無料ブログはココログ

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月18日 (日)

けふはめでてえ元旦で

あけましては結構な春で御座いやす(※1)
 太陰太陽暦 平成十九年丁亥(ひのとい)正月元旦(グレゴリオ暦2月18日)

 明けの鐘九つ打ッて(※2)一年(ひととせ)馴染みのハチ公と、後朝(きぬぎぬ)の別れ惜しんで大門(※3)くゞりァ見返り柳(※4)、過ぎたことよト未練断つ。日本堤にァはや次の干支、初日の出浴びてのお出迎え、イヤサ牡丹の君。新たな一年、手に手をとっての道行と洒落やしょう。

  喜三二

(※1)この年賀の詞、寒紅丑日待(かんべにうしのひまち)[後編]二世楚満人(そまびと)文化十三[1816]年刊より。
(※2)明け六ツ(夜明け)を知らせる時の鐘。鐘の数はまず捨て鐘を三つ打ってから時数を打った。
(※3)吉原の出入口の門。
(※4)見返り柳。大門を出、日本堤との角にあった。吉原帰りの客がここで、別れたばかりの花魁を想い振り返った。

2007年2月11日 (日)

品川心中都々逸(はなのらくごどゝいつのいっく)

 きのふ(昨日)、三田村鳶魚の本めくっておりやしたら、洒落た都々逸に出会いやしたゼ。
 さて、咄(はなし)ァ変わるが、品川心中ッて噺(はなし)がありやしょう。そうさ落語のサ。
 前ァ御職(おしょく[※1])を張っていた女郎が、いまァ落ち目になって、紋日(もんび[※2]))だってのに金が集められねェ。情けなくてたまんねえンで、いっそ死んぢまおうと思ふが、一人で死にァ、あいつァ金が揃わないンで死んだんだト笑いもんになる。それも辛いから、心中なら誤魔化せるだろうト思案して、貸本屋の鳥渡(ちょっと)抜けた金蔵を騙して心中の相方に仕立てやす。
 だけんど金蔵は腹ァ決まっちァいねへ。死んでもいゝような死にたくねへような、煮え切らねへ。じれた女郎が、金さんあんた実正(ほんと)に一緒に死ぬ気があるのト迫るわけだ。そこで金さん、アヽもちヨ、なんなら手附けに目でも廻そうかト応えるッて噺サ。
 そんで、都々逸(どゝいつ)でやすが、そいつァこういふ文句でネ。
 わたしやお前に死ぬ程ほれた、うそなら手附けに目を廻す、トね。
  あの落語がつくられた比(頃)ァ、とうにこの都々逸があったのサ。寄席でこの噺ィすりァ、お客はそいつゥ知ってゝ、二重に受けたわけサ。昔ァ奥が深くてよかったねェ。いまの中身のねえ瞬間芸みてえなお笑いとは違うねェ。

【附(つけた)り】
[※1]見世でもっとも売上の多い妓。
[※2]物日(ものび)の撥音便化したもの。遊里でこの語を用いた。多額の諸経費を花魁、女郎が集めなければならない決まりであった。

2007年2月 4日 (日)

糸々々々藤屋情(いとしいとしふじやのなさけ)

 師走の十四日(新暦2月1日)、弁天様(※1)をお参りしてト思ひ立ち、仲見世通りの脇の横丁を行くとふじ屋(※2)が開いているぢァござんせんかい。木曜日ハ休みと知れたこと。ほんにけふ(今日)はどうした風の吹き回し。丁度出てくる客と入ちげへに見世へ飛び込みやした。引戸開ける目の隅にちらりとへえった小物袋。こいつァ探していた懐(ふところ)電話入れぢァなかろうか。そうなりャ見(め)ッけもんの占子(しめこ)の兎(※3)。ここで出会えば好都合。弁天様から観音様ト巡り、偽小南鐐(にせしょうなんりょう)いちめへ(※4)、恩をたっぷり載せた浄財ぽんと投げ、ド天窓(あたま。頭)こっくり下げて、あれやこれやと精一杯のお頼み済ませ、伝法院通りの小間物屋(※4)、そこになけりァ新御徒町まで足ィ延ばし、大元の見世(※5)ェ訪ねなけりァなんねへかと、腹ァくゝって出てきたけふ(今日)、こゝで手に入りァこいつァ縁起のいゝ師走、このひとゝせ(一年)の締めくゝりとしちァ、滅法界の上々吉ヨ。
  手に取って見りァ、紛うことなき懐電話入れ。色も色々、柄も色々。中でも気ィ惹くンは、藍の細島(縞)もんト茶の大縞のふた色。「お召しのお着物との写りでは、こちらの藍がよろしいかと」ト見世の女将の弁。その日のあっしの装束は、御納戸色(※6)の地に薄鼠(うすねず)の細縞の長着、羽折(羽織)はじいさん(祖父)の形見の黒八(※7)。女将ァ長着を見てのお言葉だが、あっしの手持ちの着物ハ茶が多い。そのうへ(上)茶の出来の方は、白の縞が抜きになってゐるが、その間隔が不揃い、それがかえって草(そう)の気分で小粋ぢァねへですかい。「その縞ァ竹でござんすよ」。女将の声に見りァ、確かに縞が節になっている。こいつァぞっこん粋。決めたよト大枚二千六百両を紙入(※8)から取り出す。
「ときに女将さん、けふ木曜ハお休みの日ぢァなかったンで」ト訊ねると、「そうなんですけどネ、鳥渡(ちょっと)用があって見世ェ来たらお客さんがいらしてネ。折角いらしたお客さんに休みと言ふのも申しわけないンで、お入りいたゞいたッてわけデ」
 こいつァ嬉しい咄(はなし)ヨ。きょうび(今日々)、突慳貪(つっけんどん)にopenだのcloseだの毛唐の真似して横文字の札ァぶら下げて澄ましてるべらぼうが多いからかなわねへ。それがまた格好いゝと思ってるンだから、始末がわりい。そんな輩(やから)に限って、客の姿見ても、けふは休みだ一昨日お出でト木で鼻ァくゝったような知らんぷりしやがる。誰があっての見世だッて言ってやりたくもなろうッてもんだゼ。
 ネそうでやしょう。そんな不親切な根性(こんじゃう)ぢァあきんど(商人)ハ務らねへヨ。このふじ屋の女将さんの爪の垢でも煎じて飲みなッてのヨ。
 マそんなわけだが、これで咄ィ終わッちァ、題名のいわれが分からねへ不親切になる。ふじ屋はてぬぐい屋だが、その軒先にァ藤の花ァ染め抜いた暖簾(のうれん。※9)が懸かっておりやす。筆でざっくり描いたもんだが、花は平仮名のいの字で表し、そいつが下がるにつれて次第に小さく書かれ、その数ハ〆て十。いの字が十で、いと。花軸は仮名のしの字を長く引っ張ッて描き、花と合わせて、いとし、の洒落。いとしトハ言ふだけ野暮の、戀の一字。いとしいとしと言ふ心ッてやつだ。
 いとし言ふ相手ハいふまでもなく、お客さま。そのお客さま第一の心が、姿ァ見りァ乞われずとも自ら戸を開けて招じ入れるガあきんどッてもの。こゝンちの女将さんの詞(ことば)に、暖簾の屋号が啌(うそ)ぢァねえと知れるゼ。
 けふはいゝ気分にさせていたゞきやした。ありがたふおざりィやすヨ、女将さん江。弁天様にも観音様にも、詣でるめえ(前)の棚ぼたの果報。こいつァ一年の、いゝ締めくくりができやした。

【付け足り】
(※1)弁天様。浅草、金龍山浅草寺境内の辰巳の外れに小丘があり、そこに弁天社が奉られている。脇に江戸時代に時刻を告げた時の鐘が残っている。http://www.geocities.jp/kikuuj/kyudo/kane/toki.htm
(※2)ふじ屋。〒111-0032東京都台東区浅草2-2-15 電(03)3841-2283
(※3)占子(しめこ)の兎(うさぎ)。兎肉の吸物とも、兎を飼う箱ともいい、定かではないが、それから転じて、占めるの洒落。手に入れること。明和九年・楽牽頭(按摩の出来心)「まず一帖しめこのうさぎと懐へ入れる」
(※4)偽小南鐐(にせしょうなんりょう)いちめへ(一枚)。南鐐(なんりょう)=江戸時代の長方形の貨幣、二朱銀の別称。二枚で一分(ぶ)、八枚で一両。表面に「以南鐐八片 換小判一両」と刻してある。鐐とは、白銀(しろがね。銀)の美しいもの、最上質の精錬された銀、純銀、の意。偽小南鐐=ここでは、100円硬貨を洒落て言う。
(※4)伝法院通りの小間物屋。半纏屋 台東区浅草1-37-11 電(03)5827-0810
(※5)新御徒町の見世。かくいわ芝田 http://www.kakuiwa-shibata.com/itemlist-MS.htm
(※6)御納戸色。江戸時代に流行った藍染めの色の一つ。くすんだ緑みの青。人情本・春色恵の花-初・一回(1836年)「畳んで持ちし御納戸縮緬の頭巾をお長にわたし」
(※7)黒八(くろはち)。黒八丈の略。黒絹。緯(よこいと)を鉄分を含む泥土液に浸しタンニンの黒染にした織物。太い緯を折り込むから平織であるが、横うねが現れる。東京五日市町の特産。江戸当初、主として男物の襟地、袖口に用いたが、幕末からの黒色の流行により、羽織地にもされた。守貞満稿-一七「江戸にて男の黒衿袖口に用ふ黒絹を黒八丈と云也」 蓼喰ふ虫〈谷崎潤一郎〉一「黒八丈の無双の羽織が」。
(※8)紙入。江戸幕末、男は鼻紙入れを懐中した。明治以降のように紙幣はなかったので、現在の形の財布はなく、それへ一分金や二朱銀などの小金を入れ持ち歩いた。紙入と財布は同義となり、小生の祖母(明治生まれ)は、財布を紙入と呼んでいた。
(※9)暖簾(のうれん)。のれん。明和初年・遊子方言「そこは何屋だ、のうれんを見さッしやい」

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

最近のトラックバック

2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31