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2007年1月 7日 (日)

黄金縅勇雷神揚(こがねおどしいさみのらいじんあげ)

 当世は浅草に公会堂なるもんが建ッておりやすが、おゑど(江戸)ァ安政六年の切絵図おッぴろげでみりァ、そんなもんはござんせん。そん比(頃)その辺りァ伝法院の地内だったンぢァねへでやしょうか。
 いまぢァオレンジ通りだなんて洒落のきつい名ァ付けて澄ましてお出でだが、その通りを背に新道(※1)へ、御影の石畳踏んで入りァ、立派な燈籠植え込みが、毛唐かぶれの通り名忘れさせてくれる風情の佇まい。見上げりァ昔懐かし右書きの、金文字扁額、その名ァ言わずと知れた江戸前天麩羅、中清(※2)のお店(たな)ヨ。
 板びーどろの引戸がらりト開けりャ、静かな店内。着物姿も板についた仲居の姐さんがたのお出迎え。お一人の声に頷きァ、でハこちらへと椅子席へ。奥の離れがご所望だが、こちとらたった一人の貧乏客。無理の言えた義理ぢァござんせん。通された席ァ、壁のくぼみに洋卓三ツ。お供の待合風の間(ま)だが、そこは中清、造りはいゝ。面を取った杉丸太の柱、京壁、白木の腰板。さっぱり小奇麗でいゝぢァござんせんかい。
 さっそく誂えたのハ、狙いの雷神揚。このかき揚、中清の売りらしい。

 江戸の天麩羅ァ屋台が発祥とハよく聞く咄(はなし)。そいつゥ地でいったのが、この中清ぢァねへかネ。初ッ端(しょッぱな)ァ、幕末。駿河の士(さむらい)だった中川鉄蔵が、浅草広小路(※3)に屋台を出したンが最初。天麩羅そのもんは江戸にァもっと前にへえっている。文化(※4)の比にァすでに屋台から本普請の見世が流行り。中清は遅れを取ったンだろうが、ご維新のすぐ後、この地に見世(店)ェ張ったッて言ふから、明治政府は抜かりなく伝法院の土地ィ巻き上げたンかもしれねへネ。どう算段したか知らねへがそこい見世出して、明治の中ッ比にァ浅草と言へば中清ト言われるほどに出世したそうだ。
 
 やがて運ばれてきたンは、朱塗りのお重、開けりァどんと握り拳二ツァありそうなおほ(大)かき揚。これぞ待ちに待った雷神揚。初対面の顔見せにしばし眺めて一息入れる。
 竹の割箸割って、箸ィ入れる。外はぱりッの中しっとり。黄金色(こがねいろ)に揚がった芳ばしい胡麻油の香りが嬉しい。これぞゑどの天麩羅ヨ。小海老、貝柱、そいつらこきまぜてびっしり詰まっておりやす。
 箸で崩しちァ天つゆにくゞらせ口ィ運ぶ。ぱりッとした歯応え、具を取り巻く衣のしっとり。小海老のぷり\/、小柱の弾力。あっしァでへの(大の)小柱好きヨ。こいつが楽しみで中清へのしたッてわけだ。小柱ハ言わずと知れた馬鹿貝の柱。江戸の昔ァ上総(千葉県)の青柳の湊が名高けへ産地。それを本場と江戸ぢァ馬鹿げえ(貝)を青柳と呼んだが、その貝一つに柱ァだへしょう(大小)二つある。大きい方を由良助(※5)ぢァねへが大星、ちいせへ(小さい)方を小星(こぼし)と言ふそでやすな。
 さすが中清ハ大星ばッか。選んで揃えて使っているんでござんしょう。出てくるンはそいつばっかり、小柱ッ喰いのあっしにとっちァそれがなにより嬉しいぢァござんせんかい。
 だがヨ、一粒残さず食べようと根性入れるンだが、世の中そう甘くかァねへのヨ。朱塗りのお重にァ銅(あか)の網が張ってあって、その上に雷神揚ェ載せて油ァ切る仕掛け。その目が荒いンで、その間からお宝の大星がおっこッちまう始末。箸で摘んで引き上げようとするだが、こいつが猿になっちまッてどうにも取れねへ。
 えて公ッてへのハなんだってねェ。壺ン中に餌ァ入れておくと、手ェ突っ込んで掴むンだが、握ったその手がつッかえて腕ェ抜けねへ。餌ァ放しァいゝンだが、欲が張ッてゝそいつができねへ。そいでそのまンま猟師に捕まッちまうそうだ。小柱取ろうと金網の目ェ箸突っ込んだあっしのかっこ(格好)ハまさにそれヨ。箸で小柱摘んでるから、網の目ェ通らねへ。小柱捨てらりァ箸ァ抜けるが、そいぢァなんにもなンねへ。エヽぢれッてへ。何度やっても取れやしねへ。業腹だゼ。
 そんなこんなで、雷神揚ェ箸で一口大にばらしちァ、喰いつゞけたネ。しかしなにヨ、なんせでかさが自慢のかき揚だから、喰いに喰っても埒があかねへ。そのうち天つゆがなくなる始末。普通なんだゼ。天麩羅喰い終わっても天つゆァ残るもんだ。こゝンちァ逆ヨ。お代わりもらって喰いつゞけサ。
 こいつァ考えもんヨ。旨さァ旨いが、いくら喰っても減へらねへでかさ。大飯食らいハ江戸ッ子の恥ト言ひやすゼ。意地ィきたねへッてね。
 だから蕎麦だッてざるの上に春の淡雪のように薄くさらりと盛ってある。握りもそうヨ。シャリもネタもこじんまり。一口ですっきり喰えるンが粋ッてもんでやしょう。田舎ァ行くと、蕎麦ァ山盛りでなけりァ、俺なら五枚喰える六枚喰えるト自慢する。鮨ァネタのでけへほど大喜びよ。でけへほどえれへ(偉い)ッて根性ハ貧乏根性と言ひやしてネ。やだネ。
 そういやァ、この大かき揚が雷さんの太鼓みてへだッてんで、雷神揚の名ァ与えたンは、仏蘭西文学の学者さんだそうで。江戸前のお方ぢァなかったンかもしれやせんねェ。なんせ浅草ァ江戸ッ子も贔屓にするとこだが、昔ッからお上りさんも滅法界お気に入りの盛り場ヨ。そんな権兵衛や八兵衛(※6)の度肝ォ抜こうと、見世のてへしょう(大将)が算段して編み出した代物(しろもの)かもしれねへネ。浅草の天麩羅屋の天丼ァどこもかしこもでかさが売り物でやすからねェ。
  こちとらすっかり堪能させていたゞきやした。お代は〆て、野口のお医者お三方に、加えて偽南鐐(なんりょう)一枚、穴開き偽南鐐いちめへ(一枚)、都合三千百五十円。ぽっきり払って、姐さん釣ァいらねへヨ、また来るぜ、あばよ。

【付けたり】
(※1)新道。新開の道、町家の間の狭い道。多くは地主が貸し店(たな)や貸家をつくり、その便として開いた路地。
(※2)中清東京都台東区浅草1-39-13 電話03-3841-4015 http://www.asakusa-umai.ne.jp/umai/nakasei.html
(※3)浅草広小路。火除け地として、雷門前の道が広小路になっていた。
(※4)文化。江戸幕末期の年号。文化元年(1804)~文化十四年(1817まで。
(※5)由良助。大星由良助。忠臣蔵の大石蔵之助の歌舞伎上の役名。
(※6)権兵衛や八兵衛。田舎者の代名詞。大飯食らいと蔑まれた。

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