでお初が言ったとき、川面を走った雷の轟き、はッと息を呑んだお初は、徳の右手へすがりつき、初「アレっ、恐ひ。闇の水面(みなも)を昼と紛う明るさに、一瞬照らした稲光、崩れた裾から覗く足。
 女将「鳥渡、旦那、起きてくださいナ。その声が次第に遠く変わって男声、「お客さん、閉館の時間でして。肩を揺すられ気がつけば、こゝは深川江戸資料館(※16)、船宿相模屋の八畳間。
  お初徳兵衛(※17)馴れ初めの一節、横読みのこれにて幕。

(※1)浮名川竹(うきなのかはたけ)。浮名と浮き川竹を懸けた題名。浮き川竹は、水を吸って水面に釣の浮子(うき)のように立って浮き、潮の上げ下げに揺られて居所を定めぬ様子を人の人生にたとえて言った言葉。浮きは鬱きに懸かる。
(※2)干鰯。脂を絞った後の鰯を干し、肥料用としたもの。深川辺りの油問屋では、銚子から江戸湾を通らず川伝いに運び入れ、それを上方へ送っていた。金肥。
(※3])魚油。鰯などの魚から絞った油。臭気が酷かったが値が安かったため、一般町人の灯などに用いられた。
(※4)招牌。看板のこと。江戸の百科事典と呼ばれる喜田川著『守貞満稿』では、この字を当てている。
(※5)深川佐賀町油堀。この川の上を現在は首都高速道路9号線が通っている。下ノ橋は隅田川から入って最初の橋。
(※6)コヲ。現代で呼びかけに言われる「オイ」を江戸の頃は、「コヲ」または「コウ」と表記した。
(※7)堀。山谷堀のこと。そこで舟から上がり、日本堤をたどって吉原へ行った。
(※8])落語「夢金」の噺。志ん生、圓生が高座にかけた。
(※9)三輪髷。江戸末期、女師匠や妾が多く結った。髻(もとどり)を三つに分け、二つを左右で輪にし、残りを真ん中で輪にする髪形。
(※10)鯨帯。裏表で色の違う帯。元々は黒繻子と白布。俳諧(夏)「汐ふくや汗のうら衣の鯨帯(遊水)」。
(※11)猫じゃらし。帯の結び方の一種。左右を不均等に垂らし、まるで猫をじゃらすように見えるところからこの呼び名がついた。
(※12)猫板。長火鉢の端、下に引き出しを仕込んだ部分に載せられた板。よくここに猫がうずくまるところからこの呼び名が付いた。
(※13)白。素人のこと。玄人をクロと呼んだ。
(※14)屋根舟。屋根懸けの舟。初めは簾などで周りを閉めたが、次第に障子となる。屋形船と呼ぶのは、異名家だけに許された大型の遊山船で、屋根は唐破風造、部屋が幾間もあるものを言う。
(※15)首尾の松。浅草蔵前、隅田川べりにあった松。吉原通いの目印となっていた。
(※16)江東区深川江戸資料館。http://www.kcf.or.jp/fukagawaedo-museum  船宿『相模屋』は、その中に展示のために建築されている。
(※17)お初徳兵衛。人情噺『お初徳兵衛浮名桟橋(おはつとくべえうきなのさんばし)』。文楽、可楽、志ん生が得意とした噺の一つ。

2007年6月24日 (日)

神田藪午大繁盛(しにせひるのおほぞめき)

 淡路町の角から須田町へ向ふ大通りを行くッてへと、曲り角の先にあのまつや(※1)の江戸ン比(頃)の商家の建物を思はせる見世(店)が目にへえる。辺りァ西洋かぶれの鉄筋ばッかしで空々しいが、そこんとこだけ、ひと息つかせる佇まい。その眺めに鳥渡(ちょいと)足ィにぶったが、けふは神田の藪蕎麦(※2)と腹ァ決めて出てきたんで、まつやさんにァまたの御目文字と失礼し、左へ折れて藪へ向ひやしたネ。
  そこもまつや同様、鉄筋西洋に囲まれて、いまぢァ孤立の昔の日本。なんだか世の中、西洋ぢャなきァ夜も日も明けぬ国になっちまッて、あっしァ目くらましにあってるような気分だゼ。情けねへ国ヨ。
 比(頃)はちょうど時分時、あっしの前にも初老の勤人風のお二人さん。枝節残したぶッとい檜の磨き丸太の門柱の間を抜けて石畳。脇を彩る笹の葉竹の葉そよ\/と、暑さを忘れる風情だゼ。敷地へゝえりァもうそこは日本一色。西洋のせの字も感じさせねへ心地よさサ。
  開け放った見世ン中は、もう多くの客の姿。席に余りがあるとも見えねへ。こいつァわりい時刻に着ちまったか。見世の脇にァ待合を設へてある用意のよさ。だが、待たされるかと思ひきや、すかさず飛んできたお出迎えのあの呼び声、「いらッしゃァいぃぃぃぃぃぃぃ。音引きのーがなかった江戸の比の書き方すりァ、「いらッしゃァい引  だが、末尾のいの字の引っ張りは、引一文字ぢァとても足りねへ。引々々々々々ッてくれへつなげにァなんねへだろう。名代のこゝの呼び声を書き表すにァ、式亭三馬の大師匠が生きていらっしゃッたとて、容易ぢァなかろうヨ。
  さて、どうぞあちらのお席へト案内(あない)を受けて、中へ一歩随意寺、見世の真ン中ァ椅子の席、右手が釜場調理場。間にァ大きめの帳場。こいつを置いて、そこで見世の主なり女将が客に絶えず気配りし、使用人を差配するのが、江戸の昔からの蕎麦屋の仕来り。見世の左手は畳を敷いた広めの小上がり。そこにァなんと二月堂(※3)が並んでゐるぢァござんせんかい。うれしいねェ。こんな風流なもん使ってる見世ェ初めてみやしたゼ。
  二月堂にァ思い出ありやしてネ。あっしンちでも祖父母の代から、かれこれ百年も使っておりやす。いっぺんあっしが素人だが塗り直しいたしやして、まだ使っておりやす。そいつがこゝにもづらりと並んでゐなさる。窓の外にァそよ風に揺れ夏の光にきらめく清々しい竹の緑。こうしたとこにァ二月堂はお似合いヨ。
  出来ますものハと品書を繰りァ、こゝにもござった菊正宗。こいつァあっしとハ浅草は並木丁の藪(※4)ですっかりお馴染みの間柄。袖にするわきァいかねへのサ。デこいつヲ一本、ぬる燗で。合わせる肴は、こゝンちの名物、ご存じ天たね。蕎麦ァこいつら平(たい)らげてからッてへことで、お頼み申しやしたト覚(おぼ)しめせ。
  まずご到来は、徳利、盃。ともに白磁のすっきりもん。姿形が清々しい。袴は木の刳(くり)もの。酒ェ呑ませるッて言やァどこでも考えもせずにグイ呑みが当りめえと思っている手合いが多いが、こゝぢァそんな野卑な真似はしていねへ。薄手造りのお盃とくらァ。やっぱり酒ェ舐めるにァこふこなくちァいけねへゼ。突出(つきだし)ハ蕎麦の実を練り込んだ辛味噌。それを箸の先に鳥渡(ちょいと)付けて舐め、次に菊正を舐めるッて寸法サ。
 ハイお待ちトとゞいたは、けふのお目当て天種。握り拳ほどの大きさで、とりわけ見事なのはその天辺。ふわ\/しゃり\/と細かく泡立ったようなそのお姿は、加藤唐九郎が焼いた黄瀬戸の茶碗か、林家三平のリーゼント天窓(あたま。頭)かッてえくれへダ。こんな見事な掻き揚げ、あっしァいまだもって見たことねェ。上に青菜が二三本。黄色に緑でその映えること。箸ィ突ッ込んで割るのがもったいなくて、しばし眺めて手ェ合わせたくなッちまったゼ。
 たねの芝海老への火の通りは丁度いゝ加減だし、油の切れもよく、鬱陶しくなることのねへ仕上がりサ。
 最後の〆(しめ)にァ、当然蒸籠のつもりでいたが、卓上におかれた時期のおすすめ、蓴菜(じゅんさい)蕎麦が目に入り、今の季節のものなら、そいつゥ喰うのが長生きの秘訣ト誂へやした。
 残りの盃干しながら、待つ耳に入ってくるハ見世のぞめき(騒き)。大勢のお客が咄ィ交わして蕎麦を喰う、そのざわめきかいくゞり、帳場を仕切る若女将が釜場へ通す注文の声、「せいろイチマイィィィィィ」の長音引きが糸のごとく余韻引き、まるで声明聴くようで、こゝは別の天地にゐるようで、こいつァ並の蕎麦屋ぢャねへ。老舗ッて言ふもんハこうして形を持つものヨと教えてくれてるような見事さサ。蕎麦も見世の造りも客扱いもいゝが、全部を仕切るこの声音、これが無上の味わいと知りやした。

(※1)まつや。http://www.dab.hi-ho.ne.jp/cybersoba/matsuya/Desc_Matsuya.htm
(※2)神田藪蕎麦。http://tokyofood.exblog.jp/1298017
(※3)二月堂。東大寺二月堂食堂で用いられる折り畳みの卓。黒漆仕上げで角に朱線を引いてある。裏面に二月堂ならびに食堂の朱文字が入っている。
(※4)並木丁の藪蕎麦。丁は町の意。江戸切絵図では両方の表示がなされている。http://donraku.moo.jp/wa/yabusoba.html

2007年6月22日 (金)

初音聴く

 けさ、起きぬけにゆっくり淹れた朝茶を呑んでゐると、遠くからかすかながら初音が聴こえやしたゼ。いゝもんだねェ。あゝ夏だッて思える一瞬ヨ。

 ゑどのお人たちァうぐいすより、ほとゝぎすのてっぺんかけたかヲ喜んだそうでやすネ。
 八「コヲ(※)、けさァ、おりャあ初音聴いたゼ。熊「おいらァ、おとつい聴いた。与太「あたいなんぞハもっとはへえ、きょねんの夏きいたヨ。
  こんな莫迦ッぱなしがごぜえやすねェ。鳥渡(ちょいと)思ひ出したもんで、一筆啓上。

  喜の字

附(つけた)り
(※)相手に呼びかける「オイ」を江戸の頃には、「コヲ」または「コウ」と書いた。

2007年6月17日 (日)

甲州街道又旅人(こうしゅうかいどうまたゝびにん)

 きのふの七ツッ(4時)比(頃)のことヨ。町ィ夕飯の惣菜を買ひに行こふと谷ィ下り切ッた処で鳥渡(ちょいと)車停めて買出(かいだし)の手控えを確かめておりやすと、見かけぬ町者らしい男が声かけてきやしたのサ。「駅までまだどのくれへありやすか。そうあっしに訊きやす顔は、歩きづめだったのか上気して汗にまみれておりやす。「そうさねェ。まだ十五丁(1.5㎞)くれへございやしょう。それ聞くと、その六十路前後の親爺ァ鳥渡げんなりした顔見せやしたが、気ィ取り直すようにひょッこり天窓(あたま。頭)下げ、元気に足ィ踏み出して行きやした。
 こっちァ車なんで、走りだすトすぐに追いつき、西日受けていかにも暑そうに急坂登ってるンで、「乗って行きやすかい。ト声かけるッてへと二つ返事で、ありがてへッて乗り込んでおいでサ。「どっから歩いてきたんで。「甲府からです。オヤこいつァ乙だゼ。とッつァんの歩いて来た方角は、甲府とハ真逆。諏訪の方からト見受けたし、甲府のお人とも詞(ことば)つきが違う。
  そいで聞いてみりァなんと、川崎のお人ヨ。それが甲駅(新宿)振り出しにしてか、甲州街道を歩いてござるッてへから驚いたネ。「いまゝで峠二つ越へやしたが、けふのがいっちきつい。トおっしゃる。峠たァ小仏と笹子サ。笹子峠の旧道はいまぢァ通るような酔狂な車ハねへから、静かそのもの。山賊が出た方が似合うような山道だゼ。
  咄ィ聞いてこれでとッつァんが逆の方角から歩いて来たのが合点がゆくト言ふもので、出会った辺りァ八ヶ岳南麓の末端、その先ァつづら折りの急坂で釜無川へ真っ逆さまに落ちて行く。川を渡りァ日本の宿場百選だかに選ばれたとか言ふ台ヶ原の宿があり、そこを旧の甲州街道が通ってゐる。川崎のとッつァんハそいつゥ登り詰めに登って来たッてわけヨ。まだこの先十五丁も登りが続くッて聞きァげんなりするのも納得サ。
 けふは列車で甲府まで来て、そっから歩き継いだそうだ。「暑かァありやせんでしたかい。ト尋ねると、「風がございやしたンでネ。だが二十号線は貨物自動車(トラック)が多くて、巻き込む風で、三度も帽子飛ばされやした。
  これがほんとの三度笠と腹の中ぢァ思ったが、へばッたお人に洒落を飛ばしちァ罪だから、納めておいて、「犬目の宿辺りァ旧街道の風情が残っていてよござしョ。「えゝあそこ辺りはよかったですねェ。
  そうこうするうち駅に着き、へいお気をつけてトお別れ申しやした。
  そん日は丁度日曜日。そうした日に歩いてお出でのところォ察すれば、まだお勤めの身と思ふが当りでやしょう。そろ\/今までの来方ァ終(しま)いに近づくトなるとなんか自分を確かめたいような気になるお方ァ多いよふでやすからねェ。そいで、いちンち歩いちァ又次ンときにそこまで列車で来て、又旅(またゝび)ィ続ける。そうしてまだ\/おいらァ達者と安堵する。あっしァとうに六十路も半ばのぢゞいながら、なんだか分かるような気ィいたしやしたヨ。そうしたお人に直にお会いするンは初めてでやすが、なんか他人のよふな気がしねへのサ。

2007年6月12日 (火)

池之端紅裏四畳半(いけのはたゑにしのよぜうはん)

 無粋な車連中の空騒ぎ、音にあふれた池之端、その大通りからついと折れると目の前は、水鳥の唄も聞こへぬ黙(だんまり)の、その名もなだけえ不忍池(しのばずのいけ)。蓮の花がそろ\/見比(頃)、なんて風の噂に乗せられて、来てみりャこの始末。今にもしずくの五(いつ)ツ粒十(と)粒、落ちてきそうな雲の下、どんより沈んだ水面(みなも)には、竹の棒ぢァあるめへし、つん\/突ッ立つ枯れ茎は、極楽浄土の成れの果て、蓮の台(うてな)の土台茎。浮き川竹の風情とも、呼ぶに呼べねへ枯山水。侘だの寂だのありがたがる、風流人種のお遊びなら、泪流して大(おほ)喜び、ところがどッこいお生憎。こちとら勇(いさみ)気分の大ぢゞい。歳ァとってもわけえもんにャ引けとらね、気ッ風で通すお兄(あに)ィさんヨ。
 緑の木陰目にも鮮やか、元の呼び名は石畳、いまぢァ役者名前で通る市松模様の大壁そなへ、懸けた招牌(かんばん。看板)、その名も堂々、台東区立ハ下町風俗資料館。こゝで時を過ごして一休みと洒落やしょう。
  ずいッと入りァすぐに商家の造り。商(あきな)うもんハなんと珍し鼻緒(はなを)のお見世(店)。暖簾(のうれん)くゞッて見世の中。正面間近に格子のしつらへ。まさか北州(ほくしゅう[※1])の籬(まがき[※2])真似たぢァねへだろが、格子囲いの帳場があって、ぶら下がるはお定まり、儲けをしるした大福帳。机の上にァ懐かしの、五ツ玉の十露盤(そろばん。算盤)一丁。
  あっしァ商にァ縁のねへ遊び人の安隠居。長居は無用とおさらばし、路次のどぶ板踏んで裏長屋。入ったとっつきァ駄菓子屋風情。これが聞きし裏店(うらだな)か。人気(ひとけ)のねへのを幸いに、なんて言やアまるで白浪(※3)擬(もどき)。 ここは人がついさっきまで住んで暮らしてゐたように、こしらへめかした造りが売りの資料館。上がってもよござんすヨと案内(あない)の人のお許しもらい、三尺土間に足駄を脱ぎ、御免なんせト上がりこんだが四畳半。縁無し畳の真ッちかく(四角)。敷いた枚数与枚半。数は合うが、その小さゝ狭さ。戦後昭和の文化住宅、団地サイズの小畳(こだたみ)が狭い\/と小莫迦にされ、西の京間は大広(おほひろし)、関東江戸は貧乏しょてへ(所帯)、その証がこのけち畳と罵られたが、それよりも一段せめえこの四畳半。先客ァ一人。着物姿に赤い手絡(てがら)がよく似合う、女盛りの年増とにっこり会釈を交わし、袖擦り合うも他生の縁。「オヤおいでなさいまし。「姐さん、お邪魔いたしやすヨ。「なアに遠慮はご無用よ、私(アタシ)も旦那とおんなじ、上げてもらったお客さネ。「そいぢァこれをご縁にちょいの間の、仮のみうと(女夫)の振りでもしやしょうかネ。「まァそれは粋なお遊びで。にっこり微笑み流すその目元。これが色気と言ふものサ。
  お誂へのように卓袱台(ちゃぶだい)の上にァ徳利一本盃一つ。「鳥渡(ちょいと)姐さんいっぺえいかねえかい。「アレ旦那うれしいねェ。空徳利の尻ィ上げ、注いだつもりに、呑んだつもり。空盃を一気に干す気ッ風のよさに、「姐さん、いける口だネ。「なにをおっしゃいます。サご返杯。「オヲ\/、今度あっしに注いでおくれ。注しつ注されつ注されて注して、空徳利の真似遊び。互いに酔狂(すいきょ)なごっこにホヽヽハヽヽの大笑い。洒落が通じる嬉しさヨ。
  サテこいつァいつの長屋だい、問おうて訊ねりァ、なんと江戸からはるかこっちィ来た大正の、れっきとした安普請。天地ひっくり返ッたあのご維新から、四五十年経っても変わらぬ九尺二間の長屋の形。こいつァいゝ部屋へ上げていたゞきやした。ありがた山でお礼申しやす。
 じっくり見りァそれはそれで江戸とハ大違い。脇に押入、濡れ縁に続いて厠一つ。江戸の昔にァ厠は長屋の路次奥に下半分の扉を付けた後架が共有。一軒一軒に厠がついたなんぞ、泪でるほどの大贅沢。押入なんぞも昔ァありァしねへ。布団は部屋の隅に畳んで置くのが当り前と聞いておりやした。
 壁沿いにすっかり渋色に変わった桐箪笥一棹(ひとさお)。それに並んで桑の木目渦巻く茶箪笥一ツ。その上にァ小物入れ。引出の摘み目ェ寄せて見りァ、なんと小指の先よりまだ小さい柿の実のこしらへ。赤銅(しゃくどう[※4])の蔕(へた)もついた凝りよふヨ。こいつァ錺(かざり)職人の腕の見せ処。いゝ道具使っていなさったンだねへ、この部屋の住人ハ。
  どんな人だいと訊きァ婆さんとお娘(むす)の二人暮らしとか。ついと立った姐さんが、引き出し開けた箪笥を見りァ、縞の着物が二枚三枚。細縞から太縞まで、ぜんぶ縞づくしの意気着物。昔の住人、こいつァ玄人、白人(しろ[※5])のおむす(娘)ぢァねへナ。姐さんの広げた長着の袖口見りァ、緋色木綿の裏がつく。渋い表に目を射る裏地。その緋色の袖から白い腕、思ったゞけでも艶かしい。こんな着こなしのおなごし(女子衆)に、どっきり出会ったらもうそれだけで、色の底無し沼にはまり込む。思っただけでも先が見えてらァ。
  姐さん、ちょいと羽織って見せておくンなトおねだりすりァ、あいよお安いご用さネと肩にかけたる茶紫の太縞が、今の姐さんいっそう引き立て、憎らしいほどよく似合う。ぢゞいと雖(いえど)もあっしも男、動悸が打ってどうしようもねえ体たらく。
  長居するは命取り。そろ\/お引けトいたしやしょうと四畳半を跡(後)にすりァ、アタシもそこまでご一緒にト付いて出てくる姐さんと、一歩踏み出しァ案の定。ぽつりぽつりの雫落ち。「オヤ、雨。「傘に入ってお行きなさいナ。ト広げてくれたは青紫の、目に鮮やかな蛇の目傘。思ひがけねへ相合い傘。ふと触れ合う指と指トハならなかったが、広小路の角まで歩み、そいぢァ旦那アタシはこゝでと軽い会釈。姐さんありがとさんヨと別れて二歩三歩、振り返って見りァいまあった姿がかき消され、あれは夢か幻か。はたまた不忍の弁天さんか。弁天様なら、巳年のあっしの守り神。こいつァご利益、いゝ年となる予感。
  お粗末ながら、池之端路地裏の抜き読みでございます。

(※1)北州。吉原のこと。江戸の北にあったので、こう呼んだ。北国(ほっこく)とも。
(※2)籬。吉原の揚屋に格子があり、その奥に花魁が並んで顔見世をした。
(※3)白浪。泥棒、強盗などの別称。歌舞伎などではこの呼称が使われた。白浪五人男など。
(※4)赤銅と書いて「しゃくどう」と読む。漆黒の銅合金。金を三分から六分、さらに銀を一分含む。
(※5)白人。しろうと(素人)のこと古くはこう表記した。はくじん。略して「シロ」と言った。これに対して商売女を玄人(くろおと)、略して「くろ」と呼んだ。

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