無料ブログはココログ

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月30日 (月)

しッぢゅごンち

 町に馴染みの水茶屋(喫茶店)があって、そこのとっつァんハ魚屋やっておりやす。昼に伊太利(いたりあ)の珈琲の特急(えすぷれっそ)いっぺえ呑みにいったら、朝掘りの竹の子が二本届きやしたンで、一本こっちへ曲げてもらい、すぐにけえって一握りの米と鷹の爪ぶちこんでとろ火で下煮しておいて、養生所へ夕寝に行きやしたヨ。
  竹の子ァせっかちだから待ったなしで料じて喰うの常道なんだが、生憎そン日ハ透析養生所へいちンちおきに行くお定まりの曜日なんで仕方がねへのサ。
  デ翌ンち、竹の子飯と焼き竹の子にして喰いやしたヨ。飯の方は、水加減少なめにしておいてその分、酒を入れ白醤油と濃口(醤油)とちょい塩で味加減し出汁昆布載せて、刻んだ竹の子散らしておいて跡(後)ァ焚くだけのこと。
  焼き竹の子ハ味醂と醤油の鳥渡(ちょっと)甘辛の付け汁を輪切りのそいつに塗り、網で付け焼きするだけの簡単仕事。その間に庭の隅の山椒の木から新芽をちぎって来て、包丁で荒く刻ンで、焼き上がりに山と載せて酒の肴といたしやしたのサ。味と香りがかろやかで、跡味になんともゆえぬ甘味が湧き上がり、極楽\/。こんなちっせへことが幸せッてへもんだゼ。初もん喰うと七十五ンち長生きするッてへ噺だからネ。

2007年4月29日 (日)

おかめくずし

 天保暦は弥生(三月。西洋暦4月)は六日(22日)のことヨ。昔ァ広目屋稼業を長年やっておりやしてネ、まいんち飽きもせずに夜中まで文机に向い、背中ァ丸めてちびた鉛筆舐め\/引き札(広告びら)の惹句(じゃっく。キャッチフレーズ)書きなぐッてた報いか、首が曲がちまッておりやして、近比(頃)その素ッ首の座りが悪くてしょうがねへ。肩ァ張るし、首ァまわらねへ。そんで朝早くから亀戸くんだりの揉み療治の先生訪ね、終わって出てくりァもう午(ひる。昼)ヨ。
  サテどうするかと駅で路線の絵図ゥ眺めてみたら、なんといまぢァ錦糸町から押上村へ抜ける土竜(もぐら)電車があるぢァござんせんかい。そいつで辿ると浅草へひょいと出られる。こいつァしめこの兎ッてんで、例の通り浅草へ伸したとおぼしめせ。
  浅草と言やア並木の藪ヨ。なんでそこの屋号に藪の文ン字がつくかッてへことハ前にも書いたが、江戸の昔ァそこらを並木町と言ったからなんだが、ほんに並木が生えていたかどうかは分からねへ。
  あっしがいつも寄るのハ八つ比、いまの時刻で言やァ2時頃ッてへことになりやしょう。ところがけふは初めての午ヨ。そのうえいっぺんも来たことのねへ日曜日。門前市をなしちァおりやせんでしたが、中ァいっぺえサ。デ初めて椅子席の相席とあいなりやした。
  いつも浅草へ江戸参りに出るときァ着物姿と決めておりやすのに、けふは揉み療治の跡(あと。後)ハ韋駄天で八つのお山へ戻る算段しておりやしたんで、洋服ヨ。陽気がいゝンで、天窓(あたま。頭)ァ日除けの巴那馬(ぱなま)帽ッて文明開化サ。笑ってくんねへ、みっともねへ姿サ。
  腹ァつくんなくちァいけねへンで、初めておかめを誂えたと思ひねへ。跡から向い合せに相席になったどっかのとっつァんもおかめヲときたネ。近比ァ男はおかめかネ。
  ハイお待ちと届いた丼鉢(どんぶりばち)見たら、甘煮の椎茸や玉子の厚焼がへえっていねへ。あっしァそういうもんが入っているンがおかめだとばっかし思っておりやしたが、そりァ思ひ違いだったようで、どうやら卓袱(しっぽく)と勘ちげへしていたようでやすゼ。
  そのうえ、前ァおかめッてえ名は傍目八目から来てるンだろう。となりァ具は八品へえっているもんだと思っておりやしたヨ。青二才の比ァよく食べたンだが、そん比ァあんまり気にしねへで喰っていたんで、はっきりしねへのサ。
  お運びの姐さんッたって大年増だがネ、そのお方に歯ァわりいンで蒲鉾だのヲ包丁入れておくんなせへッて頼んでおいたンで運んできた丼ン中ァ大混雑サ。賽の目の蒲鉾が両脇に散らばってる、真ン中にァ松茸擬(もどき)の練り物が半割で鎮座しているハ、上の方にァ湯葉の真ン中昆布で結んだもんが浮かんでるてへ様子ヨ。
  蕎麦ァ手繰りながら、あっしァ考えたね。おかめッてへのは、いろんな具を並べてそれこそおかめの顔をつくって見せたンが始まりだってネ。そう聞いたヨ。そこから見りァあっしがわざ\/刻ませた具を元の形に天窓ン中で組み合わせてみると、ちゃんとおかめの面になるッて寸法ヨ。
  真ン中縛った湯葉が両の目サ。その下に半割になった松茸風の練り物ハ鼻ヨ。そん下、両脇の蒲鉾ハほっぺの膨らみ。どうでえ見事におかめのお顔になりやしょう。マ餓鬼ン比に遊んだ福笑いみたようなもんサ。
  モひとつ、食べながら思ひやしたゼ。やっぱり並木ヨ。丼がちゃんと小振りサ。左手で持って食べられるほどのいゝ加減だよ。日本ぢァ器ハ手に持つのがお行儀。ところが近比の蕎麦屋はそいつウ知ってかしらずか、差し渡しがでか過ぎて片手ぢァ持てねへような丼だして澄ましてる見世(店)がありやすからねェ。面ァ洗いに来たンぢャねへンだ。洗面器出すねへッて言ってやりてへヨ、ほんにサ。

2007年4月26日 (木)

桜喰い

 ゆんべ、桜を喰いやした。せけんぢャとっくに葉桜になってるッてへのに、標高の高いあっしンとこぢァ、まだ庭の山桜も咲かねへ。
 デ飯ン中に塩漬けの桜の花を散らして喰いやした。真っ白いご飯に紅の花びら。ほんのり薫って、春が腹に納まりやした。こいでまた長生きできるッてもんだ。極楽、ごくらく。なんまんだぶ、なんまんだぶ、だぶ、だぶ。

附(つけた)り
飯を研ぎ、水をちょい少なめに張り、そこへその分適当に純米酒をどぼ\/と入れ、粗塩を少々落としやした。そいで出汁昆布を上に置いて、炊きやす。
炊きあがって蒸らすとき、塩漬けの八重桜の花を散らして会えやすが、花ァ鳥渡(ちょいと)塩を落しておきやす。そのまンま入れると塩かれへからネ。
たったこんだけのことで、春が喰えやす。葉桜になっちまったお宅でも、いっぺんいかゞ。

爺、Zに載った

けふ(今日)四月二十四日ァ、Z(ジー)六月号の発売日。山ン中の蔦重(※)を覗くと、男性情報誌ッて銘打った書架に、それが二冊並んでおりやしたヨ。
ほんに載ったンでやすかねへ。からかいぢァござんせんかねへ。あぶねへもんト繰って見るトちゃんと載ってるぢァござんせんかい。題して、粋Zストリートスナップin銀座。恥ずかしいねェ。粋だなんて銘打つねへ。照れるゼ。
鳥渡(ちょいと)覗いてやっておくんなせへナ。狂名の喜三二で載っておりやすんでネ。こそばっかゆくて、脂汗が出てくらア。

附(つけた)り
(※)蔦重=江戸中期の地本問屋としてその名を知られた蔦屋重三郎。その名を本屋の意に洒落た。

2007年4月11日 (水)

春宵一刻愚痴懺悔(はるのよいこぼしばなし)

 おとゝしのことだったかねェ、えれへ寒い年がありやしたでしょう。あんとき、あっしのどや(宿)の隣に、江戸のある区の寮がありやしてネ、そこの茶室を借りて、あっしの師匠が初釜を開きなすったと思ひねへ。隣なんだからお出でトお誘ひいたゞきやしたが、なんとも気乗りがしねへ。炬燵ゥ出て着物に着替えるを思ったゞけで気が重くなってどうにも御神輿が上がらねへ。そうこうしてる内に、電話かゝってきて、町から顔見知りも来ているからぜひお出でとのお呼びヨ。ウウッて煮へきらねへ返事してると、その知り合いまで電話に出て、お出でトおっしゃる。
 そこまで言はれるッてへ、こっちも意地ヨってへこともないんだが、どうにもこうにも大儀でいけねへ。なんせ暮れの内にァお別れ年賀状を出して、世間様トきっぱり縁を切ろうかと思っていたほどだが、それもあまりになんだろうと思ったンでよしにしておきやしたが、なにをするにも気が重くてしょうがねへのサ。その尻尾引きずっての年明けだたっから、ついに初釜も不義理しちまったわけだ。以来、師匠の機嫌があまりよくねへ。

 そんな噺を人にしたら、そりァ鬱でやすヨと簡単に診断を頂戴しちまったネ。そうか、あれが鬱だったンだ。そういう気分を鬱ッてへのかいト合点がいったわけヨ。
 デいまがまたそれヨ。此処(こゝ)四五ンち、気力が湧かなくてどうにもならねへ。なンにもしたくねへ。なにをするにも大儀でならねへ。あっしにしちァ珍しく、きのふけふト美多民(ビタミン)ビー(B)の飲料剤(ドリンク剤)を呑ンぢまう始末ヨ。溺れるもの藁ッて奴さ。ほんに情けねへ。
 そいでもけふいちンち、午も夕も、飯ィつくる気しねへで、吊るし(出来合い)で済ましちまう体たらくサ。昼飯ァ七の十一屋(セブン・イレブン)の西洋チーズ鋳込み飯(ドリア)、夕は超越店(スーパー)の折詰(パック)の握り。旨へも不味いもねへやネ。とりあえず喰ッておくッてへ代物ヨ。手近で間に合わせるようになると、人間無精が身についておしめへサ。そんなこたァ分かっちァいるけど、どうにもならねへ。
 仕事どころか勉強する気にもならねへ。炬燵にもぐって雷様ぢァねへがいちンちゴロ\/さ。このまゝ段々無精になって、こぎたねへ爺に成り下がるかねへ。気が滅入るゼ。

2007年4月 7日 (土)

鰻昇名代野田岩(うなぎのぼりなだいのかばやき)下巻

 引戸がらりと開けりャ待ってました、いらッしャあィいの迎えの声ト思へば森閑拍子抜け。人ッ子ひとりおりやせん。コンクリ叩きがひっそりあるばかり。うら寂しく脇ィ見りャ二階へ上がる木造り階段。此処を上がれのお指図と一折れ二折れ三折れト折れ曲がって登り、やっと着いたハ引付(ひきつけ[※1])ならぬ本見世(店)の間。
 開けりャぶッとい(太い)梁と柱。蔵造りも裸足で逃げ出す重厚造り。天守閣でも支えそうな尺柱は木目も自慢の欅(けやき)無垢。こいつァお江戸好みの造作。蒲(かば)ノ焼(やき)に期待が高まろうッて言ふもんだゼ。
  時刻は午(ひる。昼)のちょい前。客の姿ァまだちらほら。奥からこれぞ料亭女将ッて衣装に帯〆(しめ)た歳の比(頃)なら六七十、年期ィつんだ大お上(おほおかみ)がさらりとした江戸風の素ッ気なさでお出迎え。やっと客になれやした。
  うな重の中を注文。通は中串だヨと聞きかじった半可通。たまにァ見得(みえ。見栄)も外聞もがらりと捨てゝ大串頬張りてへト思へど侘しい貧の字ときちァ、そうもいかずに通ぶって、どこへ行っても中串焼いてくんねえの悲しい馬鹿の一つ覚え。サテ名代野田岩の中串ァ、他をぶん引き抜いての大串か、はたまた山椒(さんしょ)の向ふ張って小粒でひりりト光る上品(じょうぼん[※2])か。現れいでるまでのお楽しみ。おいらァ期待で胸がうずくわい。
  煎茶を啜って待つことしばし。暇つぶしにお手許入れの袋見りャあ、いまや招牌(かんばん。看板)代わりのあの名文句。当店の鰻は天然物、釣が入っていることがあるからご注意ヲなんてェことが麗々しく印刷されてゐる。慥(たしか)なこたァ知らねへが、昭和の御代に文化人だかの誰かさんがそうお書きよッてェおすすめがあってこうなったとか。だがこいつァ考えもんだゼ。裏返しァうちの板前ァ鈍いんでト言ってるようなもんだぜ。釣呑んでいようと小石呑んでいようと、そいつゥ取り去り、お客に気分よく喰ってもらうが玄人の仕事でやしょう。大将はからかわれたンでやしょうヨ。近比ァ文化人なんて似非(えせ)人間はゐなくなったようでやすが、昭和のじでへのそいつらァそんなわるさやったようでやすゼ。はへえとこ、文字消しておいた方がいゝネ。たとえ天然もんが売りとおっしゃっても、わざとらしくていけねへヤ。
  やがて海路の日和(※3)来て、ぷんと鼻打つ蒲焼の薫り。震える手で蓋ァ取りャいっそう香り立つ芳ばしさ。甘い匂いに思はずわき出る唾呑みこんで、差し出す箸は吸い込まれるように蒲焼を切り、その下の飯へすッと落ちる。なんてェ柔らかさ。一口大に蒲焼と飯をひとすくい。口ィ含んでまた驚きヨ。ほんにこいつァやわらかい。鰻と飯がおんなじやわらかさ。ふんわり雲を喰うようヨ。とろける味の蒲焼とタレのしみこんだ飯とがみょうと(夫婦)になったように一つに溶け合い、噛むこともなく舌をくるんで喉へ消えちまう。まったなしの蕩(とろ)け味。タレは甘からず辛からず。絶妙の妙味とはこのことヨ。喰い始めから喰い終りまで、箸を休める飽きがねへネ。箸休めト称して出汁を含ませた下ろし(※4)がついちァゐるが、そいつゥ口へ運ぶ暇もねへ。息もつかせずたいらげて、口の脂を肝吸いで落し、ふと気づきァ器に疵色剥げ。立派な造作。大層な衣装。こんどは客が口にする器に投じておんなせへナ。なんか順序に違いがあるように思ひやすヨ。モ一つ勝手ェ言わせてもらやァ、喰い終わっての茶ァぜひ焙茶(ほうじちゃ)奢(おご)ってくんねへ。舌の根がさっぱりするッてへもんだ。
  一息つく比どや\/と午の客の御成りと相成り、亜米利加奴隷が着せられて辛い綿摘みさせられて、そっからブルーな思ひの詞が生まれたと聞きやすジーンズ姿の気さくな兄ィなんぞが沓(くつ)ゥ鳴らし、料亭衣装の女将の案内で席に着く場違に、お跡(後)がよろしいようでト代価を払い、三折階段をおそる\/下駄で下りャ先の叩きに、青や灰のプラの大(おほ)水入れがずらりと並ぶ。なんだいこいつァ。よくみりァ透けて見える薄茶色。なんとこりァタレ入れか。いゝ気持で帰るところで楽屋裏見ちまったゼ。客の目にふれる処に置いちャいけねへヤ。せっかくの味が台無しダ。鰻や(屋)のタレァ見世の命と聞きやすゼ。火事地震一朝(いっちょう)事ありャまづ(ず)瓶(かめ)かけえて逃げると聞かされてきたほどのお宝もの。それが五升の余(※5)も入ろうッてへプラの容器が八ツも十もずらりと並んでいちァ艶消し。有難みがありやせん。後生だから五代目、客の夢ェ壊さねへでおくんなせへナ。頼むヨ。

【附(つけた)り】
(※1)引付(ひきつけ)=吉原などの遊廓で、客が店に上がってまず通される部屋。ここで遣手(やりて)が客と遊女と体面させる。
(※2)上品(じょうぼん)=能力・性情・性質などを上中下の三段に分けた最上位。上等。
(※3)海路の日和=待てば海路の日和あり、にかけた洒落。
(※4)下ろし=大根下ろしの略。
(※5)五升の余=一升は1.8ℓ。水や灯油入れに使われることの多い10ℓポリタンク。

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

最近のトラックバック

2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31