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2006年7月23日 (日)

天紛花蕎麦寄道(ひかりとまがうぎんざのそばのよりみち)【修正】

 江戸前の蕎麦ッて云やァ、あっしァ並木の藪とこころに誓っておりやすが、こん度(たび)ァちょいとばかしばちげぇ(場違い)の蕎麦屋の咄(はなし)ィいたしやしょうかね。
 比(頃)ァ去年、皐月(さつき)の八日、ご維新からこっち通り相場となった西洋暦で云やァ、6月14日のことだ。
 銀座は並木通りに松崎煎餅のお店(たな)がありやしょう。そのにけぇ(二階)ハ、水茶屋(喫茶店)になっておりやす。版元で手伝いをしている物書きの佐の女(さのじょ)さんとそこヲ 出たンは、かれこれ八ツ(約二時)に近い時刻でやした。これから、丸の内の版元訊ねようッて寸法ヨ。
 この見世(店)ァ、もう二昔(ふたむかし)にもなりやしょうか、あっしがこの銀座で広め屋(こまーしゃる)の奉公人の真似事してた時分にャ、一階の煎餅屋の奥に腰掛けいくつか置いて、気軽に茶ァ呑ませておりやした。マ云ってみりゃ、街道筋で床几ならべた休処(やすみどころ)ッて案配でやしたネ。
 こうして訪ねてみやすと、なんと建て直されておりやして、水茶屋は二階へ上がって立派になっているじャござんせんか。トは云え、商うもんは前とおんなじ、抹茶、煎茶、焙茶。どこェ行っても西洋かぶれの珈琲ばやりのご時世で、あっしら日本人の腹に合ったもん呑ませてくれるこの見世はありがてえことヨ。
 午(ひる。午[うま]の刻)はとうに廻っておりやすが、八つの山から駆け参じたあっしァ、昼の支度(飯)ァまだ済んじゃあいねへ。デ佐の女に午摂る時間はありやすかいト訊ねるてッへと、エヽ大丈夫ですヨ、と二つ返事だ。だがヨ、約束の刻限は云わねェのよ。てえことハ、喰ってから行きァいいッてことだ。大船に乗ったつもりで、ゆっくり腹ごしらえすることにしたッてェわけヨ。
 では、さて、なににするか。ここが思案のしどころ。なんせ相手のいる旅だ。あっし一人の腹づもりで飯屋決めるわけにァいかねェ。相手さんの佐の女のお好みも案配しなくちゃならねへ。なんてたって、けふ(今日)の先達ッつあんは佐の女さんだからネ。
 しかし、なんだネ、久方ぶりに昔の馴染みの銀座で支度するってえことになると、思いハ千々に乱れるヨ。とり銀の香ばしい釜飯、お多幸の味がどっぷり染みたおでん、利久庵の真っ白でしゃんとしたさらしな蕎麦、ちょっと遠いが京橋ァ美々卯(みゝゅう)の穴子蕎麦かきつね蕎麦、にしん蕎麦もよだれが垂れる。ヲッとそいつァ浪速の蕎麦屋だろう江戸っ子の喰いもんじゃねゑンじゃねえのかい、ト云われちャ江戸っ子修業と大招牌(おほかんばん=看板)掲げた喜三二さまの名ァすたるが、こいァばかりは目ェつぶっておくんなせへダ。東西越えてうめえ(旨い)もんハうめえンだから、仕方がねへ。確かに蕎麦ァ腰砕けのやわだが、汁の味ァ天窓(あたま=頭)ァさがらァ
 お多幸の方ハ、地べたァ伊国の大有名店だかに買い占められちまッて日本橋ィいっちまった。いまじァ落ち目みてえに見えるが、昔で云やァあっちが本場、銀座なんぞァご城下町(明治6年東京府の役人が通町と京橋を城下町と定め、それが下町の呼び方の元となる)の隣のしけた町場に過ぎねえ。
 なにィ喰うか、いろ\/迷うが、跡(後)で版元のある丸の内ィまわることヲ思うと、近間が上策。で、佐の女に蕎麦ァ付き合ってもらえやすかいトお伺いをたてたッてわけヨ。
 しかしなんだネ、けふハ版元への案内を佐の女に頼んである。そうしたお方に、蕎麦なんぞという下世話な喰いもんを馳走していいもんかね。さりとて、とり銀で向かい合って、釜飯の釜の底がりがり掘るッてへのも様にならねへ。マやッぱり蕎麦屋で勘弁してもうらッきゃねへと踏ん切りつけ、並木通りから一本下がった横丁へゝえる。尾張町の大辻(四丁目交差点)から見りァ京橋へ一丁寄って、浅草でその名も高い松屋の百貨店の銀座店(だな)の前ェ入って二本目の横丁ッてェわけヨ。そこに電飾の行灯招牌掲げているのが、利久庵ダ。見世構えァ昔通りの数寄屋造り。真っ白な麻の暖簾(のうれん)が清々しい。格子戸に手ェかけると同時に、いらっしゃいませ~の声が出迎えてくれる。この間髪入れずが嬉しいじャござんせんか。ほんに間がいいヨだ、これがうんともすんともねェようじゃこっちの気が抜けちまって蕎麦ァ勢いよく手繰る気力が失せちまうッてもんだゼ。
 やっぱり花のおゑどのそのまた花の銀座だねェ、午ゥとっくに廻っているッてェのに、席はほとんど埋まってやがる。真ん中に大机が置いてあるが、そこにやっと座ィ取ったネ。机の材は相変わらず花梨の無垢ヨ。豪気にもんだゼ。壁は少し明るめの京壁。腰板は檜だろうか、目の詰んだ柾目(まさめ)が貼ってあらァ。あっしが毎日のように手繰りに来ていた時分は、たしか布袋竹のベタ貼りだったように思うが鳥渡(ちょっと)思いだせねへ。神経の行き届いたこうした造作がこっちの気持をゆったりとしてくれてたまらねェネ。柱に張り紙があって、天ざると書いてある。佐の女に、あれにしなせェよとおっつけておいて、あっしは一歩引いて天もりを誂える。
 待つほども待たせねへで、洒落た小振りな手付きの籠に盛った天麩羅が来る。海老二本に獅子唐一本。蕎麦は横長の蒸籠(せいろう)に盛られてゐる。蒸籠はもちろん溜漆(ためうるし)を厚く塗った木地物ヨ。
 蕎麦は、細く真っ白。上品そのものだゼ。御膳蕎麦トこゝンちじゃ名付けてゐるヨ。さらしなの呼び名ァどっかのお店が登録してるッて聞ゐたから、それでかもしれねへネ。
 八つのお山ン中で、田舎蕎麦ばかり手繰っているこちとらの目にァ、その真っちろい蕎麦と花ァ咲いたようにからりと揚がった衣の天麩羅ハ輝いて眩しくッてしょうがねへようだったゼ。
 こいつウ見た瞬間、昔銀座二丁目で銀幕お役者の松坂恵子とすれ違ったときのこたァ思い出しやした。そんときァ突然目の前に輝いた女が現れ、あっと思う間に通り過ぎて行ったネ。唖然として声もでねへ。意気地のねへもんヨ。光輝いていて、そのせいでなんだかとてつもなく大きく見えやしたね。そんなもんなんだろうねェ、神々しいッてのハ。
 その感じが、ゐまあっしの目の前にある天もりにァあるンでやすヨ。蕎麦も天麩羅も自分から光発して輝いてゐるッてわけヨ。主役張るもんてのハ、こうじゃなけりゃいけねへネ。光当ててもらって輝くようじゃ、まだ力ァ足りねへ。自分の中から光ださなけりゃ天辺にャ立てねへッてことなんでやしょう。
 天麩羅の海老に歯を立てるッてへと、カリッと衣が砕けた。小気味いネ。中の海老ァゐまちょうど芯まで火が通りましたッて比合いに揚がってゐる。絶妙だネ。下手な天麩羅屋ァ裸足で逃げ出すヨ。活け海老かねェ、この活きのよさハ。間違っても冷蔵庫の臭みなんぞしねェよ。尻尾の先ァ包丁でスバッとハの字に切り揃えてある。こざっぱりしてゐて気持がいいや。つゆはちゃんと天つゆが用意されてるヨ。蕎麦つゆで間に合わせておきナなんて無精はしてねへ。蕎麦ァ真っ白い御膳蕎麦なんで、醤油の強い蕎麦つゆより、天つゆの方が合うッて腹づもりだろう。
 蕎麦ァ手繰る前に、ちょいと舐めようと箸の先に山葵(わさび)をつけるッてへとこれが驚きヨ。感触が泡立ってゐるンだワ。舌の上へ載せると、オヤッと思うほど甘いじゃござんせんか。その甘さのずっと奥から、辛さが控えめに顔ァ出しャあがる。こんな山葵初めて口にした。こいつァ奢ってるゼ。見上げたもんヨ。
 蕎麦ァさっき云ったが、とにかく細い。天つゆたッぷり含ませて手繰るト、口ン中でほろほろと崩れて喉の奥へ消えて行く。なんだかあっしァ涙が出そうになっちまって困ったゼ、ほんとに。
 これなんだよネ、お江戸の洗練ッてェのハ。広め屋に奉公していた時分は、なんの感慨もなく、こんな絶品を毎日のように手繰ってゐたンだから、気付いてみりゃあ贅沢なもんだゼ。
 これだけの蕎麦が、なんでだかしらねェが、蕎麦通を自認するお方の本に書かれたンを見たこたァねへ。目と舌ァどこに付けてんだか。頭で蕎麦手繰ってンじゃねへのかッてあっしァ云ってやりてへヨ。

2006年7月15日 (土)

こころ意気

 駒形橋の西詰、大川に並んでだらだらッテ下ると、前川の亭主(ていし)が前掛姿でちょうど見世(店)の前に出てきたところ。こっちの面(つら)ァ見るなり、いらっしゃい、お一人ッて声かけてきたンで、指一本立ててみせたら、見りァ判るよネ訊くまじャねェやネッてぽん\/ッて一人でしゃべり、ハイどうぞッて見世の大戸開けくれたヨ。こっちァなんにも口きくこたァねへ。問いも応えも、ぜんぶ親爺が一人でやってくれらァ。
 サぁどうぞッてンで、下駄ァ脱いで上がろうとして、この洋杖(すてっき)預かっておくんナと渡そうとすると、オッ旦那この握りァ銀でやすネと云うから、お目が高いネッて返(けえ)すと、うちの爺さんがこれ持っておりやした、こいつァ大事だ、どうぞそのまんま二階へ持って上がっておくんなさいッなんて人ォ持ち上げるヨ。そうかい、じァそうさせてもらうヨッてンで上がったら、こっちの脱いだ下駄ァ見て、こいつァ粋ダ塗りの下駄じァござんせんかなんて、また\/持ち上げておいて、ハイッお一人様お二階ッだってヨ。ほんに商売上手だネ。息つかせねへ調子がいいヤ。この間髪入れねへ間のよさがお江戸ダ。打たなくたッて響いていらァ。
 件(くだん)の通り、中串のお重で腹ァ拵えたが、皐月(さつき。旧暦)の大川端ハやっぱり蒸すねェ。汗ェ拭いながらの蒲焼も精がつくッてェ感じで夏の味覚ヨ。

 仲見世通りからちょいと横道へ外れ、弁天様を小銭で義理ィ果たし、観音様もこれまたなけなしのお鳥目でご勘弁願い、跡(後)ァ腹減らしにぶらつきやして、そのまた跡(後)ァお定まりの並木藪での蕎麦前の人肌。〆にざるゥ手繰って、さてお次ァてんで横丁へ。どういうわけか目と鼻の先の間近に三軒も見世ェ張っている煎餅屋の和泉屋へゝえる。ぶぶあられなんぞを買って表へでたが、歩き廻って喉が乾いてならねへ。
 この辺りで茶ァ飲ませる見世ァござんせんかト女将ィ訊ねるッてェと、この先ィ行って右ィ折れるッてへとありやした、間違いだったら堪忍ネと教えてくれやした。
 その詞(ことば)ァ従って行くッてへと、馬道通りの角店でありやしたネ。甘味処「茜」。全面義山(ぎゃまん。硝子)張り。滅法界明るいお見世でやしたヨ。ぢゞいとしちァ鳥渡(ちょっと)二の足踏みそうだったが、格子戸ォ開けて入るッてへと、可愛い姐さんが出迎えてくれやした。
 あっしァ歳ィとってるひがみかねェ、どうもわけえお娘(むす)ァ苦手でやしてネ。とハ云え、なか\/の美形だヨ。おきゃんな笠森お仙とハ、真反対、しっとり大人しいいいお娘だ。ちょいとした夢二ばり。調理場にも黙々と仕事する静かな美形がもう一人。今日日(けふび)の不作法な処女(むすめ)たちたァ二人とも大違い。無駄口一つきくでなし、静かに務めていなさる様子がじつにいい。お仙の例にたがわず、水茶屋に美形を置いて客ゥ呼ぶハ、お江戸のお定まり。ところが近比(頃)のわけえ男ァここにこんな綺麗が揃っているンに気づかねへ。目ェどこにィ付けてんでェなんて云ってやりてへヨ。ぢゞいのあっしでさえ、目の果報だッてへのにネ。
 汗ェかいた跡の茶ァ、ほうじ茶がいいもんだが、生憎トねへ。デ煎茶をお頼み申しやして、一息つきやした。充てに付いてきた栗羊羹の包みに書かれた記号がいいじャござんせんか。十辺舎一九の熊手の花押をもじってありやしたゼ。一九の熊手印ァ有名だそうですッてネ。福掻き込むッて洒落だそうで。お酉様の熊手もそれだそうでやすネ。
 甘いもんで疲れェ癒し、煎茶で喉ォ湿らして、さてお邪魔様と出ようとするッてへと、格子戸が音もなくスッと開くじャござんせんか。ハテ確かへえる(入る)ときァ自分の手で開けたはずッて怪訝に思うト、なんと後ろから、その夢二の姐さんが無言で戸ォそっと引いてくれておりやした。
 歳ィ取ると、こうした気遣いの情けに弱くていけねへ。思わず、胸ェ迫るもんがあるネ。やっぱ浅草ァ伊達じャあねへ。他人様に気ィ遣う、江戸しぐさがいまの世まで、ちゃんと受け継がれている。いいお茶呑ませていただきやしたヨ。

(甘味処「茜」 台東区浅草1-34-9)

2006年7月 9日 (日)

粋冥利蕎麦屋華(いきみょうりそばやのこころえ)

 エェ、あっしの蕎麦屋の選び方なんぞ、ご披露しやしょうかねェ。
 まず、御免被りてへ見世(店)から。
 種物(たねもの)をやってねへ見世は、真似事の素人だね。蕎麦ァ、腹ァ膨らませるもんじゃねへッてのは、そうなんだが、近頃流行りの、盛、蒸籠、笊一辺倒で、手前どもでは種物なんぞ、邪道でやりゃしやせんッて面ァしてる見世に限って、日曜日の蕎麦打ち教室なんかでちょいと手慰みしただけで、もういっちょまえ(一丁前)の面ァ構えて見世張ってるド素人よ。
 他人様からおちょうもく(鳥目)をいただくてのは、そんな甘いもんじゃねへですよッて云ってやりてへよ。あっしが巣くらう八ヶ岳辺りにャ、名人ぶった素人が掃いて捨てるほどおりやす。こうした見世へは、あっしは近づかねへことにしておりやす。

 上に海苔が掛かっているのが笊ですよッて見世も、まがいもんだよ。
 蕎麦は水切り立てのみずみずしいうちに、ズズッと手繰るからいいんだ。そこへ水気を吸い取っちまう海苔を散らしやァがッて。コウ亭主ゥ、てめへで自分ンとこの蕎麦、喰ったことあんのかッて云ってやりてへね。
 盛りでも笊でも蒸籠でもいいが、ハイお待たせッて出てきたときに、今茹で上げましたッて、水もしたたるようじゃなきャあいけねへ。そういう蕎麦が、ススッ引(ー[音引] )と粋に手繰れる江戸前の蕎麦なんだゼ。江戸前ッてのは、気っ風(きっぷ)がいいッてことだアさ。箸で摘んだら、蕎麦が互いにしがねへ恋の情けが仇で絡み合っていちァ、未練たらしくていけねへ。すっぱりと離れてくんねへ。やっぱり江戸っ子と蕎麦は、思い切りのよさだアね。

 笊ッてのは、盛とは、蕎麦汁(つゆ)が違うッて聞きやしたよ。
 一番出汁でつくった汁で喰わせるのが笊で、二番出汁の汁で供するのが盛だそうで。江戸(とうきょう)のどこの見世だか忘れやしたが、笊の客に先に届いた蕎麦汁の徳利と蕎麦猪口は、赤絵の粋なやつでしたぜ。あっしが頼んだ盛は、やすっぺえ瀬戸物で……。この見世は、蕎麦を茹で上げて持って来る前に、徳利と猪口を出しやす。だから、オッあの客はァ、笊ゥ奢ってやがらァ無理しやがって、なんて判る仕掛けよ。
 二番出汁ッてのは、一番出汁採った後の鰹節(かつぶし)でも、まだまだ出汁が採れる。もう一度使って出したンが、二番出汁でね。出汁は出てるが、やっぱり味は落ちるわな。一番出汁の品のよさにはかなわねへ。笊は、その汁で手繰るわけですワ。通はそこんとこへ銭ィはずむッてこッてす。
 笊に海苔を振るのは、ほんの目印だったそうでやすが、そいつがいつのまにか、海苔が散らしてあるのが上等で笊だなんて云ふことになっちまって。玄人であるはずの見世の方でも、海苔のありなしが盛と笊の違いだなんて思っていやがる手合いがいるからやんなっちまうよ、あッしゃ。
 そう云やァ、こっちの山ン中にャ、盛の蕎麦の付け合わせに若芽の茹でたのを載せる見世がありやすよ。滅法いい高直(こうじき[高値])の見世でね。まったくの素人なんでやすが、自信は凄いよ。玄人が裸足で逃げ出すッてやつでさあ。
 蕎麦と若芽が合うかッてんだ。竹の子じゃねへんだぜ、蕎麦は。

 こんなこと書いてると、切りがねへから、今日ンとこはこれでお開きにいたしやす。
 なんだか尻切れ蜻蛉のような話で、勘弁してやってくんねへ。
 じゃ、また。あばよ。
 喜の字

2006年7月 8日 (土)

お初にお目にかかりやす

  江戸は東京と落ちぶれた、場末は麻布の戦中生まれ。わけへ(若い)頃ァ血気も盛ん、恥もしらねへ横文字名前の軽薄商売、口から出まかせ筆まかせ、広め屋稼業の文案ひねり、その日その日の糊口をすすぐ、その名も卑しいコピーライター。大会社大商人(おゝあきんど)の提灯持ち、渡る世間に申し訳ねェしがねへ稼業。気がつきァいつのまにやら六十路も半ば、生きるの死ぬのの大病も一度や二度じゃすまねへ体、どうとりとめてか生き残り、せっかく頂戴した残りの命、でへじ(大事)につかわなけりャお天道様に顔向けならねへと、提灯持ちのやくざ渡世からすっぱり足ィ洗い、今じゃ天に恥じるこたァねへ、一念発起の江戸っ子修業。江戸づくめの毎日尽くし。背なにかけた手拭いは、そんな覚悟の江戸謎染めの雄、鎌輪奴(かまわぬ)、ご意見無用の心意気。歩きゃァ足元おぼつかねへ大年寄の老いぼれだが、性根だけはいまだ忘れぬ三つ子の魂、いなせ身上の勇み肌。と、偉そうにほざいても、心持ちばかりの見かけ倒し。今じャ八つのお山の庵暮らし、江戸っ子の生まれぞこない山に住みッてェ体たらく。そんなこんなのみっともなさ。大張ったりもお許し願っての上、以後お見知り置きのほど、おねげへいたしやす。

趣味▼江戸参り。江戸じでへ(時代)から続いている見世(店)、江戸のやり方を引き続いている見世を着物姿で巡り、江戸風情にどっぷりつかることを無上の喜びとしておりやす。
 でやすから、あっしの趣味の「ファッション」ァ、もちろん着物てェことでごぜゑやす。
 好きな「音楽」たァ、どどいつ、新内、めりやす。粋なもんだぜ。支那南蛮紅毛の物真似ァ毛筋ほどさえもねへ。
 好きな食べ物ハ、江戸前のみ。握り、蕎麦、蒲焼、天麩羅。江戸前いげへ(以外)は口にャしねへ。
「読書」ハ、もとより絵草子、黄表紙、読本、笑本、歌舞伎正本だわサ。
学んでおりやす「語学」は云うまでもねへ。江戸弁のことヨ。
 マこんな具合のケチな野郎でやすから、よろしくお頼み申しやすゼ。

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