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2006年9月16日 (土)

九尺二間深川飯(わひすまひはなのゆふめし)(※1)

 サテ飯の采はなンにするかゞ貧乏しょてへ(所帯)のまいンちの苦ヨ。これが金の唸るお大尽なら、けふ(今日)ハ八百膳(※2)あしたは中へ繰り込んで喜の字の台(※3)としゃれるンだが、すりきれ財布の中身とくりァ、偽大(おほ)銀貨(※4)、同じく中銀貨(※5)、たまにころ\/穴開き偽銀(※6)、ざら\/重いハ赤(銅)銭(※7)、黄ン色(真鍮)お鳥目(※8)。金(かね(※9))と呼べる福沢さま(※10)や一葉(※11)の姐さんはとんとお立ち寄りにャ御成りぢゃねへわサ。
 そんなこんなのある午(昼)下がり、人さまの投げ文(メール)拝見させいたゞいてたら出会った三文字、深川飯。こいつァ懐かしヨ。けふの夕飯ァこれで決まりダ。
 思い出すのハ五十年の余も昔、元服前後の八年間、長屋住いで暮らした川向ふ(※12)。そこで出会った夏の風景ヨ。
 安政六年の江戸切絵図(※13)と分間(ぶんけん)江戸大絵図(※14)ひっくりけえし、ご案内いたしやしょう。サテ踏みい出しやす第一歩は雷門を左に見、浅草広小路(※15)から大川橋(※16)を渡るッてへと細川若狭の守さまのお屋敷へ突き当たる。そいつゥ左へかわしといて松平周防の守さまのお屋敷かすめ、まっすぐ東へ清雄寺、太子堂で手ェ合わせ、中之郷瓦町、八軒町と通り抜け、延命寺、南蔵院、森川肥後守さまのお屋敷で、源森川を業平橋で渡り、百姓地に添って丑寅(うしとら)の北十間川を渡り(現・京成橋)、小梅村のその先、請地村(うけちむら)の詫び住まいッてわけでネ。
 この地ィけふび(今日々)の地図で見りァ、押上三丁目と書いてござる。だがヨ。あっしが息ィひそめて隠れ住んでいた時分ハ吾妻と言やァしなかったか。覚えがはっきりしねへが、まさか惚けの始まりぢゃありゃしめへ。
 咄(はなし)ァ鳥渡(ちょっと)戻りやすが、北十間川を渡らずにそのまま東ィ進めば春慶寺。こゝにァ東海道四谷怪談で知られた四世鶴屋南北が眠っておりやす。歌舞伎好きのお方ハ、一度ァ拝みに行ったらいいゼ。さらに浅草通と乙な名で呼ばれておりやす北十間川沿いの路を行きァ梅屋敷がござったはず。いまァどうなっておりやすことやら。
 モ一つ脇へゝえらせていただきァ、業平橋辺りの源森川で採れるしゞみァ、江戸の比ァ数あるしゞみの中でも飛びッ切りのいっち(一番)物。その名も高し業平しゞみたァ、こいつのことヨ。
 隅田の名で隠れもねへ大川と、秩父の奥から流れでたしぶきも荒い荒川から分かれて流れる中川(現・旧中川)に、はさまれたる中洲のよふなこの請地村。しゞみ、あさりはお手の物。夏ともなれば自転車の、後ろに篭を山と積み、売って歩くが毎朝の、久しい(※17)決まりの風景ヨ。その呼び声も「あっさりしんじまえ」と人を喰った高呼ばわり。あさりしゞみを詰めて訛ってこの呼び声。声に誘われ表へ出れバ、靄(もや)をついて、昇る朝日を真っ向に受け、貝売り自転車の黒い影、てへして広くもねへ通りに四台五台、こいつァ豪気な達引(たてひき(※18))商(あきな)い。忘れもしねへ一服の夏の風物詩でござんす。
 そんな景色を思い浮かべ、惣菜大店(スーバー)へひとっ走り。買って帰ったはご存ぢあさりの一舟(ひとふね)。昔なら、あさりは剥身(むきみ)殻付きとあったものだが、いまぢゃ剥身は拝みたくともありァしねへ。二昔前、根津の通りの一角に、戸をみんな開け放ち、吹きっさらしの土間でぢゞゐが一人、せっせと剥身をつくっているンを見たが、あれが最後の剥身の姿。惜しい景色失いやした。
 さて、買って帰った殻付き一舟。けふびの奇妙なことハなんと海水漬けの活きあさり。どの貝も極細の麦藁(ストロー)のよふな水管だして、息をしてござる。こいつァ豪奢ダ。活きがいゝ。
 鍋へ放り込み、水をかぶるくらいに張り、気前よく酒ェそそいで、火ィかける。じきにがた\/ト貝の開く音。火から下ろして、ちょい冷ます。その間に鍋に残った茹で汁の中ィだし昆布いちめへ(一枚)放り込み、中火でゆっくりあっためる。ぐらッと湧く一歩手前で昆布引き出して捨てる。ここが要(かなめ)、ぐら\/煮ちャあ昆布臭くなる。汁にァあさりの旨味がでてござるから、鰹節ァ使わねへのがあっしの手。だしが一品(ひとしな)倹約できるンが苦しい身(※19)にァありがてへ。
 根深(ねぎ(※20))を薄刃包丁(※21)で極々薄く斜め切り。殻から剥がした身と、その葱を一緒に茹で汁へ戻し、ぐつ\/と煮る。沸き立ってきた比見計らい、味噌を溶き込んで出来上がり。ここで味噌の量は少な目にするがいゝぢゃねへか。貝の塩気が出ているあたりを読み込むが肝要ヨ。さて、味噌の香(か)立つそいつゥあつ\/の丼飯にぶっかけりゃ、深川飯の一丁上がりヨ。
 餓鬼の比に、汁掛け飯が大の好物で、おしなの祖母(ばあ)さんによく叱られた。そんなもったいないことするもんぢゃないッてネ。ご飯の罰があたるヨってことだ。ところが深川飯はその御禁制のぶっかけ飯そのものヨ。深川界隈の漁師のとっつあんたちが、まどろっこしいのハきれへ(嫌い)だとばかり、忙しいさなか飯へ味噌汁かけて喰ったがその開闢(はじまり)と聞く。嘘かほんとか知らねへガ、いまぢゃ深川飯は世間に知れて、値のつく立派なお料理献立。おしなとハ言へ士族の末裔、江戸の香残る明治初年生まれのあの婆さんが元気で生きてりァ、あきれて腰ィ抜かそうッてご時世の変りよふ。箸を鳴らしてかっこみァ、世にこれほどの旨さハねへ。具も飯も丼に一緒盛り、これほど手間のかゝらねへものハなし。天下晴れての大ご馳走。貧乏所帯の華の夕飯ヨ。

《付けたり》
(※1)九尺二間(くしゃくにけん)。長屋暮らしをこのように呼んだ。長屋の部屋の広さを表す江戸語。九尺=一間半=約2.7m。二間=十二尺=一丈二尺=約3.6m。六畳の広さ(約9.72平方m)。江戸の長屋の標準的な広さ。この面積の中に、出入り口の土間、水瓶、七輪、まな板などの台所道具の置場があり、実質の畳敷きの部分は四畳半である。
(※2)八百膳(やおぜん)。江戸後期を代表する高級料理屋。漬物と煎茶の茶漬けで一両二分も高直(こうじき。高値)をとったというので知られる。それに使った水は早飛脚を仕立て、玉川上水の取水口まで汲みに行かせたという。
(※3)中へ繰り込んで喜の字の台。中(なか)=吉原。喜の字(きのじ)=喜の字屋。吉原の仕出し料理屋。台(だい)=台の物の略。遊客が花魁を揚げたとき、床入りの前に芸者を呼んで座敷遊びしたが、その際、料理を取り寄せるのが決まりで、その料理をこう呼んだ。州浜形の大きな台に松竹梅を飾り鶴亀などを配し、さまざまな料理を飾ってある。余談=座敷遊びを「花」と言い、床入り「実」と言い、座敷遊びをしない客を花がない客と軽蔑した。
(※4)偽大銀貨。五百円硬貨。
(※5)同じく(偽)中銀貨。百円硬貨。
(※6)穴開き偽銀。五十円硬貨。
(※7)赤(銅)銭。十円硬貨。
(※8)黄ン色(真鍮)お鳥目。五円硬貨。江戸時代、穴開き銭の形が鳥の目に似ているとこから、鳥目(ちょうもく)と呼んだ。
(※9)金(かね)。金貨は小判、一分金(一両の四分の一)、一朱金(一両の十六分の一)など、銀貨は丁銀、豆板銀、一朱銀※(一両の十六分の一)などで、こうした金銀でつくられた貨幣を金(かね)と称し、銅銭、鉄銭を銭と呼び、区別した。江戸は金が主体、大坂は銀が主体であった。※文政十二年、一朱金を排し新造された。
(※10)福沢さま。福沢諭吉の肖像画が描かれている一万円札。
(※11)一葉。樋口一葉の肖像画が描かれている五千円札。
(※12)川向ふ。大川(隅田川)の東岸(現・東京都墨田区)は、かつては上総[かずさ])の国であったため、江戸の外という意味でそう呼ばれた。「川向ふ」の「ふ」は旧仮名遣い。
(※13)江戸切絵図。広大な江戸市内の詳細な地図を数枚に切りわけて発行されていた。武家地、町人街、百姓地、寺社などの詳細が描かれ、とりわけ武家屋敷は、名前が表記されており、姓の頭文字の方向が門の位置を示していた。
(※14)分間江戸大絵図。分間は「ぶんけん」または「ぶんかん」と読み、測量の意味。間は一間(六尺)など長さを示す単位。安政六年のこの地図は幕府測量のものを元にしているので、地形がきわめて正確だった伝えられている。
(※15)浅草広小路。現在の雷門前の道が、火除地の役割で広く開けられていた。西は田原町(たわらまち)に突き当たる中程まで、東はそのまま大川橋(次項)までが広くとられていた。江戸市中で広小路の名が付けられていたのは他に、上野広小路、両国橋広小路などが知られている。
(※16)大川橋。現・吾妻橋。隅田川にかかる江戸を代表する橋の一つ。長さ七十六間(約136.8m)。この橋の辺りの隅田川を江戸ッ子は、大川、浅草川とも呼んで親しんだという。
(※17)久しい。いつもの、の意の江戸語。ひさしいこと=いつものこと。
(※18)達引(たてひき)。競い合い、喧嘩などの意に用いられた江戸語。
(※19)苦しい身。貧乏のことを言う江戸語。「四百四病(ししゃくよびょう)より苦しい貧(ひん)の病(やまい」などと言った。
(※20)根深(ねぶか)。葱のこと。江戸の人は白い葱を好み、土をかけて白い部分を長く育てた。
(※21)薄刃包丁。野菜調理専用の片歯包丁。大根や白菜などの野菜を荒切りする包丁は、菜っ切り包丁。和包丁は他に魚をさばく出刃、刺身をつくる刺身包丁の最低四種を使用する。刺身包丁は江戸東京では先が四角い蛸引きを用い、先が尖った柳歯は上方で主に用いられた。

2006年9月 9日 (土)

江戸艶気蕎麦前(えどうまれうわきのそばまえ) 大切

 江戸艶気蕎麦前(えどうまれうわきのそばまえ) 大切

                         鷺屋東西

〈大切〉並木藪蕎麦の場

 刻(とき※39)は未の刻(こく※40)、八ツ(※41)を過ぎたばかり。舞台上手、並木藪蕎麦の見世(店)。入り口、荒目の連子戸(れんじど)。脇に植え込み。見世の内、土間。舞台正面に追込(おいこみ※42)、卓台(座卓)大小四脚。土間に洋卓(テーブル)、三脚。右手奥、調理場。その前、菊正宗の薦(こも)被り(樽)、それに並んでお運びの小母さん三名。拵え、白い上っ張り。品書き、蕎麦屋のお定まりで、一品ずつ書いた紙を壁へかけてある。
 客、小上がりの大卓台の端に若い母親と幼児姉妹、慎ましく座っている。もう一つの大卓台には西洋人の父親と幼児の姉と弟。洋卓には、中年女の二人連れ。

 喜三二、花道から舞台へかゝりながら、台詞。
喜三二「今が江戸の昔なら、こうして雷門から来る最中、八ツを知らせる弁天山の時の鐘(※43)が、ゴ~ンと十一(※44)も鳴り、風情を添えてくれただろうに、無粋な明治新政府以来、時の鐘は廃止。代わりに時計がコチコチ云うばかり。これぢャあ、時刻の流れに面白みがありゃしねぇ。
 さて、江戸っ子修業と銘打った、花のお江戸は浅草詣のくせに、ここはなんとしても、見参仕(つかまつ)るがいいぢァねェかというわけで、編み出した手がこれよ。
 いつもは弁天山美家古で摘む、浅茅(※45)十貫の握りを五貫に減らして並木藪へ繰り出し、蕎麦を手繰る前(めえ)に、隙間のある腹へ酒を一本、ゆっくりと楽しもうって寸法だ。こいつを称して蕎麦前たァ、かの杉浦の日向子師匠は、うめえ呼び名を付けたもんぢャねェかい。
 弁天山美家古の鮨と、並木藪の蕎麦前酒と蕎麦、その両方を味わえる両天秤の一挙両得。この手はァ、観音様でも気がつくめェよ。
 と、まあ、それにしても、羽織なしの伊達の薄着の寒いこと。わけェもん(若い者)に負けじと張り合う歳ぢャあねェやな。おゝ、さぶ(寒い)、はえェ(早い)とこ、見世へ繰り込もう。
 ト藪の見世へかゝり、連子戸を一寸も開けたか開けぬかで、見世奥から黄色い声が飛ぶ。
お運び三人「いらッしァいませ引(~)。
喜三二「オッと、今日は、美家古寿司といい、この藪といい、脅かされることの多い日だ。間髪入れぬこの愛想。打てば響くたァ、このことよ。ぞっこん気に入ったぜ
 ト見世へ入り、そのまま、追込へ上がり、一番奥の小机へ席を占める。品書を眺めていると、お運び、お茶を持って来る。
喜三二「一本、ぬる燗でつけておくんなせへ。肴は、焼海苔をおくれ。
 ト頼んでおいて、店内を見渡す。追込の縁には、杉の磨き丸太が立つ。天井に接するところまで、ぴか\/に磨き上げられている。品書を張った壁の下方の腰板は、尺幅の無垢板貼り。板の間に細い丸竹を打ちつけた洒落た造作。竹は布袋竹か。節が骨張っていて、引き締まった風情。
 卓台の西洋人の父親、横に分厚い洋書を置いている。背表紙にJapanの文字。その案内書を見、この店へ来たか。その父親、座り馴れないのか、男のくせに横座り。
喜三二「ヲヤ父親(てておや)は紅毛の女形(おやま※46)かい。
 ト子供は、日本人と西洋人とで、都合四人もいるのにきわめて静か。躾(しつ)けのよさが判る。日本人の母子たちは、慎ましく卓台の端に座っている。西洋人の父親は、卓台の中央を占め、子たちはその向かいで静かにしている。日本人の方には父の姿なし、西洋人は母の姿なし。それぞれ理由(わけ)ありか。
 日本人母子が卓の端に座っている様子から、最前まで見世は込んでいた模様。喜三二、よい比(頃)を見計らって来たと安堵の○(思い入れ)。
 お運びの一人、喜三二の脇へそっと折り畳んだ新聞を置いて下がる。喜三二、軽く会釈し、卓台へ広げ 、天声人語を黙読する。
喜三二、独白『新聞もテレビも、いやな出来事ばかり。目ェも耳も塞いでいてェ気分だ。いつからこんな嫌な国になっちまッたのかねェ。ご維新この方、陸(ろく※47)なこたァねェ。お江戸の町にやぁ、百万からの人がいたのに、定町廻り同心(※48)はたった十二人で済んでいたくれェ安気(あんき)だったと云うぢャねえですかい。
お運び△「お待ちどうさまです。
 ト誂(あつら)えの品をお盆で運んでくる。卓台の上に、酒、肴が並ぶ。徳利、白磁。柄なし。一合桝を袴に穿いている。盃、同じく白磁、柄なし。角皿に焼き海苔、手塩皿、二枚。一枚に空豆半分ほどに丸めた焼味噌。もう一枚に下ろし山葵(わさび)。他に醤油の小皿。
 喜三二、早速、徳利より盃へ注ぎ、まず鼻もとへ。
喜三二「こいつァ、たまらねェ香りだぜ。菊正宗といやぁ、灘だ。江戸の昔なら、さしずめ富士見酒(※49)の贅沢よ。地回り(※50)たぁ、格が違わァ。
 樽酒たァ、こんなにいいもんだったァ、すっかり思い違い。……前に食べた(呑んだ)は、確か二十歳(はたち)も、ようやく回ったばかし。酒の味も知ったかぶりの半可通、背伸びばかりの餓鬼みてェの頃。杉樽の、その杉の色香につい我を忘れ、盃重ねたその挙げ句、前後も判らぬ大生酔い(※51)。陸な思いは残っちゃいねェ。
 だがこうして、いま嗅いでみりゃあ、極楽の蓮の香りたァ、これのことかと思われる。なんでこの齢(よわい)まで、手を出さず来たものか。悔やんでも悔やみきれねェ、己がお粗末。……酒も修業を積まねェと、判らねェものだなあ。
 ト盃を干し、溜め息の○。焼き海苔の端を折、山葵をくるんで口へ入れる。
喜三二「ヲォ、こいつはいい海苔だ。八つのお山(八ヶ岳)の貧乏庵で口にする焼海苔たァ、位が違わァ。銭五百六十の高直(こうじき※52)のことはある。銭やァ、只(ただ)ァ、取らねェなァ。
 ト感心した○。並木藪では、酒も六百五十円で同額。後は無言で、盃を傾け、焼き海苔を食む。焼き味噌を箸で崩し、舐(な)める。
喜三二「こいつも、旨めェ。香ばしいぢャねェかい。蕎麦の実を練り込んでるな。
 トまた酒を飲む。しばし静かに酒、肴を味わう。
 西洋人の子供のところへ、蕎麦が運ばれる。喜三二の徳利、残り半分を過ぎた頃。
お運び△「お待ち遠さまです。
 ト西洋人の五、六歳男の子に種物の丼、四歳ほどの妹の前へ笊(ざる)を置く。父親は麦酒(ビール)を飲んでいる。
 女童、箸を二本一緒に鷲掴みにし、扱いに難渋する。なかなか蕎麦を掴めない。四苦八苦の様子。父親、構わず。
 ト喜三二、独り言のように述べる。
喜三二「よう癇癪を起こさねェもんだぜ。あっしだったら、とっくに投げ出していらァな。見上げたもんだ。西洋人は気がなげェ(長い)のかね。あの根気で、世界制覇をしたんだなァ、こいつは江戸っ子にはできねェ辛抱だ。
 ト西洋の女児、ついに鷲掴みの箸でぐる\/と蕎麦を巻き付け、高く持ち上げる。蕎麦、長く垂れ下がる。それを大口開け、下から受ける。蕎麦つゆをつけず。見ていた洋卓の中年女客、台詞。
中年女客□「おャ、お蕎麦を下から食べるの、初めて見たよ。
中年女客○「ほゝゝゝゝ。
 ト喜三二、盃を進めながら、帰りの道を考える○。
喜三二「徳利半分、五勺も食べたら、後は残す積もりでいたが、つい香りとコクに絆(ほだ)されて、気がつきャ早、徳利は軽くなり、残るは盃一二杯。こうなりャどうと云うこともなし。きれいに空けて、蕎麦へかゝるか。
 ト最後の一滴を盃へ落とし、名残惜しそうに舐める。そして、片手を軽く上げ、お運びへ合図。お運び、すっと寄って来る。
喜三二「玉子焼(※53)……は、と。
 ト壁の品書きへ目をやる。お運び、済まなそうに答える。
お運び△「玉子焼は、ございませんので……。
喜三二「そいつァ、うらみだ(※54)。
お運び△「お摘みでしたら。
 ト喜三二、その言葉を遮り、
喜三二「いや、いゝやな。笊(ざる)を一枚、貰おうか。
お運び△「ハイ。
 ト喜三二、蕎麦を誂える。並木藪に盛りはない。他店でいう盛りが、ここの笊(※55)である。
 しばしの間を置いて、卓台へ笊が届けられる。直径八寸(約28・)ほどの、底が上へ反り返った笊に、緑がかった蕎麦が薄く盛られ、瑞々しく光っている。喜三二、山葵下ろしを箸につけ、ちょいと舐めて、舌を目覚めさせる。そうしておいて、蕎麦を手繰る。その蕎麦の長いこと。手繰っても\/終わらない。つい右手を一杯に上げるほど長い。蕎麦の尻尾をちょこっとつゆに浸け、ズズッと啜り込む。
喜三二「こりゃァ、すげェ。日向子師匠が、並木藪の蕎麦は、角が口の中でコチン\/と当たると書いておられるのは、このことか。合点がいったぜ。いや、こいつァ驚きだ。こんなに角が立った活きのいい蕎麦は初めてだ。
 以前、身延のお山の参道に、見世を張った九十翁、その爺が、おらが見世ぢゃア薪で焚いて、寒天をつくらァと自慢して、目の前で突いて喰わしてくれた心太(ところてん)、あの角張った活きのよさ以来の切れ味だ。江戸っ子好みの蕎麦たァ、こうしたものよ。
 それにどうでェ、このつゆは。東京一辛い蕎麦つゆだなんて評した野郎がいたが、こりゃあ、辛いんぢゃねェ。コクが滅法界、ふけえ(深い)んだ。こんなにコクに厚みのある蕎麦つゆは初めてだぜ。こいつァ、豪気だ。この旨さにャあ、礼を云わにャアなるめェよ。
 ト喜三二、夢中で蕎麦を手繰っては、啜り込む。蕎麦猪口を左手、胸高に持ち、背筋をすっと伸ばして食べる。猪口を置いたまま、背をかがめて喰うは、犬喰いの恥。意気、鯔背(いなせ)を身上とする江戸っ子のやることではない。種物の丼も同じ。器は手に持って食べるが、日本の作法。
 喜三二、手繰る最中、日本人の母子、静かに立ち、勘定を済ませる。見世を出しなに、西洋人父子へ声をかける。
日本人母「エクスキューズミー。
 トその声に、西洋人父、振り向く。
 日本人童(姉)、恥ずかしそうに、小さく畳んだ紙片を二枚、西洋人の男児に渡す。日本人母、西洋人父子に軽く会釈して、見世を出て行く。日本人女児、二人とも、西洋人の子供たちに、バイ\/と手を振り店を出て行く。西洋人の子供が貰った紙片は、折り紙の兜。それが何か知らない西洋の子は、逆さまに持って眺めている。そう持つと、その形はちょうど舟に見えた。
喜三二「いいものを見せて貰いやした。天下の並木の藪へ来た、いい思い出の一場面。ここはやっぱり気のきいた御仁が贔屓にする見世だけのことはある。この藪が頭分(かしらぶん)の江戸の蕎麦屋、そして先の弁天山美家古のような江戸前の鮨屋、そうした見世は、気っ風を磨く場ヨ。
 ただ蕎麦を喰う、鮨を喰うぢゃあ、立ち食い蕎麦でも、回転鮨でもかまわねェだろうが、立ち居振る舞い食べ姿、どこへ出しても後ろ指一本指されねェ、見事大人になって見せようと、誓った修業と思えばこそ、こうした名代の見世へ来(こ)なくちゃなるめェと、決めた覚悟が見事に当たり、初っ端の今日のこの日に、胸の奥が熱くなる、心に染みる場を拝ませていただきやした。修業冥利たァ、このことだァ。
 ト喜三二、卓上の土瓶(※56)から蕎麦湯を蕎麦猪口へ注ぎ、呑む。
喜三二「オゥ、こいつァ、コクがふけえ(深い)。これだけ、旨味の強い蕎麦つゆは呑んだことがねェ。こりゃあ、たまらぬ、一杯ぢゃやめられぬ。
 ト喜三二、蕎麦徳利より猪口へつゆを注ぎ、蕎麦湯を二杯も呑む。
喜三二「さあ、長っ尻は見世への迷惑。甲駅(新宿)で待っている、高速バスを待たせる器量があるぢゃなし。遅れぬように戻るがいい。さあ、さあ、姐(ねえ)さん、お勘定をしておくれ。
 ト喜三二、席を立ち、支払いを済ます。三品、

江戸艶気蕎麦前(えどうまれうわきのそばまえ) 二幕目

   江戸艶気蕎麦前(えどうまれうわきのそばまえ)

                  鷺屋東西

〈二幕目〉弁天山美家古寿司の場

 舞台下手、店の入り口、第一の戸(黒アルミサッシ・ガラス。開きドア)。中に第二の戸(引き戸)、連子戸(れんじど※18)。二重戸の構造になっている。
 左手につけ台(※19)、その前に椅子五脚が並ぶ。つけ台奥は左へ曲がり、椅子さらに二三脚。見世奥には、洋卓席あり。店の主、五代目、つけ台の入り口寄りに立つ。
 客すでに入っている。つけ台手前の中央に、三十、四十代の着飾った会社員の新造(※20)風の女性三名、つけ台の先の椅子には、若い恋仲風二人連れ。奥の洋卓にも、客の姿あり。

 喜三二、花道へ登場。舞台へ向かってゆっくり歩きながら、台詞を述べる。
喜三二「雷門から仲見世を抜け、途中から、東のこの馬道(まみち)へ出、散歩代わりのぶらぶら歩き、ほんの数丁(※21)でここまで来たが、馬道の賑わいは、きつい込みよう。江戸の昔には影せェなかった、自動車なんぞが、我が物顔に走り回り、これぢゃア馬子駕籠舁(か)きは飯の食い上げ。
「おゝ、早(はや)、馴染みの弁天山美家古寿司だ。
 ト二重の戸を開けて店内へ入り、ギョッした身振りで、軽く身を引く。
「こいつァ、度肝を抜かれだ。すてきに込んでいるぢゃねェですかい。さては先だって、週刊朝日って絵草紙にこゝの鮨が書かれたって聞いたが、そいでこんなに賑わっているのか。時分時(じぶんどき※22)をちょいと過ぎたこの時刻、いまゝで客の姿を見るこたァ稀だったが、草紙の力はえれェ(偉い)もんだぜ。
弁天山美家古主人「いらっしゃいませ。奥の席になさいますか。
 つけ台前の椅子五脚の真ん中を三人の新造風が占めている。空いているのは、両端の一脚ずつ。
喜三二「一人だ。この席でいいよ。
 ト入り口手前の一つ開いた席へ腰かける。独り客のあっしが、卓席を一人で占めるわけにゃあいかねェ、それが礼儀ってもんだ、の○(※23)。脇を向いて、聞こえぬように次の台詞を吐く。
喜三二「この女衆(おんなし)ゃあ、江戸しぐさってェもんを知らねェのかねェ。えェ、肝が焼ける(※24)ぜ。ど真ん中に座られちァ、後から二人連れが来たら座れねェぢゃねェか。これから来るかも知れねェ他人様に気を利かせ、左右どっちかへ詰めて腰掛けるがいいぢぇねェか。そういう気がつかねェようぢゃ、お江戸へ来るにャア三代はえェ(早い※25)。とんだ業晒(ごうさら)しな(※26)おしな(※27)。お里(※28)が知れるぜ。
喜三二「今日は、五つほど握っておくんなさい。
 ト五代目へ頼む。「今日のいいところ(よいネタ)を」と、喜三二が言葉を添える前に、
主「お任せいただけますか。
 ト先手を打たれる。
喜三二「五代目は抜かりがねェや。
 ト呟く。隣席の婦人方の華やかな声が耳に入って来る。
大年増新造□「ご主人、お飲みになりませんの。
若新造▽「えゝ。
大年増新造○「クラブなんかへ、行かれますンでしょう。
 ト脇で聞かされる喜三二、すっ惚(とぼ)けた顔の○(思い入れ)。腹の中で毒吐(づ)く。
喜三二『取り澄ました中に、ちら\/と、亭主(ていし)の地位と扶持(年俸)の高と、酌婦(ホステス)風情に嫉妬などいたしませんの、ワタクシ、ああした人種とは人格が違いますから、と取り澄ました話しっぷり、なかなかの出来。見上げたもんだよ屋根屋の褌(ふんどし)ってやつだ。こいつァ岡(傍)で聞いてて、滅法面白れえ。大年増が若けェのに偉ぶって口ィ利いちゃアいるが、所詮(しょせん)どちらさんも、三十俵二人扶持(※29)の似たもん(者)同士ぢゃねェんですかい。
 ト客の話にどんな花が咲こうが、五代目、黙々と握る。
主「鮃の昆布〆でございます。
 ト喜三二の前のつけ台に鮨一貫が置かれる。弁天山美家古の一貫目は、まずこれから始まる。透明なネタの下に、山葵(わさび)の緑が透ける。
 喜三二、すかさず右手の掌を返し、人指し指と中指で鮨を摘まみ、上から親指で押さえ、口へ運ぶ。この見世の握りには、ネタの上に煮切り(※30)が塗られているので、紫(醤油)はつけない。
喜三二「あゝやっぱり旨めェ。こいつが、おいらは、いっち好きだねェ。
 ト呟く。生姜(※31)を一切れ、ついで茶を一口飲んで舌を磨き、次を待つ。
 続く二貫目は、
主「鯛をご用意させていただきました。
 ト差し出す。ネタの鯛は、皮を湯引きし、半身に松皮を残している。その姿、景色なり。喜三二、すぐに口へ運び、オッと顔をほころばす。
 独白『鮃のさっぱりした感じとは違い、今日の鯛の旨味にャ厚みがあるねェ。あっしは鮃好きだが、今日は鯛に軍配を上げるヨ。
主「才巻海老(※32)でございます。
 ト喜三二、腹中で呟く。
喜三二『この小振の海老がいい。元来、海老ってェもんは、味が淡いもんだ。だからこゝの大将は、その海老でこせェたそぼろ(※33)をネタの下に仕込んで握らァな。
 近比(頃)はなんでも大きいものが尊ばれ、車海老で握るとんちんかんな見世がある。そいつをまた喜ぶ頓馬(とんま)な手合いがいるから幻滅だ。あんなもんは、味がなくパサついているばかりよ。伊勢海老なんかもその類(たぐい)。進駐軍が来たときに、あいつら大海老(ロブスター)なんか喰って喜んでる手合いだから、旨くもねへが、伊勢海老出しゃァ嬉しがるだろうと、出したのが間違いの始まり。物の味を知らねェのは日本人にもごまんといて、それがいまぢゃァ伊勢海老を御馳走だと思ってもて囃(はや)すから、鮨の海老もでかけりゃいゝと思っていやがる。とんだ、とんちきよ。
 ト新造連中、席を立ち、にぎやかに
新造□「ご主人、おいしかったわァ。
新造○「ほんと~、すっごくおいしかったわァ~。
新造□「また、来ますね、よろしくねェ。
主「はい。ありがとうございます。
 ト主、静かに応える。喜三二、そっぽを向き、聞こえないように台詞を吐く。
喜三二「ヘン、また来るとは聞いて呆れるぜ。来るなら先の約束などせず、そんとき来りゃいいぜ。口で義理売って、親爺に翌(あす。未来)の礼を云わせるこたァねェだろう。親爺も返答に困ってらァな。今度とお化けは見たことねェって奴だ。もう一度、こゝで出会えたら、赤飯ものだぜ。
主「穴子でございます。
喜三二「出たね。このしっぽりした柔らかみ、待ってたよ。こいつァ、年増の旨味だ。
 ト相好を崩し、箸で摘まんで食べる。煮穴子を軽く炙(あぶ)り、詰め(※34)を塗ってあるので、手で裏返して摘めない。
主「赤身の漬(づ)けでございます。これで、五貫でございます。
 ト喜三二、ふたたび手で摘む。
喜三二「取(とり。真打)は赤身(鮪)と来たね。やっぱり江戸前鮨の立役者だよ。いゝねえ、このほのかな渋み。トロなんぞに手ェ出す奴は、麻布(※35)よ。あんな脂っこいもん喰ったら、口ン中に味が残って物の味が分からなくなっちまう。さっぱりすっきりが身上の、江戸っ子の食いもんぢゃねェや。
 五代目の握りは、いゝ地紙型になってるのが、嬉しいじゃねェか。鮨を横から見たら、一目瞭然ってやつだ。扇の紙の形だ。この形に握るにャあ、両の親指が甲乙なしに効いていなくちゃできねェ相談だ。誰にでも握れるって芸当と芸当が違うわァな。
 加減をつけてその形に握ったシャリは、口の中ではら\/と崩れ、さっと喉へ消えて行かァな。それに加えて、ネタの厚さ、寸法がいゝね。加減ってもんを知ってらあ。ネタが厚くて、冬の掛け布団みたいに、シャリからべったりはみ出したなんぞを喜ぶ手合いがいるが、そいつァ、大間違いよ。野暮の骨頂ってやつだゼ。
 鮨ってェのは、ネタとシャリが、同時に口の中ではらりと消えなくちゃあ、後味がわりい(悪い)。でっけえネタが欲しかあ、寿司屋へ来るこたあねェ。手めえ(手前)んチで、刺身分厚く切ってシャリの上へ山盛りにして喰やァいゝんだ。
 慶応は慶応でも、新しもん好きの福沢の諭吉っつあんとは大違い、弁天山美家古寿司やァ慶応二年(1866)に旗揚げし、以来江戸前命と握り鮨のやり方守り、代を代々五代重ねて来たゞけのことはある。そんじょそこらに掃いて捨てるほどある握り鮨屋とは訳が違わァ。
喜三二「ごっつォさん(ご馳走さん)。お勘定、しておくれ。
 ト西洋医本道(ほんどう※36)野口英世お二方と偽銀と赤銭で六百二十を払い、さっと見世を出、そのまゝ下手へ入る。幕。

〈頭取、幕前へ出て、切口上〉 いよ\/是(これ)より、大切『並木藪蕎麦の場』。ご掲載は秋、文月(七月・8月)。いよ\/佳境へ入るとの、不佞(ふねい※37)東西の安請合。さよう(※38)。 乞、ご期待。まづ今日(こんにち)はこれぎり。
       めでたく打ち出し太鼓打つ

(※18)連子戸=縦に細かく桟が入り、横桟の数は少ない。現在、格子戸と呼ばれる戸。
(※19)つけ台=俗にカウンターと呼ぶが、鮨屋の場合は本来、つけ台またはサラシ。
(※20)新造=妻の意。元々は新しく仕立てた女郎の呼称。次第に広く使われるようになり、町家の妻や同心の妻をそう呼んだ。与力の妻は奥様。
(※21)丁=約100メートル。
(※22)時分時=食事時分時の上を略した語。食事時。
(※23)○=思い入れの意。歌舞伎台本のト書きに使われる表記。鶴屋南北などの戯作者が使用。
(※24)肝が焼ける=腹が立つ。
(※25)三代早い=「江戸で三代生まれ育たないと、江戸っ子にはなれない」を踏まえた台詞。他人に自然と気遣いする習慣「江戸しぐさ」が身につくには三代かかると云われたことから生まれた言葉。江戸っ子を都会っ子に置き換えると、現在でも通用する。
(※26) 業晒し=みっともない、恥知らずの意。罵り言葉。
(※27)おしな=信濃の下を略し、「お」を冠して女性名めかした語。信州から季節労働で江戸へ出稼ぎに来た奉公人などの蔑称。大食で気が利かなかった。転じて、下男の通称。権兵衛とも。
(※28)お里=生まれ育ち。
(※29)三十俵二人扶持=同心の祿高(年俸)。きわめて薄給。同心=町奉行所に勤務する役職。お目見え以下(将軍に拝謁できない)の旗本から選ばれた。一代限りの職だが、現実としては子が継いだ。
(※30) 煮切り=煮切った醤油に、出汁、味醂、酒を加えてつくる。江戸前鮨の約束ごと。
(※31) 生姜=鮨職人の符丁で「ガリ」。他に符丁には、上がり(お茶)、お愛想(会計)などがあるが、すべて店側が隠語として使うもの。通ぶって客が使うの半可通、野暮の頂点。「上がり」は、客が帰るの意味。鮨屋で茶をお代わりするのは、長っ尻(ちり)の客。贔屓(ひいき)の引き倒しと嫌われる。早く席を空けるのが、粋な客。
(※32)才巻=さいまき。小型の車海老の異称。小海老とも。鞘巻の訛りの説もあり。関東米著・玉の蝶(ぎょくのちょう)(寛政初年)「なま貝をよしてトさいまき(車海老)を長蓋(ながぶた)のつみあわせにしょう」。式亭三馬著・四十八癖(二編・文化十年)「小海老(さいまき)の照焼が落武者といふ身で、たった二駒に打なされてゐる内が不便(ふびん)だ」
(※33)そぼろ=海老、鯛、鱈などの白身の魚の身を磨り潰し、炒り煮したもの。「おぼろ」とも。
(※34)詰め=煮詰めの略語。鮨職人の符丁。穴子の煮汁に醤油、砂糖、味醂を加えて煮詰めたもの。煮穴子、煮浜(蛤)に塗る。
(※35) 麻布=江戸時代、麻布は場末。材木屋が多く(現西麻布と六本木との間の交差点を昭和半ばまで「材木町」と呼んだ)、「木の種類が色々あって判らない」から「あいつは麻布よ」と云えば、「気(木)が知れねぇ奴」という意味に使われた。
(※36)本道=漢方内科。本道というだけで、内科医を指した。
(※37)不佞=才知のないこと。
(※38)さよう=さよう心得られましょう、の省略。見世物の口上でよく使われた。

(カランドリエ 平成十八年卯月号・上弦の月の日発行[18年5月5日])

江戸艶気蕎麦前(えどうまれうわきのそばまえ) 序幕

江戸艶気蕎麦前(えどうまれうわきのそばまえ)   

                   鷺屋東西

〈除幕〉雷門門前の場

 舞台正面に雷門。奥に仲見世が垣間見える。下手(しもて)に雷おこしの見世(店)。上手(かみて)、お上の定番所(交番)。門前の通りに人力車三台。観光客、ぞろぞろと雷門をくぐって行く。車夫数人、藍染半纏丼掛け、股引に地下足袋の拵(こしら)へで、観光客へ声をかけながら、舞台を動き回っている。
 北里喜三二(※1)、その喧騒の真っ只中、舞台中央に立つ。老人につき慮外(無礼)ご容赦の白き口髭顎鬚(※2)。髪は薄くなれど六四(ろくよん)の黒胡麻。百助(※3)の椿油、よのや(※4)の黄楊櫛(つげぐし)で髪を決める。拵(こしら)へ、すでに通人気取り。時季は初冬なれど、伊達の薄着で羽織なし。渋茶の長着、二尺も離れれば無地に見えようという極細縞。角帯、鼠の無地。差料(刀)禁止の平成のご時世のため、店者(たなもの)にはあらずの心入れで、帯を浪人結びにしている。白足袋、雪駄。左手に合財袋、黒地に黒漆で梅小紋の散らし。右手には南鐐(なんりょう※5)の握りを設(しつら)へた黒檀の洋杖(ステッキ)。懐には、艶次郎(※6)が暖簾の奥から京傳鼻を突き出し見世を覗いている図を染めた真っ新(さら)な手拭(※7)を抜かりなく忍ばせ、通人志願の心意気を示す。この見得、大拍子にて、幕明く。

車屋○「車は、いかゞ。
車屋△「浅草、名所めぐりですよ。お二人で乗れますよ。
車屋□「はい\/、そこのお嬢さんたち、浅草記念にどうですか。
 ト車屋たち、思い\/に捨て台詞(※8)。
喜三二「いつ来ても、すてき(すごい)な賑わいぢゃァねェかい。観音様の人気は、てェしたもんだ。やっぱり浅草は、盛り場の親玉だねェ。
 江戸っ子修業も、指折り数えりゃ、早(はや)八度目の浅草詣(もうで)。比(頃)は神無月(十月)、日にちは下旬のしょっぱな(初っ端)、二十は一日(新暦11月22日)の小雪(しょうせつ)。
 毎度、意気込んで出かけては来るのだが、しがねェ日帰り者(もん)の悲しさで、浅草で一食しか喰えやァしねェ。夕の分まで喰っていちゃあ、暮六つ(5時過ぎ)発の、けえり(帰り)の高速バスに置いてけ堀の剣突くだ。
 となりゃ、たった一度の、この飯を、どこで摂るかが、肝心要(かんじんかなめ)の一大事。
 江戸の昔の握りは発祥の、与兵衛(※9)の流れを汲んで、慶応二年から見世を張る、馬道(まみち)は弁天山美家古(べんてやまみやこ)寿司(※10)、そこでいつものように、真っちょうじき(正直)な江戸前(えどめえ)鮨にするか。
 はたまた江戸前蕎麦の大御所、並木の藪(※11)で、蕎麦前の一杯と洒落るか。
 毎度、この浅草へ来るが度(たび)の、思案が悩み。
 今日も、風神雷神立ち並ぶ、大提灯は雷門を背なに背負(しょ)い、右往左往のお上りさんの真っ只中、すっくと腕を組んで見得張る姿は、これぞ色男の立ち姿。かの花川戸の助六も、これほどの男前たァ、思えねェ。
 などと冗談云っても、思案が定まらねェのが、午(ひる。昼)の悩み。こいつァ、今日辺りで腹をくゝらにャなるめェよ。
 ト両の腕を組み、踵を合わせて爪先八の字ですっくと立ち、天を斜めに睨んで、見得を切る。
「と、まあ、洒落てる場合ぢゃねへけれど、迷いに邪魔され、最初の一歩が踏み出せねェ。
 雪もまばゆい白足袋の、その爪先を左へ取れば、弁天山は美家古寿司。真っつぐ(真っ直ぐ)広小路を千代田のお城へ向けて踏み出しゃ、天下は並木の藪。左か、前か。さァ、どうする。
 さァ、さァ、さァ。美家古か、藪か。男は度胸、はっきり決めろって、己が胸に迫る思い。
 えゝ、しゃら(洒落)くせえ。ここは一番、江戸っ子修業の大看板にかけて、見事果たして見せやしょう。

「月に一度の浅草参り、並木よ藪よと胸に秘めながら、つい弁天山美家古寿司、五代目親爺の律儀な仕事、握る手練の見事さに、つい絆(ほださ)れての鮨通い。
 素肌も仇な、鮃(ひらめ)の昆布〆(じめ)、ほんのり紅の、朧(おぼろ※12)を抱き子の才巻(さいまき※13)、朱と交われば赤貝の、シャッキリの歯触り、煮烏賊(にいか)はしっぽりと、まとわりつく年増の旨味、漬け(づけ)の赤身(鮪)は、渋さも意気な鉄火肌、小技仕事がきらりと光る、小鰭(こはだ)の酢加減の見事さは、いつも感服の下仕事、詰め(煮詰め)でこってり、濡れるは穴子と来、〆はいつもの手焼きの玉(ぎょく)。入れ代わり立ち代わり、一貫ずつ、色もさまざまに繰り出され、迷うは艶な色香の鮨、気がつきャ七度も、弁天山美家古命の入れ揚げ三昧。こいつァ、藪のへェり(入り)込む隙もねェ。
 そんなこんなで、つい目と鼻の先、並木の藪へは、一度も挨拶なしの不調法。
 これぢゃあ江戸っ子修業と銘打った、己が覚悟が看板倒れのみっともなさ。ここらで一番、藪へも素っ首突き出し、修業の幅を広げておかにゃア、江戸っ子名乗りの男が廃(すた)ると云うもんヨ。
 さりとて、男意地を通し、これからは、並木の藪の蕎麦一色の一本槍 、あっしは死んだもんと思ってくんなせェと、弁天山美家古の鮨とはすっぱり縁を切った、と、勇(いさみ※14)の啖呵が切れるほど、見得を張れねェ未練が仇。藪と思えば、美家古が浮かび、美家古命と傾きゃ、藪が呼ぶ。これぢゃあまるで、仲町(※15)で両の袂を、右よ左よと左右の花魁(おいらん)に引っ張られる、優男(やさおとこ)の脂(やに)下がりだァね。
 そうなりゃこいつァ一番、秘中の策を編み出して、一度きに二つを物にする手だてを案じなきゃなるめェよ。
 そこは伊達に還暦過ぎまで生き延びた、ただの爺たァちっとばかし爺ィが違う。修羅場を何度もくぐった命と頭、大船に乗った積もりで、仕上げは御覧(ごろう)じろだ。
 さぁ、黙ってあっしについて来ておくなんせえ。
 ト喜三二、下手へ去る。幕。

〈頭取、幕前へ出て、切口上〉 いよ\/是(これ)より、二幕目『弁天山美家古寿司の場』 ご掲載は春、卯月(四月・5月)。いよ\/佳境へ入るとの、不佞(ふねい※16)東西の安請合。さよう(※17)。 乞、ご期待。まづ今日(こんにち)はこれぎり。
       めでたく打ち出し太鼓打つ

(※1)北里喜三二。本芝居(しばや)の立役(たちやく。男役)にて立者(たてもの。主役)。北里=きたり。吉原の別称。喜三二=きさんじ。気散じ(呑気)を踏まえた名。蔦屋重三郎書肆刊『吉原細見』の序文の筆を執った通人戯作者明誠堂喜三二(秋田藩留守居役平沢平格)にもかけた役名。
(※2)寛文十年(1670)幕府(四代将軍家綱)は、戦国時代の武張った遺風である大髭を禁止した。以降、髭は無礼となる。例外的に老人、山伏、学者、医者、人相見などで髭を蓄える者があった。大髭とは、頬から鼻下、口辺、顎下を覆う髭。
(※3)百助=ひゃくすけ。広重の『江戸名所百景』に描かれた化粧品の老舗。式亭三馬著・虚誕伝(うそばっかり)(安永四年)「まず本田天窓(あたま)に百介がくこ油(あぶら)」とある。江戸の頃は、中島百助。浅草駒形町にあった模様。髪油梅花香で有名。現在は弁天山鐘撞堂前。舞台用化粧品、鬢付け油、椿油、鶯の糞など販売。匤木村百助商店・台東区浅草2-2-14  電話 03-3841-7058
(※4)よのや櫛舗。黄楊櫛の老舗。創業享保二年。伝法院通り。台東区浅草1-37-10  電話 03-3844-1755(※5)南鐐=江戸時代の通貨、二朱銀の異称。そこから出て、上質の銀の意。表文に「以南鐐八片換小判一両」の陽刻あり。二朱銀八枚で一両。
(※6)艶次郎=山東京傳作・黄表紙「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」(天明五[1785]年)の主人公。大店の道楽息子。吉原の花魁と馴染みになり、江戸中に浮名を流して通人と呼ばれたいと憂き身を費やしている色男ぶった男。半可通の代名詞となる。艶二郎とも。
(※7)仲見世通り裏、弁天堂の前にある手拭屋『ふじ屋』(台東区浅草2-2-15 電話 03-3841-2283)で販売。
(※8)捨て台詞=役者が臨機応変に、場に応じて独自にはく台詞。正本(台本)には書かれない。
(※9)与兵衛=花屋与兵衛。本所横網で上方風の押し鮨を商っていたが、それに飽き足らず、文政(1818~29)の初め、握り鮨を考案。大人気を博し、江戸前鮨の元祖となる。
(※10)弁天山美家古寿司=台東区浅草2丁目1-16馬道通り 電話 03-3844-0034
(※11)並木藪蕎麦=台東区雷門2-11-9  電話 03-3841-1340
(※12)朧(おぼろ)=海老、鯛、鱈などの白身の魚の身を磨り潰し、炒り煮したもの。「そぼろ」とも。
(※13)才巻=さいまき。小型の車海老の異称。小海老とも。鞘巻の訛りの説もあり。関東米著・玉の蝶(ぎょくのちょう)(寛政初年)「なま貝をよしてトさいまき(車海老)を長蓋(ながぶた)のつみあわせにしょう」。式亭三馬著・四十八癖(二編・文化十年)「小海老(さいまき)の照焼が落武者といふ身で、たった二駒に打なされてゐる内が不便(ふびん)だ」
(※14)勇=気概に富み、侠気、威勢がよいこと。気負い、競(きおい)、伝法膚ともいう。
(※15)なかのちょう。吉原の中央を貫く町。
(※16)不佞=才知のないこと。
(※17)さよう=さよう心得られましょう、の省略。見世物の口上でよく使われた。

(初出:カランドリエ[平成十八年睦月号])

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