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2006年8月29日 (火)

伽羅江戸前蒲焼(めいぼくゑどまえかばやき)[※1]

 土竜(もぐらもち)みてへに、ぢべたから面(つら)ァ だすと、天地ひっくりけえッたような土砂降り。近比(頃)はやりの、風呂桶の水ぶちまいたような降りようヨ。ひょいと出たのハいゝが、とっさのことに場所がわからねへ。懐から安政六年(1859)の切絵図引っ張りだして見りァ、どうやらここは材木町。目のめえの家並みの向ふは、もう大川[※2-1]の流れ。ちョいと上(かみ)ィ上がりァ、大川橋[※2-2]ヨ。
 拵(こしら)へはまだ袷の羽折(羽織)と長着、衣更へ[※3]間近の、天保暦は弥生三月、春も終りに近き日。甲駅(新宿)から地下の鉄道乗り継いで、終点浅草で降りてみりャこの始末。川と濡れるは水の縁の仲、とハ言ふが、こんなに降ッちァ艶がねへ。ぢゞい一人のきまま歩き、よりによって一天にわかにかき曇り、雷神風神荒れ狂うこんな陽気に出歩くたァ用心しらねへ大(おほ)たわけの所業とは、己で知っちァゐるが、行くと決めたら行かずにおくものか、莫迦の一念巌(いわお)も通す。
  さてもつぶてのごとき雨ェついての本日お目指しとあいなるハ、ゑど(江戸)は嘉永五年(1852)の江戸前大蒲焼の見立番付で、立派自慢に前頭ァ張る鰻の前川[※4]。そこの二階に陣取って、大川の流れェ肴に蒲焼を頬張ろふッてへ目論見ヨ。
 僧体ぶった頭陀袋(ずたぶくろ)から、機関傘(からくりかさ。折畳傘)ァ引っ張りだし、ツイと広げて、踏み出した。用心なしの莫迦ながら、傘ァ仕込んできただきァまだ利口。その上、足元ァ塗りの駒下駄で固めちァ来たが、そんなもんで治まる雨ぢァねへ。足駄に爪(つま)掛けで来てもやっとの雨。白足袋ァあッてへ間に絞れるほどの濡れ具合。えゝままヨ、と駒形丁(ちょう。町)に添って駒形のお堂の前、今ぢゃここは駒形橋西詰の大四つ辻。安政の絵図にャ駒形橋は載っちゃゐねへ。信号待つ間も、稲光と雷さまが天上を踏みならす大どろどろ。横面張るような土砂降りに、結城ハ縞の長着の裾どころか、黒八(くろはち。黒八丈)の羽折の袖もずぶの濡れ。共に祖父遺愛の着物。おいらの孫はやっぱり莫迦かと草葉の陰で泣いてござろふ。孫とは名ばかり、もふとっくに、死んだときの祖父の歳ィ上回った、押しも押されもしねへ六十路半ばの大年寄。しっかりにしなくちャ埒がねへ。
 雨中に莫迦ァさらして濡れ鼠。ここまで来てオッと気づいたえゝい仕舞った、長着の裾ォ帯に挟んで爺端折り(ぢん\/ばしょり)で来りァ濡れずに済んだものをと、今比気づく大たわけ。てめへながら己のドジにあきれらァ。
 自棄のやんぱちしゃらくせへ、川のように流れる大通(おほどおり)、はねェ上げて押し渡り、諏訪丁(すわちょう。駒形二丁目)へずいッとへえる(入る)。半丁(約50m)も行かない目と花の先、前川の招牌(かんばん。看板)が招いてる。晴れた日なら芳ばしい、蒲焼の香りが待ってましたと鼻ァくすぐるのだが、雨のけふ(今日)はそうはゐかねへ。
 ずっぽり濡れて戸を開けりァ、「オヤ大層お濡れなって」と大女将、機転効かせて差し出す真白き洋手拭(たおる)。あいよと受取り、裾を拭ふ。思わずでたハ苦笑い。こいつァとんだ定九郎[※5]ヨ。
 お目当ての二階へ腰ィ落ち着けるが、躰ぢゅうが湿ッてゐちゃア、心持ちがすっきりしねへ。大窓の外はお目当ての大川の大流れ。だが、座った席がよくねへ。景色のど真ん中に黄金色(こがねいろ)の雲みてへな乙な(変)もんが鎮座してゐやがる。麦酒屋のてえしょう(大将)が、にわかに大金掴んだ末に世間の迷惑省みず、でっち上げたる妙ちきりん。馴れねへ大金持つとろくなことしねへ見本と孫子(まごこ)の代まで業晒の大建物。縁も所縁もねヘ赤の他人のこちとらに、否応なく見せられるゝハ、迷惑千万。こんど莫迦儲けしたら、大金はたいて取り壊しておくんなせへ。
 品書を広げ、鰻重を誂えへる。中串が粋だヨとは、昔から聞くこと。見栄張ってあンまり売れもしねへ大串頼むハ、浅葱裏(あさぎうら[※6])のやること。そんな鰻ァでへどこ(台所)の舟[※7]の中にィ長逗留ヨ。お声がゝりのねへお座敷待ちくたびれ、なり(形=体)ァでけへが、身はすっかり腑抜けになっちまってるに相違ねへ。そいつゥ知ってる世馴れた江戸ッ子は、売れ行きのいい中串を喰う。そうすりャ河岸から入ったばかしで一度も宿とってねへ活きのいいうちに蒲焼さまになっておくれサ。
  天然鰻が払底している今日日(けふび)のご時世。江戸のじでへにャ、江戸前が当りめえ。深川辺りで捕れたと聞くが、いまじゃ遠くからやってくる旅鰻(たびうなぎ[※8])。はしょッて旅と一言、お江戸のじでへに呼んだようだ。
  この前川ぢゃ、うなぎ坂東太郎[※9]ト号(なづけ)て、天然に近づけた養殖うなぎを焼いてだす。時の運と財布に恵まれてゐりァ、天然もんにも授かれるッて仕掛けになってゐるが、四百四病[※10]より苦しい貧の病のぢゞいとしてハ、時価の二文字畏れ多く、坂東太郎で手ェ打った。
 注文伺いの若い姐(ねえ)さんが、瓜実顔の涼しげな滅法な美形。青い縞の着物がお仕着せたァ思へねェほど板についてゐる。あっしが巣ゥくう八つのお山で、友達尽(ともだちづく)になった加兵衛のとっつァんが、恋女房と河童橋へしょうべえ(商売)道具買いに出たついでに、この前川へ寄ったら甲州の姐さんがいたと聞き込んでけえって来た。それじァこの別嬪さんがその甲州産かと「姐さん、増穂(ますほ)の人かい」と訊ねるッてへト、「あたしァ甲府ヨ」とお答えダ。なァるほど、そいで合点がいったゼ。甲府の町ィぶらついても美人に出ッくわさねへ。前川の大将は、けっこうすばしッこいゼ。ここンちにかっさらわれちまって、産地にャ払底してたッてわけだ。
  鰻屋ハ待つのが当たり前。蒲焼が焼き上がって来るまぢァ、ちくといっぺえ(一杯)きこしめしてへが、けふはこの跡(後)おやつ代わりに並木の藪[※11]の暖簾(のうれん)くゞり、焼海苔で蕎麦前[※12]の盃傾け、ざるゥ手繰ろふッて算段だから、ここはちょいの我慢で、雨に煙る大川の流れェ眺めて時ィ過ごす。  それにしてもなんだね、近比のおむす(娘)は色気ッてへものを知らねへネ。向う正面のそやつァ大股広げェあぐらで飯ィかっこんでいやがる。卓台の下ァ抜けてるから、こっちからァ丸見えヨ。嫌なご時世になりにけりダ。
 トぼやいている内に甲府の姐さんが、お待たせとお重をお運びダ。蓋ァ取るッてへと、ぷんと芳ばしい香りが鼻を突く。これ\/、こいつうゥ待っておりやした。トうれし\/でお重の中ァ覗いて、こりャどうじャ。蒲の焼が、天地逆さまヨ。尾(を)が手前、胴が向うになってこざる。ハテと蓋の裏ァ見りァ、漆で書いた前川の屋号が逆さま。姐さん、間違えたネ。
 だがヨ。美人は得ヨ。ご注意申し上げる気も起きねェ。いいのよ、いいのヨ、こンくらい。これが婆さんのお運びだったら、コヲ[※13]しっか確かめて置きァがれぼけちァいけねへゼ、なんて啖呵の一つも投げつけるッてもんだが、その涼しげな横顔に免じてなんにも言わねへヨ。アゝ女なら美形に生まれなきャ嘘だゼ。
 天地逆でも旨いものハ旨い。箸置く間も惜しく、汗をかきながら食べ尽くす。この見世ハ蒲焼もいいが、大川の滔々とした流れとその上ェ拡がる空の広さが他ぢァ拝めぬ絶景々色。こいつァぴん[※14]の味わいヨ。ものォ喰ってそのものだけしか感じ取れねへのハ、味わいの幅がせめへ(狭い)。窓からの眺め、部屋の拵え、店(たな)もん(者)の客扱い、器、調度、なんでもかんでも味わい尽くす根性(こんじょ)がでへじ(大事) 。そいぢャなきァ、一生の大事な一食損をして、銭金どぶへ捨てるようなもんヨ。
 喰い終り茶を呑んでフゥッと息ィ吐くと、いま喰った蒲焼の軽やかな香りがよみがえる。ふんわりと雲のように柔らかい身肉、とろけるような皮、甘過ぎず辛過ぎず、ほどよいタレ。こいつァ一朝一夕にャできねへ芸当ヨ。ト合点したところで、先の加兵衛のとっつァんのつぶやきィ思いだしたゼ。
「江戸前の鰻だって自慢するから、どんなもんかと喰ってみたが、てえしたことはねぇヤ。
 蒲焼はふわふわ、飯やァべしょべしょの柔らか炊き。タレときちャあ、薄味だァ。皮をパリっと焼いて、甘辛はっきりした判りやすい濃いタレかけやがれ。
 蕎麦だってそうだ。江戸っ子はなにかと云やァ、蕎麦々々って自慢するが、江戸の蕎麦は細いばっかりよ。ズズーッと手繰り込むばっかしで、噛むこたァいらねェ。歯なしの爺だって喰ゑらァ。
 寿司もそうよ。小振りが粋だなんて云うが、シャリはふんわり握り、ネタはちっちゃくて薄っぺら。噛むったって、二三度噛みャあ喉の向ふへ消えちまって、腹のどこへゝえったか(入ったか)判らねェ。
 豆腐なんかもっとひでえ。木綿は田舎で野暮だ、通(つう)は絹ごしだなんて云いやがって、舌の上へ載せたら笹の葉に積もった春の淡雪のように消える様子がいゝなんて、風流ぶりやがッてヨ。あんな水ばっかしの絹ごしィありがたがッてやがる。
 半平(はんぺい[※15])なんて生っちろい(白い)もんつくり出したのも、江戸ッ子だって云うじゃあねえかい。こいつも喰ふのに歯はいらねェやナ。
 いってェぜんてェ、しっかり噛むってこと知ってんのかい、江戸ッ子てェのは。てえしたことねェぜ。だから、江戸ッ子にャ、歯応えのある奴はいねェんだ。江戸ッ子は皐月(さつき)の鯉の吹き流し[※16]なんて莫迦にされちまうわけよ」
 悔しいけれど、当たってらァ。その、中身のねへとこ突ッ張るンが江戸っ子ヨ。なけなしの意地と張りで浮世を漕ぎ渡るンだわサ。ざまァみやがれダ。

【付けたり】
[※1]歌舞伎「伽羅先代萩」のもじり。蒲焼を香木伽羅に見立てた。「伽羅先代萩」は、伊達藩のお家騒動を脚色した時代物歌舞伎。
[※2-1、2-2]大川と大川橋。江戸の当時は、現在の隅田川は大川と呼び、吾妻橋をこう呼んだ。浅草辺りの隅田川は、浅草川とも呼ばれていた。
[※3]衣更へ。江戸時代、四月一日に夏の衣に着替え、十月一日に冬服に着替えた。この月日は、本来江戸時代末期の天保暦(旧暦・太陰太陽暦・天保壬寅元暦[てんぽうじんいんげんれき])で行われるのがよい。今年(平成18年)の場合、新暦(グレゴリオ暦)の4月27日と11月21日。江戸時代、「衣更へ」と言えば、多くは春のそれを指した。
[※4]前川。鰻屋。東京都台東区駒形2-1-29 電03-3841-6314
[※5]定九郎。斧定九郎。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の登場人物の浪人。悪役。ずぶ濡れの黒羽二重の紋付きに朱鞘の刀、破れた蛇の目傘の拵え。初代中村仲蔵の当り役となる。
[※6]浅葱裏。薄い藍染木綿。田舎侍の多くがそれを袷の裏地にしていたため、彼らの代名詞となった。
[※7]旅鰻。江戸前以外の地で捕れた鰻。略して「旅」とも言った。
[※8]舟。鰻舟(うなぎぶね)。鰻を活かしておく木製水槽。
[※9]坂東太郎。利根川の別称。関東を代表する大河の意味。
[※10]江戸時代、病の数は404あるとしたが、それよりつらいのが貧乏と言った。
[※11]並木の藪。並木藪蕎麦。東京都台東区雷門2-11-9 電03-3841-1340
[※12]蕎麦前。蕎麦を手繰る前に、酒を軽く一杯呑むことを言う。故杉浦日向子が唱えた言葉との説もある。
[※13]コヲ。現代、よびかけの言葉「オイ」を江戸時代にはコヲまたはコウなどと言った。
[※14]ぴん。数の「一」の意。
[※15] 半平。「はんべい」(浮世草子〔小児養育気質〕)とも。「はんぺい」(天明五[1785]柳多溜二十)、後に「はんぺん」(文化八[1811]柳多溜五十六)と音韻変化。現在のはんぺん(半片、半平)。
[※16]江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し口先ばかりではらわたなし。狂歌。

2006年8月 6日 (日)

コウ貧の字

 根昆ン布ゥ水に漬けておくッてへト、どろッとした素通しのとろみが出てきやしょう。あれが血圧ゥ下げるッてんで、近比(頃)朝晩に呑んでおりやしてネ。みっともねへ話よ。人様にャ極内(ごくない。極内緒)に願いやすゼ。勇(いさみ)の振りしてるくせに、躰いたわっているなんて意気地がねへッて笑われちまうハ。
 前にィもお話しやしたでやしょが、あっしァわけあって山ン中で隠れ住んでおりやすんでやすがネ、その田舎の町にィあの三の字で有名な百貨店の流れがありやして、そこで根昆ン布買ってきやす。
 そいつゥ水に漬けていて、なんだが勢いが足りねへなァと思いやしてネ。わけえ比にもちょいと呑みやしたんでやすが、そんときァもっととろみが出たように覚えていやす。だが、三の字の流れで手に入れてきたンは、ほんのお印ていどにしか出ねへ。
 先だって、浅草行きやしたとき、その根昆ン布が品切れになってるン思いだしたんで、雷門くぐって取ッ付きにある昆ン布屋ァ寄りやした。
 海から離れた浅草の、そのまた仲見世に昆ン布屋があるッてへのも、乙(※1)な気もするが、浅草海苔のあるが如しッてェ例もあるから、まんざら不思議でもねへのかも知れねへネ。
 お江戸で海苔ッて言やぁ、大森が産地だったそうぢァねへですかい。いまぢァ見る影もねへやネ。
 浅草にャぁ、反古紙漉き直しの職人が大勢いたとかで、そこィ大森の生海苔持ってきて、紙漉きの技で板海苔つくったンが有名になって、浅草海苔の名ァ広まったッてとか聞きやしたヨ。
 そんなこたァあるから、仲見世に昆ン布屋あったッていいンぢゃねえかと、あっしァ一人合点することにしたッてわけでネ。
 その見世ァ入り口に高座の造作があって、大将がその上で立て膝でとろろ昆ン布を削っておりやす。そのとっつぁんに、根昆ン布おくれッて声掛けてひょいと脇ィ見たら、棚に鎮座ましましていやがる。正札見て、正直言ってあっしァ目ェ疑ったヨ。野口の大将一めへ(枚)ぢゃお釣りどころか、銭ィまだ\/足りねへ。
 ド田舎の三の字流れの百貨店ぢャ、野口博士一枚だしぁチャリン\/とお賽銭が戻ってくるヨ。ところが、ここンちぢゃ、旦那お足が足りやせんダ。畏れ入ったネ。
 銭金のこと言ふと卑しくなるから言ひたかァねへが、三の字の一倍(※2)はするんだ。びっくりしながらも、よしァいいのに、二袋おくれなんて言ッちまってサ。そこんとこが、あっしァ自分がどうしようもねへ見栄ッぱりの江戸ッ子だと思うヨ。
 ところが、この根昆ン布がすげえのよ。一晩漬けて置いて朝ァ取り出そうとするてェと、とろみが一杯でくっついちまって、義山(ぎゃまん)の湯飲みから出せねへのサ。驚きだゼ。
 ただァ銭ィ取らねへナ。伊達に仲見世ェお店(たな)張ってるわけぢァねへネ。仲見世歩いてみりァ、ほとんどが物見遊山のお客ヨ。よく言ふ一見(いちげん)の客だ。見せかけだけの品ァ売ったッて、二度来るわけぢゃねへ。だが、そいつをやらねへところが、江戸しぐさの本場ヨ。あっしのいる山国の三の字たァ、わけァ違うワ。
 仲見世の昆ン布屋ハ、大海屋といいやすが、こう書いておおみやと読ませておりやす。その読ませ方が一癖あって洒落がある。きっと出ァ武州の大宮なんでやしょうねェ。そうだとすりァ故郷(くに)が判るッて仕掛けまで折り込んだ粋な屋号でやすヨ。
 どんなものでもピンキリなもんだが、山国の三の字ァ、値段で客見た商売してンだネ。コウ(※3)貧の字、おめえら貧乏人にャこのくれへの安値のもんが分相応だろうヨッてネ。大海屋のハ、袋の裏の産地ィ見りャぁ利尻だわサ。昆ン布も根っこになってもやっぱり利尻ァ位が違うンだねェ。見上げたもんよ。これ見て思ったネ。大海さんは、品もんの質で見世ェ出しているッてことだろう。客の手がとどかねェだろうなんて、足元みたような妙な細工ゥしてねへッてことだ。たけえッたって、たかだか野口の旦那よったり(四人)もお出しすりァ、二袋けえる(買える)。その上、帰りの土竜(もぐら)電車の駄賃になるくれへの鳥目(てうもく※4)もこっちの掌(てのひら)ァ載せてくれらァ。だから、高直(かうぢき※5)と言ったところで、たかは知れてゐる。身上潰れるような値段ぢゃねへ。
 ヨゥ山国の三の字さんヨ、乙に気ィまわして中身の薄い安もん売るンぢゃねへゼ、エそうぢゃござんせんか。

(※1)乙。変、妙の意。天明八年(1788)赤蜻蛉『女郎買之糠味噌汁(じょろかいのぬかみそしる)』なんだかぬしァおつなにをいがしいすよ、いつそむねがわるくなりいした」
(※2)一倍。現在二倍と云うところを倍または一倍と云った。一倍は「倍にする」のことで、一を掛ける意味ではない。
(※3)コウまたはコヲ。呼びかけの「オイ」を江戸時代はこう云った。
(※4)鳥目。銭の異称。江戸時代までの銭は、円形で中央に穴が空いており、鳥の目に似ていたのでこう呼ばれた。浮世草子『好色三代男(こうしょくさんだいをとこ)』「我も柏の紋ある茶屋の手に渡り、明日は鳥目(テウモク)に身を代えられ」
(※5)高直。高価の意。浮世草子『日本永代蔵』「蓬莱は神代此かたのならはしなればとて高直(かうちき)なる物を買調て是をかざることなんの益なし」

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