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2006年12月28日 (木)

後髪柳橋人気店(ふかなさけやなぎばしにんきだな)

 折から時雨れてきた神田川ァ背に、足駄の歯ァ響かせて、路次ィ曲がりァ、通りの先にァ黒板塀。源氏店(げんじだな[※1])ぢァねへから見越しの松ァなかったが、やっぱりこゝァ鯨舎(げいしゃ。芸者)で知られた柳橋。しっとり濡れる板塀の奥から、復習(さら)う三味の音(ね)が聞こえてきようと言ふもんヨ。おゑど(江戸)の昔ァこゝらァ平右エ門町。今あっしが曲がった辺りァ新道(※2)だったンぢァねへですかね。安政六年の絵図にァ、角に稲荷があって、脇に細い線が引いてある。路次でやしょう。まさか今でもお富(※3)が囲われているわけぢァねへだろうが、黒塀の辺りァ代地(※4)だったとこヨ。
 平成の御代となッちまった今日々(きょうび)ァ、軒並みお会社様の無粋なコンクリ普請ばっかしの柳橋一丁目。それでもよくみりァ粋も風情もこうしてわずかにゐ(居)残ッてござる。江戸の昔の柳橋とくりァ羽折(羽織[※5])で鳴らした深川への船待ちの遊治郎(いうやろう[※6])で賑わった処だが今ぢァその面影ァ、神田川へ迫(せ)り出すように軒を並べた舟宿ばかり。そいもつ舟宿ッたって名ばかりのこと。江戸の比のように、二階があるの客間があるの造りぢァねへ。船頭一人でいっぺえになっちまう申し訳ていどの小屋掛けだゼ。
 生憎の雨の下、猫の子一匹通るぢァねへ侘しい通り、立ち並ぶ建物ァげえこく(外国)かぶれのコンクリ造り。目にも景色にもならねへ野暮尽くし。味気ねへッたらありァしねへ。一人歩くもしょンない咄(はなし)。片手に傘ァ差し、残る手にァ橋の袂で見世(店)ェ張る老舗の小松屋(※7)で買ってきた海鰻(あなご)佃煮の手提袋、そんなざまで蒸す暑さに流れる汗も拭けねへつらさ。比は秋文月(七月)たァ啌(うそ)のような廿三ンち、けふ(今日)ハ白露だってッから驚きヨ。明治からこっちの西洋暦(グレゴリオ歴)で言やあ、9月の7日。暦二ッツこせへて(拵えて)天道様だまくらかすから、こんな狂った陽気になるンぢァござんせんかねェ。

  もうすぐ浅草御門の大通りッて手前、オヤうれしいにんきや(※8)の落ち着いた招牌(かんばん。看板)があるぢァござんせいかい。こいつァ渡りに舟。一息つかせていたゞきやしょう。
  がらりと開けた格子戸の向ふにァしんと鎮まりかえった見世の内。女将さんのこれまた静かな、いらっしゃいませの迎えの詞(ことば)。アァありがてへ。佳きじでへ(時代)の落ち着きがあらァ。今出来のきんきらちゃらちゃらした毛唐かぶれの俄(にわか)成金みてへな悪軽い見世ばっかり見飽きてきたあっしにァ、胸の透くような佇まい見世の造りも商う人もこうこなくちァ実正(ほんとう)ぢァねへよネ。
しかしなんだヨ、比ァ八つ時分だと言ふのに、客の姿ァまったくなし。見世にァわりいが静かで結構。客はあっしひとりよ。
 席ィ決め、さて何を誂(あつら)えるか。品書きィ見ると、あんずみつ豆ッてあるぢァありやせんかい。あんずの酸っぱさを思ひ、思わず湧く唾ィ呑み込み、そいつヲ頼む。女将が調理場へ取り次ぐ。てえしょう(大将)ハそこにゐるらしい。ちらりと姿が見える。いゝ年配。甘味処の親爺にァもってへねえ風貌。世がよならッてわけでもあるねへが。壁に貼紙。墨痕品よく、まもなく三代百年、建物は還暦トある。そんじょそこらの駆け出しの見世たァわけが違わァ。席の後の窓の敷居ィ見りァ、六十年間磨きこんで木目も透く白木の小奇麗さ。この丹精さが江戸の気ッ風ゥよ。こうこなくっちァいけねへ。
  見処ァ店内そこいらじゅうヨ。まず床だ。小振りの那智黒を蒔いて研ぎ出してある。壁ァ落ち着いた色に仕上げた京壁、思わず指で触れてみやしたゼ。今時の紛(まが)いもんぢァねへヨ。ちゃんと土壁よ。柱もよけりァ竹材の使い方も風情があって洒落ていやす。その全部がまったくこれ見よがしぢァねへ。気づくお人にァ分かりやしょうが、物ォ知らねへお方にァとことん分からぬへだろう。上等たァこう言ふもんよ。
 そいで貼紙はモいちめへ。禁煙を申し上げておりますト書いてある。品のいゝ手練(てだれ)の筆文字よ。よくある禁煙の一言を投げつけたようなぶっきら棒ぢァねへところに、ていし(亭主)の気立てが見えらァ。近比ァ猫も杓子も無神経に電子箱(パソコン)の文字で済ましているが、きちんと礼を尽くして筆を使う気遣いがおくゆかしいネ。
 待つほどもなく出されたあんずみつ豆。蜜ァ甘さほんのり、豆ァしっとり、寒天はぷりッとした歯応え。いかにも自家製ッて感じで包丁で切ったばかしの角の立ち具合。こいつが嬉しいねェ。缶詰だかパックだかにへえった出来合いたァ、舌の受けがちがわァ。
 あんずはしんなり。よくある乾きもんッて感じのかち\/の不親切なもんぢァねへ。酸っぱさも清々しい。汗にまみれた躰がすっきりしやしたゼ。
 アァ、けふ(今日)もいゝ見世に出会いやした。お代に偽大南鐐(にせだいなんりょう。[※9])いちめへ(一枚)と偽小南鐐(※10)一枚、合わせて六百両払って表ェでりァ、ちょいと空気も乾いた雨上がり。足駄の歯ァ鳴らし、また一巡りといたしやしょうか。

【付けたり】
(※1)源氏店(げんじだな)。瀬川如皐作、歌舞伎『与話情浮名横櫛』四幕目「源氏店妾宅の場」。切られ與三が蝙蝠安とともに、囲われ者のお富の家へたかりに行き、「……モシおとみ、イヤサおとみさん、コレおとみ、久し振りだなア」の名台詞で有名な場。
(※2)新道。新開の道、町家の間の狭い道。多くは地主が貸し店(たな)や貸家をつくり、その便として開いた路地。
(※3)お富。(※1)源氏店、参照。
(※4)代地。幕府が土地を返還させた際、その替え地として与える土地。
(※5)羽折(羽織)。江戸時代、羽折の文字も用いられていた。
(※6)遊治郎(いうやろう)。廓や色里通いをする通人気取りの遊び人。
(※7)小松屋。季節の佃煮 柳ばし小松屋のこと。http://www.tsukudani.net/shop/index.html 東京都台東区柳橋1-2-1 電話03-3851-2783  本ブログ前作『俄雨情柳橋海鰻佃煮(にわかあめなさけのやなぎばしあなごつくだに)』参照。
(※8)にんきや。甘味処。東京都台東区柳橋1-13-12 電話03-3851-1002 創業明治、現店舗昭和21年築。
(※9)偽大南鐐(にせだいなんりょう)。ここでは500円硬貨を洒落て言う。南鐐(なんりょう)=江戸時代の長方形の貨幣、二朱銀の別称。二枚で一分(ぶ)、八枚で一両。表面に「以南鐐八片 換小判一両」と刻してある。鐐とは、白銀(しろがね。銀)の美しいもの、最上質の精錬された銀、純銀、の意。
(※10)偽小南鐐。ここでは、100円硬貨を洒落て言う。

2006年12月23日 (土)

癪に触ってしょうがねへ

 こないだ、ラストサムライッてへ活動を観やした。テレビの無料放映ヨ。だからでけえ面(つら)ァできねへンだが、どうにも癪に触って我慢がならねへ。思い出しても、じり\/肝が焼けておさまらねへ。デこらえきれずに一筆啓上仕(つかまつ)るッてわけだ。
 なんでえあの髷(まげ)ァ。天窓(あたま。頭)ン上に、なげえ(長い)海苔巻き載せてるンのかと思ったゼ。気味(きびィ)わりくて(悪くて)、虫酸(むしず)が走らア。
 男の髷ッてへのハだな、旋毛(つむじ)のちょい後で束ねて元結(もっとい)で〆(しめ)、そっから天窓のてっぺんへ載せるンだ。ところがなんでへ、あの活動の士(さむらい)の髷ァ。近比(頃)流行の髷擬(もどき)みてへに、盆の窪の鳥渡(ちょっと)上で元結し、そっからのそ\/這いずッて天窓のてっぺんまで持って行きァがる。だから、後や脇から見りァ、一本海苔巻きか鰻が這い上がったみてえになっちまうンだ。アァ嫌だ\/、思い出しても虫酸が走る。エェイ気色がわりい。

 その上、なんでへ。月代も剃らねへで。そんなもん(者)ハ武士ぢァねへ。月代伸ばした天窓で人前に出るなんぞ、無礼千万で考えられねへ。なんで、わの字を初め、大勢の日本のお役者さんが出ているのに、こんな髷ァありやせんト亜米利加人の監督野郎に言わねへのヨ。日本の面汚しだゼ。床山さん一人呼べねへようなしみったれな制作費だったのかねェ。亜米ちゃんだって髷のこたァよく知りァしめへ。日本の俳優さんたちがなんにも言わきァ、敵さんもそいでいゝだと思ひやしょう。そいつァ不親切ッてもんだゼ。そいつゥ教えてやるのが、日本のお役者さんたちの役目ぢァねへンですかい。不親切は罪ヨ。

 それによゥ、わの字のお役者さんハすっかり毛唐かぶれなのかねェ。ものォ言ふのに顔ォくちゃ\/動かしてヨ。日本人ッてのはだなァ、もっとどっしり構えてせこ\/面をしかめてものハ言わねへのよ。まして、役どころァ侍大将だろう。やんなるゼ。そこォいくと真田の兄(あに)さんはいゝやね。面ァせこ\/させねへ、ほとんど表情変ねへのがいゝネ、これ演技できねへッて厭味ぢァねへヨ。勘違いすんなよ。
 ところがそのさの字の兄さんが、月代剃ってねへのヨ。悲しいネ。たのんますヨ、世界で勘違いされるゼ、ほんとに。

 それにわの字のお役者さんの弟だかなんだかのわけへ(若い)役のあんちゃんが、やたらに捕虜の毛唐に馴れ\/しく笑いかけるのよ。士がそんな媚び売るような真似ェしたかねェ、あっしァ情けねへヨ。
 相変わらず亜米利加人ッてへのハ有色人種に自分たちはわけもなく大切にされてもてるだと思っているのかねへ。思い上がりもいゝ加減にしなせへナ。戦場(いくさば)で殺された武士の妻が仇の毛唐になびく、その義理の弟は愛想よく笑いかける、そんな筋平気でつくるなんぞハなんとおめでたいのかねェ。そんなこといつも考えてるから、世界中から総スカン喰っても気づかねへンだよ、いつまでも。

 そいでもって、もっとやんなっちまうのハこんな中身だってへのに、日本のお役者が聖林(ハリウッド)の活動にでたからッてなんでも丸飲みで嬉しがッてちァ悲しいぢァありやせんかい。落ちたもんよ、日本も。なんでも亜米利加さんがまだありがてへンかねェ、いつまでも終戦直後ぢァあるめへし。あっしァつらいゼ、ほんによ。

2006年12月21日 (木)

心得違いぢァござんせんかい

 けふ(今日)ハ所帯染みた咄(はなし。話)で申しわけねへが、あっしが惣菜買い行くスーパーがありやす。そこァ結構でけへ店で、服屋だの履物屋、酒屋、本屋、薬種店(だな)なんぞもへえっておりやす。近比(頃)の呼び方で言ふテナントッて奴(やつ)ですかね。
 その中に持帰(もちかえり)の鮨屋があると思ひねへ。そいつが、スーパーの勘定場(レジ)ィ出たところあるのヨ。客が買物して勘定場から出てきやすッてへと、その鮨屋の女将がどの客にも、ありがたふおざりィやしたッてでっけへ声で礼を言ひやがる。こいつァたまらねへゼ。こっちァおめへさんチぢァなんにもかいもん(買物)してねへンだ。そいつゥ礼言われるのハ筋違い。こっちの立つ瀬がねへぢァねえッてことヨ。毎度あっしァその女将と目ェ合わせねへように、俯いて通らなきァなんねへ。なんだかその鮨屋に不義理してるようで、たまらねへ気になってくるゼ。
 しかしこいつァ妙な咄よ。こっちァその鮨屋にァ恩も義理もねへ。それがなんで申しわけの立たねへ気持にさせられるンだい。コウ(※)女将さんその礼言ふのやめてくんねへかい。おめへさんチで買わねへこっちへの当てつけで礼を言ってるようで、嫌な気分になろうッてもんだゼ。
 それに、ありがたふおざりィやしたト過去形で言ふのも大いに心得違いヨ。江戸の商人(あきんど)ハお客が帰るときにも、ありがたふおざりィやすト言ったそうぢァねへかい。過去形ッてのは、終わったッてへことだ。商人たるもの、自分からお客さまとの縁を終わらせちァいけねへ。行く末長くご贔屓を願って、ありがとうございますッて言ふもんだと聞きやしたヨ。
 それにヨォ、しょうべえ(商売)したくって見世ェ張ってるンでやしょう。そしたら、帰る客引き留めるのが当りめへでやしょう。いらっしゃいませッて声かけて、自分チにも立ち寄ってもらう。そうしたもんだろうゼ。そいつゥありがたふおざりィやしたッて送りだしちまったら、てめへの見世ァ商売にならねへだろう。
 その心得違いが隣の豆腐屋の売り子のばあさんにまで感染(うつ)ッて、そこでもありがたふおざりィやしたッて言ふ始末ヨ。見世ェ軒並み潰れるゼ。

 江戸の商人の心得で言やァ、見世(店)の休みンとき、お休みさせて戴きます、なんて貼紙出すッてへトお客になんだてめへンとこハとお叱りを受けたそうでやすゼ。誰がお前に見世やってくれッて頼んだンだ。誰も頼んぢァいめへ。てめへが勝手に見世だしてるんだ。休みたいなら勝手に休んだらいゝぢァねへか、休ませて戴きますなんてお伺い立てるような真似ェされたんぢァ鬱陶しくてかなわねへ。ただ一文字休みッて書いて表ェ貼りァそれでいゝのよ、このとんちきメッてね。
 そんなもんヨ。確かにあっしら客は、おねげえだからこゝで見世ェ出してくんねへなんて頼んだ覚へねえもんネ。江戸ッ子ァがらっ八のようだが、ちゃんと道理が通ってらァ。あっしァ好きだネ。

(※)コウ。現代の呼びかけの言葉「オイ」を江戸時代はこのように言い、表記した。

2006年12月 8日 (金)

神楽坂時雨蕎麦(かぐらざかしぐれそば)

 その名も嬉しい大江戸線の、牛込神楽坂で地表へ出りァなんとお湿りヨ。コウ(※1)天気屋さんよ、雨ャァふらねへ約束ぢァござんせんかッてんだ。雪駄で出てきちまったこちとらァどうしてくれるンだ。傘も持たずに行けずの雨、濡れた地べたァ眺めての思案顔と来たもんだ。そこへ横から傘の廂(ひさし)がすッと出たネ。見りァ懐かし昔馴染みがにっこり微笑んでのお出迎え。こいつァ嬉しい渡りに舟。待たせやしたかと、思ひがけずの相合傘。足元しっぽり濡れての乙な(※2)道行と洒落やした。時ァ神無月(十月)十九日(新暦11月30日)、冬晴れ続きの中の時雨れ模様のいちンちのことよ。
  ご案内は、牛込北町で市ヶ谷のお堀の方へ左ィ曲がり、ちょいと歩むと右手に志ま平(しまへい[※3])。角店(かどみせ)なのにわざと横向き、横丁に入口ィ開けてござる。こゝいらに亭主の性根が読めるネ。
  店先の角にァ小粋な石燈籠。雪駄ァ脱いで下足棚に仕舞い、よく拭き込まれた欅(けやき)の上がり框(かまち)踏み、厚手の板でがっしりこせえた(拵えた)腰板障子を開けりァ畳敷きの店内。一工夫も二工夫も凝らした造作ヨ。蕎麦屋で付け台ト呼ぶが正しいかどうか知らねへが、そいつが左手にすッとのび、右の窓際にァ卓台が二つだか。サテ遠慮して奥の卓へ付こうかとするト亭主(ていし)の一声、こちらへト付け台を指している。それでハと付け台に向かッたが、またその長い付け台のどけェ腰を定めるか、ちょい迷いの困りごと。あんまり遠慮するのも、ご案内の連れに恥かゝせることになってもいけねへ。結局恥ずかしながらド真ン中へ席ィ取らしていたゞきやした。それにしても真ん中ハ不遜で恥ずかしい。
 この志ま平ハ蕎麦ァもとより、小料理の気が利いているとハ連れの吹聴の見世(店)。何を誂えるかは、連れの先達ッつァんにお任せといたしやした。
 早手回しに頼んであったのか、ひょいと出されたのが、蕎麦の実の椀。汁ハ冷やしで、豆乳だろうか牛乳か、かすかに洋の味、こくを楽しんで汁を吸うと底にァ蕎麦の実が厚く沈んでいて、アヽこれから蕎麦が始まるゾと思わせる趣向だネ。
 続いて出されたンは海苔の酢の物。黒い海苔の上に黄色の菊の花びら。時候の工夫が鮮やかダ。
 サテその次ァと言ってもそろ\/順序の覚えがあやしいが、味噌豆が、確か馬上盃(ばじょうはい)に盛られ出されたヨ。ふっくらした姿ァ大豆のまんまだが、口にふくみァ確かに味噌の味。これで酒を食べたら(※4)止められねへだろう。
  その次だったかゞ、蕎麦掻き。外黒内朱の本漆の椀に盛られておりやして、下ろし山葵が添えられて、そいをちょいと舐めちァ蕎麦掻きヲ汁にちょい付けで喰う。滑らかな舌触りがうれしいねェ。
  小鉢とも言へねへ小さな器に真ッ黄色の南瓜が盛られて現れたヨ。こいつが連れの自慢の一品。隠し味に辛子が練り込んであると言ふガそいつが分からぬほどに隠してある。ト言って南瓜だけの旨味ぢァねへ。確かに手の込んだ旨さが仕込まれいるッて味だ。
  サテいよ\/〆(※5)の蕎麦。蕎麦ハなんにしますッてわけで、せいろと深山があるとのご案内。細切りが蒸籠(せいろう)で、太切りが深山だそうだ。いつも八つ(八ヶ岳)深山に息ひそめ、村の蕎麦屋のぶっとい蕎麦とはすっかり馴染みの田舎暮らし。たまのおゑど(江戸)で手繰るなら、細切りを置いて他ァねへでやんしょッてわけで、蒸籠を誂へやした。
  出された蕎麦は水切りのいゝ底高のざるに盛られ、薬味ァ下ろし山葵。葱ァ普通は根深(ねぶか)とくるのが御定法だが、ここンちの亭主ハ当り前ぢァ勘弁しねへお人らしく、万能葱だかの極細葱を小口切りにして添えてある。蕎麦徳利、猪口、薬味皿、みんな贅沢な赤絵ヨ。歳ィとると赤いものか嬉しいねェ。近比(頃)そんなことゥ感じるようになっちまってネ、困りもんヨ。
  まずふんわりした下ろし山葵をちょいと箸の先に付けて味わい舌ァの目ェ覚ましておいて、蕎麦ァ数本取り先を蕎麦つゆにつけてさッと手繰り込む。いゝ出汁だ。前にいろ\/出された料理ハこの淡い蕎麦の味ィ壊さねへ心遣いだろう、みんなほんの少しずつヨ。五品(いつしな)も食べてるッてのに、蕎麦が鬱陶しくならずに味わえる。
 蕎麦ァ手繰り終わったら、ご亭(てい)が蕎麦湯ハいかゞッてんで、二ツ返事でお頼みすると、柚子ゥ入れやしょうかいッてんで、そいつもお頼みいたしやしたが、蕎麦湯に柚子入れるンは初めて。こいつァ後口が爽やかでいゝもんと知ったネ。
 それにしても、いゝ午(ひる。昼)を過ごさせていたゞきやした。連れとこゝンちのご亭に礼言ふゼ。
 オッとモ一つ。忘れるわけにァいかねへ。こゝのご亭ハけっこう勇(いさ)みだヨ。形(なり)見たゞけでもその勇みァ知れるが、咄(はなし)ィ聞きァ半端ぢァねへ。千社札にァ滅法界目ェねへようで。藍染めの腹掛け股引きに草鞋掛けで、千社札貼りにどこまでも遠出するようだ。彫りもんにも詳しいし、只者ぢァねへゼ。

(※1)コウ。現代に言う「オイ」の呼びかけ語。
(※2)乙。妙な、変わった、の意。
(※3)志ま平(しまへい)。巽蕎麦と銘打つ蕎麦屋。新宿区納戸町33 電話03-5261-8381
(※4)酒を食べたら。江戸時代、酒は食べると表現した。
(※5)〆。締め(結んだ形)を表す記号。

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